喪服の乙女の異名をもつ嫁き遅れ令嬢が恋に落ちるまでの七日間

細波ゆらり

第1話 プロローグ




 心が凪ぎ、暖かで、穏やかになる、そんな思い出は、この領館の庭に詰まっている。

 両親と、優しい兄、頼りになる姉。そして時折、父母や兄の友人とその家族も。

 青空、笑顔、笑い満ちた大人やこどもたちのおしゃべりの声、甘いお菓子、そういったものが、私の幸せの原風景。




 芝生に囲まれたガセポの脇には古いナラの木があり、その大きな日陰には、私のお気に入りの長椅子が三つ並んでいる。

 いつも、お菓子を食べ飽きたときは兄と姉と三人で並んで寝転がり、お喋りしながら、まどろむ。





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「ねえ、エマ。きみの好きなものはなあに?」



「このお昼寝。お父様やお母様のお喋りの声が聞こえて、近くにお兄様とお姉様がいる。お茶もお菓子も美味しくて、風が気持ちいい。このナラの木の下が好き。」



「じゃあ、きみは、何をするのが好き?」



「詩を読むのが好き。ポニーに乗るのが好き。湖で泳ぐのが好き。本当は、お兄様みたいに剣の練習もしたい… みんなが笑顔になることを考えるのが好き。あとは… シエンタから持ってきた薔薇を眺めるのが好き。」



「じゃあ、一緒にきみの好きな詩を探そう。僕もたくさん本を持ってるよ。」


「ポニーより、もっと大きな馬に一緒に乗ろう。僕の馬は、速くて大きい。遠くまで行ける。」


「僕は、きみに剣を教えてあげられる。」


「薔薇園もあるし、海で泳ぐのもできる。僕の家においで。」





「うー…ん。あなたのおうち、ここガルデニアじゃないの? 私は、ここが好きなの。あなたが、ここに来たらいい。私はいつもここにいるわ。」




 誰と話していたんだろう。まどろみから醒めたとき、その子はそこにいなかった。




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 14歳のときに母が亡くなり、16歳のとき父も亡くなった。二人とも流行病だった。父が体調を崩してからは、兄姉と三人で助け合って生きてきた。


 小さな頃から、父を手伝うと言って、領政の真似事をしてきた私は、兄が領主を務めるこの領地を暮らしやすく、安全で、豊かな場所にすることを一番に考えてきた。

 それは、領地の多くの人に、私のあの暖かで穏やかなガセポのような場所を作りたい、という気持ちからだったように思う。



 私たち一家が暮らす領都ガルデニアの他に、中規模都市シエンタを抱えるガルデニア領は、農業、商業、観光業が盛んで、ラトゥリア国の最南端の僻地ではあっても、豊かで恵まれた場所だ。

 折しも、南に隣接する国とガルデニア領シエンタを結ぶ街道を整備する計画が大詰めを迎えていた。この街道は、両国の経済、技術、軍事様々な分野での発展に寄与すると見られている。



 父の病状が悪化した頃には、姉は王都の侯爵家に嫁ぐ準備で忙しくなっていて、兄と私は二人三脚で領政を始めた。それは、想像以上にやりがいがあった。

 やるべき仕事はたくさんあり、失敗も成功もあるが、毎日が充実している。




 父の生前から、私の縁談の話はいくつも出ては立ち消えた。様々な事情はあったものの、私が家族から、また家族と過ごしたこの領地から離れる決心がつかなかったことによる。



 兄や姉と同じぐらい、私が心を許せる人ができるだろうか? 


 この地よりも愛せる場所に出会うだろうか?


 今のような熱量で取り組める仕事に出会うだろうか?




 何度も、自分に問いかけたが、ここを離れる気持ちにはなれなかった。

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