第4話 旅立ちの朝に待ち受けていたのは、兄の婚約者?


旅立ちの日は、1か月以内ならばいつでもよい、という話だった。


その中から俺が選んだのは、通告のあった1日後だ。

この地を追い出されることをずっと望んでいたため、旅の準備はとうに整っていたのだ。


馬車を手配して街を出たのは、早朝ごろだ。


見送りも同乗者も、もちろんいない。というか、人目につかないで済むよう、この時間を選んだのだ。


……兄・クロレルが散々に振る舞ってくれたおかげで、俺は大層不人気なのである。


人通りの多い昼に出立すれば、どんな罵声や加害を受けるか分かったものではなかった。


馬車は街の大通りを進み、門の前まで着く。


この門の外と内では、環境にかなりの差がある。

街は大きな塀に囲われており、門の内側は、『良人(りょうにん)』と呼ばれる一定以上に身分の高い一部の人間のみしか入れない。

そのため、比較的安全な環境になっているのだ。


一方で、門から一歩外に出ると、山賊やらが出る可能性もあるし、場所によっては魔物が出るなんてこともある。


普段この外へ出ることは、あまりなかった。外交などでの遠征ぐらいだ。


「よろしいのですか、門を開けてしまって」


たぶん旅立つ俺に気を遣ったのだろう。

御者がわざわざこう確認してくれるが、俺は単に頷いた。


「あ、うん。お願いするよ」


むしろ、早くおさらばしたいくらいだった。街の人の誰とも遭遇する前に。


そもそもここでの生活に未練なんて、ほとんど皆無なのだ。

あくまで、「ほとんど」だが。


門番二人により、大門がゆっくりと開けられていく。

その隙間から徐々に強くなる光は、俺にとって希望の光のよう。俺は馬車籠から身を乗り出して、それを見る。


自由と解放への希望に胸が高鳴っていたのだが、門がすべて開いたとき、そこには意外な人物が待ち受けていた。


「セレーナ……様。なんで、こんなところに」


令嬢らしい豪奢な衣装は、まとっていない。シンプルな青地のワンピースを一枚纏っているだけの格好だった。


だが、それでも彼女が醸し出す雰囲気は、常人のそれとは違う。


『高潔な薔薇』のよう、と称されているだけのことはある。

鮮やかな薄紫色の長い髪をまだ冷たい春風にたなびかせ、ただそこに立っているだけだというのに、そちらへ意識を引き込まれるのだ。


が、そこでなんとかとどまった。


「セレーナ様、どうしてこのような時間に門の外に? 危険でございますよ」

「……分かってるわ、そんなこと。それを承知で、あなたを待っていたの。アルバ」

「な、なんでまた俺なんかを? こんなことをしていたら、叱られますよ。あなたは、兄の婚約者なんですから。早く兄の元へお戻りになったほうが……」


セレーナ・アポロンは、兄であるクロレルの婚約者なのだ。


アポロン伯爵家とハーストン辺境伯家の領地は、隣接関係にある。そこで、よい外交関係を築くために、この婚約は一年ほど前に成立した。


どちらも19歳、世間からは美男美女でお似合いだと言われており、入籍の日も近いと噂されている。


……だが、クロレルと入れ替わっていた俺は三か月の間に知ってしまった。

表向きは婚約者として振る舞っていても、実際は不仲であり、ほとんど会話も交わさない関係であったことを。


どうも、セレーナは直感的に兄がどうしようもないクズ人間であることを察していたらしい。


俺がクロレルとして、ちょっとにこやかに話しかけてみても反応はほとんどない。

必要な時に、一言二言返事をくれる程度であった。



……普通ならとっくに心が折れているところだが、俺は珍しくあきらめなかった。


セレーナが容姿端麗なだけでなく、人材としても優秀であることは知っていた。

ならば彼女に、あの無能な兄がどうにか領主としてやっていけるよう支えてもらえばいい。


そう考えた俺は、彼女に愛想をつかされないよう必死で振る舞ったのだ。


結果として、はじめはまったく心を開いてくれなかった彼女とも、多少は親しくなることができた。少なくとも、俺はそう思っている。


この街に残っていた唯一の未練とは、彼女のことだ。


最初こそ、ひとえに兄のためと思っていたが、接するうちにそれだけとは割り切れなくなっていた。

彼女が俺ではなく、クロレルに対して心を開いていることも分かったうえで、最後に一言、挨拶くらいはしたかった。


だから会えて嬉しい。

……嬉しいには嬉しいのだが、彼女がここにいる理由がまったく分からなかった。


セレーナは俺たちの入れ替わりを知らないはずだ。

彼女にとって、今の俺は友人ですらなく、せいぜい『婚約者の弟』でしかない。


「いいのよ、クロレルのことはもう。どうでもいいの」

「それって、どういう意味ですか」

「言葉どおりよ。単純にあの人じゃない、とそう思ったから。なになら今すぐにでも婚約破棄してしまいたいくらい」

「……え。いやいや、なにを言ってるんですか。最近はあんなに仲よさそうだったのに?」


まさかの、どうでもいい宣言! さすがに俺は動揺を隠せなかった。


いや、気持ちは分かるんだけどね? 俺も、あんなクズ兄のことなんて、一個人としては心底どうでもいい。

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