エピローグ


「姉上。なんで貴方は空から落ちてくるんですか」

「や、すまないすまない。だが間に合ってよかったよかった……ははは、や……ところで着替えとか持ってないかい?」

「……今すぐ持ってこさせます」


 ――空を見上げていたら。

 我が義理の姉が降ってきたので、何事かと思った。


「ふう……ちょっとこの服きつくないかい? 胸元のとことか」

「それ……わたしの羽織ですから……気に入らないなら従者の服とかでも……」

「いや、とんでもない。むしろこの締め付けが気持ちいいよ! ありがとうクリュー!」

「……いえ、」


 わたしのことをクリューと言うこの義姉の名はブラッサ。

 ブラッサ・ユクシジャッジと言うのがフルネームだけれど、なぜか最近やたら自分の事をユクシーと呼ばせようとしてくる。なぜなのか聞いたら、距離感が大事なのだそうだ。

 姉妹はいいものなのだそうだ。

 そんな――そんな発言は、全く以て。剣境の称号にふさわしくない感傷だというのに。


「え……もう王様たち来てるのかい? え? 御前試合はまだ始まってないよね⁉」

「始まってます。貴方が空から落ちてこなければわたしの二連戦でしたが、どうやら一戦で済みそうで良かった」

「私の事はユクシー…………って、そうだったのか、ありがとうクリュー!」

「…………」


 ぎゅっと。力強い抱擁がわたしの頭部を圧迫する。わたしよりかなり背が高い姉上――ブラッサは、その豊満な部位を余すことなくわたしの顔にこすりつけて、なにやらオーバーなリアクションをしてくる。


 ……剣境にあるまじき態度で、失態だ。


 でも、彼女については全てが許される。なぜなら彼女は天才だから。

 わたしが血反吐を吐くほど頑張って……どれだけ努力したとして届かない、そんな場所――剣境上位という領域に、なんてことなくたどり着いてしまった人だから。


「――それと、試合前ですが報告が」

「なんだいクリュー!」


 がば、と。また大げさな仕草でようやくわたしを圧迫から解放するブラッサ。


「剣境の順位です。それが入れ替わりました」

「入れ替わり?」

「入れ替わり……というか、繰り上がりです。二か月前から行方が分からなくなっていた剣境第三位――レイオッド・ヴァークレイン卿が剣境の序列から正式に除名されました」

「なんと……!」

「よって、わたしが一つ繰り上がって第八位。姉上が第四位から第三位になります」

「そんな、レイオッド氏が――心配だな…………」

「…………」


 わたしの淡々とした報告に対し。

 姉上は目を見開き、冷や汗を流して……どうやら心の底から彼――あの不気味な男の事を心配しているようだった。


 ――人間が好きすぎる。


 彼女にとっては、聖者も乞食も、悪人も善人も等しく――見習うべき師なのだ。それが、相手が……人間ならば。


「しかし……いったい何があったのだろうな……」

「……レイオッド卿ですか?」

「そうだよ。だって彼は剣境じゃないか。一度彼の演武を拝見させてもらった事があるが……それはもう、舌を巻いたよ。見事なものだった。あれほど美しい太刀筋を私はこれまで見たことがない。そんな彼が何らかの外的な要因で行方知れずになるなんてことは考えられない。それに、人格もまた、あれほどの地位にあって腰が低くて丁寧で……素晴らしい男性だったよ。思わず求婚してしまったくらいだ!」

「ええ…………」

「断られてしまったがね! あれは悲しかった!」


 あはは、と。口元を抑えてまいったなあ、とブラッサが笑う。


「しかし、ぜひ一度手合わせを願いたかったのだが……彼が戻ってくるのを首を長くして待とうか。残念だ」

「…………」


 ――もし結婚していたら、毎日手合わせに付き合わされそうだな、とわたしは義姉のペースに引き込まれて思いつつ。


「…………」


 ――でも、ブラッサの言う事も大いに、一理ある。

 レイオッド・ヴァークレインは得体の知れない男ではあったが……それでも、剣境上位。それも第三位だ――現時点の姉よりも上に位置する。三本の指に位置する剣の遣い手。

 つまりそれは、世界最強にひっ迫する実力の持ち主ということ。

 そんな、それほどの力量を持つ彼を――何者かが襲って、行方知れずにした……なんて展開は、限りなく考えにくい。

 そんなのはありえない事態だ。

 もしもそんなことが出来るとしたら、それは同じく剣の果て、剣境のうちの――


「どうしたんだいクリュー! ぼーっとして!」

「い、いえ……してません。姉上、こちらの剣を……」

「ありがとう!」


 そう言って彼女は、わたしが差し出した御前試合用に誂えた、ごてごての装飾がついた宝剣を片手で持って――


「じゃあこちらの処分は頼むよ」

「はい……」


 代わりに、これまで持っていた……空から落ちてきた時に、壁に思い切り突き刺して勢いを殺すのに使っていて刃こぼれしきった、安物の刀剣の残骸を私に手渡してくる。


「……ところで姉上、なんで空から落ちてきたのですか?」

「ん? ああそれはね――」


 そうして会話が一周した。

 物語の始まりは得てして、女の子が空から降ってくるところから始まりがちとは言うけれど。


 ブラッサは、はたして女の子という年齢だろうか。しかもこの人はやたらと自分をおばさんと自称しているし――


「空高く飛ばされている時にね。ものすごく大きい鳥が私の近くを横切った。なんとその鳥は口にその、壊れてしまった剣をくわえていたわけで!」

「…………へえ?」

「あの鳥がいなかったら危なかったね。私はあのまま消失線――はるか上空の結界にまで吹き飛ばされていたかも。まったく、大したパンチだよ」

「………………」


 これは、空に飛ばされたのを、どうやって落下するに至ったか、の話だ。しまった、なんでそもそも、空に……というか、誰に? 飛ばされたのかを完全に聞き逃した。女の子の年齢がどうとか、くだらないことを考えていたせいで。

 

 ……ダメだ、 ブラッサのペースに完全に呑まれてしまっている。


「――彼らとはまた会うだろうね。そんな予感がするよ」

「……彼らとは?」


 そして私は反射的に返してしまった――会話の最初の方を聞いていなかったのに返してしまった、そんな言葉をブラッサは丁寧に拾って。


「どっちつかずの面白い者たちさ」

「……そうですか」


 ――彼女にしては、明確ではない答えだった。


 そして、その時間が迫ってくる。御前試合――豪華絢爛なレドワナ大祭のフィナーレを飾る、大陸の強者たちが大陸の王族たちの前で披露する、まるで茶番のような戦い。


「では……行ってらっしゃい、姉上」

「あはは、行ってくるよクリュー!」


 ここは――暗く長い石畳の通路。


 わたしたちの視線の先にはそれとまったく対照的な、無数の光源に照らされた闘技場の大広間が広がっている。


 そこに向かって一歩踏み出して。


 まるで長旅に出るかのような大仰さで、彼女はわたしの頭を撫でて、そして今度は射抜くように腰元の宝剣に触れる。

 気迫、練度、剣圧、それは過剰なほどに申し分ないものだった。


 ――どうせ、一瞬で終わらせて来るくせに。














                                epilogue 了




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