12話 「どれ、おばさんに見せてくれ!」


 ――辺幽の魔女、セレオルタの話によると。


 フォルナサを殺すことは出来るとしても。滅ぼすことは出来ないらしい。フォルナサに限っては追放も封印も成立しない。


 それが……それこそが不遠ふえんの力であると――すべての魔女の中で最も奇怪で醜悪な力であると、セレオルタはフォルナサを唾棄する。

 フォルナサは死んでいない。近い未来に蘇り、今度こそこの世界を――すべての人間を壊すだろうな、と。

 こともなげに、悪びれもせずにセレオルタは言った。

 ぼくは……ぼくは、そうなんだ、とだけ相槌をうつ。それでこの話は終わった。だって――それは、ぼくには関係のない話だと思ったから。

 正直、興味もそれほどなかったから。


「――いやあ、良かった良かった待っていてくれて! お待たせしたね!」

「どこ行ってたのかしらユクシーさん! ……って、それはまさかのロップコーンかしら! もう少し早く来てくれたら観劇しながら食べられたのに……」

「まあ、食べ歩きも乙なものさ。はい、タミハとセレオルタのぶん。ロンジ君は私と一緒に食べよう!」

「ど、どどど……ぼくと一緒にたべる? ユクシーさんと……⁉」

「なにを動揺しとる。きもいぞロンジ」

「き、きもっきもくないやい!」


 いや――だって、一緒に食べるって。ぼくとユクシーさんが一緒に食べるって、それ……一つの器からロップコーンを交互に食べるっていう……下手をすれば関節キス的ななにか、では……?


「……暗愚はほっといて行くぞタミハ! 今日の宿を探す!」

「まだ空は高いわよセレッタ! あ、ありがとうユクシーさん、このロップコーンかなり美味しいわ! ビャラメル味なのね!」

「君たちの味覚は子供だろうと思ってね。私とロンジ君は塩味だが……どうだい? 君も甘い方が良かったか?」

「そんな……もぐ……そんなことないですが……」


 ロップコーンは美味しかった。レドワナ大祭は美食の大祭の側面も持つ……商いだけではない、文化的な交流こそがこの祭りの真髄だ……とぼくは勝手に思っている。


「セレッタ! こら、一気にほおばり過ぎ! そんなに口を膨らませて……」

「いいびゃろう別に。減るひょんじゃなし」

「いやそれは普通に減るわよ⁉」


 十歩ほど前を歩くセレオルタとタミハがくだらない掛け合いをしているのを見つつ、ぼくらも並んで歩き始める。


「――なんか、娘が出来たらあんな感じなのかと思ったりしますね……」

「おや? ロンジ君は結婚願望が強いのかな? それにしても積極的だね。会ってさほども経っていない私と子供を作りたいとは」

「ぶばっぼ…………!」


 ごほ、ごほと、思わずせき込む。


「そんな……全然そんなこと言ってないですよ!」


 話が飛躍しすぎだ! 世間話をしたつもりがなんでそうなる!


「いや、驚いたな。急にわたしとまぐわいたいとは……ならば私は姉さん女房か。往来の中でそんなことを言われたのはさしもの私も人生二度目だ! まったく、長生きはしてみるものだね。おばさんにも春が来てしまっもご…………もご……」

「ちょっと、お静かに願います」


 ――まだ何か言いそうなユクシーさんの口に、拳ほどに握り込んだロップコーンをぶち込む。


「こんなこと言う人が他にも……ってぼくは言ってないですけど。とりあえず咀嚼して落ち着いてください」

「もご……もご」


 ぼくの言葉に小首を傾げながらロップコーンを味わっているユクシーさん。

 まったく……多分この人に悪意も変な意味もないんだろうけど、この人やはりかなりの天然だ。たまに暴走する事がある……黙っていれば美人……俗に言う残念美人のたぐいだろうか。

 さっきは間接キスとかドキドキしてしまったが、この人の前ではムードという言葉など砂上の楼閣である。おかげでぼくも冷静さを取り戻した。


「ユクシーさん! こっちにロップコーンがあるわよー! 珍しい味があるのー!」

「どれ、おばさんに見せてくれ!」


 言いつつ、ダッシュでタミハの元に走っていく。

 タミハとユクシーさんは、外見はあまり似ていないけど、内面もまったく似ていないけど、それゆえに相性がいいのかなんなのか。凹と凸みたいにタミハがユクシーさんにえらくなついているので、遠目に見る分には微笑ましい。セレオルタもやきもちをやいて、タミハの気を引こうとしているのが正直かなり笑えた。


「…………」


 ――さて、そろそろ大祭三日目も佳境に差し掛かる時間帯である。

 宿を先に取るのはいいが……この時期の宿は言わずもがな、とてつもない宿泊代で、場末の宿でさえぼくの食事代10日分は余裕で取ってくる。

 それが四人分となるととんでもないことなのだが、そこらへんはセレオルタの力で金貨を創造して事なきを得てきたのが今までの経緯だったわけだが。


「…………あとどのくらいだったっけ」


 初日に、セレオルタが生み出した金貨が、数えてみるとあと少ししか残ってなかった。ひい、ふう、みい……ぱっと見、今夜の宿泊代には届かなそうな。

 だから、セレオルタには、もう一度金貨を生み出してもらう必要が生じてきてしまうわけだが――


「それをするとなあ……」


 ――セレオルタの力。

 物質創造……それを行うことによって、またセレオルタは疲労、エネルギーを消費してしまい、あいつの言う、ぼくを人間に戻すに足る力……その程度に回復するまでの時間が遠のく。

 ……それは、あまり良いことではない。

 三日目でどのくらいあいつが回復してきたのか、それは聞いていないので分からないけれど、まだ何も言ってこないということは足りてないってこと……というか、そもそもセレオルタとタミハをこの国から脱出させる……までが、ぼくとあいつの約束だったか。

 それは本当に一方的で、回避不可能……突然魔女化されて、人間離れした連中と戦う羽目にもなったわけだけれど……そもそも、あの魔女とタミハがぼくの前に落ちてこなければ、ぼくの人生はあの路地裏で終了していた。


 それを考えると、ギブに対するテイク……ぼくたちの協力関係は対等で……いや、違うな……うん、自分の内心を偽る必要もない、か……

 ぼくは、セレオルタたちと出会って良かったかもしれないと思い始めている。

 変わらないところはあるけれど、結果としては命を拾えて……まだあの本は売れてないけれど、無味乾燥に粛々とやることだけやって帰ろうと思っていたレドワナ大祭も、正直、ちょっと楽しいものに……感じられなくもなかったし。

 ……たとえそれが、ぼくが色々なことから目を逸らした……目をつむった結果、感じていることだとしても。

 今だけはそれでいい気もしていた。だって、あらゆるものが存在する事が許されるレドワナ大祭だから。

 人も魔物も呪いも魔法も、なにもかも――


「…………」


 ……そう。

 ぼくはそう思って、一歩。

 気付かないうちに地面を見ていた視線を上げて、セレオルタ達の方を見やる。彼女らは相変わらずロップコーン屋の前で好き勝手――


「---」


 瞬間、ぼくは――自分の目を疑った。

 だって。

 それは。

 あり得ない――実際確かにぼくはそれを自分の目で――それも魔女化で鋭敏になった視力で捉えていると言うのに。

 それでも、信じられない――そんな、それこそ目を疑うような光景が、目の前に――目の前で、起ころうとしていたから。


「な…………」


 ――それは、構えだった。

 今まさに、セレオルタたち――いや、間違いなく標的はセレオルタのみだろう。そちらに向けて攻撃を加えようとしている、そういった構えを取っている人間が、ぼくの視線の先にいるのだった。

 その構えは何かを投げるような――いや、もはや言葉を濁すことに意味すらない。だって、その何かは初めて見るのならば、一見してなんなのか分かりにくい、そんな形状の武器――でも、それは、それを、ぼくは誰よりも……この場の誰よりもよく知っている。

 その武器は、言うなればチャクラムやブーメランのような性質を持つ、そして滑空した距離が長ければ長いほど威力が高まり、急所に直撃すれば魔女を――セレオルタを殺すには十分たる威力を持った。

 魔女狩りの武器。


「ッ…………」


 だった。

 ぼくの――体が動く。

 助走なし、足に力を込めてもいない。しかし、いよいよ、ここにきて高ぶったか極まったか――ぼくの身体能力は、あの時とはくらべものにならないほど向上しているようだった。

 あの時とはもちろん、最初の戦闘。

 そして最初の戦闘の敵は――ユーグルと名乗る魔女狩りの男。

 ぼくより一回りほど年上の、口ひげをたくわえた、そして二枚の投擲刃を武器に持つ――そんな、ぼくが確かに打倒し、そして武器をも確かに破壊した――しかし確保は出来ず逃げられてしまった……そんな存在が。


 


 セレオルタたちから20メートルほど離れた街角。周囲には一般人が多数いる。なのに、そんなものなど目に入らないかのように――ただ、魔女を殺さんと、振りかぶって、あと数瞬もかからずに、刃は、空を舞い――


(な、んで………………!)


 ――、一般人の壁を避けて、最速で、ユーグルさんを、制圧する。


「ッッッ…………」


 ぼくと、彼の距離はさらに少し離れて30メートル。いけ、るか…………?


「う、おおお……………………」


 直後、視界が真っ白ではなく、灰色に染まる。灰色の世界への入門。こんな街中での超速タックルは言わずもがな危険極まりないものだが、それでも。

 ぼくは、今のぼくなら、絶対に間に合う。


「……………………!」


 そして発射――ぼくが自分の体を発射した直前か、刹那か。彼と目が合った。その目は、まるで、それは本当に不可解なことだが、不測の事態――まるでぼくの存在など想定していなかったように、困惑の色が見て取れて。


「………………っ」


 ――バギャン。と、バカげた音がして、ぼくの体はユーグルさんに衝突していた。しかし、


「な、んだ、おまえさん…………新手の魔物カ?」

「…………⁉」


 ガードされた。罰字を縦の様に構えたユーグルさんにぼくの体がふざけた勢いで突っ込む。そのあまりに短い時間の間に、彼は罰字を自分の体の前に滑り込ませて、そして衝撃の瞬間脱力――完全に威力を殺されて。

 それでも、ぼくのタックルは彼をかなり後退させて、そして当然超速タックルを生身で受けきれる人間なんて、そうそう存在できないはずなわけで――


「なにを……あなたは……!」

「いってえなあオイイ……」


 ――ぼくは、ぼくとユーグルさんは、そのまま壁に激突。しかし壁がもろい材質だったのか、そのまま壁をぶち破って屋内――店内にそのまま突っ込んでしまう。

 ここは何やら飲食店のような場所のど真ん中――高級店のようだが、幸いまだ開店準備中だったようで、中には清掃中の店員が複数名しかいなかった。

 ここなら、衛兵が集まってくるまでの間なら、どうにか――


「おまえさん、なんだ。魔物……いや、違うな。ただの魔物ジャネエ……」

「――ぼくですよ。あなたと戦ったロンジです。ロンジヨワタリ……ユーグルさん、なんで、どうしてあなたは…………」


 せき込みながら、しかし武器を構えて目を切らずにこちらに問いかけてくる男。対してぼくは迎撃の意思表示をしつつも、あふれ出てくる己の疑問を、当然ながら止める事は出来なかった。

 なんで、どうして。

 暗い店内だが、よくよく見なくても良く分かる。この人は間違いなく初日にぼくに襲い掛かってきたユーグルさん……しかし、かなりの怪我を負っていたはずなのに、今やどこにも……ぼくがさっきした攻撃によるダメージ以外は特に見受けられない。

 あれから、あの戦いからまだ一日少し……そんなペースで骨折クラスの怪我が治るわけはないんだから、当然彼が復帰してきたのは回復魔法を扱える呪言遣いのサポートを受けたからだろう。

 魔女狩りは個人的動機によって活動しているが、しかし、魔女狩りというくくり自体は一つの組織を指す。


 組織魔女狩りから回復系の呪言遣いを派遣してきたか――それも正しい選択だとは思う。今セレオルタは弱っている。衰えている、全盛期の力など見る影もなくなっている魔女だ。この機を逃す合理的理由が見当たらない。

 なんなら、もっと多くの――戦力を投入して彼女を討つべきだとぼくでさえ思うから、もしかしたらユーグルさん以外にもすでにたくさんの魔女狩りがこの国に投入――今も、集まってきているのかもしれない。

 だったら。あまりゆっくりしている時間はない――けど。


「……誰だよお前さん、なぜ俺の名を知っているんダア……」

「…………」


 ――なにかが、変だった。何か……いや、決定的に、明らかに奇妙で、不可解だ。

 違和感。

 どうしてこの人は……この飲食店内が暗いとはいえ、それでも十分顔を認識できる距離感に関わらず。

 つい先日戦ったばかりのぼくに誰だ、と繰り返す。

 とぼけている、ふざけている……?


「……なるほど、魔物らしさは少ないが、魔女らしさは感ジルナ。おまえさん、魔女に魂を捧げたタイプか……」

「…………」


 ――そんな感じが、まったくしない。何らかの意図をもって、ぼくをかどかわしている、そんな腹芸を行っているようにも見えない。本当にこの人は、ぼくの姿を見てもピンとこない、もちろんぼくの肉体が魔女化に際して変化しているということもない。

 少なくとも未だにぼくの外見は最初と……魔女たちと出会ったあの瞬間から変化はないはずだ。服装すらも……


……?」


 そう呟いてみると、はあ? といった顔をしたユーグルさんが、いよいよ、これ以上の会話は無駄だと言わんばかりに罰字を持つ手に力を籠め始めたのが分かった。

 魔獣の牙を切り出して作った武器……ユーグルさんはミーロン教。彼は、今ここにいる彼はユーグルさんの偽物ではない。それは良く分かる。

 なぜなら、彼の腕にはミーロン教徒を表す鱗の入れ墨がまた見えたし、そして――ぼくのあらゆる五感も、彼があのユーグルさんであることに疑いを向けていない。

 やりすぎなほど。完全に、完璧に、彼は――この男は、初日にぼくと一戦交えたユーグル……竜を崇拝する敬虔なミーロン教徒で魔女狩りの男。

 その目的は、竜の復活に際しての障害を取り除く、だったか……なのに。


「なんで……」


 なのに、なぜ。それは、どういう理屈なんだ。

 ぼくにとって、それは本当に理解不能で。だって、あまりにも、ユーグルさんは、完璧にユーグルさん過ぎて。

 それが逆にぼくを混乱させた。


「なんでって……なにがダア?」

「…………」


 ぼくの言葉に反応したユーグルさん、同時に彼の代名詞とも言える武器……罰字の白く輝く投擲刃が揺れる。

 それは。これこそが、ぼくの違和感の最たる証明、だった。

 なぜなら――


「その武器は、確かに破壊したはずです……」

「…………?」


 ユーグルさんが首をかしげる。でも、首を傾げたいのはこっちなんだ。

 この世に、破壊したものを完璧に修復する呪言なんてものは存在しない、そのはずだ。生き物ならばともかく。そうでない物質を、無機質を元に戻す――そんな魔法など、ぼくは生まれてこの方聞いたことがない。そして、更に言うならば。


「武器の傷、変色、歪み……どうやったら、そんなに細かい部分まで完全に再現できるんですか……?」

「さっきから、何言ってんダアおまえさん」


 いよいよ空気が張り詰めていく。それは、戦闘時の緊張感、というのもあったが。ぼくの中で蠢く、何か、をぼくは見落としている……見落としてしまっていたのではないか、という焦りや恐れ……それが張り裂けんばかりになっているゆえの、こと、かも――


「ロンジ、どうなっとる!」

「ロンジくん、大丈夫かしら!

「――はっ」


 ――ぼくの背後から聞きなれた少女の声が響く。一人は少女ではない、辺幽の魔女セレオルタの声。もう一人はタミハ・シルハナ。魔女と旅を続ける少女の声で、ぼくはその声に、辛うじて反応して集中力を取り戻す。


「ロンジ……って今名乗ったおまえさんの名前だよナア」

「…………」

「おまえさん、魔女とつるんでるのかあ。なんでダア?」

「なんで、でしょうね……」


 その答えは……、ぼくは…………


「ロンジ!」

「…………っ」


 と、その瞬間、ぼくのすぐ後ろから声が響いてくる。

 ぼくをロンジと呼ぶのは、三人の中ではこいつしかいない。魔女、セレオルタ――


「来るな! セレオルタ……敵だ! 魔女狩り………」

「お出ましか。どいてくれねえかなあ、俺はおまえさんに用はないンダ」

「ロンジ、きさま…………」


 ぼくは、背後を振り返らずに、ユーグルさんから目を切らないまま言葉を続ける。


「セレオルタ、何かが変だ! こいつは……ぼくが、たしかに……いっ⁉」


 ――瞬間、ごん、と小さく音が響く。

 それは、ぼくの背後から……ぼくの頭をぶつ。そう、ぶつ……殴ると言うには弱弱しく、それこそ、小さな子供が背伸びして、大人の頭を軽く小突いた、その程度の威力の――


「セレ、オルタ…………?」


 ――ぼくは、思わず振り向いてしまう。ゆっくりと、彼女の方を向いてしまう。

 ユーグルから目を切って……その、小さな衝撃の正体を、意味を、知りたくて。どうして、セレオルタがぼくの頭をぶったのか、それを……その答えを、知りたくて。


「…………どう…………」

「………………ひっ」


 ――息を呑む。

 静寂が、この空間をほんの短い間だけ支配する。

 気配で、分かる。

 ユーグルさんさえも、魔女の敵である彼さえも、それは予想外。あまりの異常に、フリーズしてしまったかのような。


「…………」


 それは、ぼくも同じだった。体が動かない。まるで、金縛りにあったみたいに……目の前で起こっていることが、まったく、信じられなかったから。


「ひ……ぐす…………」

「せれ、オルタ…………?」


 ――セレオルタは、泣いていた。

 まるで小さな子供の様に……涙はほとんど出ていなかったが。何かを我慢するように……拳に力を込めて、そしてその表情は本当に、普通の小さな子供の、少女の様で。


「なんで、泣いてるんだよお前…………」

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