決戦(ティサ・ユージュ)1
「……くれぐれも気を付けて落とすなよ? あと妙なところを触るでないぞ?」
「なんですかねえ妙なところって」
「タミハの○○○なのだ」
「おっ……おま、急に……! オブラートに包めよ! 急に往来で……!」
「おぬしが聞いたのだろう」
「ぐっ……」
――そうしてぼくたちは、ぼくとセレオルタとタミハは夕日が暴れ始める時間帯を、あてどなく街中を歩いていく。
街中と言っても、さっきのような中心街からはだいぶ外れて、人通りはめっきり少なくなる……いわゆる、大祭の観光客エリアではなく、実際に住んでいる人々の住宅地エリア……辺りには屋台も商店もなく、特に何もない退屈な町の光景。
「すぴー、うにゃ……もっと食べなさい、セレオルタ……」
「…………」
「虫も、食べなきゃダメよ……栄養が、あるの……」
「…………」
……いったい何の夢を見てるんだろう。
さっきから、あのアトラクションの時からやけに静かだなと思ったらぼくらを無視してぐっすり寝ていたタミハ――をぼくはセレオルタに背負わされて、その上変質者扱いを受けているというんだから、まったく、この世は世知辛いと言うか、なんというか……
「さて、どこで休む。力が戻れば寝床なぞ、ついでに館をも生み出してやるのだが……」
「そんなものここで出したら目立つどころじゃないだろ。それに……」
お前の力が戻ったら、ぼくは人間に戻してもらって、それで用済みだ。もうぼくらが一緒にいる理由はない。
そう――そう、言いそうになったところで、言いかけたところで、ぼくの口は……ぼくは続く言葉を言う事が出来なかった。
それは。
――それは、ぼくが自分の言葉を無神経にすぎると思ったとか、ちょっとドライな自分を演出するのが気恥ずかしくなったとか、そんな、ぼくの内面的な理由じゃなくて。
「…………ッ」
それは――外的な、物理的な要因。
ぼくは何も……何もしていないのに、さっきまでと変わらず一定のペースでタミハを背負って普通に歩いているだけなのに……ぐらりと彼女の体がぼくの背中から離れて――傾いて、それに慌てて振り向いたところで、ぼくは――
自分の左腕が付け根から切断され、背中の自分の肉もいくらか削がれていることに――ようやく、あるいは早くも、気づいてしまった――から、だった。
「ロンジ……!」
「わ、か…………」
どこからか風切り音が響く。
追撃が、くる。そう脳が思う前にぼくの体は行動していた。
覆いかぶさるようにタミハの体に乗って、セレオルタがぼくの名前を叫ぶと同時、その意図を理解するより早く、ぼくはボールに対するようにセレオルタの体を蹴り飛ばす――
緊急回避だ。
ぼくの……人間離れした魔女の力をまとった蹴りは、セレオルタのみぞおちを捕らえ――セレオルタはタミハの服を強くつかんでいる。そのまま、魔女とタミハは遥か後方、建物の屋上まで吹っ飛んでいった。
「ぐ、…………!」
魔女は心臓が弱点ではない。それに、魔女は魔物……弱っているとはいえ、魔物の女王があれくらいでどうにかなるはずがない。
あのまま、着地まで完ぺきにこなし、このまま戦いが――この戦いが終わるまで、どこか安全なところに隠れていてくれるだろう。そのはずだ。
そう、ぼくは都合のいいことを願いつつ、改めて、二時の方向を――敵の方向へと呼吸を整えつつ、ゆらりと目をやる。
「…………」
姿は見えない。が、そこにいるのは分かる。建物の物陰か、それとも開いた窓のすぐ後ろか。
かつてなく、勘が冴えている。どうせなら、攻撃を受ける前に冴えてくれと言いたいところだけど――集中して、耳をすませば離れていても息遣いが聞こえてきそうだ。目を凝らせば、きっとそれは出来ないけれど――壁を透視してしまいそうだ。
「…………っ」
相変わらず左腕は……なくなったぼくの腕の付け根はあまりの激痛だっただけれど、すでに血は止まっていた。これ、治るんだろうな……? 大丈夫だよな、今ぼくには魔女の力が流れてるんだから、多分、頑張れば……ぼくがそう願えば治せるよな……?
「!」
と、かすかに不安に駆られたところで、敵は膠着状態をよしとしなかったのか、ぼくの観察を終えたのか、まるでスキップのように……どこか、上機嫌でぼくの前に姿を現した。
……やはり、建物の陰からだ。
「おまえさん、どういうつもりなんだ。っていうか、ナンナンダア、おい?」
「…………」
「魔物なのか? にしては人間くせえ。魔女になにかされたか? 民間人が操られてんのか? だったら話はハヤインダケドヨォ」
「…………、」
物陰から出てきたのは、男――、痩身の青年だった。
ぼくとそう年は変わらない……しかし、ぼくより随分と背が高く、たくわえられた似合わない口ひげのせいで、ぱっと見は一回りほど年上に見える。
「なんか言ってクレネエカナァ?」
――服装は、よくある、このレドワナ共和国で見る一般的な服装……しかし男のなまりは別の……どこか南方風のなまりを思わせた。魔女を追ってこの国にやってきたというのなら、保護色のような効果を狙っての服装選びなのかも知れない。
「…………」
そして何より目を引くのは、男が片腕に持って……あまりにも持ちなれているためか、あまりにも持ち姿が馴染んでいる、卍(まんじ)の――
「こりゃ罰字(ばつじ)だ。卍(まんじ)ジャネエナァ」
「!」
そう言って、男はまん……罰字の、おそらくそれは武器――チャクラムやブーメランのように見える、四方40センチほどの白く輝くそれを自身の肩に当て、
「俺あミーロン教徒なんだ。名はクドウタ。性はユーグル。ヨロシクゥ」
「…………あ、ぼくは無宗教です。名前はロンジ、性はヨワタリ」
「ほんとかよ無宗教。珍シイナア」
――思わず、あまりにも自然な感じで自己紹介をされたから、なんとなく言葉を返してしまったけれど……
「しかしおまえさん、魔女教でもないとなると、ガチでどこの誰ダ?」
「…………それは、」
ぼくのセリフだった。この人、ユーグルさん……魔女教の人間かと一瞬思ったけど、魔女教ではない……ミーロン教。となると、この人は――
「俺は魔女狩リナンダガ。おまえさんは?」
「ぼ、い、や……」
そう問われて、自分の疑問にすぐ答えが返ってきて、ぼくは返答に詰まる。窮する。
自分のことをどう紹介したらいいのか分からない……というか、やりにくい。この人、もしかして普通にコミュニケーションが出来る感じの人なのか……もうこっちは臨戦態勢だったっていうのに、出鼻をものすごくくじかれたというか……だったら、さっきの先制攻撃はつい勢いでやってしまった、みたいな感じなんだろうか。
「…………」
しかし、この人は魔女狩り……最初に出くわした魔女教ではなく、魔女セレオルタを追うもうひとつの勢力……だったか。
そしてミーロン教。
ミーロン教といえば、言わずもがな世界四大宗教が一つなわけだけれど……その教義は、他の宗教とは少々……いや、かなり変わっている。
ミーロン教は、神ではなく、竜を信奉する。
かつて――空に跋扈した魔獣――その龍種の頂点である「竜」を絶対神と置き、やがてその竜の子が孵化した時、世界のあらゆる罪は浄化され、人は永遠の楽園に住まう事を赦される……とか、なんとか、そんな観念的な教義だったことは覚えているけれど。
その肝心の竜は、五百年前の戦いで打ち滅ぼされたはずだ。それも、人間の、呪言遣いの一人の女に討伐された。だったら、今も彼らを教徒として繋ぐものは――
「ああ、主は召された。しかし主の子は孵化の時を待っている。その時こそ、世界に永久の幸福が満たされるとき……ナンダガナア」
「…………」
まるでぼくの心を見透かしたように、言葉を続けるユーグル……さん。
「主をブチ殺ったバカ女は死んだが……他にも邪神はこの世界にウヨウヨいる。魔女なんて、その最たる例だよなあ……だったら、俺が始末してやらないとな……復活の邪魔になるものは消す。それが信心深さってもんダロォ?」
「…………」
なるほど、そういうことか。分かった……そして、だいぶ彼と戦いやすくはなった。
つまるところ、彼は個人的な恨みとかではなく、教徒として……ミーロンを信奉する者として、その信仰の邪魔だから魔女を殺そうとしている。そういうわけか。ならば……ならば、それを防ぐこと自体に、ぼくの良心は特に……痛まない。
別に宗教を軽んじているわけではなく、ユーグルさんが竜を信じるならぼくは魔女を信じるしかないだけだ。つまり、立場は、倫理的立ち位置は対等――ならば、後に残るのは正々堂々戦った結果の勝ち負けだけのはず――
「……とかなんとか考エテネエヨナ」
「――」
と。
命のやり取りをしようとしている最中にあって、やはりぼくはぬるい……甘いことをうだうだと考えていた、そもそも戦闘のせも知らない素人のぼくが考える事もおこがましいだろう事を思った、その瞬間、
「が、ぐああああああああ――――っ ⁉」
「ほい拘束ダア」
――背後から。ぼくの背後からぼくの腹部を貫くように、それは、罰字の投擲刃――
「な、ん…………」
「おまえさん、なんで武器がひとつだけだと思っタ?」
「が……」
――ぼくは。腹部を貫かれたまま、その罰字は地面に突き立って――地面に縫い留められたような恰好のまま、激痛に吐き気を催す。
「……っ」
いた、過ぎる…………! 腹を刃物で貫かれると、こんな感じなのか……
「悪いけどなあ、相手は魔女だ。おまえさんが魔女にとってなんなのかとかは俺には関係ねえし、それどころじゃねえ。はやく、奴を――辺幽を殺サナイト」
「うううう…………」
「奴は弱体化シテイル……こんな機会は二度とねえ、よな」
「が…………っ」
ま、ず、い。
さっきから――ぼくの体を貫いた罰字が、なんだ、体内でさらに押し広げられているかのように、変形している……
痛みが、まるで傷口に塩を塗り込まれた――いや、劇物を塗り込まれているかのように、どんどん増している。毒か、それとも――
「毒じゃねえなあ。単にお前の血を吸って、〝牙〟が喜んでるダケダア」
「…………!」
言って、彼がまた、自身の残る武器――もう一つの罰字を振りかぶったかと思うと。それを天に投げて、大して力を込めてない様にみえるのに、それはあっという間に空高く、点のように小さくなる――
「俺の罰字はある魔獣の牙を原料に作ってある。面白いだろ? 生き血を吸うと変形して、がっちり獲物に食い込む――シカシ」
「はあ、あが……」
「よく分かんねえなあ。俺の武器、しっかり刻印を入れてるんだが。なんでお前効かねえ。どう見てもお前はただの人間じゃねえ、魔物寄りに見えるってのに――、宗教が効かない。そんなこと、アリエルノカ……」
「っ…………」
悶絶する。
思考に靄がかかったかのように、あまりの激痛がぼくから理性を奪っていく、まずい、今こいつはユーグルは罰字を空に投擲した――おそらく、あれは溜めだ。
ぼくの、あまりに鋭敏になった聴覚は、空高い罰字が徐々に速度を上げていることを、ぎりぎり聞き及んでいる。あれは、おそらく拘束したぼくを貫くつもりの奴の攻撃――ぐだぐだと奴が喋っているのは、ぼくの気を逸らせるため。逸らして、トドメを確実に決めるため。
奴が直接ぼくを叩かないのは、やつはぼくに警戒しているのと、奴の武器がそれでぼくを殺しうる水準に達していることの現れ――どうする!
「ふうむ……」
考え込むような仕草をして、ユーグルが己の頭をかく。わずかに覗いた奴の手首には鱗のような入れ墨が小さく入っている。ミーロン教徒はみなが体の一部に竜の鱗を模した刻印をする――それが、信仰のあらわれ。他にアクションがないということは、彼の武器は罰字の投擲刃が二つ。それだけなのは間違いない。
そしてなぜだかは分からないが、この聖性を帯びた武器は、ぼくに宗教的効果を及ぼさない――これだけは、朗報だ。
「…………!」
あまりに魔女が強すぎるせいで、呪いも聖性も魔女の前では押し黙る、なんて話をセレオルタは言っていた。もしこれがそうだとしたら、ぼくにギリギリ動ける余力があるのはそのおかげか――まったく、
「う、おおおおおお」
「おいおい、正気カァ…………」
ぼくは、雄たけびを上げつつ渾身の力で己の体を持ち上げようとする。罰字が上空から折り返して落下してくる。位置は、正確にぼくのほうへと加速している。あれが下りてきたら恐らくぼくは首を落とされる――運が良くても行動不能になる。
その前に、この拘束をブチ切る……そして、ユーグルさんを、ぶち、のめす……!
「まじいな」
「がっ…………!」
彼が呟いた瞬間、地面が、石畳ごと持ち上がった。この罰字、相当深く地面に食い込んでぼくの体を縫い留めていたのか――こんなの、魔女化の馬鹿力がなければ振りほどけるわけがない。
「おまえさん人間じゃねえの確定だな。シャアネエ――」
「う、おおおおお!」
そのまま、ぼくは思い切り罰字を――ぼくの腹に食い込んでいる罰字を掴んで、横へと、体の外側へと逆側に力を込めて引っ張っていく。つまり、自分の体と罰字の分離を試みる。
「い、ぐ、ああああああああ」
痛い。いたいいたいいたいい。なんだこれ――麻酔なしで大手術をしているみたいだ。ぶちぶちぶち、と聞こえるくらいの音がして、ぼくの内臓の一部、筋肉が不自然な形になるのを体感しつつ――
「はあ、はあ、はあ…………!」
「一回逃げとくカア」
「にがす、かあああああああ」
ぼくは、罰字の分離に成功する。同時、背後で突き刺さったのは、さっきまでぼくがいた場所にまるで墓標のような恰好で突き刺さったのはもうひとつの罰字――しかし、ぼくはそれを無視して、石畳がくっついたままの、ぼくに刺さっていた方の罰字を、今度はぼくが思い切り、奴に――ユーグルの下半身を狙って投擲、する。
「うお…………」
「い、け…………!」
――殺すつもりはない。ただ、下半身は潰す。それで身動き取れない状態になってもらう。ここはレドワナ大祭中の市街地近くだ。今は人通りがないけれど、誰かちょっとした回復魔法の遣い手くらいは見つかるだろう。つまり、死なない程度に痛めつける――
「―――」
と思った。それくらいの覚悟でぼくは罰字――と石畳を、彼に向けて全力で投げた、けれど。
「っ、な………………!」
「あーえーと、ロンジ。いいこと教えてやるな。世の中、そんなにうまくは出来てないんだよナア」
「なん、で…………!」
また、血が出てくる。ぼくのわき腹から血が出てくる。そしてぼくが、投げた罰字はユーグルの前で威力速度共に減衰し、ぽとりと落ちて。
そしてぼくの背後に突き立ったはずの罰字は、なぜか、ぼくの腹に食い込んで、ぼくの背中から腹部を、後ろから前へと貫通していた。
(うしろから、攻撃された…………)
新手、と思って背後を見やるが、そこには当然、誰もいない。さっきぼくが縫い留めれらていた血だまりと、罰字の刺さった跡があるだけで――
「なん、え…………?」
血が口内を埋め尽くす。
今起こったことは……ユーグルのほうに投げた罰字石畳は彼に当たらず、まるで時が減速したように地面に落ち、そしてぼくの背後の罰字はなぜかぼくの腹に正確に――
「まあ、そんな難しいことじゃないんだけどナア」
「……!」
そうして――石畳から罰字を外したユーグルはぼくの方を見て、つまらなそうな笑い方をする。
「そ、れは…………」
「お、見えるかい、視力がいいネェ」
――そして、よくよく、彼がこれ見よがしに触っている何もないところを――ぼくの、魔女の視力で見やると。そこには、わずかに反射する、極細の――
「黒糸。なんてことはねえナ」
「ん、な…………」
そんな、単純な。
――いつの間にか。石畳つき罰字と地面に刺さった罰字は不可視に近い糸でつながっていて。石畳の罰字をぼくがやつに投擲する事で――結果として、対角線上の地面の罰字は抜け、そちらはぼくに刺さり。そして石畳の罰字はおあつらえ向きとばかり、まるでユーグルにぼくが武器を献上してしまったかのような形で、威力は弱まり、そのまま地面に落ちた。
こんな、命のやり取りの戦闘の中で、身体能力にはるか勝っているぼくは、奴の知恵ひとつで窮地に追い込まれてしまった――
「…………!」
――そうして、ついさっき抜いたばかりなのに。また刺さった罰字に手を掛けながら、ぼくは何とか深呼吸して、事態の打開を――見つけようとする。
ユーグルは石畳の――もう外れたが罰字1を持っている。そして、ぼくの腹には罰字2が刺さったまま――
「もう一回行っとくカア」
「ぐ…………」
また、激痛が走る。ぼくの血を吸って、罰字2が喜ぶように暴れて、そのせいでろくに身動きが出来ない――
そんな様子を目を細めて観察しつつ、しかしまたもや、ユーグルは空に向けて、大して力を込めてない仕草で罰字を投擲した――
あれが落ちてきたら、あれが直撃したら、たぶん死ぬ。それも、さっきほどの溜めはない。おそらくあと十数秒で落ちてくる――どうする。
「っ、やるしか、な…………」
「ああ……?」
そう言って、ぼくは小さく自分の体を縮こまらせてうずくまる。可能な限り、平静を――装って。そして足元に力を込めて、捨て身の攻撃をする覚悟を決める。
この痛み、ダメージ……ダメだ、一度しか動けない。これで決めなくては、一方的になぶられて――ぼくは、殺される。
「あ、ああああああああ……!」
「……残念だナア」
イチかバチか、ってのは馬鹿のすることダゼ。と。
そうユーグルが言ったのとぼくが跳躍――とはいっても、最初、セレオルタとタミハを抱えて大ジャンプしたようにではなく、縦ではなく横に、体当たりをするように奴に向かって飛んだのはまったくの同時である。
一撃で、突進して決める。
攻撃が当たれば、その腕力差でぼくは勝てる。
しかし、もしも奴が――遠距離武器だけではなく、近距離武器を備えていたとしたら、ぼくは――
「――だから、言うまでもねえじゃネーカ」
「…………っ」
「持ってるに決まってんダロ」
と、奴とぼくがあと一瞬後に激突する――その程度の距離に近づいた瞬間、ユーグルは懐から、待ってましたとばかりに――それ、を取り出して、ぼくの腹に向けて構えた。
(……ぐ、……)
「死んどきナア」
――それは、一見すると、小さな定規の様に見えなくもない――白く輝く小刀、だ。懐刀と呼ぶべきか――長方形の奇抜な刀身。
輝き、色相からして、おそらくこの罰字を構成する材質と同じ、魔獣の牙を切り出して作ったもの――
刺さると痛いゼ、と。
そう、おそらくそういう含意でユーグルがウインクしたのと、ぼくが自分からそれに突っ込んだのは、まったくの同時だった。
「…………」
「…………」
「はあ……?」
――そして。
そして、決着はついた。
ぼくの体は――罰字2が突き刺さった状態のまま、ズタボロの状態でユーグルに突進して。特攻のように、損壊――罰字と小刀に切り刻まれたぼくは、あわれ、一矢報いることもなく――人間に戻ることはなく、魔物もどきのまま命を落としました、と。
――当然。
当然、そんなわけはなく。
「ど、ういうことだ、てめェ……」
――おまえさん、と。今まで涼し気にぼくを呼んでいたユーグルさんの顔が、表情がここで初めて歪む。それは、内面的な要因もあっただろうし、外面――実際に彼自身が受けたダメージに対する反応……そちらの方が、いくらか割合が高いのかな、と思った。
「……」
ぼくは。
ぼくは自身の体を貫く――小刀を、ゆっくりと……まったく、なんの抵抗もなく、そのまま、後ろに一歩下がることで引き抜く――。
「……ふう……」
思わず、ため息が出た。
安堵のため息だ。
ぼくを刺したと思われた、確定的に貫いた短刀が、ぼくの目論見通り、ぼくに刺さらなかったことへの安心感。そして、ぼくの視線の先――腹部を、胸骨を軽くぼくに殴られて、おそらくあばらが十数本は折れて、後ろへ吹っ飛んだ……そして、壁に打ち付けられて、信じられないようにぼくを見ているユーグルさんを見つつの、つかの間の勝利の余韻。
なんとか勝てたという安心感が、ぼくの心に流れ込んで、同時に、そのせいで気が抜けてぼくは地面にへたれ込む。一応ぼくの勝ちは勝ちだけど……こうしていると、本当はこっちが負けたんじゃ、みたいな気持ちになる。
「が、は……」
紙一重、だった。
「ぐ…………」
ぼくと、ユーグルさんの荒れた呼吸音が重なる。
「なん、だよコレ……」
「……簡単なことです。確かに、ユーグルさんの小刀はぼくの腹を貫通しました。でも、それだけ、です」
「て、めェ…………!」
――そうして、ぼくは自分の服を……血まみれでぐちゃぐちゃになった自分の服をゆっくりとめくる。そこは――
「……つまり、貫通はしても、あなたの攻撃は突き刺さってはいなかった、ということです」
――空洞、だった。
空洞と言っても舗装されて小奇麗な印象はまったくなく、それは強引に、引きちぎって無理やり穴を作った……というような感じだったけれど。
「ぼくは、あなたへの攻撃の直前……蹲った瞬間に、自分の腹をかき回して……穴をあけました。理由はもちろん、あなたが近接武器を持っていた場合……その攻撃を空ぶらせるため、です」
「…………」
「今、ぼくには罰字が腹に刺さったままです……だから、ぼくはあなたに攻撃を仕掛ける時、自分の頭部だけは守りつつ……攻撃の方向を誘導した。あなたが狙うとしたら、罰字が刺さっていない、お腹のこのスペースしかないと思いました」
「…………」
「あなたが近接武器を持っていなければそれはそれでぼくの勝ちだし、仮に持っていても、こうして穴を空けた位置にあなたの攻撃がくるよう誘導すれば、あなたの一撃をかわせて……そのまま、殴り飛ばせる。あなたは慎重な人だから……ぼくを拘束してから確実に殺そうとしてくる人だ。だったら、拘束に有効なのは、やはり上半身の腹という大きい的……あなたがどこに攻撃するか読めれば、あとはぼくの腕力でゴリ押しできる」
「…………」
「今、あなたが倒れてるのはそういう理由……です……」
「……てめえ、痛覚すらねえのか、化け物ガ……」
「痛いですよ。痛いですが……」
このまま魔物として生きるよりはましです、と。
そう――うつらうつらとした様子の、今にも意識を途切れそうな様子のユーグルさんにぼくが答えると同時、唾を吐き捨てて、彼は意識を失った。
「…………」
――耳を澄ます。彼の心音が聞こえる。死んでいない、気を失っただけのようだ。
「つ、つよ、かった……」
――そうしてぼくは、ゆっくりと……本当にゆっくり、辛うじて、といった感じで立ち上がる。
急いでこの場を離れないといけない。周囲には幸いと言うべきか、人影はないが……街中にあって入り組んだ場所にあったのが幸いしたか、人の気配はないが、もう夜に入る。街の住人たちが帰路につくころだろう。こんな……こんな激しい戦いの跡を見られたら、確実に衛兵を呼ばれる。
魔女教魔女狩りの相手だけでも大変すぎるのに、この上国家暴力なんて相手にしていられない。
「……さて」
――そうして、ぼくは、口元の血をぬぐいつつ、何とか……痛みで吐きそうになりながら引きちぎった罰字2を地面に転がして、それを思い切り踏み抜く。踏みにじって……武器を破壊する。
そして、ぼくの背後に落下――またもや十字に突き刺さった罰字1も同じように破壊した。魔女化しているぼくでもかなり硬いと感じたから……これは相当な武器に違いない。こいつを壊しておけば、ひとまず彼の無力化には完全に成功したとみていいだろう。あと、この小刀も忘れずに……
「…………」
しかし――
「どうしよう、この人……」
傍から見たら、明らかにやばい人でしかない。
ぼくがぶん殴ったせいでユーグルさんの骨はボロボロ、口と鼻からは血がだくだくと流れていて、壁に少しだけめり込んでいる……この人、放っておいて大丈夫だろうか。
もしもこのままセレオルタのもとに連れて行ったら「うちでは飼えません返してきなさい!」か「邪魔だから殺しなさい!」……みたいなことになりそうだ。……たぶん、後者の確率が高そうだ。
かといって――さすがにこんな路上で放置というのは、後々いろんな問題を引き起こしかねない……適当に隠すか、それとも、もうごちゃごちゃ考えるのが面倒なので、このまま何事もなかったかのように立ち去るか……
「…………」
そう思って、ぼくはほとんど無意識に、路地裏へ……逃げるように身を滑り込ませた、そして一歩か二歩ほど歩いた、その時だった。
「おい、君……大丈夫かい?」
「――」
……闇から。急に現れました、といったような出で立ちで――、一人の剣士だ。
ラフな剣士服を着こなした、美しい橙色の長髪に同じ色の瞳が良く映える――女剣士がぼくの前に立ちふさがったのは。
「…………っ」
「……?」
一瞬。
新手か――と警戒したぼくだった。なぜなら、彼女の腰元には、この場にあまりにも不釣り合いな――かなりアンバランスで不自然な、ひと振りの刀剣が据えられていて。
この間合いは、それがちょうどぼくの体に届くだろう、そんな絶妙な立ち位置だったから。
――しかし。
「……大変じゃないか! 君……血がものすごく出ているよ! ぱっと見、よく立っていられるなってくらいの大怪我――って、ん……?」
「あ……」
――そう、大げさな様子でぼくに駆け寄ってくる、まったくなんの害意も感じられないそんな彼女の様子を見ると同時に、それは最悪のタイミングで起こる。
「う、わ……」
「…………!」
腕が。
まず最初に変化が起こったのは、切断されたぼくの左腕、だった。付け根から削り切られていたそれが、見る見る間に修復――していく。
それは、回復魔法のように詠唱すらなく。まるで、時を巻き戻しているかのように……さながら、無から有が構成されていくかのように、ゼロの次が百だと言うかのように、突如としてぼくの腕が何もないところから建築された。
そんな奇妙な治り方をして……そして、時間を置くことなく、ぼくの腹に空いた風穴も、その他あらゆる切り傷も……どんどんと、ぼくの意思に関係なく次々と修復していった。
「…………」
――あとには、服だけは血を吸ってズタボロで。
なのに、ぼくの体だけは見事に無傷……そんな、不自然極まりない野郎一人……一体と、それを純粋に不思議そうな顔で見つめる女剣士一人がここには残されていて。
「君は……なんだ、それは」
「あ、えーと、これは……」
体中から痛みが消えた。呼吸も完全に整った。なのに、焦る。
やばい、こんな、誤魔化しようのない状態を、他人――、一般人?ではなさそうな人に見られた。どう、言い繕う……いや、もうこの場で大ジャンプして、逃げた方が良いのか……
「えーと……これには、事情があってですね……」
はは。と吐息のような失笑が漏れた。なんとなく……というか、ぼくの悪いところがここで出た。処理しきれそうもない問題が重なると、とりあえず、一番問題を先送りに出来そうな手段を取る。それは時に、斜め下の方向に事態を導くことがある。
「こちらを見て欲しいんですが……実はぼく、急に変な人に襲われてしまいまして……」
「変な人……?」
そう言って、エスコートするように、ぼくは女剣士の人を路地の先に案内する。もちろんこの先にはぼこぼこになったユーグルさんがノックダウンしている状態……まずそれをこの人に見せながら、話題をそっちに持って行って……たった今のぼくの体に起こった圧倒的回復力の件を誤魔化しつつ、頃合いを見て、出来るだけ素早くこの場から去る。うまくいけば……いや、うまくいってもぼくは手配されそうだから、ここから先は変装しなくてならなくなるかもしれない。
(ああ……どうしよ……)
そう思いつつ、ぼくは先頭を進んで――そして今一度、彼を――倒れ伏したユーグルさんを指さして、
「あの人がぼくに攻撃してきて……恐らく幻覚系の魔法の遣い手です。ぼくの怪我が治ったように見えたのもその影響かも……」
――なんて。適当なことを言った先にあったものは。
「……誰もいないようだが」
「…………………………、」
え、と。
あっけにとられた様な声すらも、ぼくの口からは出てこなかった。
だって――なぜなら。
ぼくの視線の先――ついさっき、たった今までぼくと戦って、激戦したユーグルさん……そしてぼくが破壊した、罰字の投擲刃と小刀すらも。
そこには誰もいなかった。
何もなかったんだから。
跡形もなく――唯一証拠といえるものは地面を穿つ穴だったり、凹んだ壁面だったり――つまり、ほんの少し目を離した隙にぼくは。
「逃げ足…………」
魔女狩り――彼に逃げられてしまったのだった。
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