第20話 見習い天使が駆けつけた (2)


「柊木、ここは俺がなんとかする! おまえは一人で逃げろ! 早く!」 


 柊木はカタツムリの弾丸を受けてしゃがみこんでしまった。柊木の前で両手を広げてガードに徹する。防戦一方だけど、相変わらずカタツムリが当たっても俺は全然痛くない。でも、柊木には確実に物理ダメージが入っている。これじゃあ分が悪すぎる。撤退するべきだろう、少なくとも、柊木は。


「ふふふ、痛い? 苦しい? 怖い? いい気味よ。もっと痛がればいい。苦しめばいい。怖がればいい」

 

 柴崎さんの声がどんどん魔性がかっていく。俺たちは柴崎さんを説得したかったのに、これじゃぜんぜん話し合いにならない。いきなりバトルに突入する事態は想定していなかった。しかも柴崎さんがカタツムリで攻撃してきて、柊木にだけ物理ダメージが入るなんて完全に想定外だ。ちくしょう、八方ふさがりじゃねーか。痛い思いするなら俺だろ! 俺を狙えよ!


「逃げろ! 柊木! これ以上、俺たちの手には負えない。アリスさんたちに任せよう」

「いいえ、私だけ逃げるのなんてイヤ。ここで私だけが逃げたら、多分、私は自分が許せなくなる。『悪魔の種』を拡散させてはいけないのよ!」


 肩で息をしながら柊木がうめく。まるで柊木が見習い天使になったみたいな言いぐさだ。


「柊木……」


 そうは言っても、柴崎さんは『悪魔の種』で感情が歪んでいるだけのはず。俺が拳でぶちのめしてしまうのもできなくはないだろうが、それはさすがに人としてできない。なんと言っても相手は『悪魔の種』の影響だったにせよ、「かつて一度は好きだった、初恋の女の子」だ。

 俺はこのまま受け続けるか、攻めに転じて柴崎さんを倒してしまうか、二択だ。しかし、どちらにも決めきれないで中途半端に迷った。それが一番良くないのは分かっている。結局、柊木だけを逃がす、というのは逃げの一手でしかない。俺たちへの被害は最小になるが、それではイーヴィルパンデミックが防げない。


「クソ、どうすりゃ、いいんだ」


 そうやって迷いながら、柊木の盾になっていると、俺はうめいた。いっそ、柴崎さんをぶっ飛ばすしかないか、と思い始めたその時、夜空をバックに叫び声が聞こえた。


「ケンはまた甘っちょろいこと考えてますね!」


 振り向かなくても分かる。明るくてエネルギーに満ち溢れた、希望というエフェクトが目一杯かかった、その声は。


「見習い天使のユア、ただいま参りました!」


 満月を背に背筋を伸ばして立ち、すっと右手を上げると、優雅に丁寧に流れるような仕草でお辞儀レヴェランスをするユアが、そこにいた。


「天知る、地知る、人ぞ知る! 人に願いのある限り、天使のわたしがかなえましょう!」


 両手を広げるターンを決めて、正面を向いて姿勢を正す。びしっと柴崎さんを指さしてキメ顔で宣言した。


「そして、悪魔の息吹のあるかぎり、天使のわたしが絶対に許しません! 覚悟しなさい!」

「ユア!」

「ユアちゃん!」

「ケン、『好きだった女の子に、攻撃なんてできないー』とか甘っちょろいこと考えてましたよね? そういうクソ甘っちょろいところを悪魔に付け込まれるんです! そんなんじゃ天使としてやっていけませんよ! ちいちゃん、もう大丈夫です! 下がってください!」


 ユアは柊木にそう告げると、肩にかけたポシェットから自分の身長ほどもあるバズーカ砲を取り出して、その小さい肩にかついで構えた。狙いは十メートルほど先で無表情に腕を振り下ろしている柴崎さんだ。


「ユア、カッコよく決めてるけど、今のキメぜりふ、柴崎さんには聞こえてないんじゃないのか?」

「いいんです! わたしがやってみたかったんです! それよりもケンもちいちゃんも、でっかい音がしますけど、びっくりしないでくださいねー。行きますよー! 今宵のわたしは一味違いますからねー! それー!!」


 バシュっという音とともにバズーカ砲が煙を吐いて光弾が飛び出していった。柴崎さんの左手の手前に着弾して光を放つ。途端に飛んでくるカタツムリの左半分が全部一瞬にして黒い煙となって蒸発した。ユアは得意げにポシェットからさつまいもっぽい黒い塊を取り出してバズーカ砲に押し込んだ。さつまいもかと思ったらバズーカ弾かよ!


「さすが最新兵器は威力が違いますねー。『範囲内の悪魔を一瞬で殲滅 アクマエクスターミネイター・ヘルハリケーン』ですー。悪魔退治スプレーと除魔剤の両方の効果が一発で発揮できて、しかも人体に無害なんですー。こんな便利なものがあるなら最初から使わせてくれてもいいのに、教官はケチですよねー。しかし、よくもこのわたしの目を盗んで、悪魔を飼うなんて大それたことやってくれましたね。今度こそ逃がしません! それー!」


 そういいながら黒光りするバズーカのトリガーを引きしぼり、もう一発柴崎さんに向かってぶっぱなした。今度は右手の手前に着弾する。あぜんとして見守る俺と柊木の視界の中のカタツムリが、爆発音とともにすべて黒い煙になった。こりゃまたすげー破壊力だ。

 ユアは得意げにバズーカの銃口を「ふー」と吹いて残煙を吹き飛ばし、またポシェットからさつまいものようなバズーカ弾を取り出して詰めなおした。


「ふふふ、あっという間に小さい悪魔全部退治できて、しかも除魔も完了ですー。なんという全能感、これはクセになりますねー。でもこれが使えたら、簡単すぎて研修にならないですー」

「でもさ、ユア。ターゲット間違えたのはユアなんだから、それ八つ当たりなんじゃねーの?」 

「ケンはごちゃごちゃうるさいです! 小姑ですか! とにかく、今のうちにあのあざと腹黒クソビッチおねーさんにアレを投げてください」

「アレ? アレってなんだ?」

「わたしのあげた『天使のお守り』です! ほら、早く!」


 あ! そう言えば川田さんの家に行く途中でユアにもらったお守りがあったっけ。俺は学ランの内ポケットから白い小さなお守りを取り出してユアに見せる。


「ユア、これか?」

「そう! それです、それです! 早く!」

「ユアちゃん! 前見て! また来る!」


 柊木が切迫した声で指さす。見ると柴崎さんがまるで無表情に呪詛の声を上げながら、両腕を振り下ろしていた。


「あははは、みんな私を好きになればいい。あははははは、みんな私の思い通りになればいいのよ!」 


 カタツムリが数十匹、俺たちに向かって投げつけられた。ユアがとっさに身体をひねって、狙いもそこそこにバズーカ砲のトリガーを引く。バシュっという音とともに弾が発射され、至近距離に着弾して光が周囲を包んだ。カタツムリは見る間もなく消滅する。


「なにやってるんですか、ケン! 『天使のお守り』を早く投げてください! この『アクマエクスターミネイター・ヘルハリケーン』は超強力ですけど、近距離戦闘には不向きなんです!」


 バズーカ砲はたしかに超強力で、着弾した場所から五メートルぐらいの範囲内の悪魔カタツムリを一瞬にして殲滅できる。しかし、リロードに時間がかかる分、短時間に連射されてくるものへの対応は苦手だ。しかも、砲身にそこそこの大きさと長さがあるので、身長の低いユアでは取り回しが極端に悪い。柴崎さんが次のモーションに入る前の今しかチャンスがなかった。


「分かった分かった、投げりゃいいんだな! それっ!」


 俺は半ばヤケクソ気味にユアから預かっていた『天使のお守り』を柴崎さんに向けて投げつける。投擲モーションの途中に俺はふと気が付いた。

 ―――ああ、さっきからカタツムリが当たっても俺はなんともないのに、柊木にだけダメージが入った理由が分かったぜ。この『天使のお守り』が、俺を護っていてくれていたんだ。なんだ、もっと早く気が付いて柊木に持たせてやればよかった。ユアも最初から教えといてくれよ。


「みんな私を好きになあれ。他の誰よりも私を一番好きになあれ」


 柴崎さんは無表情にうわごとのように繰り返す。かつて俺が好きになった柴崎さんの面影は、そこにはない。

 なんか、柴崎さんがかわいそうだ。誰かを好きになること、誰かに好かれること、それが悪いこととは思わないが、歪んだ願望の結果であってはならない。誰かを好きになることは、決して強制されてはいけない。強く、そう想った。


「柴崎さん! だいすきだったぜー!」


 ―――たとえ『悪魔の種』の効果だったとしても、一時は好きだったんぜ? 本当に。


 俺は思い切り叫びながら『天使のお守り』を柴崎さんに向かって、力の限り投げつけた。

 その小さい『天使のお守り』はほんのり暖かい。思い切り投げ放たれた『天使のお守り』は、輝きながらひらりと空中を舞う。そして、満月の月夜をバックにくるくると回転しながら、やがて神々しく白い光の玉となって空中を照らし、無表情に腕を振り下ろす柴崎さんの頭上に達した。柴崎さんは腕を上げたままぴたりと静止した。


「悪魔を飼っていると、いつのまにか悪魔に支配されるのと同じことになってしまいます。おねーさんの人格そのものが完全に悪魔と同化してしまう前に、エンジェル・コンタクトで歪んでしまった感情を元に戻します! そのために『天使のお守り』で悪魔の影響を無力化するんです! 一瞬だけ効けば十分です!」


 そう言ってユアはバズーカ砲を放り出して駆けだした。柴崎さんはまだ静止していて、その姿に表情はなく、感情は感じられない。


「行きますよー! おねーさん、ちゃんと見ててくださいねー! 悪魔の影響が無力化してる間に、天使の力でおねーさんを戻してあげますからねー」


 高速のスートゥニュ・アントゥールナン・ターンでくるくるとまわりながら、ユアはしなやかに手を伸ばして柴崎さんに向かって行った。きちんとつま先がまっすぐ地面に立っている。さすがバレエのメダリスト、その舞はどこまでも優美だ。

 柴崎さんの一メートル手前まで迫ると、ぴたりとターンを止めるて、人差し指をまなじりにあてて叫んだ。


「エンジェル・コンタクト、そのいちー! 天使のー、ウインクー!」


 ぱちり、とユアが片目をつむるのが見えた。無表情だった柴崎さんの顔がほわりと緩んだ。

 ユアは手のひらを柴崎さんの顔に優雅に伸ばした。ユアの方が小さいので背伸びをして飛びつくように見えた。そして、声を上げた。


「そして、そのにー! 天使のー、くちづけー!」


 戸惑う様子の柴崎さんのほっぺに、ユアはちゅっとキスをした。


 柴崎さんは膝をつくとそのままゆっくりと倒れ込んでいった。

 その表情は、赤い唇で悪魔じみた呪詛を吐いていたのが嘘のような、幸せな夢を見て眠る猫のようだった。


 ◇


「ふう。よしっと。なかなか上出来ですー。これで目が覚めたら『悪魔の種』で歪んだこのおねーさんの感情は、元に戻っているはずですー。しかし、おねーさん、かなり悪魔にやられていましたねー。このままではホントにこのおねーさんの魂の芯から悪魔と同化してしまうところでしたー。この前ケンと教室で話していた時には、気が付きませんでしたー。このおねーさん、よっぽど悪魔と相性がよかったみたいですー」

「ユアちゃん、あんな物騒なピストル使わなくても、ウィンクとキスで元に戻るのね。川田さんにも最初からそうすればよかった気もするけどね」


 柊木が立ち上がってスカートの裾を払いながら言った。声に安堵感が漂っている。やっぱりいざというときに天使の力は絶大だった。この小さな身体の天使に、俺たちはずいぶんと救われた。


「それ、教官に怒られましたー。デビルイレイサーを使うのは、悪魔を飼ってる人間が完全に悪魔と同化しちゃった場合の最後の手段だ、って。でも教官は、そんなこと教えてくれてないですー。アリスの手前、教えたって言い張ってましたけど、わたしそんなこと聞いた記憶ないですもんー。それと、実はわたし、片目だけつぶるウィンク、苦手なんですー」

「そうなの? 上手にできてたわよ。しかし、柴崎さん、ホントに悪魔っぽかった。ちょっと怖かった」


 たしかに。よっぽど内に秘めた黒い負の感情が渦巻いてたんだろう。今の柴崎さんは気を失って倒れているが、その寝顔は安らかだ。俺はさまざまな想いが頭の中を駆け巡って、言葉にならない。


「柴崎さん、どうしよう? このまま寝かせておくわけにも行かなくない?」


 柊木がラケットを悪魔退治セットの袋に戻しながら聞いた。ユアがそれを制止して、指さした。


「あ、ちいちゃん、ケンも! 安心するのはまだ早いです。後ろを見てください!」


 何かの気配に、俺はひそかな感傷から引き戻された。柊木もさっと表情に緊張を走らせて振り返っている。そこには二メートルはある超巨大な悪魔カタツムリが月夜の薄雲のなか、ぬおっとそびえたっていた。


「あれが、あのおねーさんの飼っていた悪魔の本体です。おねーさんの意識がなくなったから、出て来たんですね。あんなに大きくなってるなんて、びっくりですー。ホントもう少しであのおねーさん悪魔と同化しちゃうところだったんですねー。あぶないところでした」


 しかし、身長二メートルのカタツムリを正面から見るとおそろしくキモい。殻が小山のようだ。カタツムリはゆっくりと俺たちの方に向けてぬめぬめと近づいてきた。


「ユア、あれもエンジェルコンタクトのウィンクとキスで退治できるんだろ? さくっとウィンクしてキスしてきてくれよ」

「やめてください! あれにキスするとかキモすぎて無理ですー! ウィンクですらできるかどうか自信ないですー!」

「えー、まじかよ。あんなデカいの、どうやって退治するんだ。あれもバットで叩いてスプレーで煙にするのか?」

「あれだけ大きいとアクマブンナグールもアクマハタキオトースもまったく効きません。ここはやっぱり『アクマエクスターミネイター・ヘルハリケーン』の出番ですね」


 ユアは再び片膝をついてバズーカを構えた。しかし、天使の使うアイテムのネーミングが「ヘルハリケーン」ってどうなんだよ。しかも見た目がどう見てもバズーカ砲だし。


「行きますよー! そりゃー!」


 バシュっとバズーカ砲が煙を吐いた。

 ところが、光の速さで反応した超巨大カタツムリは、身体を反転させて、殻をこちらに向けると、その鉄板のような殻で砲弾を受け止めてしまった。砲弾は殻にあたって弾け飛び、周囲はまばゆい光に包まれる。


「あっ!」


 光がしずまったとき、俺たちが見たのは、びくともしていない巨大カタツムリの姿だった。


「ユアちゃん、ダメだわ! 効いてない! 来るわ!」


 柊木が叫びながら身体をかわした。こ、こいつ、でかいだけでなくて速い! まじかよ! 


「ユア! リロードが間に合わない! 離れろ!」


 膝をついてバズーカを構えていたユアの反応が一瞬遅れる。俺はとっさにユアを抱きかかえて、地面に伏せた。カタツムリが轟音とともに、倒れ込んだ傍らを通り抜ける。まるで重戦車だ。あぶねー。あれに轢かれたらどうなるんだ? とりあえずキモいけど、多分キモいだけでは済みそうもない。


「あれはちょっとデカすぎますー! どんだけ悪魔育ててたんですか、あのおねーさんは! 殻でヘルハリケーンの弾をはじき飛ばすなんて、信じられないですー!」


 バズーカ砲の弾丸を補充しようとポシェットを探ったユアの顔が青ざめた。


「ケン、どうしましょう? ヘルハリケーンの弾、あと一発しか残ってないです!」

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