第4話 見習い天使は頼りきり (1)
翌日。今日も朝からいい天気だ。俺は微妙に重い足取りで教室の扉を開けた。クラスの半分ぐらいがすでに登校していて、思い思いの姿で朝の一時を過ごしている。
「おはよーっす」
誰にともなくひと声上げて自席に座った。そしてスマホをちらりと覗き込む。
昨晩、柴崎さんに何度も送ったメッセージはどれも未読のまま何も反応がない。昨日から俺と柴崎さんの仲は一歩進んだ、はずだ。なのに、どうにも気分がすっきりしない。そもそも柴崎さんからのアクションが皆無。だいたいできたばっかりのカップルは、もっとこうラブラブな雰囲気に包まれたりするもんじゃないのかなあ。どうも思ってたのと、何かが違う気がする。
だいたいこの俺の引っ掛かりの原因は、昨日の帰り際の柊木とユアの言葉だ。あいつらが余計なこというから、こんな中途半端な生殺しみたいな気分になるんだ。ちくしょう。
どよーん、という効果音が付きそうな重たい空気をまとっていると、前の席の糸田が、読みかけのコミック雑誌を机にぽいっと投げ捨てた。なんだ? と思ったら身体をひねって、話しかけてきた。
「おい、ケンジロー、朝からしんきくさくね?」
糸田
上下を年の近い美人姉妹に挟まれた糸田は、恋愛には「めんどくさい」と異常なまでに消極的で、とにかく愛想はよくないし毒舌だ。しかし実は異様に気が利く面があって、たまにちょっとした仕草のはしっこに、ちらっと優しさが見えたりするところなんかが、女子ウケ抜群。はっきり言ってこいつはかなりモテる。
ところが、多分糸田にとって一番身近な女子である姉と妹のレベルが高すぎるからなのか、同級生の女子はおいそれと糸田にはアプローチしない、というかできない。女子は女子であの姉妹に対抗しなければならないとなると、ほとんどアタックする前から白旗を上げざるを得ないのだろう。
だから糸田はもてるけど彼女はいないし、作る気もない。贅沢すぎるやつだ。
「なあ、糸田さあ、女子ってさ、その気もないのに優しくするとか、あるもんなのかな」
しかし、だからこそ、女子に対しての視線がシビアな分、糸田はうってつけの恋愛相談相手だ。俺はため息まじりに問いかけてみた。まあ、でもこれは半分愚痴みたいなもんだ。
「なんだよ、朝っぱらから恋わずらいかよ。おまえあんまり女子とか興味なさそうだったのに、ついに色気づいたのか」
「いやあ、そういう訳じゃない、こともない、んだけどさ」
「姉貴紹介してくれとか妹紹介してくれとか言う話なら、ハナからお断りだけどな。で、何があった? 聞いてやるよ、友達のヨシミで」
糸田は鼻をふん、と鳴らしてめんどくさそうに答える。そりゃ学校一の巨乳美人と学校一の美少女に囲まれて暮らしていたら感覚もおかしくなるよな。
こいつが恋愛アレルギーになっているのはそのせいだ。同級生や後輩、先輩、ひどい場合には先生まで、ひっきりなしに来る姉妹への紹介依頼がうざくて仕方がないらしい。糸田は「高校に入ってからはだいぶマシだけど、小学生の頃から常にそれに悩まされていたんだよなあ。まったくめんどくせー」とよくぼやいている。
「いやあ、雫さんと紡ちゃんにはとても近寄れそうにないから俺はパス。ただなあ、ちょっと同じ委員会でいい雰囲気になった女子がいて……」
「ほお? それは初耳だな。それで?」
ここで「相手は誰だ?」とは聞かないところが糸田のいいところだ。やっぱりこの手の相談相手は糸田に限る。
「俺的には四割ぐらいの成功率はあるんじゃないかと思って、告ったんだよ」
「ほお! やるじゃねーか」
糸田の瞳が少しだけ光った気がする。俺は声のトーンを落として囁くように言った。
「で、『石塚くんのことよく知らないから、友達になりましょう』って言われた。俺は半分告白成功したと思ったんだけどさ、柊木が……」
あ、やべえ。うっかり柊木の名前出しちゃった。しまった、という顔をした俺を目ざとく見つけた糸田が、すかさず突っ込んでくる。
「柊木って、あの柊木千紘? なんでアイツが出てくるんだよ」
「あー、悪い、ちょっと説明しづらいんだけど、柊木は直接には関係ないから。聞かなかったことにしてくれよ。それで、告白シーンにたまたま居合わせたある女子、まあ、それが柊木なんだけどさ、『あれは絶対にフラれてる。ばっさりと。それに気が付かないなんて、おまえがおかしい』って言うんだよ。俺的には、百パーセントではないにしろ、とっかかりには必要十分な成果があったと思って喜んだわけなのにさ……」
俺のセリフを聞いた糸田は思い切りあきれ顔をした。
「ケンジロー、おまえ、その答え聞いて、まじで告白成功したと思ってんの? あほじゃねーの? どう聞いても、そりゃ完全にフラれてるぜ。ばっさりがっさりすっぱりと」
「ですよねー、完全にフラれてますよねー。ばっさりがっさりすっぱりですよねー。もう、ケンはわたしの言ったこと、信じてないんですかー!?」
突然響き渡った甲高い声に、俺はぎょっとして振り返った。ユアと柊木が並んで登校してきて教室の後ろに立っていた。教室の中はいつのまにか登校した生徒が増えて、ざわついてきている。
「ユア! なんで教室の中まで入って来てるんだ!」
思わず声を上げた。いきなり声を上げた俺を見て、糸田は怪訝な顔をする。ユアは教室の後ろのスペースで「おはよーございまーす」とくるりと回ってスカートのすそをつまみ、膝を折ってお辞儀をした。柊木はその横で苦笑いをしている。
「石塚、おはよ」
柊木は手短にそう言うと、ユアの横を抜けて俺のそばに駆け寄ってきた。そして、ささっと俺の耳に顔を寄せて、こっそり耳打ちをする。
「あのさ、石塚。ユアちゃんの姿は、私たち二人以外には見えないし、声も聞こえないみたいなのよ。人のいるところでユアちゃんに話しかけてると、一人でしゃべってる変な人に見えちゃうからやめときなよ? ホントに」
「そうなんですー。わたし、まだ見習いですけど一応天使ですんで、普通の人間からは見えないし、声も聞こえないんですー」
「えー、まじ? なんだよ、それなら俺はどうすりゃいいんだよ」
「だから、できるだけユアちゃんを見ないようにするの! 話しかけるときは人のいないところで。分かった?」
俺と柊木がこそこそ言い合ってると、前の席から糸田が腑に落ちない顔で声を上げた。
「柊木、おまえっていつからケンジローとナイショ話する仲になったんだよ。もしかして、ケンジローが告った相手って、実は柊木なんじゃねーの?」
「んなわけあるか!」
「そんなわけないでしょ!」
思わず、俺と柊木で幼馴染ラブコメの定番シーンのようなハモリをしてしまったじゃないか。柊木は顔を心持ち赤くして、ユアを残したまま窓際最前列の自席に向かって行ってしまった。そのセーラー服の後ろ姿を見送った糸田がぼそりとこぼす。
「……ケンジロー、おまえ、えらく柊木と息が合ってるじゃねーか」
「柊木と息が合っても、あんま嬉しくないし俺にメリットがないじゃん」
「えー、そんなこと言うんですかー。ユア、聞いちゃいましたよー。ちいちゃんにチクっちゃいますよー」
「ま、誰に告ったか聞く気ねーけどさ、ケンジロー、おまえ案外柊木となら上手くいくんじゃね? 鍛え上げられた俺の女子観察スキルがそう言ってるぜ?」
「でしょー? でしょー? でしょー? ほんとお兄さん分かってますよねー。せっかくの二人なんだから仲良くしてほしいって、わたし、思ってるんですよねー」
あー、ユアはうるせーよ。まったく。俺は糸田と話してるんだ。これじゃ話ができねーよ。
俺は「ちょっと悪い」と糸田に断って席を立り、自席で教科書を広げている柊木のところへ足を運ぶ。こうして改めて話しかけるのは、ほとんど始めてかもしれない。窓際の柊木の席からは青い空がよく見えた。
「柊木さ、ユア、しばらく引き取ってくんない? 目の前で騒がれるとどうしても気が散ってなにもできねーよ」
柊木はふふっと鼻で笑った。まるで俺がそう言い出すのを分かっていたみたいだ。
「ね? 喋りにくいでしょ? 私も昨日あの後ユアちゃんとファミマ行ったんだけどね、あの調子で店の中で喋り続けるもんだから、苦労したわ」
なんだよ、分かってるんだったら先に言ってほしかったぜ。恨めし気に柊木の顔を睨むと、柊木はやんわりとした笑顔で話をつないだ。
「昨日はユアちゃん、ファミマ出たとこで『じゃあ、わたしは帰りまーす』って言って唐突にいなくなっちゃった。まったく、天使かどうかはともかく元気な子だよね。今朝家の前で待っててくれたみたいだったから一緒に学校に連れて来たのよ」
俺は柊木の話に曖昧に頷くと、わざと遠回りして自席に戻る。戻り際、俺の自席のそばでくるくると踊っているユアにだけ聞こえるように、できるだけ声を低くして話しかけた。
「ユア、柊木の席に行っときな。今はまだいいけど、授業始まったら邪魔すんじゃねーぞ」
「はーい。分かってまーす。あ、それとですねー、ケンのために『エンジェルマート特製、一滴でメロメロ♡ びっくりするほどよく効く惚れぐすり』を注文しときましたよー。これが届いたら一発ですー」
「なんだと!? そんなすげーものがファミマに売ってるのか!?」
「ケンはバカですねー。ファミマなんかで売ってるわけないじゃないですか。エンジェルフォンの通販アプリで買ったんですー。天上界専用だから、ケンもちいちゃんもまだ買えませんよ。今買えるのは見習い天使のわたしだけですー。ただこの薬、使用量が難しいんですー。効き方が人によってえらい違うんですよー。少なすぎると効かないし、多すぎるとヤンデレになっちゃうんです。あ、それとわたしですね、今日から見習い天使一級になりましたー。ケンとちいちゃんのおかげです!」
ユアの天使ランクは俺には関係ないので聞き流したが、惚れ薬の件は聞き捨てならない。そんないいもんが手に入るのかよ。こりゃあ、楽しみになってきたぜ。
「よし、じゃあそれが届いたら確実に俺のターンだな!」
「そうですね! がんばってください。上位の天使は直接マインドコントロールとかやっちゃうらしいですけど、わたし、見習いだからそこまでできないんですよねー。しかしあのおねーさん、わたし的には少し猫かぶりあざと腹黒クソビッチ系のような気がするんですけど……」
「何言ってんだ、ユア!! 柴崎さんこそ至高、柴崎さんこそベスト、柴崎さんこそ天使なんだ!」
「分かりました分かりました。っていうかー、天使はわたしですって。まだ見習いですけど」
ユアはそう言い残して、立ち歩く生徒を器用によけながら柊木の席へと向かって行った。ちゃんと生徒にぶつからないように避けているところを見ると、姿が見えないからと言って、幽霊のようにすり抜けることはできないようだ。
ユアの後ろ姿を見送っていると、糸田が心底いやそうな顔で苦情を告げて来た。
「ケンジローさあ、おまえ何ぶつぶつ一人で喋ってんの? 誰かこそ天使とか聞こえたんだけど。キモいからやめろよ」
「ああ、糸田、さっきの話だけどさ、もしかしたらなんとかなるかもしれねーわ」
「は? 誰かに告ったって話か? いや、おまえさ、それフラれてるって。あんまり無理押ししてもみじめなだけだぜ?」
糸田は俺に向かって説教くさいことを言ってきた。余計なお世話だ。
「それにさ、おまえが天使って言ってたのって、もしかしてB組の柴崎遥香のことか? 柴崎、取り立てていいとは思わねーけど」
「いや、おまえの基準は雫さんと紡ちゃんだろうが。あのチート級の二人と比べるとかアンフェアすぎる」
「容姿はともかく、柴崎だったらやめといた方がいいって。聞くところによると、最近超絶イケメンハイスペックな社会人のカレシができたらしいぜ?」
「ふふふ、なんたって俺には特製惚れ薬が……、え? 糸田、おまえ今なんて言った?」
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