xvii Ishtar Feather
(こんな綺麗な音、出すんだ……)
楽曲に依ってドラマーがカホンやジャンベ等様々なパーカッションを使い分ける。中央公園で聞いていた時はドラムセットについていたので特別な印象を受けなかったが、器用な人間なのだろう。
演奏する楽曲に依ってエレキギターとアコースティックギターでは当然異なる弾き方をしなければならないが、英介は自然にそれらをやってのけていた。
(向いてる音楽とやりたい音楽って、違う物なんだなぁ)
中央公園で、フルバンドでやっている時のUnsungはもっと生き生きとしているが、演奏自体はこちらのアコースティックバージョンの方が夕衣は好みだった。
「早いもんで次、最後の曲です」
ゆっくりとMCをするよりも、演奏する楽曲を増やしたかったのだろう。ろくにライブ告知もメンバー紹介もしないまま、Unsungは最後の楽曲の演奏に入った。
英介がちらり、とこちらを見る。何だか嬉しそうだが、英介ほどの腕と夕衣が創った音色がここまで合っているのだ、演奏していて気持ち良いだろうことは夕衣にも判る。英介の笑顔に応えるように夕衣は小さくサムズアップした。
Unsungの演奏が終わり、すぐに出演者の入れ替えとなる。Unsungのメンバーはすぐに片付けに入った。
「あいつあんな巧かったっけかなぁ……」
隣の席で
「莉徒はアコースティックのUnsung聴いたことあったの?」
「何回も聴いたよ。あんな巧くなかったし音も悪かった。まぁ音に関しては夕衣の力だろうけどさ、急に技術って向上するもんかなぁ」
Unsungの演奏が始まる前には、莉徒、すみれ、
「はい夕衣ちゃん」
後ろの席からぬ、と手が伸びてきた。その手にはプラスティック製のコップがあった。
「あぁ、ありがと
英里からコップを受け取ると、英里が不満そうに口を尖らせた。そんな表情をしつつもふわり揺れるウェーブヘアが不満顔を可愛らしく見せている。
「えぇりぃー」
つまり、苗字ではなく名前で呼べ、ということか。
「あ、あはは……。ありがと英里ちゃん」
「なんも!」
名前呼びに満足したのか、く、とサムズアップして英里は笑顔になった。手渡されたものを一口呑む。途端に馴染んだ味と馴染みの薄い苦味が口の中に広がって行く。オレンジジュースと、何か。
「う、こ、これお酒?」
「あ、ばれた」
「だからばれるって言ったのに」
「こぉら、演奏前に呑ませないの」
莉徒の隣にいた公子が言う。
「だって夕衣ちゃんの出番てずっと後じゃないですか、イキオイ付けなきゃ!」
「私も結構本番前とか呑んだりするけどね」
言って莉徒も笑う。
「ま、まぁそれもそっか!でも酔っ払っちゃうとヤバそうだから、もう一口だけ……」
酒を呑んだことがない訳ではない。ビールや日本酒、ウィスキー等は好きにはなれないが、こういったカクテル系ならば呑めない訳ではない。夕衣は言ってからもう一口呑むと、コップを目の前の小さなテーブルに置いた。
「あははは、そうだね、あたしのせいで失敗したらやだし」
「大丈夫!終わったら貰うね!」
夕衣は笑顔でそう応えた。
「いやいや、お前ら未成年だから」
公子が冗談めかして言うと、莉徒がすぐに反論した。
「ライブハウスは治外法権だから大丈夫!」
「お、きたきた、英介お疲れー!」
ステージの片付けも終わり、エフェクターやらギターやらを抱えた英介が客席側に戻ってきた。すみれが拍手をしながらその英介に声をかけた。
「おー、すーサンキュー、みんなもサンキューな!」
「お疲れ!上手かったじゃん英介!」
「うん上手かった上手かった!」
公子と英里が口々に言う。
「まぁちっと練習したからな!」
「たいしたもんだわー、あんな上手くなってると思わなかったよ」
莉徒が心底感心したように言った。余程以前までの英介のクリーントーンの弾き方が酷かったのだろうか。音色には気遣っていなかったようだし、今回のようなあの弾き方と、夕衣が創った音があれば、それは雲泥の差が生まれることもあるのかもしれない。
「夕衣の路上見てからああいう弾き方、結構練習したんだよ」
「なんだ、技術も音も夕衣のおかげなんじゃん」
(む)
一瞬身構える。また夕衣と英介をくっつけようとするような話の流れに持っていこうとでもいうのだろうか。
「そうかもしれねーけど、練習がんばったのは俺だろうが!」
「あはは、ま、そうね」
「英介邪魔!後ろつっかえてんぞ」
どん、と軽く英介を後ろから突いて奏一が言った。その後ろにはボーカルと本来ならばドラマーのパーカッションが続いている。
「お、すまねぇ」
つい、と英介が前進する。控え室代わりに設えられた一画は客席の一番後ろにある。ライブハウス全体が大きな造りではないので、出演者の荷物を置くだけで精一杯だ。
「
「お疲れ、秋山君」
「おぉー、ありがとーう!」
ついで歩いてきた奏一と、ボーカルの渉、パーカッションの清志にも皆が声をかける。
「
そう声をかけて奏一も楽器を置きに、先に進んだ。
「いやはや、セーシュンだねぇ、こりゃ」
隣で莉徒がぼそり、と呟いた。
「ん?」
「んにゃ、なんでもない。……さぁて、こりゃしばらく退屈かな」
恐らくUnsungのメンバーの誰かからせしめた出演者リストを眺めて莉徒がぼやくように言った。確かにこの後はカラオケを流して唄うだけのユニットのような出演者が多い。それもオリジナルの曲ではないので、他人のカラオケを聴くだけ、という感覚だ。
「そうかもねー」
巧い歌い手の歌を聴くだけでも勉強にはなるが、自分できちんと創った曲で巧い歌手などごまんといるし、夕衣もそういった歌い手を数多く見てきた。だからといって、この後の出演者が見るに値しないという訳ではない。ようするに同じ音楽をやっている者として、カラオケだけを唄う者よりも、オリジナルソングを唄っている者の方がより、音楽に対し真剣である者が多い、という確率だけの問題だ。
「ま、しばらくは歓談かな」
「でも確か、何人か同じ学校の人もいたよね」
「そうだっけ?……あぁ、こいつらね。ただのカラオケよ。こいつらの分まで金払ってると思うと腹立つわ」
軽音楽部に所属していなくても独自に音楽をやっている者も多いだろう。その中の何名かがやはりこのイベントに参加していたようだが、クラスも、学年すらも違うので、名前も顔も一致はしていない。
「そこまで言わなくても……」
明らかに悪意がある言い方で莉徒は言う。恐らく莉徒は知っている人間なのだろう。それも友好的ではない間柄で。
「ま、英介達が思ったより良かったし、あんたにも期待してるから損はしてないけどね」
「ご期待に添えられるよう誠心誠意頑張らせて頂きますとも」
自信を持って夕衣は頷いた。他の誰が判ってくれなくても、きっと莉徒ならば判ってくれる。そう確信めいたものが夕衣にはある。
「うむ。……お、酒がないぞ」
「あんまり呑まないの。あたしは成人だから呑むけどねー」
公子が言って笑う。
「いいなぁ」
「大丈夫!ライブハウスはチガイホーケンだから!」
既に酔っているのか、英里がばん、と夕衣の背中を叩いた。
「わ、わたしじゃない……」
ようやく夕衣の出番を迎えて、莉徒達はこぞってステージ前の席に移動して来た。良く見ると軽音楽部の面々やシャガロックのメンバー、Kool Lipsのメンバーもきてくれていた。何人かは面識のない人間もいるが、皆メンバーの知り合いがライブをするから、と声をかけてくれたのだろう。まだ出会って日も浅い人達どころか、面識すらない人までがこうして夕衣の曲を聴きに来てくれている。本当にありがたい気持ちで一杯になった。マルチエフェクター一つとセミアコースティックギターを一本抱え、夕衣はステージに上がる。それぞれにシールドケーブルを差し込んでから、エフェクターの電源を入れる。チューニングは済ませてあるが、一度ハーモニクスでチューニングの狂いがないかを確認して、最後にジャズコーラスのスイッチを入れた。まず一度
「あ、あ、あー」
ギターを弾きながら声を出す。ステージ奥の
「こんばんは。えと、ここでは初めてやらせてもらうことになります、夕衣と言います。短い時間ですけれど、聴いて行ってください。よろしくお願いします」
一通りの挨拶を済ませ、ぺこり、と夕衣は頭を下げた。
「ゆぅいちゃーん!」
英介がわざとらしく夕衣の名を呼んだと思ったら、やんやの歓声が沸き起こった。夕衣がこの街で初めて路上をやった時にいた、英介達の友人のバンドのメンバーもきてくれたようだった。もう一度頭を下げ、夕衣は意識を切り替える。こつこつ、とギターのボディを軽く叩き、まず一曲目の
目を閉じて、ゆっくりと息を吐き出しながら唄声に変える。
――
The sound which obstructs my sleep
ゆっくりと 静かに 包まれてゆく
The dream which obstructs my sleep
闇に沈む 意識に 境界はなく
わたしがわたしであるために 生まれてきた訳じゃないけれど
わたしがわたしであるために 生きていいと信じてみたい
強く抱きしめて わたしの心 暗闇に折れない強い気持ちを
強く羽ばたいて わたしの翼 向かい風でも突き進める力を
誰かをうらやむために生きている訳じゃない
戸惑いも心の傷も自分のものでありたい
流されることに慣れてしまいたくない
――
最後のコードをゆっくりとアルペジオ。
拍手と歓声が巻き起こる。顔見知りの演出だろうが、ありがたい。夕衣は軽く会釈をして、次の曲に入った。
――ちらり、と時計を見る。次で最後の曲だ。時間には少し余裕があるが、二曲歌えるほどではない。
「ありがとうございます。……次で最後の曲になります」
ええー、と声が上がる。莉徒などは椅子から立ち上がってまで声を上げていて少し可笑しくなってしまった。
「とりあえず、次回の告知とかはありません。ただ、時々中央公園で路上、やる時もありますので、縁があったらお耳を貸してくださると嬉しいです」
色々と周りの状況は整理されつつある。あとは夕衣の活動状況だが、これは今後莉徒達とバンドを組むということになればまた判らなくなる。以前いた街では、ブログを始めようかとも思ったが、まだ手をつけていなかった。こうしたイベントや路上のことでもブログを公開していれば気になった誰かの目に止まることもあるかもしれない。一段落したらブログを始めてみるのも悪くない、と夕衣は今この場で思った。
「えと、わたしは、つい最近この街に越してきたばかりで、今わたしの目の前にいる、学校の友達や、先ほど演奏されてたUnsungさんのメンバーさん達に良くしてもらって、路上をやったり、今回のイベントを紹介してもらったりしたんですね。それで、えと、前の街では路上をメインに活動してまして、いつもオリジナルの曲を歌ってたんですけれど……」
最後に唄うのは
この曲を自分のものとして公言しても良いのだろうか。と一瞬だけ躊躇した。
「次にやる曲は、多分皆さんが聴いたことあるんじゃないか、と思う曲をやります。わたしが前にいた街ではあまり話題になっていなかった曲なんですけれど」
今ここでこの曲が夕衣のものだと公言して何になるというのだろう。思い至ったが、他人の曲をカバーしました、とも言えない。そこだけは絶対に譲れなかった。この曲はそれくらい大切な曲だから。そしてこの曲がどれほど大切なのかは、きっと莉徒が判ってくれる。
「この街では色々な人が知っていて驚きました。わたしにとってはとても大切な曲で、誰かにとっても大切な曲であるかもしれないこの曲を、最後に歌わせてください」
ここにいる人々が聴いたことがあるの曲は夕衣のIshtar Featherではなくディーヴァの
「Ishtar Feather……」
――
溢れた涙は誰のためなの 歌声響かせて笑顔に変えたい
蒼い月明かり 思い出すのは
風を切り駆けた あの日のあなたの影 そばにいたわたしの影
I believe for myself 女神の羽根 あったなら
どんなにも離れていても 色褪せない 信じたい
青くまぶしい 空に流れてく
あの白い雲を 追いかけて笑うあなた その背に羽をまとって
I believe for myself 女神の羽根 あったなら
どんなにも時が過ぎても 忘れない 羽ばたける
瞳を閉じて 追いかける あの日のあなたの影
強い向かい風の中で
黒髪を揺らす 風がすり抜ける
歌声に変えて 月明かりに乗せて届くように この声が枯れるまで
I believe for myself 女神の羽根 あったなら
この唄もいつか響いて 羽ばたいて 行けるはず
I believe for myself 女神の羽根 あったなら
この胸に誇れるもの ただ一つ 羽ばたける
――
目を閉じて、大切に、大切に、全てを唄いきった後、最後のコードをアルペジオすると同時に夕衣はゆっくりと目を開けた。莉徒は軽く嘆息して、笑顔に切り替える。まるで「そういうことね」と言っているかのようなその表情は、夕衣が莉徒に伝えたかったことが全て伝わった、ということの証だ。
「髪奈夕衣でした。ありがとうございました」
立ち上がり、ゆっくりをと会釈する。
静まり返った客席の一点から拍手の波が伝播していく様が判った。
(
最初に拍手をくれたのは英介だった。正直なところ、客席の、いや、莉徒以外の人の反応がどうなのかは判らない。ディーヴァのカバーをやったと思う人が大半だろうけれど、莉徒のように、オリジナルの音源を持っている人もいるのかもしれない。しかし、曲の出所はどうあれ、この拍手の波は夕衣を認めてくれている何よりの証だ。今夕衣が唄った曲がIshtar Featherであろうが、Goddesses Wingであろうが、今この場所にその問題は何も関係がない。
夕衣はステージに上がった時と同様に、ギターとエフェクターを抱え、ステージから降りた。
xvii Ishtar Feather END
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