ii Hallow Again

 七本槍ななほんやり市 私立瀬能せのう学園高等部


「じゃあ髪奈かみなさんはそこの、後ろから三番目、はい秋山あきやま、手ぇあげて」

「はぁーい」

 秋山と呼ばれた男子生徒が手を挙げる。人の良さそうな笑顔の男子生徒でひとまず安心する。

「あの秋山の隣ね。じゃあみんな仲良くするように!って中学生に言うことね」

「はい」

 自分の言葉に苦笑する綾子に端的に答え、夕衣ゆいはもう一度だけ柚机莉徒ゆずきりずに視線を向けてから秋山という生徒の隣の席に着いた。

「俺秋山奏一そういち、宜しくね」

 にこり、と人懐こい笑顔を向け、秋山奏一は手を差し出してきた。無視する訳にもいかず、夕衣は仕方なく奏一の手を握り返した。

(あれ……)

「お?」

 夕衣が疑問に思うのと同時に奏一が声を上げた。

「もしかしてなんか楽器でもやってる?」

 そう、夕衣が思ったことと全く同じことを口に出して奏一は言った。夕衣はどうしようかと迷ったが、頷いた。それから奏一は夕衣の指先をじっと見つめた。こういう問いをしてくるということは、奏一も何か楽器をやっているのだろうか。

「え、何々?楽器?」

 後ろから半身を乗り出して、女生徒が会話に割り込んできた。

「あ、私由比美朝ゆいみあさ、宜しくね。髪奈さんの名前と私の苗字が同じだね、ってゆーか秋山君いつまで髪奈さんの手、握ってるの?」

「え、あ、わ、ごめん!」

 ぱ、と手を離して奏一は赤面した。

「俺ベースやってんだー、あははは」

「おーい秋山!転入生が可愛くて浮かれるのも判るけど授業始まるからねー、皆も席には座っとくように」

 そう言いながら綾子あやこは出て行った。その途端、夕衣は言いつけを守らない何人もの生徒に一気に囲まれた。どこからきたのだとか、部活は何か入るつもりなのかだとか、大学はどこを狙っているのだとか、ともかく、夕衣は訊かれたことに答えるのが精一杯で、早く授業が始まらないかと内心思い続けていた。人垣の隙間から柚机莉徒の席を見ると、莉徒は他の生徒と交わることもなく、窓際の自分の席から動かずに携帯電話を操作していた。昨晩あれだけ明るい表情を見せていた莉徒も学校では浮いてしまっているのだろうか。そうは思ったが、すぐに人垣で莉徒は見えなくなってしまった。訊かれたことを短く答える以外のことは話さない。話せないということもあるが、やはりこういった雰囲気には慣れることはできそうもなかった。

「おーしおめーら座れー!授業だぞー!」

 戸が開くと共に、恰幅の良い中年教師が声を上げた。夕衣は内心ほっと胸を撫で下ろした。


(……疲れる)

 予想通り数人の生徒に囲まれた。最初だけかと思ったが、休み時間の度に色々と訊かれた。柚机莉徒はやはり夕衣に近付こうとはしなかった。時折莉徒を見ると、気付いた時には昨晩見せた笑顔を見せはしていたのだが、時折夕衣の後ろの席の由比美朝と話す程度で他の友人達とお喋りをしたり、ということを殆どしていなかった。

 元々人付き合いが上手ではない夕衣は質問の波状攻撃に上手く返事を返せなかったりと色々苦労しっぱなしだ。何とかやり過ごしてはいるものの昼休みもこの調子ではたまらない。もうすぐ四時限目が終わる。昼食は母がお弁当を作ってくれていたので持参して来たが、どこか一人でゆっくり食べられる場所はないだろうか。以前の学校でも流石に囲まれることなどなかったが、やはり集団生活の場は得意ではない。そんなことを思っている間に、黒板に見たことのある数式を書いていた教師が授業の終わりを告げた。

「まぁ今日はここまでにしておくか。腹も減ったしな」

 教師の中では若い方なのだろう。女生徒に人気があると誰かが前の休み時間中に教えてくれた。どうでも良い情報だ。周りが騒ぎ出すのと同時に、夕衣は鞄から弁当箱を取り出した。

「髪奈さん、お昼一緒に……」

 後ろから美朝が声をかけてきたが、その声は途中で止まってしまった。原因を究明する間もなく夕衣の腕はぐい、と誰かに引っ張られた。

「美朝さ、あんた普段から空気に敏感なんだからちょっと夕衣の表情とか気にしてやんなよ」

 その声は柚机莉徒のものだった。その隙に崩しかけたバランスをなんとか取り戻して夕衣は声の主を見た。莉徒は夕衣の弁当箱も持って、夕衣をぐんぐんと教室の外まで引っ張って行く。

「ちょ……」

「いっからいっから」

 からから、と笑って莉徒は構わず歩き続ける。

「べ、別に逃げないから……」

「お、そぉ?」

 じゃ、と言って莉徒は夕衣の手を離した。三階にある自分達のクラスから二階まで莉徒は歩く。そして第二音楽室と書かれた教室の前に立つと人差し指を唇に当てて、静かに夕衣に言う。

「ちょっと待ってね」

 そろりそろりと教室の中を伺う。戸を開けた時点でばれるのではないだろうかとも思ったが、そこは言わないでおこうと夕衣は黙って莉徒が行動を終えるのを待つ。すぐ近くに第一音楽室があるのだろうか。昼の練習をしている吹奏楽部の様々な楽器の音が聞こえてきた。

「よぉし、連中は今日は屋上か」

「?」

「多分ここなら今日は誰も来ないと思うからさ」

 そう言って莉徒は笑うと、夕衣を室内に招き入れて弁当箱を手渡した。教壇の脇にはガットギターが一本置いてある。教材用なのだろうが、弦は張りっぱなしで状態はあまり良くなさそうだった。

「どして?」

「ここ軽音部の部室なんだけどさ、連中今日は屋上でお昼食べるみたいだし」

 莉徒は軽音楽部に所属しているのだろうか。そして軽音楽部に入部でもさせようというのだろうか。もしそうだとしても夕衣は軽音楽部に入るつもりはないし、そもそも夕衣が訊いた理由はそちらではない。

「そうじゃなくて……」

「え、取巻き鬱陶しかったんじゃないの?」

 さらり、と莉徒は夕衣の本心を見透かしたように言った。同じクラスの仲間をそんな風に言えてしまうということは、やはり莉徒はクラスには打ち解けていなのだろう。

「鬱陶しいとまでは、思ってないけど……」

 夕衣にはそこまでのはっきりとした意思はなかったが、とにかく友達を作ろうとは思っていないし、できれば一人にして欲しいとは思っていた。突き詰めれば莉徒の言ったことは間違いではないのかもしれないが、そこまで投げ槍でもなければ、悪意もない。

「でも明らかに疲れた顔してたじゃん」

「……」

 図星を指されて返す言葉をなくしてしまった。

「ま、嫌、って言えないのも判るけどさ。それにしてもまさかタメで転入生だったなんて、ね」

「柚机さんはお昼食べないの?」

 夕衣は机に弁当箱を置いて莉徒に訊いた。

「あぁ、うん、買ってくるわ。もし誰かきたら私に連れてこられた、って言いなよ」

「うん」

「あ、あとね、私のこと莉徒って呼んでね」

 そう言って、軽く駆け出すと、恐らくは購買部にお昼ご飯を買いに行ってしまった。


「ららららぁら……」

 軽音楽部の部室とは言うものの、ここは第二音楽室だ。アンプやドラムセットなどは恐らく黒板の裏側にある準備室に有るのだろう。一つだけ教室内に出されていた、くたびれたガットギターを手に取り、思い付いたメロディを口ずさむ。ついギターを持つと唄ってしまう。夕衣は一コーラスだけ軽く唄うと最後のコードをゆっくりとアルペジオした。ギターという楽器は本当に楽しい。ギターが鳴っていれば自分の歌声も綺麗に聞こえてしまう。録音などをされた自分の声を嫌う人は多いが、夕衣はそれほど録音された時の自分の声は嫌いではなかった。

「わぁうまーい!」

「!」

 莉徒の声ではない。夕衣は驚いてとっさに振り向いた。莉徒が帰ってくるまで大人しくしていれば良かった。部員でもない夕衣が勝手に部の備品かもしれないものを使ってしまったという後ろめたさを感じてしまう。

「あ、あの、えっと……ごめ」

「あぁー、いいよいいよ、転入生の髪奈さんでしょ?けっこう噂になってるし、さっき莉徒からメールもらったんだ」

 夕衣の言葉を手振りと笑顔で遮って、その女生徒は笑顔になった。ぱっと見た感じはスポーツ少女のような、邪魔にならない軽く肩にかかるほどの髪をしている。莉徒とはまた別の意味で活発そうな印象を受ける。何よりも違うのは莉徒よりは間違いなく人当たりが良い。いや、莉徒も夕衣には人当たりは悪くはなかったが、クラスで一人でいる時は愛想の欠片もなかったように夕衣は感じた。

「あ、柚机、莉徒さんの友達?」

「うん。水野みずのすみれ。よろしくね、ちなみに私も三年だから」

 すみれと名乗った女生徒はそう言って夕衣の対面の椅子に座った。

「あ、う、うん」

「今のって髪奈さんのオリジナル?」

「え、あ……」

 言いながらすみれは持参していた弁当箱の包みを開く。なんだか奇妙なことになってしまった。ただ教室にいて大勢に囲まれているよりは幾分ましかもしれないが、今名前を知っただけで、お互いに殆ど素性を知らない者同士だ。ここに連れてきた莉徒はまだ戻ってこないし、夕衣は元々が口下手だ。すみれと二人では間が持たない。

「私もちょっと前まではやってたんだけどねー、今はメンバーいなくて休止中」

「そ、そうなんだ」

 すみれの言葉にはっきりとした返答を返せず、夕衣は笑顔になった。作り笑顔になってしまったかもしれない。

「あれ、食べないの?」

 もうすでに自分の弁当に箸をつけ始めたすみれが言う。夕衣はギターを元あったスタンドに立てかけた。できることならもう少し弾いていたかったが、部員でもない上にすみれの目の前で、となるとやはり気が引けた。

「あ、柚机さん今何か買いに行ってるみたいだから」

「別に待ってなくたって良かったのに。変なとこ律儀ねぇ」

 苦笑交じりの莉徒の声が入ってきた。手にはビニール袋を提げている。昼休みの購買部はどこの学校でも混み合うのだろう。

「あ、莉徒、もうちょっと早く戻ってくれば髪奈さんのギター聞けたのに」

 すみれが言って、ね、と夕衣に同意を求める。

「あ、わ、わたし勝手に弾いちゃって……」

「別にいいでしょ。実際私だって軽音の人間じゃないし。ねぇすー」

「え」

 莉徒は(おそらくはあだ名であろう)すみれをすーと呼び、意外な言葉を口にした。その途端夕衣は思わず身を固くした。軽音楽部でもない人間が勝手に部室に出入りして、その人間の案内でここに連れてこられ、勝手にギターまで弾いてしまった。莉徒のせいだ、と責めるつもりは毛頭もないが、莉徒がこれだけ堂々としていると、逆に夕衣が恐縮してしまう。

「そ、莉徒は入り浸ってるだけ。私は軽音部だけどね。軽音部員って結構自分らで外バン組んでるの多いから、あんまり練習こないんだよね」

「そうなんだ」

 ほっと胸を撫で下ろす。すみれと莉徒が仲が良いのは何となく空気で判る。すみれも莉徒も、恐らく軽音楽部の部員達もそういうことで納得しているのだろう。

「まぁ私は軽音部のみんなとは仲いいからさ。たまにシャッフルでバンド組んだりするしね。すーとも何度かやってるし」

「へぇ……」

 バンド。夕衣も以前は何度か組んだことがあったが、今は組む気はしない。一人でギターを弾いて唄っている方が良い。バンドとしてのサウンドも魅力的ではあるが、それでも夕衣は最後のバンドを抜けてから、バンドを組んだり、メンバー募集をしているバンドに加入しようという気は起きなかった。

「夕衣は?」

「わたしはひとりでやってる」

「そっか。そんな感じだったもんね」

 昨日の練習している様を見れば判るのかもしれない。バンドのギターボーカルと弾語りでは弾き方は違うし、アコースティックギターで弾くことも少ない。それに転入生だと判れば組んでいるメンバーも近場にはいないことは判るだろう。

「え?どういうこと?莉徒と髪奈さんて知り合いなの?」

「あぁ違う違う、昨日の夜偶然会ってさ。会ってってよりは私が邪魔しちゃったんだけど」

「別にそんなことないけど……」

 邪魔されたとは思っていなかったが、あれ以上莉徒が見ている前では確かに弾く気は起きなかった。ライブでなら全く構わないが、ステージで自分の曲を披露するのと練習を見られているのでは意味も気分も違う。

「ま、ともかくしばらくは色々鬱陶しいと思うけどさ、ここならいつでも来ていいし」

「あ、うん、ありがと」

 何と言ったら良いのか判らないが、莉徒の気遣いはありがたかった。友達になろう、とも仲良くなろうとも言わない。莉徒も馴れ合う必要はない、と思っているのだろう。性格は全く違うが、そういう根元の部分は夕衣と似ているのかもしれない。

「莉徒のが軽音部みたいだね」

「まぁ半分部員みたいなもんでしょ」

 教室にいる時とは莉徒の表情が違う。今は穏やかに笑っているし、つんけんしたような態度は感じられない。何故これだけ慣れているにも拘らず軽音楽部に入らないのかはそれなりの事情があるのだろう。気になりはしたがどうしても知りたいという訳ではない。自ら話さないということは話す必要がないからだろうと思えるし、そんなことを無理に聞き出す必要もない。

 夕衣は昼休みの殆どの時間を莉徒とすみれの話を聞くだけで過ごした。


 昼休みをほぼ二人の会話を聞くだけで過ごし、教室に戻る途中、莉徒がくるり、と振り返った。

「あぁ、判ってると思うけど、私クラスじゃいつもあんな感じだからさ。連れ出しといて何だけどあんまくっついてると夕衣も疎まれるかもしれないから、丁度私が無理やり連れ出してるし、迷惑だったみたいなこと言っちゃっていいよ」

「え……」

 突拍子もなく、さらりと莉徒は言った。

「や、私のせいで夕衣まで嫌われ者になっちゃうと面倒でしょ」

 それにしても、仮に夕衣がそう言ったとしたら、莉徒はクラスメートに更に白い目で見られてしまうのではないのだろうか。

「嫌われてるの?」

「まぁ一部には間違いなく、ね。でもま、別に関係ないし」

(……)

 奔放な性格。夕衣が良く知っている性格だ。自分が納得できていれば周りなど関係ないのだろう。夕衣が強烈に憧れを持った生き方。だから周りを断ち切ろうと考えた。関係のない周りを断ち切ってしまえば良い。しかし疎まれることに慣れることはできなかった。理解者はもちろんいた。それでもその生き方を貫き通すことなどできないのかもしれない。そういう迷いが夕衣の中には常にあった。

「そっか。でもそういうことは言わない。実際柚机さんは助けてくれたんだし」

「その辺は夕衣に任せるよ。ただクラスには私の理解者は殆どいないからさ。夕衣の隣のばかと後ろの美朝は数少ない理解者だけど」

 美朝の顔を思い浮かべる。柔らかい雰囲気を持っている子だ。隣の席の秋山奏一も明るいし屈託もないように思える。ただ、それでも学校で言葉を交わすだけの存在であればそれで充分だ。

「そうなんだ、じゃあそんなに心配するほどのことじゃないよ」

「まぁ今日みたいなのも迷惑だと思ったら言ってくれればいいしさ」

 自分が手を差し伸べた人間にすらどう思われても良いと思っているのだろう。上手く付き合えるのであればそのまま上手く付き合えば良いし、そうでなければ外野に押しやってしまえばいいだけのこと。人を選定をしている訳ではなく、利害関係でもなく、結果として導き出す答え。合理的と言えばそれまでかもしれないが、そういった綿密な計算や打算的な考えなどはしないものだ。この手の人間は。感じるままに生きる。ただそれだけなのだ。

「そんなことないよ」

「へっへ、夕衣はさ、イイヤツ、だね」

 屈託ない笑顔を莉徒は夕衣に向けた。

(だから、かな……)

 昨晩から莉徒のことを気にかけてしまうのは。それならば、と思う。

(それなら、深入りするべきじゃない……)


 ii Hallow Again END

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