浪漫巣

明星浪漫

ドープ

たばこの匂いは、コーヒーの匂いに似ている気がする。


隣の男がたばこを吸った。吐き出された煙が喉を焼く。私は男の服に染み込んだその煙が、体に悪いとしても、とても好きだった。他の大人から香るにおいは臭くてとても近寄りたくないものだった。街で歩きたばこをしてる大人を軽蔑した目で見た。ポイ捨てされた吸い殻を見ては、ダメな大人がいるものだと思った。不思議だった。男──親戚のおにいさんの匂いは、特別なものだと思っていた。おばさんがおにいさんに何度もたばこをやめろと言った。体に悪いからやめなさいって。余計なことを言うなと思った。だっておにいさんの匂いはとても深い苦味があって、それがとても大好きだったから。

私は近づきたかった。背伸びをしてでも、隣に並びたかった。だからせめておにいさんと同じ匂いを纏いたくて、大人ぶった。持っている中で、最も子どもっぽくないワンピースに、せめて大人っぽく見える髪型にしてもらった。

憎らしかった。縮まらない年の差も、結婚なんて到底できない近しさも、そう、今まさに、カウンターの席に着くと足がつかないもどかしさも。おにいさんはその長い股下を持て余しているというのに、私の短足さよ。

灰皿にトントンとたばこを叩く指が、クラスと男子なんかと全然違って、なんだか、あ、大人の男の人だ、なんて思っていた。

大人ぶって頼んで、出てきたコーヒーはとても苦くて苦くて、マスターが見てないときを計って、べ、と舌を出した。しかし飲みきるしかない。数少ないお小遣いでカフェに乗り込んだので、残すことは出来なかった。これで一冊の漫画が買えるのでなおさら。おにいさんにガキっぽいと思われたくない。だというのにおにいさんと来たら。

「ガキには早いだろ」

これ飲みな、と差し出されたクリームソーダに、とてもムカついた。私を大人扱いしてくれないおにいさんにも。私が飲みきれなかったコーヒーを一気にくい、と煽って、またたばこをふかした。頭をガシガシと撫でられる、冷たい手だった。揺れる煙を睨みながら、クリームソーダの上に乗ったアイスを掬った。甘くて、美味しくて、悔しかった。



親戚のおにいさん、たまにオモチャをくれて、たまに遊びに連れてってくれて、子どもの少ない親戚中で、歳が近い、遊び相手。

大人ぶった日々を思い出して、たばこに火をつけた。たばこのケースを弄ぶ左手に、男の手が触れた。それが慣れた温度だったので、ちらりと目をやるに留めた。

「ごめん、待った?」

「あと一分遅ければ帰ってたわ」

「はは、そっか」

片手を軽く上げて、男はマスターにアプリコットフィズを頼んだ。それを睥睨へいげいして、つん、と口を尖らせた。モヒートを煽る。空になったグラスをふらふら弄んでいると、へらりと笑って男は問いかける。

「君は?」

「······ワインクーラー」

隣の男はたばこを吸わない。吐息には有害な煙は含まれない。彼に染み込んだ匂いは煙いものではなく、通い慣れたカフェのコーヒーの香ばしさ。むかつく。へらへらした顔も、あたたかい手も、何より、こんな奴に惚れてしまった自分自身に。たばこ辞めたら? なんて言わなくてもよいのだ。たとえ値上がっても私は辞めない。そうね、子どもが出来たら考えるわ。

彼に、私の煙を吹き掛けた。彼の昼間の、カフェの匂いを消すように。


コーヒーの匂いは、たばこの匂いに似ている気がする。

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