そして裏の世界へ

「ねえグッチ、本当にいいの?」


「いいっていいって、遠慮すんな。俺もさ、昔はヤンチャしてたからね。君みたいな年頃には、しょっちゅう親と喧嘩してたよ。家出なんか、月に一度くらいはやってたな」


 にこやかな表情で、明彦は答える。Tシャツにデニムパンツという格好で、髪は少し長めだ。均整の取れた筋肉質の体と端正な顔立ちは、否応なしに関心を引くだろう。ちなみにグッチとは、彼のハンドルネームである。

 明彦の前には、茶色の髪に派手な化粧の女が座っていた。いわゆる「ギャル系」のタレントに似た顔立ちで、メイクの仕方も似通っている。露出の高い服装で、年齢は若い。女というより娘といった方が正確かもしれない。二十四歳の明彦よりは、確実に下の年代だ。

 そんなふたりは、駅前のファミリーレストランにいた。娘が両親と大喧嘩をして家を飛び出し、明彦に連絡してきたのである。

 明彦は、とりあえずこの店で待ち合わせることにした。


「とにかく、ウチにおいでよ。しばらく居ていいからさ。ほとぼりが冷めた頃、帰ればいいじゃん」


 明彦の言葉に、娘は頷く。

 やがて、ふたりは店を出た。車に乗り、国道沿いを走って行く。

 娘は楽しそうだった。もともと明彦とは、SNSを通じて何度も連絡をとっている。優しいイケメンのお兄さん、という印象だ。今のところ、体を求めて来る気配はない。万一、そんなことになっても……まあイケメンだから許す、という気分だった。

 しかし、娘はわかっていなかった。明彦が求めるのは、彼女との肉体関係ではない。体を求めてはいるのだが、その意味合いは娘の想像とは異なるものだった。




 数時間後、明彦はとある建物の地下室にいた。中世ヨーロッパの牢屋のような、奇妙な造りの部屋である。

 石造りのようなデザインの壁に覆われており、部屋の明かりは薄暗い。部屋の入口は、鉄格子に覆われた檻のような形状になっている。

 退廃的な雰囲気を醸し出す部屋の中央には、先ほどの娘が倒れていた。全裸にされ、口には猿ぐつわを噛まされ、両手両足は縛られている。顔の化粧は、涙ですっかり剥がれ落ちていた。

 娘の周りを囲むのは、三人の男だ。年齢も格好もまちまちであるが、共通点がひとつある。女を見下ろす目には、異様な輝きがあった。

 やがて、ひとりが娘に片手を伸ばす。もう一方の手には、肉切り包丁が握られていた。




 狂った饗宴を、少し離れた位置で見つめているのは明彦だ。スーツ姿で立っている姿は、高級ホテルの従業員のようである。

 一般人なら吐き気を催す場面も、今の彼にとっては日常のワンシーンでしかない。肉切り包丁が娘の体に突き刺さる様を、楽しそうに見ていた。


 ・・・


 高校生の時、ヤクザに拉致された明彦を救ったのはチンである。以来、チンとの付き合いは続いていた。

 最初のうちは、チンに対し警戒心を抱いていた。ヤクザですら怯ませる男だ。しかも、人間を片手で捻り殺せそうなボディーガードを連れている。いずれ、とんでもないことをさせられるのではないだろうか……などと不安を感じつつ付き合っていた。

 だが、その不安はだんだん消えていく。チンとの付き合いは、向こうから呼び出され、会って一緒に食事をしたりする程度だ。話す内容も、他愛のないものであった。ほとんどが、チンの質問に答えるというものである。

 やがて、チンに対する気持ちは変化していった。何せ、ヤクザから助けてくれた恩人だ。金もある。にもかかわらず、恩着せがましい態度がない。頼りになるお兄さん、という雰囲気だ。若い明彦は、彼に崇拝に近い念を抱くようになっていた。




 ある日、明彦はいつものようにチンからの呼び出しを受けた。何も考えず、ホイホイと出ていく。

 その日は、チンの自宅らしき場所に招かれた。行ってみると、あまりにも想像と違った雰囲気に拍子抜けしていた。広い庭にプールのあるような豪邸ではないか、と勝手に思い込んでいたのである。

 ところが、チンに招かれた家は、質素な木造の平屋であった。少しがっかりしながらも、中に入る。

 屋内を見た途端、明彦は唖然となった。床には畳が敷かれ、戸はふすまである。ちゃぶ台の上に湯のみが置かれた風景は、昭和の映画に登場する日本家屋そのものである。あまりにも期待外れだ。落胆に拍車がかかる。

 すると、チンはくすりと笑った。


「がっかりさせてしまったようだね」


「えっ、いや、そんなことありません!」


 明彦は慌てて否定した。だが、チンはにこやかな表情でウンウンと頷く。


「隠さなくてもいい。ここには、もっと君向きのものがある。さあ、こっちに来るんだ」


 言いながら、チンは奥の部屋に入っていく。明彦も後に続いた。

 その狭い部屋の中には、何もない。ただ、地下に通じる下り階段があるだけだ。異様な雰囲気に明彦が怯んでいたが、チンは無言で階段を降りていく。

 明彦は、付いていくしかなかった。




 地下室は、上とは完全に異なっていた。コンクリートの壁に、床には絨毯が敷かれている。やたら大きな画面のテレビが壁際に設置されており、テーブルとソファーがある。天井の明かりは暗すぎず眩しすぎず、目に優しく調整されている。

 もっとも、明彦の目にそんなものは入っていなかった。 


「これ、本物だよ。触ってみるかい」


 言いながら、チンが撫でているもの……それは、テーブルの上に置かれた奇妙な胸像だった。

 恐らく男性だろうが、その性別を一目で見分けるのは難しかった。髪の毛はなく、閉じた口は透明の糸で縫い付けられていた。眼球のあるはずの場所からは、人差し指が生えている。まるで、見る者を指差しているかのようだ。

 普通の人間から見れば、悪趣味な作り物としか思わないだろう。しかし、明彦にはわかっている。

 これは、本物の死体を加工したものだ──


 恐怖のあまり、明彦の全身は硬直していた。脳裏に、あの日の記憶が蘇る。人生を変えるきっかけになった光景。ふたりの男が、軽口を叩きながら人間を解体していた。

 動けなくなった明彦に、チンが近づいていく。


「初めて会った時から、俺にはわかっていたよ。君は、こういうのが好きなんだろう」


 違う、と言おうとした。だが、返事が出来なかった。さらに、胸像から目を離すことも出来ない。


「ほら、やっぱりそうだ。君は、人が死ぬのを見るのが大好きなんだ」


 チンが耳元で囁く。芸人にいそうなユニークな外見の彼だが、その顔はとてつもなく恐ろしい。

 その時になって、ようやく理解した。この男は、本当の狂人なのだ。ヤクザは、金が絡まなければ人を殺したりはしない。だが、チンは金にならなくても殺す。むしろ、殺すために金を払うだろう。なぜなら、殺人が好きで好きでたまらないからだ。

 そして自分も── 


「好きなんだろう。正直になるんだ」


 チンに手を引かれ、明彦はソファーに座る。すると、大型テレビのスイッチが入った。

 途端に、恐ろしいものが始まる──

 解剖台らしきものの上には、両手両足を繋がれ自由を奪われた女の姿があった。金切り声で、何やら叫び続けている。

 さらに、もうひとり映っている。エプロンのようなものを付けたチンだ。両手には、奇妙なものを持っている。ファンタジー映画にて悪役が持っている、巨大な斧のような武器だ。顔には、冷たい表情が浮かんでいた。

 次の瞬間、チンはカメラの方を向く。そのまま、斧を両手で振り上げた。

 一気に振り下ろす──

 獣のごとき声が響いた。女の悲鳴だ。その体には、斧の刃が突き刺さっている。

 一瞬遅れて、血液が吹き出してきた。しかし、チンは無視している。女を見ようともしない。カメラの方を向いたまま、再び斧を振り上げる。

 鈍い音、そして悲鳴。チンの振り下ろす斧は、女の体に食い込んでいる。流れる血の量も、どんどん増していく。それらが、CGやフェイクでないのは明らかだった。

 常人ならば、確実に目を逸らすであろう映像である。しかし、明彦は目を逸らさなかった。

 それどころか、明彦はクスクス笑い出していたのだ。映像のチンは、ずっとカメラ目線なのである。無表情でカメラの方を見ながら、なおも斧を振り下ろしている。一方、女はびくびく痙攣しているのだ。あまりに対照的である。その光景が、明彦にはシュール系のコントに見えていた。

 すると、チンが彼の肩を叩く。


「思った通り、君は俺と同類だ。合格だよ。俺の仕事を手伝ってくれたまえ」


 もはや、今のチンに逆らうことなど出来ない。明彦は、こくんと頷いた。


 ・・・


 それ以来、明彦はチンの忠実なる部下となった。反日感情が強く日本人を嫌っており、しかも人殺しが大好き……そんな異常者たちに、いけにえを用意する係である。他にもスタッフがいたが、彼らと話したことはなかった。

 明彦は最初、俺は違う、と思っていた。仕方なく、こいつらに合わせているだけだ……と。

 だが、すぐに己も同類であることに気づかされる。チンの開催する殺人ショーに立ち会ううち、明彦もまた魅入られていた。目の前で行われるのは、死体の解体とは違う。生きた人間の解体である。悲鳴が室内に響き渡り、血飛沫ちしぶきが飛び散る。

 そのショーを見る度、全身に形容の出来ない何かが走る。常人なら、見るだけで吐き気を催すはずの光景を、明彦は憑かれたような表情でじっと見つめる。


 俺は、もっと見たい。

 そして、もっと聞きたい。




 その日、明彦は女の後をつけていた。

 出会い系アプリにて、引っ掛けた女だ。顔もスタイルも、申し分なしである。いつもなら、じっくり時間をかけて獲物との関係を深めていくところだ。

 しかし、今回は急ぎの仕事であった。常連客のひとりに、この女の画像を見せた途端、えらく気に入ってしまったのだ。是非とも明日、ショーを開催して欲しいと言っている。

 あまりにも急な話だが、相手は常連さんである。断るわけもいかなかった。そうなると、少々荒っぽい手段を用いなくてはならない。

 おあつらえむきに、周囲は人気ひとけのない路地裏だ。明彦は数メートルの距離を空け、気配を殺し歩いていく。標的は、二十四歳の女だ。タンクトップにホットパンツという露出過多の格好である。化粧は濃いが、顔立ちは悪くない。体つきもしなやかであり、週二回から三回のジム通いを欠かしていない……という雰囲気を醸し出している。その美貌と肉体に対する自信が、服装のみならず歩く態度にも表れていた。

 あたりは暗く、もう午後十時を過ぎている。にもかかわらず、彼女は人通りのない路地裏を、警戒する素振りもなく歩いている。その視線は、手にしたスマホにだけ注がれていた。

 事前の情報通りだ。この女、周りが見えていないアホである。そのアホさかげんを、地獄で後悔するといい。明彦は、一気に間合いを詰めようとした。

 その瞬間、違和感を覚える。何か変だ。あまりにも静かすぎる。それ以前に、奴はこんな場所に何をしに来た?


 これは罠だ──


 気づくと同時に、すぐさま進行方向を変えようとする。だが、遅かった。


「ちょっとすみません」


 不意に、後ろから声をかけられた。明彦は、ハッとなり振り返る。

 そこには、スーツ姿の男がいた。それも三人。思わず顔をしかめる。やられたのだ。


「お話を聞きたいので、ちょっと署まで来てもらえませんか?」


 ひとりの男が、警察手帳を見せながら言った。明彦は、すました表情で頷く。


「ええ、構いませんよ」


 にこやかな表情で答えた。ここで、下手にごねると公務執行妨害を適用される可能性がある。ならば、素直に付いていった方がいい。

 今のところ、物的証拠は出ていないのだ。しかも、この状況は出来すぎている。恐らく、あの女と刑事はグルだろう。つまり、囮捜査だ。

 もし、この読みが当たっていれば、完全な違法捜査である。その点を突けば、すぐに釈放されるだろう。

 明彦は抵抗せず、そのまま逮捕された。





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