高校生活

 明彦は高校生になった。

 入ったのは、都内でも最低ランクの学校である。周りの生徒は、どうしようもないバカばかりだった。どこそこの中学では最強だっただの、喧嘩では負けたことがないだの、五人をひとりでブッ飛ばしただのと、クラスの中で聞かれもしないことをベラベラと吹聴していた。もちろん、みな口ばかりの連中である。

 そんな中、明彦は校内ではおとなしくしていた。制服は普通のものだし、髪を染めたりカバンを潰したりといったこともしない。そんなことをする必要がなかったのだ。



 当時、高校生の間では……校内で暴れる奴はバカだ、という風潮が広まっていた。実際、中途半端な者ほど校内で堂々とバカをやる。自分は悪いんだぞ、と周囲にアピールするためだ。挙げ句、一年生の時点で退学させられる者までいる。

 本当に危険な連中は、校内ではおとなしくしている。だが授業が終わり、町に一歩出ると変わる。すぐにオシャレな私服に着替え、繁華街に出ていく。仲間たちと共に、夜更けまでたむろするのだ。

 これは、数世代前の少年たちの間で流行した「チーマー」の流れをくんでいる。チーマーは、いわゆる昭和の「ツッパリ」や暴走族というスタイルをバカにしていた。リーゼントやパンチパーマから、長髪にピアスという格好に変わってきたのもチーマーからである。

 また高校単位でつるむのではなく、所属しているチームの仲間たちとつるむ。したがって、他の高校との横の繋がりを重視していた。同じ学校の者がやられたと聞いても動かないが、同じチームの者がやられたと聞いたら、皆が報復に動く。あるいは、都内に特有の不良文化なのかもしれない。

 明彦が高校生になった頃には、チーマーという存在自体は廃れていた。だが、そのスタイルは大きな影響を及ぼしている。町にも、そうした少年たちがたむろしていた。彼らにとって、校内の友人の数よりも、町で知り合いがどれだけいるが……そちらの方を重視していたのだ。

 町にたむろする少年たちの間で、明彦は有名人であった。どこそこのチンピラをぶっ飛ばしたとか、田舎の暴走族をひとりで潰したとか、そんな噂が広まっていく。いつのまにか明彦は、同年代の少年たちの間で伝説となりつつあった。

 もっとも、本人はそんなことは関係ない。明彦は、単純に悪夢から逃れるために暴れていたのである。彼は、あちこちで喧嘩に明け暮れた。不意打ちを食らわせて叩きのめし、戦況が悪いと見るや躊躇ためらうことなく逃げる。

 タバコやドラッグで不健康な不良少年と違い、明彦は運動神経に優れており足も早い。闘うにしろ逃げるにしろ、誰も歯が立たなかった。

 しかし、そんな生活は長く続かない。不良と呼ばれた少年の誰もが、いつかは天井に当たる。自分のやっていたことなど、しょせん子供の遊びだったことを思い知らされることになるのだ。

 ほとんどの場合、それは警察の手でもたらされる。警察という名の国家権力に直面した時、少年たちは本物の暴力の怖さを知る。逮捕され、たったひとりで刑事たちから取り調べを受けた時……初めて己の無力さに気づかされるのた。

 だが、時には別の者が天井の役割を果たすこともある。




 それは、突然の出来事だった。

 ある日、明彦は夜の町をひとり歩いていた。時間は十時を過ぎており、人気ひとけもない。

 いきなり車が走ってきた。歩いている明彦のすぐ横で止まる。同時に、ふたりの男が降りてきた。

 明彦は異変を感じ、すぐに動こうとした。が、遅かった。革のジャンパーを着た男が、ピタッと右隣に密着している。

 脇腹に、何か尖った物が当たっていた。刃物であることは間違いない。

 直後、もうひとりが左隣に来た。両サイドを、完全に押さえられ身動きが取れない。

 革ジャンの男が、左腕を明彦の肩を回してきた。直後、顔を近づける。


「野口明彦くんだよね。ちょっと来てもらえるかな」


 アクション映画なら、華麗なる動きでふたりを倒すのだろう。だが、脇腹に刃物を押し当てられた状態の明彦には、何の打つ手もない。肌に直接当たる刃物の感触は、拳銃を向けられるより怖いものだった。

 言われるがまま、車に乗り込むしかなかった。




「兄ちゃん、お前ちょっと調子に乗りすぎだよ。あのな、俺たちもナメられるわけにはいかねえんだよ。もうさ、ガキの喧嘩じゃ済まないとこに来ちまった」


 目の前では、中年男が淡々とした口調で語っている。

 明彦はというと、マンションの一室にある部屋の床に正座させられていた。さほど広くはなく、一見すると中小企業の事務所のようである。

 周囲には、三人の男がいる。ひとりはスキンヘッドの大柄な若者、もうひとりはトレーナーを着た細身の若者だ。

 そして明彦の目の前にいるのは、ブランド物のスーツを着た中年男である。肌は白く、病的な雰囲気を漂わせている。背はさほど高くない上に痩せているが、その目には冷ややかな殺意が浮かんでいた。この男がリーダー格なのだろう。

 もっとも、明彦にそんなことを考えている余裕などない。どうやら、この男たちの関係者をぶちのめしてしまったらしい。

 もちろん心当たりはある。ありすぎるくらいだ。一日に一度は人を殴っていた。人を殴らないと、眠ることが出来ないのだ。

 そのツケを、こんな形で払わされるとは──

 

「わかるよな。俺たちは、ヤクザなんだよ。お前らみたいなガキの喧嘩に、いちいち首突っ込みたくねえんだ。でもな、ウチの人間に手を出されたら、話は別だ。堅気のガキにナメられて、黙ってるわけにはいかねえんだわ。あんまり調子こいてっと、マジ埋めちまうよ」


 中年男は、ニヤリと笑う。その時、突然スキンヘッドが怒鳴った。


「ゴラァ! てめえ聞いてんのか! 兄貴が話してんだろうがよ!」


 言ったかと思うと、明彦を睨みつける。今にも殴りかかってきそうな雰囲気だ。

 すると、中年男が彼の肩を叩く。


「まあまあ、相手はガキだ。そんなに怖がらせるな。見ろ、今にも泣きそうな顔してんだろ。ビビリ過ぎて、クソでも漏らしたらどうすんだよ。後の掃除が面倒だろうが」


 そう言って、ゲラゲラ笑った。

 中年男の言うことは、まんざら外れてもいなかった。明彦は、完全に怯えていたのだ。喧嘩なら負けなしだったのに、抵抗すら出来ないまま拉致され、ここに来てしまった。

 今の状況は、あの時を思い出させる。幼い日に見た悪夢。生まれて初めて、死を意識した日。

 あの悪夢から逃れるため、ひたすら暴れてきた。これまで何人もの不良を叩きのめし、あの頃より確実に強くなった。自分は無敵だとさえ思っていた。

 だが、無敵などではない。本物の裏社会の住人を前にして、何も出来ない自分がいる。

 あの頃と、何も変わっていない──




 その時、事務所の扉が開く音がした。


「何してんの?」


 軽い口調だった。また、新手が来たのだろうか。明彦は、恐る恐る顔を上げる。

 入って来たのは、ヤクザらしからぬ風貌の男だった。身長はさほど大きくない。百六十センチ台だろうか。紺色のスーツ姿で、腹はかなり出ている。長めの黒髪と、異様な肌の白さが印象的だ。


「あっ、チンさん……いやね、こいつ調子こいてあっちこっちでハネ回ってたんですよ。挙げ句、ウチの売人までヤッちまいましてね。ちょっとこれから、シメるとこなんですよ」


 中年男は、明彦を指差しながら答える。先ほどまでの態度とは、明らかに変わっていた。怯えているような雰囲気が漂っている。


「ふーん、そう。つまらないことしてるね」


 チンと呼ばれた男は、小馬鹿にしたような口調で言った。すると、スキンヘッドの表情が変わる。


「はあ? あんたらに関係ないでしょ。引っ込んでてくださいよ」


「ん? 何? いいのかな、僕にそんなこと言って……」


 そう言って、チンはくすりと笑う。

 直後、もうひとりが入って来た。こちらは百八十センチを優に超えており、肩幅は広く胸板は分厚い。プロレスラーのように、筋肉の上に脂肪が乗っている体つきである。髪は黒く、肌の色は東洋系のそれに近い。だが顔の造りは濃く、日本人ではなさそうだ。

 その大男は、チンの横にピタリと立つ。冷酷な目で、ヤクザたちを見回した。

 ヤクザたちは、小山のような体格に呑まれ、思わず後ずさる。よく、喧嘩に体の大きさは関係ない……などと言う者がいるが、実際に巨大な男と向き合うと強烈なプレッシャーを感じる。これは、生物としての本能的な部分だろう。

 小さい人間が大きい人間と闘って勝つには、まず初めにこのプレッシャーを克服しなくてはならないのだ。ヤクザたちは、このプレッシャーを体で味わい完全に萎縮していた。

 そんな中、チンは涼しい顔で口を開く。


「君らもヤクザでしょ。ヤクザだったら、こんな子供なんか相手にしないでさ。もうちょっと金稼ぐこと考えようよ。ただでさえ、法律の締め付け厳しくなっているんだからさ」


 言った後、くすくす笑った。だが、ヤクザたちは何も言い返せない。額に汗を滲ませながら、その場に立っている。

 すると、チンは前に進んだ。明彦の前に立ち、しゃがみ込む。


「君、大丈夫?」


 優しい声だった。明彦は顔を上げる。

 裏の世界の人間には見えなかった。どちらかと言えば、お笑い芸人にいそうなタイプである。だが、この男をヤクザたちは恐れている。


「立ちなよ。家まで送っていくよ」


 その言葉に、明彦は唖然となった。自分は助かるのか? 無傷で出られるのか?

 しかし、ヤクザも黙っていない。中年男が口を出す。 

 

「ちょっと待ってくださいよ。このガキは、うちの売人を病院送りにしちまったんです。このまま帰らせるわけにはいかないんですよ」


「まあまあ、んなこと言わないでさ。天下の銀星会が、こんなザコ以下の少年をこれ以上いたぶっても、何も得しないよ。この少年は、ちょっとイキった挙げ句に銀星会にシメられた……それで幕引き。それでいいんじゃないの」


 言った後、今度は明彦の方を向いた。


「君もさ、わかったでしょう。もう二度と、銀星会の人たちにケンカを売るようなことはしないよね?」


 いきなり話を振られた明彦だったが、必死でウンウン頷く。この人が助けてくれるかも、その思いから、恥も外聞もなく言われることに同意していたのだ。

 その反応を見て、チンはにっこり微笑んだ。直後、ヤクザたちの方を向く。


「ほら、こう言ってるし。今回は俺に免じて、許してあげてよ。こんな少年をこれ以上いたぶっても、何もならないでしょ。むしろ、銀星会の恥になるんじゃないかな」


 言うと同時に、大男が前に出る。ヤクザたちは目を逸らした。

 一方、チンは明彦の手を握る。柔らかい手だった。促されるまま、明彦は立ち上がる。

 すると、チンは名刺を差し出してきた。明彦のズボンのポケットにいれる。


「俺の名前は、チン・シンザンだ。君の名前は?」


「あ、あの、野口明彦です」


「何かあったら、いつでも俺に連絡しな。とりあえず、これから飯でも食おうか」




 このチンは、頭のキレる男である。さらに、人を見る目も抜群だ。使える人間、有能な人間を見分ける能力には卓越したものがある。今回も、その能力が発揮された。一目で明彦の能力を見抜いたのだ。だからこそ、ヤクザたちから救い出した。

 まだ若い明彦は、自分を助けてくれたチンに絶大の信頼を寄せる。しかし、チンには別の顔もあった。裏の世界の住人からも、恐れられ忌み嫌われる一面がある。

 その別の顔を見てしまった時は、もう手遅れであった──


 




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