取り調べ(6)

「三番、調べだ」


 もはや聞き慣れた言葉である。明彦は、面倒くさそうな態度で立ち上がった。手錠をかけられ腰縄を巻かれた姿で、警察署内を歩いていく。




「おはよう」


 取り調べ室にいたのは、やはり日村であった。にこやかな表情で言葉を続ける。


「なんか、日に日にやつれていってるね。どんどん不健康になっていってる気がするよ」


「そうですね。はっきり言って、体調は良くないです。一回、病院で診てもらいたいですね」


 半分は皮肉だが、半分は本音であった。体重は計っていないものの、かなり痩せた気がする。何かの病気にかかっていたとしても、おかしくはない。

 すると、日村はくすりと笑った。


「病院で診てもらうのは、まだ早いな。取っといた方がいい」


「はい? どういう意味です?」


 怪訝な表情を浮かべる。取っといた方がいい、とはどういう意味だろう。


「今はね、病気の進行を放っておくんだ。君はいずれ、拘置所に移送される。その後、どうなるか……運が良ければ、無期懲役を言い渡されるかもしれない。その時点で、きっちり検査を受けるといい。重病になっていれば、即入院だ。刑の執行停止を狙える」


 なるほどと思った。刑の執行によって、著しく健康を害するとき、又は生命を保つことのできない虞がある時は刑の執行を停止することが出来る……と刑事訴訟法により定められている。刑の執行停止により、釈放されたケースもあると聞く。

 まさか、刑事かそんな知恵を授けてくれるとは思わなかった。


「何を言っているんですか?」


「これは、懲役太郎から聞いた裏技だよ。ちなみに懲役太郎ってのは、刑務所に何度も入っているような奴を指すスラングだ。まあ、この執行停止という処遇は、よほどのことがない限りは適用されないらしいけどね」


「そんなものを教えて、どうしようって言うんです?」


 一応は聞いてみたが、聞かなくても魂胆はわかっている。明彦の得になることを並べ立て、口を割らせようとしているのだろう。

 今の時代は、取り調べで暴力を用いることは許されない。暴言すら問題視されることもあるのだ。だからこそ、飴と鞭の使い方が重要な意味を持つ。

 日村は今、飴をちらつかせているのだ。お前の出方次第で、俺は味方にもなるよ……という意思表示である。


「はっきり言うよ。野口くん、俺は君が大嫌いだ。死刑になっても構わないと思っている。いや、むしろ死刑になってくれた方が嬉しい」


 険しい表情で言い放つ日村だったが、明彦は平静な顔で受け流した。


「そうですか。はっきり言って、僕もあんたが嫌いです」


「だろうな。しかしね、俺には君以上に嫌いな奴がいる。チン・シンザンとかいう中国人だ。そいつだけは、絶対に許せない。出来ることなら、この手で殺してやりたいよ。それも、じっくりと苦しめてね」


「へえ、警察がそんなこと言っていいんですかね」


 軽口を叩いたが、日村は無視して語り続ける。


「俺はね、チンさえ逮捕できれば何もいらない。そのためには、誰とでも手を組むつもりだ。君のようなクズが相手でも、だ」


 そこで、日村はニヤリと笑った。相も変わらず嫌な笑顔である。もはや見慣れてしまったものだ。


「なあ、今のうちに俺に協力しなよ。そうすれば、君が死刑にならないよう働きかけることが出来る。上手くいけば、有期刑で済むかもしれないんだよ」


「なるほど」


 相槌を打ちつつ、話に耳を傾ける。


「今、君の立場は最悪だ。まず、あの家は住所としての条件を満たしていない。定職にも就いていない。にもかかわらず、かなりの額の収入を得ているふしがある。つまり、君は住所不定無職だ。住所不定無職、これは犯罪者にもっとも多いパターンなんだよ。既に、検事も君に興味を示している。野口明彦の収入源は何なのか、にね」


 これは本当だろう。でなければ、軽犯罪法違反の容疑者に接見禁止など付けたりはしない。検察側も、明彦のことを重く見ているのだ。この日村のやりたい放題にも手を貸している。


「しかもだ、このままいけばチンは君を切り捨てる。全ての責任を、君に押し付ける。挙げ句の果てに、奴は逃げる。恐らく、中国に逃げるだろうね。このまま、奴だけに勝ち逃げさせていいのかい?」


 その時、明彦は口を開いた。


「有期刑になりますか?」


「ん? 今、何て言ったの?」


 眉間に皺を寄せる日村に、明彦は不敵な表情を向けて喋り続ける。


「証言すれば、僕は有期刑になるんですか? そう約束してくれるなら、証言しても構いません」


「それは、俺の口からは何とも言えないな。最終的には、判事さんが決めることだからね。まあ、確約は出来ない」


「なるほど。では、僕は何も言いません」


「ふーん。でもね、そんなことをしたら、損するのは君の方だよ。このままだと、君はやってもいない殺人事件の犯人に仕立てあげられるんだよ」


「構いませんよ」


 そう言った途端、日村の目が吊り上がる。


「何?」


「いいですよ。いざとなったら、死刑にされても構いません。このまま、ずっと閉じ込められ、うだうだと取り調べを受けるくらいなら、さっさと死刑になります。どうせ、人間いつかは死ぬんですからね」


 明彦は、一気に語った。

 昨日から、ずっと考えていたのだ。こうなった以上、取り引きしかない。そのためには、一か八かの賭けに出る必要がある。死刑か、あるいは取り引きしての有期刑か。

 だが、明彦にはわかっている。この男は、乗って来るはずだ。なぜかは不明だが、日村はチンを逮捕することに、異様なまでの執念を燃やしている。恐らくは、個人的な恨みがあるのだろう。

 ならば、そこに付け込むしかない。


「君は、自分が何を言っているかわかっていないようだな」


 日村の表情は険しくなっていた。予想外の展開に、腹を立てているらしい。


「わかっていますよ。このままだと、僕は確実に死刑になるでしょう。ただ、そうなるとあなたもチンを逮捕することが出来なくなる。それでいいんですか?」


「俺は、どちらでもいいんだよ。君を連続殺人事件の犯人として逮捕できれば、こっちにはプラスになる。確実な点数になってくれるからね。言いたくなければ、言わなくても構わないよ。君が損するだけだから」


 鋭い表情で言い放つ日村。だが、これは嘘だ。明彦は、すました表情で言葉を返す。


「いいえ、損するのはあなたでしょう。僕みたいな人間を、こうまでしつこく取り調べる理由……それは、僕以外にチンに繋がる手がかりがないからですよね」


「ほう、そうくるのかい。確かに、俺はチンを逮捕したいよ。だがね、捕まえられなきゃ仕方ないとも思っている。そうなれば、俺は君を殺人犯として逮捕できるからね」


「それで、あなたは納得できるのですか?」


「どういう意味だい?」


 日村の表情が、さらに険しくなった。だが、明彦は怯まない。なにせ、命がかかっているのだ。この程度で引いてはいられない。


「聞いているのはこっちですよ。確かに、このままだと僕は連続殺人犯で死刑になるかもしれない。ですが、あなたはそれでは納得できないでしょう。真犯人が野放しになるわけですからね」


 すると、日村はふうと溜息を吐いた。明彦から目を逸らし、天井を睨みつける。

 ややあって、こちらを向いた。先ほどまでとは、雰囲気が変わっている。


「俺は、君を甘く見ていたらしいな。確かに、俺はチンを逮捕したい。どんな手を使ってもね。ただ、このままだと、奴は中国に逃げ帰るだろう」


「いいえ、奴は逃げられません。少なくとも、中国には帰れないんですよ」


「なぜ、そう言いきれる?」


「簡単です。奴は、中国に帰れば確実に殺されます。中国では、あいつは賞金首なんですよ。中国警察は、チンを逮捕したがっています。逮捕されれば、死刑は間違いありません。華僑の連中にいたっては、殺したいと思っている人間が大勢います。だから、今のあいつは日本を動けないのですよ」


 その時、日村の顔つきが変わった。これは演技ではない。こちらの投げた撒き餌に反応している。食いつきたくて、うずうずしているのだ。


「やけに詳しいね。それは本当かい?」


 平静を装い、余裕の表情で聞いてきた。だが、これこそが演技だ。日村は、こちらの投げた餌に食いついた。

 しかし、明彦は気付かぬふりをして答える。


「ええ、恐らく本当だと思いますよ。なにせ、本人から聞きましたから。僕は、こう見えても奴とはかなり近い位置にいました。あいつを逮捕できるくらいのネタは握っているんです」


「だったら、今すぐにそのネタを提供して欲しいね」


 日村は、身を乗り出してきた。その体はプルプル震えている。これは、もちろん恐怖によるものではない。武者震いだ。この男は、今すぐ明彦を殴り倒してネタを吐かせたいのだろう。かろうじて刑事としての自覚とプライドが、その衝動を押さえ付けている。


「いいえ、まだです。先ほども言った通り、確実に有期刑になるよう便宜を図ってください。それも、十年以下の刑でね。できれば執行猶予といきたいですが、さすがにそこまでの無理は言いませんよ。とにかく十年以下の有期刑なら、捜査に協力しますよ。チンを逮捕できます」


 言った途端、日村の目が細くなった。怒りを押さえているのは明らかだ。どうにか作り笑いを浮かべつつ、口を開いた。


「それはどうかな。刑は、俺が決めるわけじゃないからね」


「ええ、それはわかります。でもね、俺の罪名を決めることは出来るでしょう」


「はあ?」


 日村の声音が変わった。露骨に不快そうな表情を向けて来ている。今までとは違う態度だ。明彦の方は、静かな口調で語り出す。


「僕は証言をします。その代わり、起訴する罪はスタンガン所持の軽犯罪法違反に留める。それくらいは出来ますよね」


「それは無理だ。これだけ大掛かりな犯罪にかかわっていて、軽犯罪法違反では済ませられない」


 確かに無理だろう。それは承知している。だが、明彦はぷいと横を向いた。


「だったら、僕は協力できないですね」


「あのね、上の人間を動かすには、動かすだけのものが必要だ。軽犯罪法違反の容疑者の証言では、上は信用してくれない。チンの身近で仕事をしていた人間の証言でないとね。そのためには、君の罪についてもはっきりさせなくてはならないんだよ」


「そうですか」


 答えると、不意に日村が顔を近づけてきた。


「君は、組織の内情をどの程度まで把握しているんだ? まずは、そこから教えてくれよ。でないと、何も出来ない」


「教えられませんね。僕に何のメリットもないですから」


「メリットはあるよ。君が、組織でどの程度の位置にいるのかがわかる。それが確認できれば、上の人間にも君のことを進言できるからね。このメリットを、よく考えてみるんだ」




 昼食の時間になり、明彦は独房に帰された。いつもと全く同じメニューである。美味くもないパンを口に入れ、水で流し込んだ。

 今のところは、全て上手くいっている。日村もまた、こちらの申し出について考えているだろう。先ほどの反応から見るに、チンの逮捕に繋がる手がかりは、今のところ自分しかいないらしい。

 日村は、上の連中の説得に動くだろう。となれば、こちらは説得に必要な材料を与える。検察が、取り引きに応じざるを得ないような材料をちらつかせる。

 では、どのカードから切っていくかを考えよう。




「三番、調べだ」


 声とともに、鍵の音が聞こえてきた。明彦は体を起こし、立ち上がる。手錠をかけられ腰縄を巻かれ、取り調べ室へと向かった。

 取り調べ室には、先ほどと同じく日村が座っていた。今までとは違う表情を浮かべている。明彦が椅子に座ると同時に喋り出した。


「君の申し出についてだがね、さすがに無理があるよ。ここまで大がかりな犯罪にかかわっておいて、十年以下は不可能だ」


「じゃあ、何年になるんです?」


「死刑にはならない。約束できそうなのは、そこまでだ」


「じゃあ、何も喋りません」


「そう言うなよ。考えてみるんだ。このままだと、死刑の可能性が高い。運が良くて無期だ。しかも、君がこのまま何も喋らず無期になった場合、仮釈放はつかない可能性が高い」


 それは知らなかった。どういう事情か聞いてみたい。


「はあ? なぜですか?」


「世間を騒がせるような犯罪の場合、仮釈放はつかないケースが多いんだよ。最近はネットの影響もあり、特に顕著になっている。それが理由のひとつだ」


 これは聞いたことがある。昨今はネットにより、厳罰化を求める者たちの声が可視化されやすくなってきている。それが全てではないだろうが、一因であることに間違いない。


「もうひとつは、仮釈放の条件だ。受刑者の仮釈放を決定できるのは、地方更生保護委員会だよ。彼らが、悔悟の情及び改善更生の意欲があり、再び犯罪をする恐れがないと判断した場合に仮釈放の可能性が出てくる。ところがだ、何も喋らない場合は、悔悟の情なしと見なされるんだ」


 言い終えた日村は、どうだとでも言わんばかりの表情でこちらを見ている。


「へえ、そうなんですか。さすが刑事だけあって詳しいですね。たいしたもんだ」


 お世辞であるが、半分は本音だ。


「そうさ。俺が相手をするのは、君みたいな人ばかりだ。刑法だけでなく、刑務所に入ってからの事情も知らないと、取り引きが出来ないからね」


「なるほど。容疑者は罪を認めて、さっさと喋った方が得なんですね」


「そうだよ。実際、こんなケースがある。覚醒剤の使用と所持で捕まった男がいた。ところが、彼は覚醒剤など見たこともない、自分はハメられたんだ……と無罪を主張した。最高裁まで争ったものの、却下され一年半の実刑を受けた。そんな彼は、初犯にもかかわらず仮釈放はもらえなかった。罪を認めなかった態度が、反省の情なしと判断されたんだね。さっさと罪を認めていれば、仮釈放で早く出られたんだよ」


 日村は得意げに語っている。これは、犯罪者から仕入れた知識だろう。

 留置場には、面倒見と呼ばれるシステムがある。取り調べが終わった容疑者は、やがて拘置所に移送される。それまでは、退屈な留置場で過ごさなくてはならない。

 その退屈を紛らわせることが出来るのが面倒見だ。刑事が取り調べ室に容疑者を呼び、菓子やジュースやタバコなどをふるまう。そして、様々な情報を聞き出すのだ。 

 今、日村が語ったような話は、直接は役立たないが間接的に使えるネタである。容疑者に自供を促すには、ピッタリだ。


「では、僕は刑事さんに協力するしかないんですね」


「まあ、決めるのは君だよ。ただ、協力した方が得なのは間違いない。刑は確実に軽くなる」


「最低でも有期刑です。それは譲れません」


「わかった。難しいが、何とかしてみよう」


「何とかしてみよう、だけじゃ駄目です。ちゃんと書面にて約束してください」


 言った途端に、日村は苦笑した。


「おいおい、そんなの無理に決まってるだろう。日本では、司法取り引きは認められてないんだ。書面で約束するなんて出来ない」


「じゃあ、どうするんです? 口約束だけですか?」


「それしかないね。俺を信用してもらうしかない」


「それこそ無理ですよ。別件逮捕という違法捜査をするような人間を、どうやって信用しろって言うんです?」


 明彦の言葉に、日村の目つきが変わった。じろりと睨みつける。


「言ってくれるねえ。だが、口約束しかないんだよ。書面にするのは不可能だ。万が一、それがマスコミにでも知られたら、俺の首が飛ぶ」


「だったら、何か考えてくださいよ。僕の立場も考えてください。あなたを信用してベラヘラ喋ったはいいが、後は知らん顔されたら、たまんないですからね。僕は、そういうケースを今までたくさん見聞きしてきました。だから、保証となるものが欲しいんですよ」


「保証か。まあ、それについては考えていこう。それより、これだけは聞かせてくれ。君は、奴らが女の子を殺すのを目撃したのか?」


 今にも身を乗り出してきそうな勢いである。明彦は、すました顔で頷いた。


「しました。それだけじゃない。死体を始末した場所も知ってます。ただ、業者が定期的に来て掃除してましたからね。多分、髪の毛一本すら落ちてないと思いますよ」


「なるほど。では、それを検事の前で話せるかい?」


「いいえ、話しません。保証が先です。有期刑になるという保証なしでは、これ以上は何も話しません」


「わかった。まずは、保証をどうするか上と話してみるよ。ただし、君も腹を括るんだ。いいね?」


「はい」



 やがて夕食の時間になり、明彦は独房へと帰された。

 夕食を食べ終えた後、明彦は寝転がった。今後の展開について考えてみる。

 日村は、見事に餌に食いついてきた。後は、カードを切る順番が重要になってくる。とにかく、今は時間を稼ぐのだ。

 その稼いだ時間内に、次の手を考える。

  




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