小学生日記(2)

 明彦らの生まれ育った場所は、いわゆる下町だった。一応は都内であるはずなのだが……治安が良いとは、お世辞にも言えないような場所だ。

 住人からして、スーツ姿のサラリーマンよりブルーカラーの人間が圧倒的に多い。しかも、気の荒いタイプがほとんどである。見習いをすぐにブン殴る大工の棟梁、客と喧嘩になり中華包丁を振り回し警官に連行される料理人、工具で殴り合いを始める工員などが、当たり前のように生活している。失業者の数も、他の地域とは比較にならない。犯罪発生率にいたっては、都内でもトップクラスである。

 実際、夏になると上半身裸の日雇い労働者や工員などが路上をうろついていた。また、その格好でスーパーに買い物に来ていたりもする。

 刺青の入った体など、小学生の段階で見慣れていた。何せ、近所の銭湯に行けば四人にひとりくらいの割合で龍や虎や般若はんにゃといった彫り物を背中に背負う男たちが、体を洗っているのだ。もちろん現代と違い、刺青お断りなどという規則はない。

 夜になると、路地裏で怪しげな取り引きが行われることもあった。明彦や健一たちも、そこで何をやっているのか、漠然とではあるが理解していたのだ。

 かと思うと、ワンカップ片手に、真昼間から下半身を丸出しにして徘徊するホームレスが定期的に出没していたりもした。そんな時、明彦と健一はゲラゲラ笑いながら跡をついて行ったものだ。普段は人々から完璧に無視されている彼らが、己に注目してもらう最終手段としてその方法を選んだのかもしれない……ということに思い至ったのは、成人してからである。当時は、愉快な見世物として見ていた。

 公園に行けば、リーゼントやパンチパーマの中学生や高校生が、集団でたむろしタバコを吸いながらしゃがみ込み、何やら大声で喋っている。明彦や健一らは、仲良くなった不良学生からタバコを吸わせてもらい「タバコ吸ったぜ。俺たち、今日から不良だよ」などと、笑いながら言い合っていた。

 そんな不良学生同士の喧嘩もまた、日常茶飯事である。


「てめえら、どこ中だ!」


「はあ? 関係ねえだろザコが! 知りたきゃ情報料払えバカ!」


「んだとゴラァ! てめえ死にてえらしいな! 今のうちに霊柩車呼んどけや!」


 そんなことを大声で言い合い、殴り合う光景はしょっちゅうだった。明彦と健一と正和は、物陰に隠れドキドキしながら見物したものである。プロレスや格闘技の試合を観るような感覚だろうか。

 しかし、そんなのはまだマシだった。当時の明彦たちは、自分の住んでいる町に潜む裏の顔を知らなかった。それは、まさに異世界への入口……そう、この町には別の世界への入口があったのだ。




 小学校のチャイムが鳴り、四時間目の授業が終わる。と同時に、明彦と健一の目が光った。いよいよ給食の時間である。その日の給食は、瓶の牛乳と揚げパンとカレー汁、それに野菜サラダとプリンだ。

 全員分の配食か終わり、クラスの皆が席に着いていた。明彦と健一は、少し離れた席でじっと睨み合っている。今日もまた、ふたりは闘うのだ。


「では、いただきます」


 日直の号令と共に、クラス全員が給食を食べ始める。明彦と健一もまた、凄まじい勢いで食べ始めた──


「やったぞ! 俺の勝ちだ!」


 いきなり立ち上がったのは明彦だ。彼は食べ終わり、すぐさま余ったプリンを取りに行く。そう、今日はひとり欠席していたのだ。そのため、プリンや揚げパンはひとつ余ることになる。一番先に食べ終えた者が、好きなものをお代わりできるのだ。

 明彦はすぐさま前に行き、プリンを取る。遅れて前に出たのは健一だ。悔しそうに、明彦の手にしたプリンを見つめる。


「フォッフォッフォッ……カトケン、今回は俺の勝ちだな」


 プリンをトロフィーのごとく掲げ、おどけた感じで勝ち誇る明彦。健一は、悔しそうに地団駄を踏む。


「くそう、牛乳のふた開けるのに手間取ったよ」


 ちなみに正和はというと、まだ食べていた。彼は大食いではあるが、早食いは得意ではない。食べる早さでは、このふたりには敵わなかった。もっとも、食べる量を競わせたら彼の勝ちは確定である。

 



 やがて、六時間目の授業が終わる。

 明彦は、まっすぐ家に帰った。ランドセルを家に置くと、すぐさま秘密基地の倉庫跡へと向かう。鉄条網の柵を乗り越え、敷地内へと侵入していく。

 建物内に入ってみると、まだ誰も来ていなかった。明彦は、隠しておいた駄菓子のバードチップルの袋を取り出す。ここは外と違い、口うるさい大人はいない。叱りつける親も教師もいない。自分たちは自由だ。好きなことを何でも出来る。

 そう、この秘密基地は彼ら三人だけの聖域サンクチュアリなのだ──

 

 遅れること十分、健一も入って来た。どっかと床に座り込むと、バードチップルの袋に手を伸ばした。

 ポリポリと食べている健一を見ながら、明彦が口を開く。


「なあカトケン、六年の武田タケダだけどよ、最近ちょっとウザくねえか?」


「ああ、ウゼえな。六年てことで、ちょっとは顔を立ててたけどよ、そろそろシメちまった方がいいかもな」


 武田とは、六年生でもっとも喧嘩が強いと言われている少年だ。体が大きく、腕力も強い。態度も横柄であった。よその学校の生徒から、カツ上げをしていたという噂も聞いている。

 そんな武田は、以前から健一と何度かやり合いそうになっている。今までは小競り合いの段階で終わっていたが、健一はそれで済ませる気はない。本気で決着をつけるつもりでいたのだ。この少年は、妙に正義感が強い上に意外と根に持つタイプである。過去に武田のしてきたことが、今もって許せないのだ。


「お前、ひとりであいつに勝てるか? 何なら、俺も手伝うぞ」

 

 明彦が尋ねると、健一は拳を突き出して見せる。


「何言ってんだよ。ふたりがかりで勝ったら意味ねえだろ。俺ひとりでやってやるよ」


 そう、健一は密かに鍛えていたのだ。いつか武田とやり合う時のため、ボクシング漫画やカンフー映画などで観た練習方法を参考にしてトレーニングしていた。明彦も、彼のトレーニングに付き合うことがあった。健一の強さはわかっている。

 それでも、相手は六年生だ。小学生の時の一年の違いは、結構な差となって現れるものなのだ。


「本当に、ひとりで大丈夫か?」


 念を押す明彦に、健一はムッとした表情になる。


「さっきからしつこいぞ。大丈夫だって言ってんだろうが。なんなら、武田の前にお前からやっちまうそ」


「わかったわかった。悪かったよ。ごめんごめん」


 妙にあっさりと謝る明彦。彼らしくない態度だ。健一はさらに何か言いかけたが、タイミングよく正和が入って来た。


「おーい、おいしん棒、いっぱい買ってきたよ……って、どしたの?」


 殺伐とした空気を感じたのか、心配そうにふたりを見る。


「別にどうもしないよ。いいところに来てくれた。ふたりに、大事な話があるんだ」


 そこで、明彦は真剣な表情になった。


「なあ、三丁目のボロい空き家あるじゃん。でっかくて、きったなくて、ヤバそうな家」


「ああ、あるな」


 何の気無しに健一が答えると、明彦はとんでもないことを言ってきた。


「夜、あそこにオバケが出るらしいんだよ。みんなで、ちょっと行ってみないか?」


「えっ……」


 健一は、顔をしかめている。明彦の言っているボロい空き家とは、町外れにある一軒家のことだ。

 かつては金持ちの一家が住んでいたらしいが、家の持ち主である中年男が妻と息子を滅多刺しにした後、首を吊った……といういわくつきの場所である。事件から数年が経っていたが、未だにそのままの形で残されていた。屋敷は広く、二階建てだ。中には、高級な家具がまだ放置されているらしい。夜中になると妙な物音がするとか、夜中に人影を見たとか、妙な噂が絶えなかった。


「んだよカトケン、お前もしかしてビビってんのかよ?」


 明彦にからかわれ、健一はカチンときたらしい。血相を変える。


「は、はあ!? ビビってるわけねえじゃん! だいたい、オバケなんかいるわけねえんだよ!」


 そう、健一は幽霊やオカルトじみた話が大嫌いだった。学校で、そんな話をしている連中をブン殴ったこともある。理不尽な話だが、クラス内で彼に逆らえる者など、明彦くらいしかいなかったのだ。以来、このクラスでは、健一の前で幽霊の話はタブーとなってしまった。

 そんな彼の動揺する様を見て、明彦はにやりと笑う。


「だったら、怖くねえよな。行こうぜ」


 そう言った後、正和の方を向いた。


「もちろん、マッちゃんも行くよなあ?」


「う、うん。もちろん行くよ」


 正和は、愛想笑いを浮かべながら答えた。彼はもともとイジメられっ子であり、明彦と健一に助けてもらったことに恩義を感じている。ふたりが行くといえば、行かないわけにはいかないのだ。

 その後、明彦はすぐさま計画を立てた。夜中の零時に、家を抜け出して集合する。その後、町外れの空き家へと侵入し探検する。自分たちが入った証明として、三人の名前を書いてくる。さらに、中にあった高そうな物を戦利品として持ち帰る。

 はっきりいえば、計画などと呼べるようなものではない。だが、三人は真剣だった。空き家の探検……それは、明彦たちにとって大きな意味を持っていた。

 明彦と健一は、特に成績が良いわけではない。むしろ、学業は底辺であった。教師たちから褒められるようなことなど、一切していない。もっともクラス内では大きな顔をしており、ケンカの強さはクラスでもツートップであった。

 だからこそ、クラスにいる一般の同級生たちに真似の出来ないことをする必要がある。彼らに何が出来るかといえば、体を張って皆が驚くようなことをやらかすしかない。

 その上、明彦と健一はライバル関係にあった。かつて二度ケンカをしたが、二度とも決着はついていない。いずれも、取っ組み合っている最中に教師が止めに入ったのだ。今では、お互いの強さや行動力を認める仲である。

 だが同時に、こいつには負けたくないという感情もあった。明彦が行くのに、健一が行かない……などと言うことは出来ない。

 もし彼らが今の時代に生まれていたら、バカなことをしでかしてはSNSで拡散するような少年になっていただろう。だが幸か不幸か、当時は今ほどネットは発達していなかった。




 彼らは、この後に待ち受けるものについて何もわかっていなかった。

 やんちゃな子供に有りがちな冒険心により、この町に潜む裏の顔を見ることになる。普通に生きていたら、絶対に見ることの出来ないもの。見る必要のないもの。一度見てしまったら、もう二度と元の世界には戻れないものだった。




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