第弐章 第漆節:精巧なる物
何気ない会話をしながら一颯達はどんどん、町の方から離れていく。
その間にも、一颯の行く先々で燃える蒼い炎は、あたかもこちらを見ろとそう主張しているかのようであった。
肌をちりちりと焼く熱気も、木々や建物を包む蒼い炎もすべて幻だと断言できたのは、みことの存在が非常に大きい。彼女の目には相変わらず、蒼い炎も怪異も見えていない。
そうして一颯は「ここでいいだろう」と、立ち止まった。
人気はもちろん、草木や建物さえもない。荒野と呼ぶに相応しい場所を選んだのも、もちろんちゃんとした理由がある。
怪異は蒼いことさえ除けば、炎を操る異能を持つ。これだけでも十分すぎるぐらい脅威なのは確かだが、周囲に可燃物がないのであれば、少なくとも注意すべきは怪異のみとなる。
「ここなら思いっきり戦えそうですね」
「それについてなんだが、みこと。こっから先は俺の仕事だ、お前は少し……いや、かなり離れておけ」
「え? ど、どうしてですか!?」と、みことが食い下がった。
「お前、俺との契約――“
「…………」
細川みことの実力を考慮して、一颯の見解では彼女のポテンシャルは決して低くはない。
実務経験さえ詰めばきっと、いい【
「いいな? 絶対に余計なことはするなよ?」
「……わかりました」と、そう素直に従うみことだったが、彼女の顔には明確な不満の
「……さてと」と、一颯はくるりと踵を返した。
わずかに遅れて「あっ……!」と、みことが驚愕した様子で声をあげる。
「お前もどうやらも見えるようになったらしいな」
「は、はい……あ、あれが怪異の、姿……」
これまでの怪異は、一颯に対して妖艶な笑みばかりを浮かべていた。
露わになっているのは怒り……それも燃え盛る業火の如き、憤怒の
七つの赤い目には明確な殺意が宿り、もれる吐息は獣のように酷く荒々しい。
「なるほど、どうやら向こうも俺のことを殺る気満々みたいだな」
一颯はゆっくりと、愛刀を鞘からすらりと抜いた。
ほのかに水色を帯びる独特な輝きを有する刀身は、
「――、ワ タ シ ヲ ミ テ ク レ ナ イ ナ ン テ …… ソ ン ナ ヒ ト イ ラ ナ イ !」
怪異のけたたましい咆哮が辺り一帯に反響した。
人間はおろか獣とも言い難い。例えるならば、まるで蟲のよう。とにもかくにも、この不快感極まりない音にはさしもの一颯も眉間に強くシワを寄せた。
特に耐性のないみことは「き、気持ち悪い……」と、彼女の端正な顔からは見る見るうちに血色が失われていく。
がくり、と力なく座り込んだみことに、一颯も介抱のために駆け寄ろうとする意志だけはあったが、それを怪異が許さない。
蒼い炎がごうと唸りをあげて一颯へと襲い掛かった。
「ッ! みこと呆けるな! しっかり気を持て!」
「……へ? あっ……!」
一颯が蒼い炎を咄嗟に回避したのは、直感によるものだった。
幻であるはずの蒼い炎だったが、今回はいつもと違う。
現実であると直感した一颯は、ポケットから出したハンカチを燻る火種の中へと放り投げる。
次の瞬間、ハンカチはたちまち蒼い炎によって跡形もなく焼失した。
これは、紛れもなく本物の炎だ。一颯はそう判断した。
「こ、これ本物の炎です……って、熱い!」と、騒ぎ立てるみことも、炎の熱気によって我に返ったらしい。
「こうやって、今までの奴らを焼き殺してきたってわけか。なかなかえぐい殺し方するじゃないか、おい」
「ど、どうするんですか!? か、勝ち目はあるんです……よね?」
「もちろんだ!」
一颯の力強い言葉に嘘偽りや、迷いはまったくない。
一颯は地を蹴った。
怪異との距離はおよそ8m前後といったところ。
間合いへ詰めるのには少々遠く、もちろん敵手からの迎撃は必然だ。
怪異には、蒼い炎という最大の武器がある。
対象を燃やすと言う、聞けば大変シンプルな
どれだけの距離があろうと、怪異の異能にはその概念が存在しない。
対する一颯は日本刀……つまりは白兵戦で、どうしても間合いを縮めることが必要不可欠である。
傍から見ればどちらが有利であるかは、あえて確認するまでもなかろう。
戦況や個々の技量……それらを差し引いたとしても、近距離と遠距離とではどちらが有利かなど火を見るよりも明らかだと言えよう。
怪異がどれだけ蒼い炎を放とうとも、一陣の疾風と化した一颯を捉えるには敵わず。
すべて虚しく空を切き、ついに一颯の刃は怪異を捉えた。
下から上へ、天をも切り裂かんばかりの強烈な
けたたましい断末魔が青空へと昇り、程なくして静寂が訪れる。
「終わったぞ」と、一颯はみことに声を掛けた。
「も、もう終わったんですか……?」と、呆気に取られた様子のみこと。
彼女がそう思うのも、戦ってからまだ三分と経っていないのだから無理もあるまい。
しかし実際、一颯の足元には怪異だったものが無造作に転がっている。
股下から頭頂部に掛けて一直線に両断されたのだから、当然生きているはずがない。
如何に怪異であろうと、急所は人体と差ほど大差はなく、つまりは心臓と頭部両方を破壊されてもまだ生きているようならば、今頃日本は壊滅していたやもしれぬ。
血払いして納刀する傍らでふと「なんだこれは……?」と、一颯はそれをひょいと拾った。
怪異は討伐されれば基本、跡形もなく黒い塵となって消滅する。
怪異も元々は霊魂なので、死骸が残ることはまずありえない。
「一颯さん、その人形は……?」と、みことが興味深そうに尋ねた。
「さぁな。怪異のところに落ちていたんだよ」
「でも、この人形……よくできてますね。これ、私知ってます。多分スーパードルフィーってやつですよきっと」
「スーパードルフィー?」と、一颯は繰り返し尋ねた。
「一颯さん知らないんですか? ざっくり言いますと、超ウルトラすごい人形ってことです」
「……全然わからないんだけど」
みことの説明があまりにも雑すぎるため、一颯は自分のスマホで調べることにした。
「これだな」と、狭い液晶画面に羅哲する文字に一颯は目を通していく。
程なくして「……マジでか?」と、一颯は心底驚いた。
「嘘じゃないですよ」と、返したみことの言葉さえも一颯には嘘のようにしか思えなかったのは、スーパードルフィーの価格が彼の予想を遥かに上回っていたからに他ならない。
たかが、人形だ。造りこそ精巧だが値段はそれほどするまい。
一颯の中にあったこの考えも、10万円以上という値段の前には呆気なく砕け散った。
スーパードルフィーは、これまでの球体関節人形とは訳が違う。
精巧な作りなのはもちろんなのだが、各シチュエーションに応じた衣装から小道具のバリエーションの豊富さに、実際に化粧をしたりと他とは一線を画す代物なのだ。
「いやいやいや、たかが人形だろ……フルカスタムとかなんとかで10万円以上するとか、これぼったくりじゃないのか?」と、一颯は訝しんだ。
しかしそんな彼にみことは小さく首を横に振って「私の友達持ってますよ」と、さらりと告げた事実に一颯を更に驚かせる。
「え? お前の友達……高校生なのに10万円以上もする人形――」
「スーオアードルフィーです」
「……スーパードルフィーを持ってるって言うのか?」
「そりゃあ【聖オルトリンデ女学院】に通えるぐらいなんですよ? 私の家よりもずっとお金持ちの子って結構多いんですから」
「マジか……」
「でも、それ言ったら一颯さんの方がもっと高い買い物ばっかりしてませんか?」
今度はみことが、一颯を訝し気に見やった。
「え?」と、素っ頓狂な声をもらす一颯。
「一颯さんの刀とか、明らかにスーパードルフィーより高いですよね?」
「それは、まぁ……そう、だな」
みことの言い分は極めて正論だから、一颯も否定せずに素直に肯定した。
一颯の愛刀、
つい最近になってようやくローンを返済し終えたばかりだが、
「じゃあ、そんなに驚くこともないんじゃないですか?」
「まぁ、な……。だけど、用途によるだろ?」
無趣味というわけではないが、大抵を自宅でのんびりとすごしているので貯金はどっちかと言えば溜まりやすい方だった。
それ故に何故娯楽に10万円以上も費やせるのか、一颯はそれが不思議でどうしても理解できなかった。
それはさておき。
「でも、どうしてスーパードルフィーが?」
「それは俺にわからん。だけど、何かしらの意味がある、それだけは確実だ」
「この服装……さっきの怪異とまったく同じ服装ですもんね」
スーパードルフィーの出で立ちは、今しがた退治した怪異と瓜二つで、唯一の相違点は顔ぐらいであろう。両断された状態でも、端正でかわいらしい顔は未だ健在だった。
「――、とりあえずこいつは証拠品として持ち帰るとしよう。何かわかるかもしれないし」
「そうですね。だけど……」と、みことはそこで言葉を濁した。
彼女が何を言わんとしたかは、一颯もなんとなくながらも察しがついていた。
これでもう新たに焼死体が出ることは、確かになくなった。
手柄と言えばもちろんそうだし、みことが貢献した考察力も然り。
しかし、今回の一件は【現代の神隠し事件】とはなんら関連性がない。
一颯のみならず、世間が今総力をあげて解決すべきは【現代の神隠し事件】の方だ。
ぐずぐずはしていられない……! 一颯は丁寧にスーパードルフィーを回収すると、その場から離れた。
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