第弐章:まぼろしお七
第弐章 第壱節:蒼い炎
本日は珍しくどんよりとした曇天で、現在の一颯の心情をまるで表したような空模様だった。
【現代の神隠し事件】の所為で町全体からは活気が徐々に失われつつある。
一颯がなんとなく、そんな曖昧な理由から訪れたB沢公園も、かつての活気はない。
半年前までは老若男女問わず、数多くの利用者で賑わっていたし、県一大きな公園ということでテレビでも紹介されたぐらいの実績がある。
今日は休日、時刻は午前10時前であるが公園の利用者は皆無であった。
ついさっきまでは、の話で現在は「面倒だな……」と、一颯はもそりと呟いた。
視線の先、サラリーマン風の男がいた。
彼も公園の利用者なのだろう、そう思った矢先のこと。
突然取り出したスマホで激しく狼狽した様子のサラリーマンが電話した相手は「も、もしもし!? 消防車ですか!?」と、消防局であった。
火事を目撃したのならば、消防局にすぐさま通報するのは当然の義務である。
ただし、火災が本当に発生していた場合にのみ限る話で、サラリーマンの男のように不審火も何もないにも関わらず通報するのは、迷惑行為そのものでしかない。
「おいアンタ、何やってるんだよ!」
「あっ! き、君いきなり何をするんだ!?」
「あ、もしもし? 消防局でしょうか? 先程の通報はこちら側の見間違いです……はい、本当に申し訳ありませんでした」
「き、君!? 私のスマホを返したまえ!」と、サラリーマンの男がスマホを奪い取ろうとしたので、一颯は素直に差し出した。
元より彼に盗るつもりなど更々ないのだが、今のやり取りでどうやらサラリーマンの男は、一颯は泥棒か何かだと認識してしまったらしい。
一颯を見やる視線には、明確な敵意が宿っていた。
「き、君は自分が何をしているのかわかっているのか!? か、火事が起きてるんだぞ!」
「またですか……」と、一颯は呆れた様子で大きな溜息を吐いた。
「火事なんかどこにも起きてませんよ。いいからどうか落ち着いてください」
一颯が指摘するように、火災はどこにも起きていない。
どんよりとした曇り空なので、陰湿な気が満ちているのは確かだが、公園そのものは至って平和である。
だが、サラリーマンの男はそんな一颯に対して強く反論した。
「火事なんて起きていないだって? 君の眼は節穴か! そこのトイレが激しく燃えているだろう!」
男が指差したのは、ごくごく普通の公衆トイレ。
あえて言うならば、外にあるトイレなので少々汚いぐらいなものだろう。
よっぽど緊急を要しない限り、極力利用を避けたいと思う公衆トイレだが、サラリーマンの男が言うように火の手は一切上がっていない。
「あなたこそ大丈夫ですか? 火なんてどこにもないですよ?」
「そんなはずはない!」
「……じゃあ、これでどうです?」と、一颯。
トイレの方に自ら近付く彼を「き、危険だ戻ってこい!」とサラリーマンの男は叫んだ。
「いやいや、大丈夫ですから……」
「なっ……!?」
「だから言ったでしょ、最初からどこにも火事なんか起きていないって」
五体満足であることをアピールするように、一颯は手をひらひらと振った。
そこにおずおずと、サラリーマンの男が一颯の身体に触れる。
ベタベタと、その手つきはしっかりと確認するように。
しかし、当事者である一颯の顔には色濃い嫌悪感が滲んでいた。何が嬉しくて中年男性に身体をべたべたと触れられなければならないのか、一颯はすこぶる本気でそう愚痴を心中にてもらした。
「ど……どこも燃えて、いない……」
「だから火事なんて最初から起きてないんですよ。それなのに消防局に通報しようとするから……」
ここ最近、火災による通報が救急よりもずっと多く上回った。
そんなに火事が連続して発生するものなのか、とこう疑問視する者は少なくはない。
事実、これまでにあった通報はそのほとんどが悪質ないたずらとして処理されている。
あたかも、本当に火事があったかのような通報内容に、いざ現場へ急行すれば、頓珍漢なことを喚く通報者がいるだけ。しかし、通報した当事者は一様にして、
そして決まって、通報があった翌日には焼死体が発見されている。
「――、とにかく火事はどこにも起きていませんので、あなたも妙な通報は止めておいた方がいいですよ? それでもまだ、あなたはどこか燃えているというつもりですか?」
「あ、あれ? ど、どこも燃えていない……?」
「だから燃えてないって言ったじゃないですか……。幻覚を見てしまうぐらい、疲れてるんですよきっと。今日はせっかくの休日なんだし、家でゴロゴロして休んだ方がいいんじゃないですか?」
「……そ、そうだな」
サラリーマンの男はそれから、とぼとぼとした足取りで去っていった。
再び一人きりになったところで、一颯は改めて公衆トイレの方を見やる。
公衆トイレは、依然として変わった様子はない。
「まったく、この怪異もなかなか厄介な相手だな……」
一颯はもそりと、忌々しそうに呟いた。
先日から連日のように、悪質な通報が消防局に相次いでいる。
共通点は
「死体は全員、通報した奴ばっかり……怪異の奴は、いったい何がしたいんだ?」
怪異の目的は、生者への復讐……もとい嫉妬による八つ当たりと、栄養補給のための魂の捕食だ。
怪異に魂を喰われた死体は、主に急性心不全として処理される。
酷いものとなると、猟奇殺人だがこっちの
「なんの理由があってわざわざ焼死体にするのか……これが謎だな。とりあえず、周囲を調べてみるとするか」
まだ何か、証拠があるかもしれない。そう判断した一颯が公衆トイレへ入ろうとしたのと、ほぼ同時。
「なっ……!」
突如、肌をちりちりと焼く熱気が一颯を襲った。
熱の発生源は彼のすぐ後ろからで、バッと振り返った一颯は目の当たりにした光景に目をぎょっと丸くする。
「蒼い、炎……!?」
これまで数多くの犠牲者が目にしてきた蒼い炎が、自動販売機を包んでいる。
外的要因でもない限り、いきなり発火するなどありえない。
今回は、外的要因がはっきりとしていた。
あれが、例の奴か……!? 一颯の視界には、一人の女が佇んでいた。
サラリーマンの男以外に人の気配は皆無であったし、仮にもし誰か来訪したとしても気配ですぐに気付く。その女は音も気配もなく、忽然と姿を一颯の前に見せた。
彼女が……怪異に性別の概念はないが、容姿は完全に人間の
赤と青という派手な配色の着物に黒い下駄。その珍しい出で立ちが霞んでしまうぐらい、怪異の七つの赤き目がぎょろりとうごめく。
怪異は、その七つの赤き目で一颯のことをジッと見つめていた。
何か仕掛けるわけでもなし、ただ静観する怪異に一颯もまた目が離せない。
「蒼い炎といい、この熱といい……幻覚じゃなかったのか!?」
一颯は得物である大刀を鞘から抜き放った。
幸い、B沢公園に人の気配はない。怪異を仕留めるならば今こそが好機なのは確かだ。
しかしこの時、一颯にはある疑問が脳裏に浮かんでいた。
なんで怪異の奴がこんな朝早くに活動をしてるんだ……? 主な活動時間は夕刻からであるのに、こうも活発に活動する怪異は極めて稀な
いずれにせよ、怪異は怪異。討伐しない道理はない。
一颯が地を蹴ろうとした、それとほぼ同じタイミングで「あ、待て!」と、制止する一颯を嘲笑うかのように怪異は彼の前から逃走を図った。怪異の身体能力は現代アスリートよりも遥か上で、ぴょんぴょんと軽やかに木々を跳躍する様は、
「くそ、逃がすかよ!」と、一颯も負けじと追いかける。
とは言え、如何に彼が優れた【
どんどん両者の距離は離れていき、ついに「くそが……」と、怪異は悪態を吐く一颯からの逃走に成功した。
恐るべき身体能力の高さに戦慄する間もなく、一颯は急いでさっきの場所へと戻る。自販機は怪異が燃やしたままで、消火していない。幸い周囲に燃え移るような可燃物はないにせよ、何が起きるかわからないのが人生だ。
「あー! こんなところにいたんですね!」と、ポニーテールをした女子高生がぱたぱたとやってきた。ただしかわいらしい顔は彼に対する明確な不満と怒りが色濃く示されている。
「もう、調査するんだったらこの私もきちんと誘ってくださいよ! 私抜きで抜け駆けするなんて、それってどうかと思います」
「み、みこと……。そ、そうだ――おいみこと、今あそこの自販機があるだろ? 何か変わったことはないか?」
「え? ……特に、何もないですけど」
きょとんと小首をひねるみこと。
「……消えてる」
「え?」
「……例の
蒼い炎に包まれていた自動販売機は、いつものようにそこで佇んでいた。
「一颯さん、大丈夫ですか……?」
「……あぁ、特に問題はない。でも、何かしらの原因で怪異に目をつけられたのは確かだな」
すっかり鎮火した……否、はじめから火災などなかった自動販売機を見やり、一颯はその場を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます