第壱章 第参節:不審火

 天候は穏やかそのものであるのに、ここ太安京たいあんきょうの町並みは真逆に不穏な空気が漂っている。

 道行く人々の活気はなくて、何かに怯えたような面持ちですらある。



「なんだか、町の様子がいつもと比べてくらいですよね……」

「そりゃそうだろう」と、一颯はあっけらかんと答えた。



 今この瞬間にも、どこかで誰かが行方不明となっている。

 そのターゲットが次は自分なのかもしれない、とこう考えれば人々が恐怖するのは至極当然の反応だと言えよう。明日は我が身、周囲への警戒はやがて疑心に変わり冷静な思考を剥奪する――怪異が活動するのに、これほど整った好条件はない。


 幸いなのは、怪異は夕刻から夜の間にしか活動できないことだろう。



「【現代の神隠し事件】があってから下校時間も早まったし、多くの学校が集団下校するように対応してますよね」

「実際、お前ぐらいの歳の子供が行方不明になってるんだ。そりゃしないとPTAとか教育委員会、親御さんが黙ってないからな。それに世論調査だと、この半年間で全体的に残業日数が減ったっていう会社も多いらしいぞ」

「へぇ~そうなんですね。でも自営業をしてる一颯さんには関係のない話ですよね!」

「……お前、今さりげなく俺のこと馬鹿にしただろ?」

「し、してません! してませんってば! ほ、本当です信じてください!」



 慌てて否定するみことを、一颯はじろりと鋭い眼光を浴びせた。

 不意に遠くから、けたたましいサイレンが鳴り響く。


 どこかで火事でもあったのか……? 何台もの消防車が慌ただしい様子で走り去っていく。


 程なくしてサイレンがぴたりと止んだ。かなり近場らしく、一颯とみことは何気なしに消防車の後を追った。というのも火事ならば黒煙の一つでも上がっていいはずいなのだが、清々しいまでの青空にそれらしきものは見当たらない。



「もしかして、非火災かもしれないな」

「非火災?」と、みことが不可思議そうに小首をひねった。

「非火災って言うのは、実際には火事が起きてないのに誤作動か何かで警報を鳴らしてしまうことだ。これは別に怪奇現象でもなんでもなくて、実際に起こることだからな」

「じゃあ、怪異の仕業じゃないのに現場に行くんですか?」

「一応だ。どんなことでも、一見すれば無関係でしかないことが事件に大きく繋がる可能性もあり得る」

「なるほど、勉強になります」



 案の定、消防車が停車した周辺で火災らしきものは一つもなかった。

 唯一一颯の想像との相違点は、火災報知器の誤作動の類ではないということ。

 消防士にこっぴどく叱られている中年の男性が、このボヤ騒ぎの原因らしく。酔っぱらっている様子は皆無であるが、真っ赤にした顔は酷い興奮状態にあった。



「本当なんだ! 俺、あの家が燃えてるところを見たんだって!」

「ですが、どこにも火は出ていませんよ?」

「嘘じゃない! 奇妙な女が蒼い炎・・・で家を燃やしたのを俺は確かにこの目で見たんだよ!」

「……おい、ちょっと警察にも電話してくれ」と、消防士の言わんとしていることは、男の麻薬使用を疑っている。



 彼らの言い分も一颯はわからないでもなかった。

 なにせ先程から男の証言はすべて支離滅裂である。

 薬物による幻覚症状と錯乱状態だと思われても無理もなかろう。

 常識的に考察すれば、誰しもが消防士と同じだろうが一颯は違う。



「一颯さん、どう思いますか?」と、尋ねるみことに、

「恐らくだが、あの男は白だ――嘘の証言はしていないと思う」と、一颯ははっきりと返答した。

「どうしてそう思うんですか?」

「あの男が異常なことを言っている、と思うのならそれはお前がまだこっち側の人間じゃないって証だ。俺のような奴はあらゆることを疑ってかかる」

「そういうものなんですか?」

「そういうもんだ――男の表情や目の動き、呂律なんかを見る限り薬物使用の可能性は極めて低い。だから恐らくあの男は、本当にことを言っている」



 消防車が退散して、男が一人ぽつんと取り残された。

 さっきのやり取りですっかり意気消沈した面持ちで、時折もれる深い溜息が哀愁を誘う。

 そんな彼に一颯は、ゆっくりと歩み寄った。



「すいません、ほんの少しだけお時間いただいてもよろしいでしょうか?」

「ん? なんだね君は……」と、つい数分前までの勢いはもはや皆無である男は、一颯に対してあからさまに警戒している。

「いえ、あなたがあまりにも落ち込んでおられましたので、何かあったのかと思いお声を掛けさせてもらいました」

「……ふん、どうせお前だって俺を嘘吐き呼ばわりするんだろ?」

「それについてですが、いったい何があったのですか? あなたは蒼い炎が見えた……と仰っていましたけど」

「いいよどうせ。どこにも火事はなかったんだ……俺の見間違いなんだろうよ」

「――、あなたも見たのですか?」と、一颯の発言にみことが怪訝な眼差しを彼の方にやった。

「え? 一颯さん――」と、彼女が言葉を発するよりも先に一颯は目配せする。



 頼むから余計なことは言ってくれるなよ? すべては調査のため、時には嘘を吐く必要もある。


 今が正にその時なのだ。彼女の性格は、愚直すぎるぐらい根がまっすぐであり嘘を吐くのが苦手とこの数日間でよくよく知った一颯は、みことを無言の圧で黙らせた。



「お、おいアンタ。今、なんて言った?」

「……お恥ずかしい話、実は私もつい最近奇妙なものが見える様になったんですよ。それこそ、あなたが言った蒼い炎・・・とかも」

「ほ、本当か……? じゃ、じゃあやっぱり俺は見間違えたわけじゃないんだな!」

「そう、思います。ですので情報共有というわけではありませんが、いったい何を見たのか教えてくれませんか?」

「あ、あぁ!」と、男の顔には生気が戻っていく。



 一颯は、蒼い炎・・・など一度も見たことがない。

 だが、情報のためにあえて嘘を吐いた。相手の気持ちに寄り添うように接すれば、おのずと相手も心を開く。今回は蒼い炎・・・が、男の心を解放するキーワードだった。



「それで、何を見たんですか?」

「あ、あぁ。ついさっきだけど、たまたまこの辺りを通っていたらさ。あの赤い屋根の建物から突然蒼い炎・・・が燃え上がったんだ。すっごい勢いでボウボウ燃えて、こりゃやばいってことで通報したんだよ」

「なるほど……俺とそこは大差ない感じですね。だけどあなた、さっき奇妙な女・・・・がどうこうって言ってませんでしたか?」

「アンタは見たことがないのか?」と、男が小首をひねる。

「俺は見たことがないですね。蒼い炎・・・だけです」と、一颯も即座に返す。

「……奇妙な女・・・・って言うのは、派手な着物を着ていて、ニタニタとした顔がもう気持ち悪くてな。それで俺にまるで見せつけるように蒼い炎・・・を手から出して家を燃やしやがったんだよ」

「……派手な着物を着た女、ですか」

「……とにかく、アレが俺の見間違えとかじゃなかったら幽霊とかの類か? 勘弁してくれよまったく……」



 男は、自分でも口にしたように心霊などの類が苦手なのだろう。

 大柄な見かけによらず怖がりなところがどこかかわいらしい。

「さてと……」と、男と別れてから一颯はとある一軒家へと向かった。

 赤い屋根をしたその建物は、今しがた男が証言した例の家である。

 何か痕跡があるやもしれぬ、が敷地内に入ることはもちろん【衛府人えふびと】であっても住居不法侵入罪が適用されてしまうので、容易ではない。慎重にことを進めることが必要不可欠であり、そう言う意味で一颯はこの時はじめて、みことの存在を便利に感じた。



「見張りをしろってことですね! 了解です!」



 当の本人はすこぶる乗り気である。



「よしっ、それじゃあ……」



 一颯は周辺をくまなく調べた。

 建物自体に異変は特になし。どこにでもありそうな、ごく普通の一軒家。

 中の住人は外出中なのだろう。人の気配が皆無である。



「特にこれと言って怪しいところはないな……燃えていたとあの男は言っていたが、特に異変もない。やっぱりあの男の見間違いか何かだったのか、それとも……」

「一颯さん、どうですか?」

「……とりあえず、特になんの収穫もなしだ。【現代の神隠し事件】への関連性も恐らくないだろう」



 屋根の上からひらりと飛び降りる一颯に「おぉっ!」と、みことが感嘆の声をあげた。



「私も剣術やってますけど、どうすればそんな風にアクロバティックに動けるんですか?」

「どうやって言われてもな……修練しまくるしかないんじゃないか?」

「う~ん、やっぱりそれしかないのかなぁ。女の子で剣術って映えないからって、稽古サボってた時もあったし」

「そのまま家で大人しくしてろよ」

「それは、駄目! 絶対に美香子を探すんだから!」

「はぁ……」



 一颯とみことは、その場を後にした。

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