忘れ物の多い私の話をします

東妻 蛍

第1話

「……ランドセルを忘れて帰ってきた?」

「ごめんなさい」

「更ちゃん、あなた何しに学校に行ってるの」

 母の怒りも心配も、もっともなことだと思う。私はとにかく忘れ物が多い。忘れるというか、するりと頭から抜け落ちてしまうことがしょっちゅうある。例えそれがどんなに大切なものであったとしても。つい先日はそろばん教室に行くのにそろばんを忘れて行った。そして今、学校帰りに遊びに行った友人の家にランドセルを忘れてきて怒られているところだ。

 ピンポーン。チャイムの音で母親からの視線がようやく私から逸れた。もちろん自分が悪いのは分かっているのだが、詰問されている時間は居心地が良くない。母親がインターホンの通話ボタンを押すよりも早く、ドアの向こうからよく知った声が聞こえた。

「更ちゃん、持ってきたよー」

「みさおちゃん! ありがとー!」

 母を押し退けて玄関のドアを開けると、先ほどまで遊んでいた親友が私のランドセルを持って困ったような笑顔を浮かべて立っていた。

「なんでこれしか持ってきてないのに忘れるかなぁ」

「みさおちゃんと喋るの楽しくて。門限来ちゃったから急いでたら忘れちゃった……」

「もう、更ちゃんは私がいないとダメだなあ」

 そんなふうに笑い合っている親友と私を見て、母はため息を一つ吐いて、「みさおちゃん。こんな子だけど、よろしくね」と親友へ頭を下げた。

 それから数年経っても、相変わらず私の忘れ物と失くし物は後をたたなかった。毎日使っていた鉛筆も、雨が降るというから持ってきた傘も、大事に使うようにと厳命されていたスマートフォンも、私にかかればすぐにどこかへ行ってしまう。その度に幼い頃からの大親友が助けてくれるのだ。そそっかしい私のことなど、両親も含めて多くの人が見捨ててしまったというのに。

 鉛筆を忘れても、親友は「しょうがないなあ」と言って貸してくれた。失くした時は後日「落ちていた」と言って手渡してくれた。スマートフォンを失くした時は、わざわざ最後に私が使っていたのを見たというショッピングモールまで見に行ってくれたらしい。傘を忘れることはしょっちゅうなので、毎回「傘、忘れてる」と声を掛けてくれる。そんな親切で優しい、私の大好きな親友。みさおちゃん。ずっとこんな日々が続くと思っていた。だけれども。


 ある放課後。いつものように親友の家で遊んでいる時に、偶然私はソレを見つけてしまった。

「あれ、これ……」

「……ああ! それ、この前拾ったの。更ちゃんのだよね。渡さなきゃと思ってたのに、ごめんね」

「いや……ありがとう……」

 ソレは、私の亡くなった祖母にもらった大切な巾着袋。それこそ失くさないように、『一度も家から持ち出したことがない』ものだった。だからこそ、これを拾おうと思ったら、私の部屋から直接持ち出すしかない。親友が、なんのために?

 違和感を抱いてから、彼女の行動を思い返してみた。改めて考えてみると、さすがにおかしくないかと感じてくる。生来の忘れっぽさを加味しても、彼女が絡んだ時に私の意識から、自分の所持品のことがするりと抜けてしまっている気がする。そして彼女の口癖を思い出した。「私がいないとダメだなあ」という言葉……まさか、依存させようとしてる?

 なんのためなのかは分からない。しかし背筋が凍るような思いがした。このままでは、いつまでたっても私は「頭のおかしい子」で、彼女はそんな可哀想な子に親切にする「いい子」として扱われる。……まさか、彼女の狙いは、それ?


 気づいてしまってからは、もう彼女と一緒にいることはできなかった。しかしすぐに離れることは簡単ではない。何を信じていいのか分からなくなった私は、部屋から出ることができなくなった。先生からの評価も、学友たちからの信用も、どれをとっても彼女の方が上で。私の両親ですら、自分の子供である私よりも彼女のことを信頼している。引きこもりを続けている期間、両親が何度も彼女に相談している声が聞こえてきた。違うの、そいつのせいで私は外に出られないの。しかしそんなことを主張しても、両親は私の言葉など聞き入れてくれなかった。

 だが、ある日転機が訪れた。遠くに住んでいた親戚が、私の様子を案じて環境を変えることを提案してくれたのだ。彼女から物理的に遠く離れて親戚の家で暮らしている間、私の忘れ物は劇的に減っていた。完全になくなったわけではなかったので、やはり生来のそそっかしさもあったらしいが。とにかく、ようやく「普通」に過ごせる日々がやってきたのだ。通信制の高校を卒業し、数年遅れで大学に通い、小さな企業で事務員として働けるようにもなった。通勤には電車を利用している。電車に傘を置き忘れることは今でも何度かあるが、自分で対処できるようになった。

 そんなある日のこと。もう失くさなくなったスマートフォンを弄りながらいつものように電車を待っていた私の背後から、遥か遠くに置いてきた彼女の声が聴こえた、ような気がした。

「ひどいなあ。私のことも『忘れ』ちゃったの?」

 悪寒が走った。振り返ろうとした瞬間、背中に強い衝撃を感じて、ホームから落ちそうになる。そして、そんな私の手を引っ張りあげる、彼女の腕。

「全く、更は私がいないとダメなんだから」

 ニンマリと笑う彼女――操(みさお)の、私の腕をへし折りそうなほど力を込められた手の体温は、突き飛ばされた時に感じた熱によく似ていた。ああ、捕まった。

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