砂塵と氷雪

豆桜

第1話 寡黙な案内人

 いったい、ここはどこなのか。どこまで歩いて来たのか。

皆目検討もつかないまま、檜皮ひわだ色のローブとマントを何枚も重ね着した案内人は白とも灰色とも分からなくなる程の猛吹雪の中でもずんずんと歩いていく。

私は深い雪の中で緩慢に足を動かしながら何度か転び、幾度となく襲ってくる眠気に必死で抵抗し、自分の頬を叩く。

 

歩みを進めながら、私はこれまでの出来事を振り返っていた。

 

 つい三日前までは砂塵が吹き荒れる中を歩いていた。

岩陰でキャンプを張っては夜の寒さをしのぎ、火の番を交代しながら休み、曙光の刻から歩き始める。昼間は熱く、九陽がた大地には草一本生えていなかった。

その日々を幾度となく繰り返しては、疲労困憊の身体に鞭打ってここまで進んで来た。

 

 砂地を抜け、ようやっと小さな村で一晩の宿を借りることにした。


到着したのは夕暮れ時だったが、遥か砂地の淵に青い山々の稜線が確認できる。

もうすぐ山岳地帯へと入る場所なのだろう。

久しぶりに屋根のある部屋とベッドで休めることに感動し、砂と汗でこびり付いた髪の毛と垢を丁寧に石鹸と水で洗い流す。

その夜は温かく柔らかい綿毛布ブランケットにくるまり、泥のように眠りに落ちた。

 

翌朝、宿一階の食堂では朝食が用意されていた。

「東から来た方のお口に合うかどうか…」と心配する女主人の前で

私は手を合わせてから一口、また一口と夢中で食べる。

おそらく複数の香辛料スパイスを使ったのであろう。不思議ながらも味わい深い食事ばかりだ。

ダール料理が主だが、芋や鶏肉も入っている。

片っ端から平らげる私を見て、彼女はあんぐりと口を開けつつ安堵した表情を浮かべていた。

 

 宿代に金貨を一枚差し出すと、女主人はこんなにいただけませんと慌てふためいた。結局、白銅貨数枚で話がついた。

「申し遅れた。私はジルべドゥ。魔術を生業としている。何か困ったことはないか?」

と訊くと、食堂に居た数名の者たちが一斉にこちらを向いた。


調査隊長。サジドと呼ばれた青年が、何か言いにくそうに目線を落としている。

彫りの深い顔つきに精悍な体躯。おそらくこの付近の警らの役割も兼ねているのだろう。腰からは幅広の剣を提げていた。銀糸を織り込んだヒルトや鞘の様子を見るに、日頃からよく手入れされているのが分かる。

「些細なことでもよい。ここまでしっかりした食事と寝床を提供してくれた礼に、何かしたい。…次はいつ来られるか分からぬ。」

ようやっと決心がついたのか、サジドが円卓テーブルの上に地図を広げ、ぽつぽつと話しはじめた。彼が指し示したのは山へと続く道の途中。

「水源はここに。しかし、湧き水の勢いがある年を境に減少しています。

今はさほど深刻な状況ではないのですが、現地を調べても、何も分からず…私達も途方に暮れております。」

 

 ああ、やはり影響か。


 現場の泉へ赴き、水脈に呼び掛けるまじないを施す。

祈祷を捧げ、懐に入れた藍玉アクアマリンにそっと触れる。

程なくして、泉がかつての姿を取り戻した。

川は歌い方を思い出したようにせせらぎ、街中のあらゆる場所へ。有るべき場所へ、水が満たされていく。

同行した者達が、私に一体どんな絡繰りなのかと尋ねる。困惑する者。歓喜する者。

ありがとうございますと何度も頭を垂れるサジドと、急ぎ追いついた村長をなんとか相手にしていると、

どこからともなく、すい、と案内人が現れ、荷物を纏めておけと言い残し、村へと戻って行った。

私達は市場でできる限りの物資を補給し、すぐに村を後にした。

 


 さて、危うく走馬灯が見えかけたところで私は無意識に頬を叩いた。

こちらの様子に気が付いたのか、案内人がこちらを振り返り、フードの下にある顔をしかめる。


ーその名はクレス。


最初に出会ったのは、私の住んでいた国から程近い、中央諸国の平原地帯にある街だった。

城壁にぐるりと囲まれた石畳の街で、屋根は様々な色の塗料で彩られている。

世界各地から品揃えも全く違う商隊が集まる宿場町でもある。

市場は常に賑わい、わざわざ遠方から買い付けに来る収集家コレクターも多い。

鉱石通ストリークりと呼ばれる道の片隅にある商店で、店番をしていたのがクレスだ。「いらっしゃい」と、あまりにも細く声を発したもので、私は自分に声をかけられたのだと認識するまでに少々時間を要した。

白茶色のローブを跳ね上げ、まだ幼いのかー小柄な体を素早く動かすと私のすぐそばまで来てささやいた。

「お客様、藍玉アクアマリンをお探しでしょう。それもの」

展示棚に据え付けた箱から、おもむろに宝石を差し出す。

長い睫毛に縁取られた眼でこちらを見上げ、目の前で掲げてみせる。掌に収まるくらいの美しく磨き上げられた、透明で、深くあおい宝石。

私が「これだ」と返事をするよりも前に、手早く石を布に包んで此方こちらへ寄越す。

「お待ちしておりました、ジルべドゥ様」

私は目を見開いた。

「何故私の名前を知っている?」

クレスはその問いには答えず、菫青色アイオライトの瞳をしばたかせ、ひんやりとした声色で、ただ一言だけこう言った。

「水龍が逃げた、と聞きましたので」


何だ、この子は…


と、その時店主が戻り、私とクレスの様子を見るなり慌てて頭を下げる。

何か粗相はございませんでしたか、こいつは少々不躾なもので、と申し訳なさそうに。

「いえ、私が素敵な品々に見入ってしまったのです。この子に応対してもらっていただけで何も謝ることはありませんよ。」

私がそう言うと、店主はほっと胸を撫で下ろした。そして私に向き直る。

黒縞瑪瑙オニキス色の瞳と髪…、東部の方とお見受けします。本日はどのような御用向きで?」

「ああ、いや…」

私が横にちらりと視線をやると、いつの間にかクレスは座っていた場所へ戻り、通りを眺めていた。










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