短編集

能村竜之介

抗呪術エンジニアの仕事

 呪われた。駒井こまいがそう確信したのは、自分のものではない長い髪が排水溝に詰まっているのを見つけたときだった。


 彼女のショートボブより二倍は長い。一人暮らしで、先日ばっさりと髪を切ったものの、それから今までに何度も掃除しているので、こんなものがあるのは絶対におかしい。


 だけど、呪われたからってどうすればいいか分からなかった。そんな経験ないし、警察に行っても笑われておしまいなのがオチだ。


 そうと分かっていても、なぜだか苛ついてばかりで、しまいには会社で「元気がなくなったね」と言われてしまい、あっけなく心が折れた。


 そうして、交番に来た。夏の狭く過度な冷房が利くその部屋の中には、ただ沈黙だけがあった。


「言いにくいことですか?」


 間に耐えかねたか、中年の警官が顔のしわを深くした。


「いえ、その……」


「痴漢とか、露出とか?」


 遠慮なく言う彼に、やや嫌悪感を感じた。だが嫌いになると同時に『コイツになら笑われてもいいか』と踏ん切りもついた。


「私、呪われてるんです」


「あぁ?」


「ですから、呪い。呪術か、幽霊かは分からないですけど」


 さあ笑え。駒井はそう構えたが、中年の警官はクスりとも笑わなかった。


「呪いねえ。そういうのウチの管轄じゃないんですよ」


「ああ……。そう、ですよね」


 予想外の方向に正論を言われてしまい、彼女の顔へとんでもない熱が襲ってきた。


「あの、じゃあ、えっと」


 取り繕う言葉が出るより先に、警官が白い用紙を名刺大に破って、ペンを走らせ差し出した。そこには、電話番号が書いてあった。


「はいこれ。電話あるよね?」


「え? これって」


「なんつったかな。反……いや、対? 忘れたけど、呪術エンジニアって言うのは覚えてる」


「………………はい?」


 思わず聞き返してしまった。しかし警官は、さも当然のように話を進める。


「呪いとか、そういうのを専門にしてるって。お寺みたいなもんじゃない? っていうかさぁ、最近、本当多いんだよね、そういう管轄外の相談って言うかな。ゴキブリがとか、送り迎えとか。うちは、便利屋じゃないの。分かります?」


「…………はぁ……」


 面倒くさい説教が始まったようだが、駒井にはどうでも良くなっていた。


 そんなもの、調べても出てこなかった。


 その後も話を聞いてみたが、警察署の方から呪いに関する通報はこの番号に回せと言う通達があったとか、それくらいしか分からなかった。少なくとも、詐欺ではないのだろう。


 ならばと電話をし、場所と時間を指定し、喫茶で待つこと三十分。


「やあ。どうもどうも」


 来たのは、オッサンだった。


 そういうフィクションで見るすごい職業の人は、なんだか若くて細くて格好いいか、威厳のある風貌の老人か、すごい美人か……。そんな気がしていた。


 だが来たのは、どう見てもただのオッサンであった。折り目を失ったワイシャツとスラックス。年齢を感じる額。恐ろしいほどの中肉中背。その辺をブラブラしているオッサンという群のひとりだ。


 唖然とする駒井をよそに、オッサンは着席。汗をハンカチで拭きながらウェイターを呼び、アイスコーヒーを注文した。


 そして、人懐っこい笑顔を駒井へ向けた。


「で、あなたが駒井さんでよろしいですね」


「あ、そう、です」


 細切れの返事。呪術に対抗する職でありながら、普通過ぎる彼に駒井はまだ白昼夢でも見ているような感覚になっていた。


「やぁどうも。本日はね、よろしくお願いいたします。私、こういう者でございます」


 そうして彼は、名刺を差し出してきた。


『抗呪術エンジニア 安倍晴明』


「……え。えっ!?」


 思わず目を剥いて、駒井は声を漏らしながら腰を浮かせた。


 安倍晴明あべのせいめいといえば、日本でいちばん有名な陰陽師だ。呪いに関して調べているとき、嫌というほど目にした。


「あ、あの」


「あ。違うんですよ。いやね、違うんです」


 オッサンは苦笑いして手を振った。


「それね、安倍あべ晴明はるあきって読むんです。あの陰陽師さんとは無関係なんですよ」


「……へ?」


「親がちょっとね、悪ふざけっていっちゃ悪いですけど、それくらいビッグになってほしいなんて、そんな感じで着けたとかなんとかで。この職についたのも偶然です。ただの偶然」


 駒井は浮かせた尻を着地させた。


 いよいよ、ただのオッサンではないか。


「あの」


「いやいや。ほんとう申し訳ない。どうしてもね、リアクション見たくなっちゃって、止めるのが遅くなっちゃって」


「それはいいんですけど、相談してもいいですか」


「あ。そうそう。相談ね。ひとつ事前に注意したいんだけど、精神的な症状を言って欲しいんですね」


「精神的な?」


「大体それで分かるからね。よくあるのだと、元気がなくなったり、イライラがどんどん強くなったり」


「――! そう! そうなんです!」


 思わず食いつくように返事をした。まさか当てるとは思っていなかった。


「あーでしたら。かなーりスタンダードな呪いですね」


「スタンダードな呪い……」


「ええ、ええ。もういくつか、症状をお願いします。こういうのって、だんだんと進行していくものですから、最近急にってものでなくても良いですからね」


 その優しげな口調に、駒井はなんだか脱力してきてしまった。まるで親戚の、毒にも薬にもならないオッサンだ。


 リラックスできたからか、その些細な記憶を掘り起こすことができた。


「あ。そうだ。そういえば、思い切りイメチェンをしたときがあって、それくらいからなんだか具合が悪くなったんです」


「イメチェンを。ほーほー。大成功みたいだね」


「え? そうですか? ……ってそういうことじゃなくて」


「あ。ごめんなさいね。今の時代ね、こういうのもセクハラなっちゃうからね」


 言葉の端々から、オッサン。この男は頼れるのだろうかと、駒井は不安を募らせていた。


「でもね。それ、重要」


「そうなんですか?」


 安倍は得意気な顔で、ウンウンと頷いてみせた。


「呪いって言ったら、だいたいの人がイメージするのはこう、人が人を苦しめたり、殺しちゃったりする感じでしょう? ああいうのは、難しく言うと呪詛や厭魅えんみなんて言ってね、悪い呪いなんですね」


「悪い呪い? 悪くない呪いがあるんですか?」


「ありますあります。スマホあるでしょう? ちょっと漢字の変換して欲しいんです。『まじない』って打って漢字変換」


「はぁ」


 言われた通り、検索窓をタップして『まじない』と打つ。すると、予測変換に『呪い』と出た。


「え。これって……」


「そうそう。おまじないって漢字で書くとそうなのね。のろいって書くの」


「そうだったんだ……」


 このオッサン、どうやら頼れる。ちゃんと詳しいようだ。


「でも、どうしてイメチェンが?」


「あ。そうだったそうだった。えっとね、まぁそういう悪い呪いって、実はひとつ凄く有名なのがあるんです。丑の刻参りって知ってます?」


「知ってます。藁人形に、呪いたい人の髪の毛とか――」


 ゾクリと寒気がして、駒井は自分の髪を触った。


 そうだ。あのとき、バッサリと切ってもらったんだ。


「――え? 待ってくださいじゃあ……美容師さんが……」


「あ。あ。待ってね。それは早計。ちょっと判断が早すぎるんです。犯人探しは最後にしますからね」


「で、でも他に髪の毛なんか……」


「その時ね、切っているとき近くにいた人みんなが容疑者ですよ。それに、髪の毛じゃなくたっていいんです。爪を切るじゃないですか。そのゴミをあさって、とか。色々考えられます」


「でも。じゃあ重要って?」


「丑の刻参りの可能性が高いってことが分かったってことです。髪や爪が出やすいですから、イメチェンというのは。それに症状の感じから聞いて、まず間違いない」


 安倍は断言した。だが駒井は納得しきれない表情だった。


「……でも犯人がいるんでしょう。それだと」


「犯人探しはいったん置いてね。まず呪いを――」


「ちょっとは話を聞いてくれてもいいんじゃないですか!?」


 前のめりになりながら、ほとんど怒号のような声量で言い放った。


 コーヒーを持ってきた店員が思わず立ち止まる。だが安倍はただ冷静に、駒井の目を真っ直ぐに見返した。


「呪いの症状、進んでいるようですね」


「あ……」


 駒井は座り直し、目を伏せた。一方でオッサンは店員へ礼と細かいお辞儀を繰り返しつつコーヒーを受け取り、一口。


「……すみません」


「いえ。構いませんよ。お気になさらず。呪いのせいですから。それより、呪いを解く方法なんですけどね。これくらいだったら解かずに放置するといいと思います」


「えぇ?」


 怒鳴ってしまった罪悪感が一瞬で薄れて、怪訝な声を上げた。それでは話が違う。


「いや、実はですね。ほっとけば治るんですよ。だいたいの呪いは。ちゃんとおまじいしておきますから。症状をラクにするお薬と思ってもらえればね」


「そう、なんですか? そんな、風邪みたいな……」


「そうそう。風邪です。言わば」


 安倍が机の上で指を組み、慣れた説明を飛ばさないように、慎重に言葉を紡ぎだした。


「例えば、風邪とかインフルエンザっていうのは、ウイルスが身体に感染しちゃって、増えちゃったから具合が悪くなるやつでしょう? それと同じように、精神で起こる風邪なんですね。呪いがウイルスってね」


「……精神病、みたいな」


「あれはちょっと違いますね。身体でも、ウイルス性じゃない病気ってあるでしょう。生活習慣病といいますか、がんといいますか。呪いとウイルスとの違いがあるとすれば、呪いは『人間が原因』ということくらいです。ですから、まず呪いが解けるまで待ちましょうね」


「はぁ……」


 ということは、放置か。この症状に困っているから助けを呼んだのに。そんな苛立ちを見通したように、安倍は微笑んだ。


「私のこと、不思議な職だなぁなんて思いませんか? 抗呪術エンジニア」


「まぁ、思いましたけど」


「でしょう? どっちかって言ったらお医者さんみたいでしょう? これ、実は医者って名乗れないからなんですねぇ」


「そうなんですか」


「そうなんです。なんと言っても、抗呪術には国家資格がない。医者としての資格もなにもないんです。しかも、医師法では免許もないのにお医者さんって名乗っちゃダメなんですね。なので、医者じゃなくて技師にしようなんてことになって」


「技師の方がかっこよくないですか?」


「格好いいですけれどね。やっぱり、分かり易くないと。ということで、エンジニアってことにしたんですね」


「へぇ~……」


 駒井が感心したような声を出すと、安倍がいよいよニッコリとした。


「駒井さん駒井さん」


「ん? なんですか?」


「実はね、私とあるヒーローのグループに入ってるんです。分かりますか?」


「ヒーロー? え? ヒーロー……」


 またとんでもない話が飛び出してきた。いったいなんなんだ。


 と、思っていたら。


「な、なんですか?」


「それはね……安倍ンジャーズ」


「…………ぶふっ!」


 思い切り吹き出して、顔を伏せた。肩を震わせる駒井を眺めながら、安倍が頷く。


「よかったよかった。ちゃんとお呪い効いてるみたいですね。たぶん出会いたてだったら、舌打ち出てたでしょう?」


「なん……なんのおまじない……ふふっ……おまじないですか?」


「お箸が転がっても面白くなるお呪いです。なんだかんだ、どんなやまいも呪いも笑うのがいちばんですから」


 話している間に処置は進んでいたようだった。そういえばと駒井が気付く。駄洒落の前の会話でも、だんだんと肩の力が抜けていっていた気がしていたのだ。


「呪いが解けるくらいの、二週間は持ちますから。笑っちゃダメなシーンにだけ気を付けて貰えればね。いいですから」


「分かりました……ふぅ……」


 一通り笑い終えると、安倍がコーヒーを大きく吸いあげてから真剣な顔になった。


「最後にいくつか、辛い質問ですけど、恨まれる心当たりとか、ありますか?」


「……ないですね」


「逆恨みでもいいですよ。なにか、ちょっとでも恵まれているとか」


「うーん。……ないです」


「では、例の美容院の名前は?」


「えっと、ファー・バーバー」


「なるほど、そうですかそうですか……」


 安倍は考える顔つきのまま、立ち上がった。


「ではね、今日はここまで、ですから。えー、二週間後にまた会いましょうね。名刺の番号に電話していただいて、都合が合う日を教えていただくか、特に連絡がなければまた同じ時間にここへ来ますからね」


「あ、そうだお代。お代って」


「お代なんですけど、実はね、頂いてないんです。駒井さんは被害者ですけど、呪いって裁判とかで中々ね、お金が取れるものじゃないので。それで駒井さんがお金を払うっていうのも変な話ですしね」


「で、でも。やっぱりお支払いさせてください」


「うーん。お代は頂いてないんですけどね、もし、もしよければ、名刺の裏にあるでしょうバーコード」


 駒井は名刺を裏返した。あるのはQRコードであった。そんな些細なことでさえ、吹き出して肩を震わせた。


「凄いでしょう? うちの、若い子がね、やってくれて。そこからサイトに飛んでもらうとね、寄付のボタンがあるんです」


 安倍は親指と人差し指で『ちょっと』を作った。


「お財布がね、あったかい時でいいですから。もしよかったら、ご寄付をお願いします。千円とかで全然いいですから」


「……ふぅ。わ、分かりました」


「ではね。また二週間後にお会いしましょう。お葬式とかには気を付けてくださいね」


 そうして安倍は外へと出ていった。


 外では、駒井が想像していたようなカッコいい風の青年がスマートフォンをいじって待っていた。


「あ、安倍さん。どうでした?」


「うん。ちゃんと呪いでした。丑の刻参り」


「最近、多いっすねぇ。流行ってるんすかね」


 青年は顔を上げず、地図アプリと別のアプリを交互に開いて見比べている。


「で、どうですか?」


「まあ、いつものサメ神社で間違いないっすね」


「ここからなら歩いて行ける距離だ。じゃあ、行きましょうか。あ、失葉しつはくん。喉は、乾いてる?」


 安倍が自動販売機を見つけるや否や、青年――失葉の肩に手を置いた。


「うん? いやいいっすよ。お父さんじゃあるまいし」


 だが失葉は適当に流して歩き出す。「クールキャラだねぇ」なんて言いながら、安倍も歩を進めた。


「いやいや。遠慮しなくていいんですよ? 失葉くんね、ほんとう、キミが入ってきてからもーう世界変わっちゃったじゃない。スマホで人形ひとかたを見つけられるなんて。昔はね、もう知っている神社を総当たりして、神社の木も総当たりしてなんてやってたんだから」


「いちおう、エンジニア業なんで。IT部門ってやつ」


「IT。うーん。うちもITの波が来たかぁって感じですよ」


 安倍は特撮を前にした少年のように、きらきらと目を輝かせていた。


「……でもオレは、呪いとは無縁なんで」


「練習、ですよ。ゆっくりできるようになりましょうね、期待してますよ、未来のエース! なんて」


 しばらく歩いていると、件の神社についた。赤い鳥居をくぐり、奥の小さな境内社けいだいしゃの近くで落ち葉掃除をしている神主に挨拶をした。


 彼は安倍の顔を見るなり親し気に一礼し、社務に戻った。二人は境内の奥へと向かう。


 ここは敷地が広く、裏手は下りの崖のように絶壁であることから、深夜に釘を打たなければならない丑の刻参りにはぴったりの場所だ。それゆえ安倍も失葉も、神主と顔見知りになるほど何度も出入りするハメになっている。


 失葉の案内で森へ入っていく。奥へ行くほど、木々に開いた穴が多くなっていっていた。ものによっては枯れてしまっているのもあった。


「…………あ、それですね。その辺りの木」


「これ?」


 ふたりで、密集している三本の木を探る。すると、やや低い位置に藁人形がひとつ。駒井の顔写真と思われる紙が頭の位置にあった。ただちょうど顔の位置に太い釘が刺さっているので、判別はできなかった。


「やあ。あったあった。えーっと」


 安倍はカバンから、バールを取り出す。そして、釘をぐいぐいと抜いて、藁人形を拾った。


「……いつも思うんすけど」


「うん?」


「カバンにバールそのまま入れるの、危ないんじゃないっすか?」


「職質を受けたら危ないです。でも、まあカバンの中見せてとまでは言われたことないんで、たぶん、大丈夫」


 安倍は藁人形を開いてみる。腹からは、髪の毛がこれでもかと詰められていた。


「あー、髪の毛。しかも、ずいぶんと多いっすね。検討はついてます?」


 いつものやり取り。どうせ検討などなく、相手が死なないことを不審に思った呪いの主がここに現れるまで張り込みをするのが通例だった。


 しかし安倍はボロボロの写真を指さした。場所は室内で大きな窓を背景として、駒井と思われる人物が中心に映っているだけの写真。その両端は破られており、一見は情報が得られないようだった。


「この隅っこ、見てください。隣の人の脚が映っているでしょう」


「映ってますね」


 そして上の方に指を辿り、写真の切れ目ギリギリを指した。


「するとここは恐らく、ちょうど太ももくらいです。そこに、何かあるの分かります?」


「ん? これは……ペットボトルホルダーですかね」


「おしい。これはね、シザーケース。床屋さん美容院さんとかが使う、ハサミ入れですよ。ちなみに駒井さんは最近、ファー・バーバーという美容院で髪を切ったそうです」


「大量の髪の毛と、切った後の記念撮影。どうやら今回は楽できそうですね」


「では、今日中に終わらせちゃいましょう」


 心なしか足取りの軽い二人が、去り際にも神主に挨拶をして境内を出た。


 そして夕方、道の店たちが閉店支度をする頃に、件の美容院に入店した。


「あ、すみませんお客さん。今日はもう閉店なんですよぉ」


 安倍に負けないほど人懐っこい表情の、若い店員だった。安倍も笑顔で対応するが、失葉は後方でスマホをいじっていた。


「でもでもっ、せっかく来ていただいたんで、よろしければ予約を取っちゃいましょうかぁ?」


「いえいえ、お気持ちだけで、はい」


「遠慮しなくてもオッケーですよぉ? お電話でのご予約もいつでもしてます」


「こう言っては何ですけど、できれば髪をそっと扱える人で予約させてほしいですね。私はね、ほら、もう髪が」


 そう言って二人で大爆笑した。


 それが収まらないうちに、失葉が安倍の隣に立つ。


「そいつですね」


「ああ、そうですか」


 不穏な会話に、美容師の顔が曇った。


「な、なんですか?」


「他の人がいない方がいい会話をさせてほしくてですね。ごめんなさいですけど、今ここでね。他に人はいませんか?」


 その質問には答えず、ただ辺りをキョロキョロとしていた。


「いいですね? では、どうして駒井さんを呪ったのか、お話、お聞かせ願いますか?」


「い、いや……」


 口ごもるその顔の前に、失葉が藁人形を取り出して突き付けた。


「悪いが、これからあんたの指紋が出てるんです。誤魔化すことはないですよ」


「こらこら失葉くん。顔が怖いですよ。それで、まずはお名前はオオシマさんでいいですか?」


 店員の胸に、イタリック体のローマ字でoshimaとあった。彼はただ、小さくうなずいた。


「ええ、でも、どうして僕が呪ったって思うんですか」


 少しだけ震えを孕んだ毅然とした態度に、安倍と失葉が顔を合わせた。


「まだ違うというんすか?」


「ええ。だって、何の恨みもないんですよ、僕は。呪いって、そういう恨みがないと成り立たないんじゃないんですか? 知りませんけど」


 その言葉にも、安倍は笑顔で頷くばかりだった。


「まあ~、動機はそうですね。丑の刻参りは恨んでいる人でないと中々やりません」


「ええ。そうでしょう。僕からしたら、彼女はただのお客さんなんですよ。逆恨みをする理由すらない」


「オオシマさん。私から言えるのはひとつ、こっちの世界・・・・・・には来ない方がいい」


 安倍の言葉に、オオシマは思わず口をぽっかりと開いた。


「実はね、よくいるんですよ。強力な呪詛の方法が分かって、本当に効くのか試す・・人。動機の無い相手なら足が付かないだろってね。やっぱり思っちゃいますよねぇ? で、お試しだから恨む気持ちが無くて、駒井さんの症状はかなーり軽めだったんです」


「……で、でも、証拠はない。指紋だって出ないはずだ。だって……。ぼ、僕が触ったんじゃないんですから」


 なにか口を滑らせかけたようだったが、誤魔化された。


「オオシマさんの言う通り、証拠はありません。ですけどね、私たちからしたら残念ですけど、元々こういう呪いって裁判とかできませんし、なんなら逮捕もできないんですよ。証拠があっても意味がない」


「ええ、そうでしょう。そうですよね」


 彼は明らかに安堵した表情だった。それが次第に、不安の色に変わっていく。


 ならばこの二人は、何をしに来たんだ。


「私たちはね、呪いの怖さを教えに来たのです。……失葉くん」


 失葉が人の形をした紙を取り出し、その胴にさらりと何かを書き、安倍へと渡した。


 そして安倍は、その紙を彼へと見せつけるように、顔の前に構えた。そこには大きく、『オオシマ』と書いてあった。


「な、なにを……」


「呪いは法で裁けません。つまり、あなたが誰かに呪われ殺されたって裁けないということです」


 安倍は、左手の中指と親指で人形ひとかたの胴をしっかり保持し人差し指で彼を指した。


 そして、右手で人形の右肩をつまんで、右腕を根っこから思い切り破った。


 同時に、オオシマの右腕がぷらりと垂れ下がった。


「……え?」


 彼は恐怖に染まった顔で、動かなくなった右腕を、振り子のようにブラブラと揺らしては声を漏らした。


「オオシマさん。どうか、もうやめていただけませんか」


「わか、分かった……分かりました。腕が……腕を戻してください! お願いします!」


「いいですね。ちなみにこの呪いは今日中に解けます。それまでは、駒井さんを呪っちゃった罰だとでも思ってね、過ごしてほしいんですけど」


「え……」


「あ、いや、勘違いしないでください? ただ、止めると言わなければ全……ああ、止めておきます。ごめんなさいごめんなさい、こんな怖い話」


 安倍が手を振ってやめたものを、失葉が別の怖い話をつづけた。


「ちなみになんすけど、呪いのプロは、呪いを使うやつを見抜けるんです。もう二度と使わない方が身のためです」


「そうですよ。呪いの世界は怖い。ね? ですから、もう使いませんね?」


 オオシマはただ、細かく頷いた。


「うん。では最後にこれを渡しておきましょうね」


 安倍は名刺を差し出した。『どうしてこれを?』と顔で訴えてくる彼へ、にっこりと笑って見せる。


「今回の件で、誰かに目をつけられたかもしれないからですよ。呪われたって思ったら、いつでもここへ連絡してください。ね?」


 泣きそうな顔の彼を置いて、安倍と失葉は美容院を出ていった。


「では失葉くん。今日のところはこれで。ぼくはちょっとお酒でも飲んで帰ろうと思うけどどう?」


「返事はいつも通りで。また明日、お疲れ様です」


「あ~……。じゃあまた、明日お願いしますね」




「か、解決したんですか」


 そう言って目を見開く駒井の前で、安倍はニコニコと笑っていた。


「ええ、原因の方はもう大丈夫です。ほんとう、申し訳ないんですけど、誰がっていうのはお伝え出来ないんです。報復合戦になっちゃいますから。その代わり、私からキツメのお灸を据えておきましたから、もう大丈夫です」


 呪術のプロのお灸。それを想像すると、駒井はぞっとしてしまった。もう十分に仕返しはされただろう。


 それだけでも、十分に留飲は下った。


「そちらの方は、どうですか? 具合の方は」


「あ、もう大丈夫です。えっと……」


 駒井は少し、顔を赤くした。


「まあ、実はあのおまじないで、よく笑うねなんて言われて、飲み会でいい感じになっちゃった人とかいまして……」


「あらっ。あら。おめでとうと言うべきか、申し訳ありませんと言うべきか」


「お、おめでとうの方、というか私の方がありがとうと言いますか……」


 でも、と安倍が指を立てた。


「おまじないだからといって、頼ってはいけませんよ。のろいとまじないは常に紙一重です」


「は、はい……」


「さて、では、これで一通り終わりました。また、ね、呪いで困ったら抗呪術を頼ってくださいね」


 ペコペコと礼を刻みながら安倍が立ち上がった。


「ありがとうございました。本当に、色々と」


 駒井も礼を刻みながら立ち上がって見送りの姿勢になった。


「本当、排水溝に髪の毛が詰まってた時はどうしようかと」


「うん。え?」


 安倍が珍妙な声を出した。駒井も似た声を返した。


「髪の毛?」


「ええ、呪いの影響で……。ほらホラー映画とかでも……え?」


「いや。だって、呪いは精神のウイルス病っていったでしょう。そんな物理的なものは出ませんよ?」


「え? え? え?」


 駒井の顔が真っ青になっていく。


「……。あ、安倍さん?」


「まぁ~……たぶん、人間じゃないですかねぇ~……」


「……」


 彼女は、吐き気を催すほどに血の気が引いていた。


「人間だったら、警察に頼れますから、ね! じゃ!」


「え、ちょっと! 安倍さん! まって安倍さぁあんっ!」

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