エス

明星浪漫

しのすけ

美しい男が街を闊歩していた。男は平日の昼間にも拘わらず黒い学生服に身を包んでいる。カフェーの若い女給はその制服を視界の隅に認めて、近くの学校の生徒が学業を怠り生意気にも散歩しているのだと思った。女給は呆れた視線を向けようとした。出来なかった。足を進めるたびに男の少し長い前髪が風にはらわれ、切れ長の瞳が覗く。ただの学徒には似つかわしくない、諦念に塗れた瞳だった。美しいと思った。陽の光を浴びてねっとりとした瞳が輝くのが。女給は恍惚うっとりとしてその後ろ姿を硝子越しに見送った。田舎から出てきたばかりの女給は、一目見た学徒にあっさりと心を奪われた。


***


背後から感じる視線はおそらく先ほど通り過ぎたカフェーのものだ。あそこには新入りの女給がいた。田舎から上京してきたばかりで都会の人間に気後れしているように見える、と級友が言っていた。だからだろう、もともとはおっとりとした素朴な顔立ちなのだろうが、いつも濃い化粧で仮面のような微笑みをたたえていた。学校の友人などは純朴そうな雰囲気がイイ、などと言っていたが、生憎この男の好みに化粧の濃い女などという項目はない。自分に好意を抱く人間というのは、いつか使えるかもしれない、だから覚えておく。それだけだった。

はぁ。

男は静かに息をついた。

男の名は大上四助おおがみしのすけと云った。四助は自分の美しさを正しく認識していたし、理解していた。この年齢のこんな職に就いているこんな趣味の人間はどんな自分が好きなのかを理解していたから、気になる人間にはそういう自分で近づいた。四助が好きだったのはとても聡明で可愛らしい幼馴染の女の子だったけれど、その子はもう一人の幼馴染である、四助よりちょっとだけ整った顔をした男に好意を寄せていた。四助は彼女に友愛の好きよりもっと重くてドロドロした感情を持って欲しかった。もちろんその男に、ではなく四助に対して。あんな男とも言えない男に好きだ好きだと言うなんて四助は許せなかった。四助よりちょっと顔がよくて座学も優秀で運動もでき、唯一四助に勝らないのは身長くらいであるあの幼馴染の男が四助は大嫌いで大嫌いで────本当は少し憧れを抱いていたのも事実だった。そしてその事実は、骨になって小さな壺に納められて暗くてじめじめした墓の下に置かれることになっても明かせないものである。

そこまで考えて、なんだか馬鹿らしくなった。

「よし、死んでみよう」

四助はうんうんと頷いて、よしそうしようそうしようとひとりごちた。ふい、と首をかしげる。四助はうんうんと唸って、さて死に方はどうしようかと悩み始めた。ぺちり、手を打ち、閃いた。

「一個ずつ試せばいいじゃないか」



四助は街で一番大きくて長い橋の下に立っていた。足を水につけているとひんやり冷たくて、四助はひやっこいなあと呟いた。水面から出て風に晒されるごつごつとしたものに腰掛け、手をとぷんと水に浸した。やっぱり冷たい。水中で手をごしごし擦っては手を温めようと試みる。冷たい。その格好のまま川に視線を落とす。ぽつり、つぶやく。

「こんなに冷たい中でしぬってぇのは、どんな気分かね」

びゅうと吹いた風に耳がじんと痺れる。手を水の中から引き抜いた。体が細かく震える。手を見ると指先がしわしわにふやけていた。水中で死んだりなんかしたら、今に全身ふやけちまうんだろうなあ。厭だなあ、厭だ。こんなに恰好いい俺の顔がふやんふやんになるのは御免だ、もったいない。四助は揺れる水面の向こう側に変わり果てた自分の姿を見た気がして、厭な気分を生ぬるい息とともに吐きだした。


翌日、新聞の片隅に、大橋の下で溺死している男が見つかった、と報じられた。自殺だと世間は判断したらしかった。


***


カフェーには「パピヨン」と云う名がついていた。昨今、女給の仕事に男どもの相手をすることが含まれ始めたその辺のカフェーと違い、パピヨンの女給は従来通り、給仕のみだった。時折インテリ気取った常連との会話があるが、所詮世間話程度のものである。男を立てるためのおべっかなど要らなかった。女給はこの仕事が気に入っていた。都会に出てきて、煩い父母は居らぬ。断髪して耳を隠した。カフェーで働いて、ちょっとだけど金を稼いだ。流石に三寸幅のリボンは高級で手が届かなかったけれど、ヒラヒラした細いリボンをつけるのも、毎朝鏡を見ながら、指先で何度もチロチロと弄るくらい嬉しかった。そんなゴキゲンな朝に、物騒な話が飛び込んだ。先週のことである。なんでも街の大橋の下、男の死体が見つかったそうな。おっかないねぇ。カフェーの主人が他人事のように独りごちた。女給は、ヤダわ、客足が減ってチップが減ったらどうしてくれるのよ、と思った。口には出さなかった。怖いですねぇ。怖がっているような声で云った。女給はお嬢様たちのつける太幅のヒラヒラしていないリボンも最近のモガの着ているようなアッパッパも、いつかはきっと欲しかったので、給金が減るのは勘弁願いたかった。勘定をして出てった客を見送って、半分残ったお冷と汚れた皿と、少しの灰を乗せた硝子皿を下げた。

カラロ、ン。

ドアーが開けられてちょいと鈍いベルの音がした。女給は目を向けて、いらっしゃい、と声を上げた。ヒュ。喉に息が詰まるような感じがした。美しい男がいた。あらヤダ、どこで見たのかしら、こんな美丈夫。女給は思い出した。あらヤダ、先週学校サボって散歩していた男じゃないの。カフェーの硝子越しに見たあの暗い暗い瞳と、美しく風に靡く黒髪を、女給はよくよく覚えていた。


ポンと手を叩き閃いた日から週をひとつ跨いだ日、四助はカフェーを訪れていた。四助へ焦げそうなほどアツい視線を向けていた女給の居る店である。学校を終え放課後となってからやってきた四助に冷やを運んだのは、件の女給であった。相変わらず化粧の濃い女である。毛の穴を埋めるようにおしろいを塗っているから、口も鼻も耳も塞いだら顔から穴という穴が塞がってしまう。どこで呼吸をするつもりなのか、四助は心中首を傾げた。四助の幼馴染は化粧っ気のない乙女であったので、世の女どもの厚い化粧はなんだか可笑しく見えた。

窓硝子から射す夕焼けが四助の瞳を焼いた。瞬きをすると目の裏に夕焼けの影が焼き付いているのが分かった。御自由にと言われた席は、その西日が差し込む窓があるトコにした。四助でなくても、整った面をもたなくても、柔らかく妖しい橙は瞳を輝かせ、日の本に住まう人間の殆どがそうであるように平な顔に、陰影をつける。それは人を蠱惑的に魅せるから、四助はキチンと計算して真面目に学校での座学を終えてからここにきた。女給は遠目から見た時は気づかなかったほくろが四助の左頬にあるのを見て、男は学徒であるのになんだか色香に惑った自分を、ほんの、一瞬だけ恥じた。

「こんにちは」

四助は平坦に、低く、柔らかく、声を出した。

女は冷やを置いた手を引っ込めた。四助の落ち着いた声音に震える指を、盆を抱え持つフリをしてやり過ごした。

「クラスメエトがね、最近カフェーに可愛らしいヒトが入ったって言うんです」

それだけを告げた。

女給はなんのことかと考えて、誰か知り合いでもいて呼んできて欲しいのかとも考えてそれからはっと閃いた。

ヤダわ、最近入った女給って、もしかして、もしかしなくても。

「普段はおちゃらけてばかりの奴なんですがね、今回ばかりは、嗚呼……」

そうまで云って、四助は目を伏せた。頬が夕焼けに照らされた。表情が見えなくて女給はきゅっと盆を抱き込んだ。

ヤダわ、期待外れだとか思われたらどうしようかしら。もう夕暮れよ。お化粧、落ちてないかしら。

女給は耳の奥に心臓が移動したように感じていた。見つめる男がふい、と、また顔を上げたので、ジッ、と見詰めていた女給は真っ向から暗い瞳と目を合わすことになった。

「来て良かった」

あらもう、イヤだわ私ったら。



四助は壁の薄い長屋の、僅か六畳程のこじんまりとした部屋に、固く薄っぺらい布団を敷いて寝そべって居た。隅にはちいちゃな鏡台がある。部屋の主が几帳面なのだろ、ほこりや指の痕なんかも付いていない、ぴかぴかとした鏡だった。細っこいリボンが数本、数えるだけある。少し散らばる塵屑が、小綺麗な部屋に違和を齎した。天井の梁から垂れる電灯がぷうらぷら揺れているのを眺めながら、ふぅん、と息をついた。見上げながら、ぽつり、呟く。

「ぶら下げられながらしぬってぇのは、どんな気分かね」

他所の家が何やら煮物でも作って居るのだろ、出汁の匂いが鼻腔を擽った。よっこらと起き上がり、指通りの良い髪をがしがし掻いた。欠伸を噛み締めて鼻が膨らんだ。掻いて髪を数本絡めた指を、そのまま首に寄せた。水ん中に潜るよりは俺は美しいまま死ぬるだろ。そう思ったが、頭がかっかとしてきて、これも違うような気がしてきた。何よりひとりじゃどうやって上に吊られるというのだ。椅子か。いやいや、恰好いい俺がしぬときには、周りの状況も美しくなきゃいけねぇ。こんなどたばたしてたんじゃ、どんなセッカチな男だと誤解されて仕舞う、それは避けたかった。四助はぶら下がる電灯の向こうに、吊られ無様に舌を出す自分を見た気がして、厭な気分を塵屑と一緒に屑籠に投げ入れてやった。


翌週、新聞の片隅で、首を吊って死んでいる青年が見つかった、と報じられた。自殺だと世間は判断したらしかった。


***


四助はパピヨンに来ていた。店の角っこにある二人がけのテーブルに向かい合って、同じ学校に通う幼馴染を連れて来ていた。久堂肇と云う。四助が大いに嫌っていて、そして松方密、あの子が、四助が好いているあの子が大好きな男の、片割れである。肇より少々早く生まれたあの男は久堂一可と云う。顔は少しだけそっくりな、それ以外は全く対称的な双子であった。その一可は、違う学校に通っている。堺学園と云う。将来商業を担う奴らが通うのである。あいつは、肇も、大きな商店の倅であるから、どちらかがお家を継ぐ必要があるのであった。肇とは、一可とは違ってそれなりに話が合うし、何より学修院に通ってからのずっとつるんでいる仲だから共通の話題がたくさんあるのだ。家のこと、一可のこと、松方密のこと、学校でのこと。四助は理科が好きで、肇は地理が好きだった。時折パピヨンで雑記帳を見せあっては、足りないところを書き足した。肇は字に癖があって、四助はそれを揶揄うこともあった。肇は一可と違って口数の少ない男で、だからこそ話したがりの四助と会話が弾むのかもしれなかった。この日は、雑嚢ざつのうを開くこともなく、ただ松方密が食べて美味かったと云った、ハットケーキを2人で食べに来たのであった。

「なァ、肇、最近物騒だなァ」

四助は横目でチラと店内を見て冷やを喉に流した。店内では憔悴したような主人が、硝子のカップをきゅきゅと磨いていた。肇は片眉を上げて返答をする。寡黙な男であった。四助は声を潜める。冷やをテーブルの端に置き、左腕を机上に乗り上げて、肇に顔を近づけた。

「ここの女給がひとり、しんだんだよ」

それでマスタァが参っちまってるのさ。頬杖をついて、得意げな囁き声で、四助が云う。肇が横目で動き回る女給を見た。女給の顔を全て覚えるほどこのカフェーに通っていない。けれど、今ちょこまかと動いている女給とは違うのだろな、ふぅん、と鼻を鳴らした。興味が欠片もない様子であった。肇は多くの人がそうであるように、知り合いでもない女の死を悲しむような人間ではなかったので、冷やに口付けながら品書きを読んでいた。

「おれはアイス珈琲にする」

「詰まらん男だなお前は」

肇は品書きを四助の前に滑らせる。四助は俺もおんなじのでいい、と唇を尖らせた。四助は幼い表情も似合う男であった。フン、と息荒く品書きを窓際のスタンドに立てた。女給が気づいて足音を控えめに駆け寄ってくる。店全体に毛の短い絨毯が敷かれていて、おそらく軽い女給の軽い足音をパタパタと鳴らした。注文をとる言葉に四助がハットケーキ二つにアイス珈琲も二つと頼み、以上だと示すように手をヒラリと振った。女給は化粧の濃い女で、四助は一瞥して、チョット前に話した女給を思い出した。耳隠しに、安っぽくて細長いリボンを着けた、顔を真っ白に塗っていた女給だ。しんだと報道されたのはその女だったと、四助は知っていた。四助は、女は全てこういう、顔を塗らねば生きていけない生き物なのではないかと考えた。そして無垢なあの子を思い出して、こんな粉々しい女になってくれるなよと思った。

「首を吊ったんだ」

注文をしていた間、外をぼんやりと眺めていた肇は、四助の言葉に目を細めた。普段伏せ目がちで眠たげにしている分、肇が意志を持って目を細めると、射抜かれているようで心がざわつくような心地がした。

「ホントは俺がしようかと思ったんだがな、首を吊るとどうなると思う、肇」

「······吊ったことがないから知らん」

「俺は知ってる」

四助は思い出していた。実家の物と全く違う薄っぺらい布団に横になりながら、ぶら下がる人を見ていた。ぷぅらぷら揺れる電灯の向こうで、灯より激しく揺れるものを、思い浮かべる。それは天井をギシギシと軋ませながら、やがて動きをゆったりとしたものに変えた。

そのうちにハットケーキが届いた。広い器に、ハットケーキを中心にして、生成色のクリームとビスケットが囲っていた。クリームの頂上には桜桃が乗せられて可愛らしい感じがする。少しおいてアイス珈琲も届いて、四助はシロップを二杯入れた。四助は苦すぎるものが苦手だった。かき混ぜる度にカップがかつかつ音を立てた。

四助は囁き声のまま、話を続けた。

「舌が出るんだ。気持ち悪いだろ」

舌がベロンと出る。後で自分の顎の下を指で押すと舌が盛り上がったので、あれも縄に押し上げられたものだったのだろ、何にしても気持ち悪かった。ぶら下がっていたのが自分でなくて良かったと心底思った。

「苦しいから喉を毟るだろ、見た目が悪くなる」

縄と皮膚の間に指を突っ込んで、息をしようと必死に藻掻くのが、四助には醜く映って仕方なかった。何なら口の端から泡ぶくが湧いて、ああ、なんて可哀想なのだと思った。早く楽になれる方法などありはしないのだと学んだのだった。

「動きが収まって、日をおいて見に行くだろ。そしたら汚くてなァ臭くてなァ」

ぶら下がったそれから、臭い何かが垂れていた。後から調べて、どうやら臀の筋肉が緩んで、中に残っていた糞やらが出てくるらしいことが分かった。四助はそこで、漸く首を吊ってしぬことを完全に諦めた。

いつか思った、しんでみようと云うのは、言葉にすれば簡単だったが、自分でやるのは難しくて敵わない。あのときは名案だと思ったのだが、こうも恰好悪い様相になるのでは堪ったものではなかった。

「お前、なんかいい方法はないかい」

珈琲を啜って、四助は肇を見た。いつも軽く伏せられている目が見開かれると、やはり双子なだけあって、瞳の形はあの大嫌いな男とそっくりであった。

「お前さん、しにたいのか」

「ああ」

「そうかい」

ハットケーキを四半分にして大きな一口で食って、肇はハン、と笑った。肇が笑う珍しさに四助はカップを傾けるのを一度止めて、もう一度啜った。

「水は」

「もう試した。あれは駄目だ」

「どうして」

「ブヨブヨになるんだ。水でふやけて、しわしわになって、それが全身になったらどうなると思う。太ったみたいに見える」

「そうかい」

肇は何を言おうとこの幼馴染はしなないことを分かっていた。きっと何をどう試そうと、どうせ何かを理由にして止めるのだ。これは昔からどこか臆病なところがあると、肇と、幼馴染の紅一点は知っていた。知らないのは当人と、四助に性格がよく似た片割れの一可だけだった。だから肇は笑ってやった。誰で試したのかは知らないが、己の利にならんことには首を突っ込まないことを母から教えられていた。

ハットケーキは溶けるように数口で食べきった。幼馴染のあの子はなんでも美味いと云うので、これが特別美味いと云う訳ではなかったが、期待外れでもなかった。

「じゃあ火はどうだい」

「火」

「ウン、水が駄目なら火はどうだい」

「火」

四助は呟くように独りごちた。肇は揶揄うように目を眇めた。まだ。四助の形の良い唇が二度、「あ」の形を取る。フゥン、四助も目を細めた。真っ黒な瞳が細く、窓からの光できらめいた。

「まだだ」

「試してみればいい」

「そうしよう」

ウンウンと頷いて、死ぬことを思いついたあの日のような気持ちで、四助はハットケーキを一欠片、口に運んだ。



四助は誰もいない屋敷の中で、赤々と燃える炎に手を差し出していた。橋の下で試したときとは真逆の、あたたかい火にふるふると体を震わせた。形を変える炎はまるで踊っているみたいに愉快で、四助は気分が良くなった。両の手の平を擦り合わせて、あたたかくて痒くなってきた指を宥める。ぽつり、つぶやく。

「こんなに熱い中でしぬってぇのは、どんな気分かね」

開いた窓の隙間から吹き込む風が耳にかかる髪を揺らした。擽ったさに身を捩る。だんだん動きが固まる炎を見て、四助はため息を吐いた。炎に包まれて死んだりなんかしたら、動きが決められちまうだなんてガッカリだ。厭だなあ、厭だ。俺はこんなに恰好いいんだから、俺が一番恰好いい姿でなきゃもったいない。四助は揺れる炎の向こう側に煤けた自分を見た気がして、厭な気分と、あたたかな炎に背を向けた。


翌月、新聞の片隅に、空き家で焼死した人間が見つかったと報じられた。自殺だと世間は判断したらしかった。


**


四助の部屋から見下ろす隣の大きな庭には、紫陽花の低木が多くある。隣には幼馴染である松方密の屋敷があり、紫陽花の庭は、彼女の気に入りであった。松方の祖先が、紫陽花咲き誇る長崎から来たらしいと聞き及んでいる。庭では毎年、梅雨の時季にたくさんの蝸牛をその葉に乗せる景色が見られる。装飾花は紫で、土の成分で色が変わるらしいと聞いてからは、二人で土に色々混ぜて、赤を咲かせてみたこともあった。懐かしい限りである。もっとも時季外れの今では余計な虫が湧かぬように、土色に萎れたがくや葉が刈り取られ禿げになった、少し寂しげな風景になっているのであった。

四助よんすけくん」

「おミツ」

密は四助しのすけのことを「よんすけ」と呼んだ。幼い頃に字面を聞かれて、四に助けると書くんだと言ってから、彼女は四助をよんすけと呼ぶのであった。名前を揶揄うのではなく、ただ親しみを込めて呼ばれるのが心地好くて、また、他の誰もそういった呼び方をしないので、彼女だけが呼んでくれるのが、いたく気持ち良かった。

「肇さんから聞きましたよ」

「何を」

「死にたいのですってね」

密は微笑んでいた。四助は端正な顔を少しだけ歪めた。幼い頃は大口開けて無邪気にきゃらきゃら笑っていたというのに、いまではすっかり淑女ですといわんばかりのお淑やかを密は気取っている。それが嫌だった。四助はあの無邪気で聡明な少女に恋をしたので、世間の目や教育なんかによって女になられるのが堪らなく嫌だった。

椅子を引いてやり、密を座らせる。黒い縞柄の、明るい山吹色の着物が、快活だった頃を思い出させた。それでも葡萄鼠ぶどうねず色の袴が、腰紐についた学修院の、ベルト型の薔薇の袴章が、もう餓鬼ではないのだと知らしめていて、四助は少し悔しくなった。椅子の背に手を掛けたまま、ふ、と息をつく。

「お喋りだな、彼奴あいつは」

「肇さんが?あの方ほど寡黙な方はいらっしゃいませんよ」

「そうだが」

後ろ頭をガリ、と掻く。院から帰ったばかりで、風に吹き上げられてかき混ぜられたであろう髪が、中指に絡まった。そしてふと、密の髪はいつでも綺麗だなと思った。二つに分けた髪を耳の後ろから三つ組に編み、一度に結わえて、それからまた二、三寸ばかり三つ組に編んで、首の後ろに畳む。それをリボンで結わえている。マガレイトのようだが、少し違うところが可愛かった。決して、昨今断髪して今風を気取っている女たちのように、大事な髪を失くして親を泣かせることもなく、美しい姿を見せることが出来るのを四助は尊敬していた。

「水と、首と、火ですか」

「それも聞いたんだな」

「えぇ」

どれも駄目だった。そう云うと密はくすくす笑った。大笑いして欲しかった。椅子の背に手を置いて、彼女の斜め一歩後ろに立っていた四助を、密が見上げた。緩やかに細められている黒柿色の瞳が、四助の瞳に重なった。

「どうしてそんなに死にたいんですの」

四助は呆れたように肩を下げて、幼い幼い、可愛い餓鬼を相手するように笑った。

「だっておミツ、お前、綺麗な人形が大好きだろう」

密はにっこり、笑った。


翌日、密から四助宛に、たっぷりとした百合の花が届いた。全て橙の百合であった。いつか見た夕焼けを思い出した四助は、部屋に、全ての百合を飾った。こんなにたくさんの、好きなあの子から貰った花に囲まれて死ぬんなら、それは悪くないなと思ったのであった。

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