三節 星の支配者

1-1


 私は自分を雑に扱ったりしません、と書かれたメモを表にして、正座させられている。海の雰囲気溢れる造形物と観光案内で着飾られた、夕暮れの美龍万駅前で。困ったレイジは、これ見よがしに鼻から息を出した。ミカはどうしてこのような事をさせるのか、全く理解不能だ。

 霊的資源が必要とはいえ、どうせいくらでも再生される。人体部分は本体ではないし、損傷としては軽微だ。痛みはあるが、覚悟の上でやっている。自分が痛いよりも、たったひとつしかない存在が永遠に失われる方が嫌だった。暈人として産まれ直したばかりのレイジには、ああいう戦い方、やり方しかできない。互角以下の崩壊体ならまだしも、同類相手では雑魚同然なのだ。それに、レイジが自分の体をどう扱おうと、ミカには関係ない。

「嫌そうな顔やめろ」

 ああいうやり方しかできない。ペンに力が入りすぎて、字が雑になってしまった。

「なんで」

 俺が弱いから。


 ミカは複雑な表情を浮かべて、黙ってしまった。暈人がどういう生命体なのか、彼女は知らない。こちらに教える義務はなく、人間に知る権利もない。それに、自分より強い生命体の強弱など、具体的に想像し辛いはずだ。レイジが同類の中でも弱いと知って、がっかりしただろうか。まあ、仕方ない。レイジは一度目を閉じて、心を落ち着かせる。小さな人間の怒りの対象は、厳密に言ってレイジではない。レイジより弱い彼女の代わりに、レイジが傷ついたからだ。傷つけば相応の痛みを感じると、出会った時にレイジが伝えたからだ。か弱い生命体にも、知性あれば誇りや意地もある。レイジとてそうだった。忘れていた。時々、ミカと同じ事を思っていたのを。


 別に足は痺れないが、正座を解いてもいいだろうか。勝手に解いて、勝手に立ち上がると、ミカが急いで腕の布地を掴んできた。うつ向きがちな少女の顔には、まだ釈然としない感情が燻っている。レイジはすぐに、強い不安が滲み出ているのに気がついた。隠しているつもりだろうが、バレバレだ。レイジは言葉の代わりに、動かないようにした。一人残してどこへも行きはしない、と伝えるために。彼女を放置して去るなど、どうせできない。強制回収課に抵抗してまで保護した手前、引き下がれなくなった。

「どうしてわたし、死神に狙われたの?」

 ミカの疑問には答えられない。レイジは片手を拘束されながらも器用に肩を竦め、ついでに首を横に振った。早くこの小さな魂をエテルに見せて、判断を仰がなければ。エテルはどうしているだろうか。さすがにそろそろ、大声で呼んでもいいかもしれない。夕暮れ時に目覚め始めた崩壊体が、一斉に寄って来たとしても。

 無理だ。レイジはすぐに諦めた。動きが鈍い日中の崩壊体はともかく、夜の彼らは水を得た魚のように元気だ。エテルは側にいないし、駆けつけてくれるまでそれなりの時間がかかる。合流まで一人で凌ぎ続ける実力はないし、自信もない。

「あの死神は、追いかけて来る?」

 レイジはまた、首を横に振る。動かす速度や顔色で、否定の意味ではないと伝わった。と、思う。正直に言って、レイジは把握できる立場にいない。派遣されるのが同一の死神だろうが別の死神だろうが、次に見つかったらその時点で終わりだ。



『おーい、聞こえるかい』

 ちょうどその時、エテルの念話が飛んでくる。何かにつけてタイミングがいいのが謎だが、助かった事に変わりない。レイジはミカに空いている方の掌を見せ、今忙しいと主張する。ミカは素直に引き下がった。服の端はまだ握られたままだったが。

『肯定』

『やっと返事が来た。なんか念話の調子が悪いな。はてさて私がおかしいのか、君がおかしいのか、この世界がおかしいのか』

 エテルは小声でぼやいた後、いつもの調子に戻る。

『レイジ、大丈夫? 平行移動をしたみたいだけど』

『無事』

 数秒考えた後、レイジは返事をした。本当は、言いたい事も聞きたい事もたくさんある。念話では一言くらいしか返せないのがもどかしい。せめて、メモ帳に書いた文字が見せられれば。

『美龍万 水族館』

『そこにいるのかい?』

『予定』

『お。私もちょうど、そこがいいんじゃないかと思っていたところさ。水族館に行けばいいんだね』

『肯定』

『君も急いで向かって』

 エテルの気配が遠ざかりかけて、再び急接近する。まずい。せっかく知らないふりをしていたのだが。

『ああ、忘れてた。言われた通りに、ちゃんと待機してなかったでしょう。どうして毎回、私の指示が聞けないのかな?』

 エテルの語調は、いつも通り穏やかなものだった。いや、いつも以上に優しいとさえ表現できる。しかしレイジは、これはかなり怒っているなと判断した。エテルは微笑みながら怒る。長い付き合いの中で、分かるようになった事のひとつだ。

『返事は』

 ミカの様子を確認すると、不審そうにレイジを見上げている。彼女からは、長らく無言で立ち尽くしているように見えるのだ。しかも一人で頭部や手足を動かして、表情を二転三転させている。

『謝罪 事情』

『申し訳ない。しかしこれには、やむを得ない事情が』

『肯定』

 怒っていても、片言念話の解釈性能がいい。

『駄目だ、日が暮れる。今は安全地帯に向かうのが先だ。そこできっちり、聞くからね』

 やけにきっちりを強調して、エテルは念話を終了する。今度こそ気配は遠ざかった。すぐに移動を始めた事だろう。

「もしかして電話? 上司の人?」

 ミカの言葉に、レイジは頷く。ため息をついた後、しばらく足を動かせなかった。水族館についたら、待ち構えていたエテルにきっちり怒られる。それにミカを見て、一体どんな顔をするか。自業自得なのは分かっているが、気が重い。しかし、行かないという選択肢はない。ミカをエテルに会わせないといけないし、ここに留まる方が怖い。何よりミカが、水族館に行きたがっている。





 水族館に到着した頃には、すっかり暗くなっていた。腕時計を確認すると、7時頃とある。美龍万駅から徒歩で行くだけなら、もう少し早かっただろう。道中崩壊体を避けて行ったので、余計な時間もかかってしまった。保護対象を連れ敵を警戒しながらの徒歩移動は、さすがに身に堪える。半日も護衛しているから当然だ。レイジはただ、己が飛べない事を呪うしかなかった。ジャンプしてみても、助走をつけてみても、飛べなかった。その度に、ミカが泣きそうな顔で走って来る。ジャンプはともかく、助走は誤解を招く行動だった。レイジは反省した。



 閉館後とあって中は薄暗い。学校の時のようにミカの手を取り、透明な自動扉をすり抜ける。白と黒を基調としたシンプルな外観。内部も洒落ていて、清潔感がある。仕事でなければ普通に観賞したいところだが、そうも言ってはいられない。

 雰囲気に独特の怖さがあるだけで、崩壊体の気配はなかった。やはり水族館は安全地帯だ。巨大な崩壊体も、この周辺には来ないだろう。入ってすぐに少女の手を解放し、相棒の姿を探す。うろつくレイジの横を、ミカがぴったりついて追いかける。道中、何の前触れもなく助走したせいかもしれない。絶対に置いていかないと言ったはずだが。いや、言っていなかった。レイジは衝撃を受け、短い息を吐いた。自分一人で思っていただけで、伝わったかどうかも分からない。念話ができない人間にとって、発話によるコミュニケーションは重要だ。物理的な声帯が傷ついてから、余計に言葉が足りなくなっている。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る