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過ぎた事はしかたない。レイジは調査に戻る。現在、正面入り口にエテルはいないと判明したところだ。レイジ達と違って空を飛べるのだから、移動時間は遥かに少なくて済む。とっくの昔に到着していて、通路端の椅子辺りで待っていそうなものだが。もしかして、暇をもて余した挙げ句一人で館内を回っているのか。相変わらず、互いの位置が少しも感知できない。時間は有限だ。ミカの希望を優先させよう。その内エテルの方から現れるはずだ。
なのでレイジは、館内を見て回りたいかどうか聞く事にする。そういう意図でここへ来たのだろうが、一応は聞いた方がいい。しかしほとんど消灯されているので、メモしたとして文字が見づらい。頭上の輪が光っているが、あてになるほどではない。少しでも明るいところを探すべきだ。適した高さの固い机があるし、そこのサービスカウンターでいい。そうと決まればさっさと移動する。ミカを手招きしようと振り返った瞬間、彼女が脇腹に衝突してきた。小さな声で、置いていかないで、と聞こえる。置いていく気はない旨も、きちんと文字にして書いておかなければ。
中は広く、涼しく、やはり薄暗い。少しは明るい場所もところどころあった。巡回や防犯のため、あるいは一部生物の水槽などに、ライトがついているのだ。先に言ったとおり、水族館はレイジにとっても興味深い施設だ。仕事を忘れている訳ではないが、彼女に同行する口実で観光している。今のところ、当直の飼育員に遭遇する事はなかった。鉢合わせしたとしても、特に問題はないが。生きている人間は大抵、レイジ達が見えない。霊感が強くない限りは。
ジンベエザメ。
「おっきい~」
マグロ。とアジとその他色々。
「美味しそう」
クラゲ。
「何時間とかで死んじゃうのもいるらしいね」
ウミウシ。
「綺麗。毒あるんだっけ」
イソギンチャクとクマノミ。
「癒される……」
ウニ。
「裏側えぐっ」
水槽を覗き込む少女の髪が揺れる。独り言を言いながら、軽い足取りで水槽から水槽へと移動している。いや。独り言、ではなく、レイジに向かって話しかけているのかもしれない。しかしメモを書かないと、レイジは返事ができない。文字を相手に見せるには、この空間は暗すぎた。せいぜい、ミカがこちらを見た時に頷いたりするくらいだ。
『しんりゃくしゃ』
『しんりゃくしゃだ』
突然、レイジの頭に念話が響いた。侵略者と、二回も。薄暗い中で、声の主を探す。奥の水槽に、白いものが二つ浮いている。丸いゴム毬……ではなかった。鋭い歯の揃った細長い口と、位置の離れた小さな黒い瞳。丸く突き出た柔らかい額。確か、イルカ、という種族の地球生命体だ。ともかく白イルカが二頭、真っ直ぐこちらを眺めている。言葉の意味が不穏だった事もあり、何となく不気味だ。侵略者とは、ミカの事だろうか。ミカは地球の人間として産まれた存在だ。人間は環境を自分に合わせる知恵をつけ、場所を問わず大量に繁殖し、多くの生命の住みかを奪うと聞く。それを星に放つのは暈人なのだが。
「うわー、超かわいいんですけど!」
ミカは警戒心の欠片もなかった。レイジが制止する前に、興奮しながら駆け寄って行く。間に合わなかった。慌てて追いかけると、ミカとイルカ達は見つめ合っていた。レイジはこっそり、だらしなく頬を緩ませているミカを指差してみる。イルカは二頭とも口を半開きにして、眉間に皺を寄せた。
「笑ってるみたい。こんばんは」
そうだろうか。歯を見せるのは威嚇行動だと、制御輪の中の情報があるが。人間はいつの間にか逆の意味になっているので、勘違いをする者が多い。そうしてたびたび、悲劇的な結果を生む。噛まれたりだとか。ミカが彼らを可愛いと表現するのも、念話が聞こえていないからだ。制御輪情報では、もっと友好的な生命体であるかのように書かれていたが。イルカに脚がなくてよかった。
『ちがう おまえ』
『おまえだよ おまえ』
レイジは人差し指を移動させ、自分を指し示す。途端にイルカ達は目を細め、小刻みに首を振る。侵略者とは、レイジを指している言葉のようだ。傍らのミカは、バブルリングやってくれないかなあ、などとのんきな事を言っている。少し迷った後、レイジは問いかけた。言葉が通じるなら頼んでみよう。
『バブルリング 所望』
『きゃっか ばーか』
『なんてこった やなこった』
イルカ達は軽快なリズムで、歌うように順番に答える。長らく同じ水槽に住んでいると、ぴったり息が合うらしい。そして思い思いに、甲高い声を小刻みに発する。可愛くないやつらめ。
『そもそも おまえら さえ こなければ なんだよな』
『さよう ほんとマジで あ いきが』
『おい』
イルカの内一頭だけが、浮上していなくなる。残されたもう一匹は、厳しいツッコミを入れた。ミカが動かないので、レイジも立っているしかない。本当はさっさと次に行きたいのだが。次は確か、ペンギンだ。ペンギンなら念話ができないので、余計な話を聞かなくて済む。
数秒後に戻って来たもう一頭は、何食わぬ顔で話を続ける。
『おまえたち さえ こなければ われわれが このほしの しはいしゃだった はずなのに』
『とつぜん そらから あらわれ われわれを りくから おいだした』
そんな事を言われても困ってしまう。レイジはこれ見よがしに肩を竦めてみせた。
『局外』
確かに歴史上はそうかもしれない。しかし暈人としては新参者のレイジが、計画に参加していた訳ではない。なんとなく雰囲気で察したイルカは、二匹とも黙ってしまった。そしてたっぷり三秒後、哀れみを含んだ視線をレイジへと向ける。
『ざこ ってこと? たしかに おまえ よわそうだな』
『こども ってこと? ことばづかいも ちょっと ようちだしな』
馬鹿にするような言い草に、さすがのレイジも苛立ってしまった。握り拳を作ってかざし、水槽に張りつかんばかりの勢いで距離を詰める。どちらも間違っていないだけに、余計腹が立つ。
「レイジさん何してるの? 水槽叩いたらイルカがかわいそうでしょ」
ミカに怒られてしまった。理不尽だ。相変わらずイルカ贔屓が酷い。レイジはミカを無視し、イルカと目を合わせる。彼女は状況を理解していない。かわいそうな存在がいるというなら、暴言を吐かれた自分の方だ。あらかさまな威嚇に対抗して、イルカ達がほぼ同時に額を押しつける。鋭く睨みつけているつもりだろうが、額が平たく変形してなんとも笑える顔になっている。たまらずレイジは吹き出した。喉に痛みを感じて、すぐに収まってしまったが。純粋な気持ちで笑ったのは久しぶりだ。
『不細工……』
『なんだと うみの アイドルに むかって』
『ぜつゆる そしょう ほうていで あおう』
「えっ、急にどうした。ぶさかわ~」
ミカの頬がまた緩む。人間はイルカが好きだ。イルカの方はどうなのか。人間と一緒に仕事をするくらいだから、嫌いではないのだろう。
『ほらみろ にんげんは わかっている おまえと ちがって』
『われわれ ぶさいくでも かわいい うちゅうの しんり おまえと ちがって』
レイジはイルカなんて嫌いだ。今日の今、そうなった。
『とにかく イルカは がっかりです』
右のイルカが目を閉じた。それはこちらの台詞だ。一人称がイルカな事に、レイジは幻滅した。イルカは人間が勝手につけた種族名だ。そのまま名乗って恥ずかしくないのだろうか。左のイルカも目を閉じる。
『おまえが イルカたちを だして くれると おもったが ちがうらしい』
『よわい からな むりだな』
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