第31話 和解

「兎羽ちゃん、準備できたよ」

「あたしはもう少しだけかかりそう。座って待っててくれる?」

「わかったっ」


 鏡に映った自分とにらめっこしながら、リビングにいる小枝に言う。


 化粧なんて久しぶりにしたものだから、あたしは小枝よりも時間がかかってしまっていた。


 いつものようにBBクリームとリップだけ塗ってもいいのだけど、これから行く場所を考えると、少しでも華やかでありたい。プチプラ系の頬紅ですら付け加減が分からずに、ちょくちょく小枝に教えてもらった。


 成ったばかりの桃みたいな顔をしている自分を見て、納得はしていないが、やっと終わったという達成感だけが残る。やはり自分を彩るのは苦手だ。


「おまたせ小枝。暖房切って行こうか」


 あたしはそう言って、壁にかけてあったAI音声認識サービスである『マレンカ』に暖房を切るよう言った。けれどマレンカはさっぱり反応しない。


「故障かな」

「そうかも。先週あたりからそうなんだ。声をかけても反応しないから、結局手動で動かしてる。これじゃ音声認識サービスの意味ないじゃんね。まあ安物だったし、壊れるのも早いのかも」

「乾電池で動いてるわけじゃないのに、どうして壊れるんだろうね」


 小枝の口から出た乾電池という言葉が懐かしくて、あたしはつい噴き出してしまった。


 昔は使い切った乾電池をかき集めて、手で擦って復活を図っていたこともあった。あれが本当に効果のあるものだったのかは分からない。それでも復活する乾電池は何個かあった。


 あたしが手を擦っていると、それを見た小枝が「懐かしい」と微笑んだ。


「機械でも、もうちょっとだけ頑張ろうとか思うのかな」

「思わないでしょ。あたしでも、思わない」

「あははっ、もう」


 家を出て駅まで歩いて向かう。


 今日がクリスマスということもあって、街は賑わっていた。


 電車に乗って、二人でドアの近くで立って横流れしていく景色を眺めた。


 見慣れた場所が目に入って、あたしは思わず首を伸ばした。


 そこはヒルフェのあった場所だ。あの火災以降見ることはなかったが、キレイさっぱり更地になっていた。


 それを見て、すべてが終わったのだと寂しくなった。


 駅で降りて、小枝が改札口に何度も引っかかっているのを後ろから押しながらホームを出る。


 とても懐かしい。田んぼの香りがした。今年の冬はそこまで雪の量が多くないため、黄土色の土が所々を出していた。


「昔は溝のところまで雪で埋まってたのにね」

「小枝が靴を片方なくして探し回ったなぁ」

「そんなこともあったね。今年は、大丈夫そう」


 小枝はそう言いながら、黄土色の地面を踏んでスキップした。隊列を成さず、こうして好き勝手に歩き回るのは、小学校の頃の下校の時間を思い出す。


 小枝が転ぶんじゃないかとヒヤヒヤしながら、その背中を見守る。せっかく正装をしてきたのに、土で汚れたら大変だ。


 小枝もそれは分かっていたようで、すぐに田んぼから上がってきて歩道に戻った。


 目的の場所が見えてくると、妙な高揚感と共に、不安と焦燥に心臓が押し潰れそうになった。


「兎羽ちゃん」


 そんなあたしの手を、小枝が握る。じっとりと手汗が滲んだのは、きっとあたしのせいだろう。


「大丈夫、行こ」


 門を抜けて、広い庭を歩く。キラキラと光る宝石のようなタイルで出来たドアの前に立ち、息を吐いてからインターホンを押した。


 あらかじめここに来ることは伝えていたので、インターホン越しの会話はなく、すぐにドアが開かれた。


「こんにちわ、小枝ちゃん。それから、兎羽ちゃんも」


 出てきた切奈せつなの母親の顔は、あたしの記憶よりもずっとやつれて見えた。白髪も増え、目の下には大きなシワが出来ている。


「こんにちわっ、去年の秋に頂いた柿、とても美味しかったです」

「そう、よかったわ。小枝ちゃんも社会人になって、少し大人っぽくなったかしらね。・・・・・・いえ、話は中でしましょうか」


 枯れ葉のようにくすんだ瞳があたしを捉える。


 あたしは小枝を先に行かせて、そのあとに隠れるように付いていった。


 通された客間には、一つの大きな仏壇があった。


 置かれた提灯にはランプが灯っていて、その上には切奈の遺影が置かれている。


 人格更生プログラムによって見てきた切奈よりも、ずっと痩せている切奈。消えいくようなその儚げな笑顔を見ると、胸がキュッと締め付けられた。


「お線香も是非。切奈ちゃんも喜ぶと思うわ」

「はい、もちろんです」


 小枝が慣れたように線香をあげ、次にあたしの番になる。


 あたしは今、何をやっているんだろう。いないはずの切奈の写真を前に、灰を落として、この行為に意味などあるのだろうか。虚無感に包まれながらも、背後に突き刺さる視線から早く逃れたくて乱雑に線香をあげた。


「幼なじみ三人集まるのも久しぶりね、今日はどこへ行くの? 切奈ちゃん」


 切奈の母親が、遺影に語りかける。


 あたしは、顔をあげることができなかった。


 この人は、間違いなく切奈を愛していた。どんなことよりも、切奈を優先する。あたしは小さい頃、この人から何度も切奈を奪っていった。


 追いかけてくる切奈の母親の顔があまりにも必死なものだから、あたしはこの人のことを狂った母親だと思っていた。


「居間に明日花がいるから、相手してあげてくれる? スマホが充電できなくなってふてくされてるの。お茶菓子もあるから、これから用意するわね」

「ありがとうございますっ」


 小枝が頭を下げて、チラとあたしを見た。


 あたしが頷いたのを見ると、小枝は先に居間へと向かっていった。


 二人きりとなった空間で、あたしの喉は緊張でカラカラに乾いていた。唾を飲み込むと喉がくっついて、むせかえりそうになる。


「すみませんでした」


 あたしはもう、このままウジウジしていても仕方がないと思い、額を茣蓙に擦りつけた。


 切奈の母親の返事は、なかった。


「あたしのせいです。あたしが切奈のこと何にも考えずに、外に連れ出していたから、切奈の病状は悪化した。あのときのあたしは目の前のことしか見えていませんでした。切奈にとってなにが最善かも考えないで、切奈と過ごす大切な時間を、奪ってしまって、本当に申し訳ありませんでした」


 こんなの、謝ったって謝りきれるものではない。だって切奈はもういないのだから。


 あたしがどれだけ許しを乞おうとも、死んだ人間が蘇るわけではない。


「切奈ちゃんは運動神経よかった?」

「え?」


 顔をあげると、切奈の母親は、正座をして、あたしを見ていた。


「一度も遊んであげることができなかったから。脚は速かった?」

「はい、とても。小枝のことなんか、いつも追い抜いていました」


 視線が交差する。互いを確かめ合うように。


「私が知らない切奈ちゃんを、あなたは知っているのね」


 皮肉だってことは分かっていた。あたしはもう一度、頭を下げる。


「葬式の日からだから、四年ぶりかしら。本当は丁寧にもてなしてあげようっと思っていたのだけど、やっぱり、あなたのその顔を見ると、本当に心の奥底から、憎くてしょうがない」


 そう言う風に言われるのは覚悟していた。


 今日あたしがここに来たのは、切奈が置いていったすべてのものを、受け取ることだった。あたしが切奈にしていたことは、善良だったとはとても言い難いものだ。


「あなたがいなければ、切奈はもっと長生きできた。お金ならあった。外国の先生にだって話を付けていた。最新の医療で治療すれば、もっと延命できた」

「はい」

「私が何度辞めて、連れていかないで。そう言っても、あなたは聞いてくれなかった。それどころか、あたしを嘲笑うように逃げていった」


 この人があたしをどう思っているのか、痛いほどの伝わってくる。震えたその声は、切奈が死んで四年経っても、憎しみを忘れてなどいなかったのだ。


 あたしは謝ることしかできなかった。自分がしたことを何度も反芻した。切奈の母親の気持ちを考えると、無性に自分に腹が立って、せめて罰を与えてくれと願った。


「中学二年生のときにね、余命を宣告されたの」


 ふいに、切奈の母親が抑揚のない声で言った。


「余命二年だって。もしかしたら高校にも行けないかもしれないって、先生に言われたわ」

「そんなこと、切奈は言っていませんでした」

「けど、事実なのよ。だから私はそのときに覚悟を決めた。切奈ちゃんをどう生かすかじゃなくて、切奈ちゃんの命とどう向き合っていくかを。先生も治療は痛み止めだけに変えましょうと言って、治療することは諦めていた。私も余命宣告というものがどれだけ正確なものであるかは分かっていたから、それを受け入れたの」


 余命二年? でも、切奈が死んだのは高校三年のときで。


 あたしの困惑を表情から読み取ったのか、切奈の母親は小さく頷く。


「でも、切奈ちゃんはそれから四年も生きた。中学すら卒業できないかもしれないって思っていたのに。何の治療も施さないでそこまで延命できるのは奇跡としか思えないって、先生も言っていたわ。私たちがどれだけお金をつぎ込んで最新の医療技術に頼ってもなしえなかったことを、あなたはしたのよ」

「そんな、こと」

「憎い。けれど、それと同じくらい感謝してるの。あの子は息を引き取るまで、笑って過ごしていた。もし、あなたと出会ったいなかったら、あの子はいったいどういう最期を辿ったんだろう。医療器具に囲まれながら、何も分からないまま最期を迎えたのかと思うと怖くって・・・・・だからね」


 目の前に、筋の浮かんだ痩せた手が差し出された。


「ありがとう」


 あたしはその手を、無言で握り返した。


 とても、細い手だった。薄皮一枚で隔たれたその手は、震えながらあたしの手を優しく包み込んだ。


 あたしは声を出すことができずに、その場で泣いた。あたしを見た切奈の母親はふわりとそよ風のように微笑むと、


「そうやって泣いてくれる人がいるだけで、救われるわ」


 何度も力を込めながら、あたしの手を撫でる。


「今日は来てくれて、ありがとう。切奈ちゃんも喜んでいるわ」

「はい」

「痛み止めばかりで、辛かったでしょうね」

「そうだと思います」

「それでも外に遊びに出かけるのは、よっぽど楽しかったんでしょうね」

「いつも笑ってました。誰よりも、元気に」


 あたしがそう言うと、切奈の母親も静かに泣いていた。

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