第24話 あまりにも眩しくて
「命とはとっておくものではありません。使い果たすものなのです。兎羽さん、あなたの心臓は今も死にたいと叫んでいます」
切奈の持つタブレットに表示された、あたしの心拍モニターには等間隔で波打つあたしの心臓の音色が表示されていた。
心臓は生涯で10~20億回の鼓動を打つらしい。それはネズミだろうと人間だろうと、クジラだろうと変わらない。生まれたときから回数制限が設けられているというのに、心臓というのは惜しみなく鼓動を続け死に近づいていく。
昔から、どうして心臓は節約というものを知らないのだろうと疑問に思っていた。そんな必死に鼓動せずとも、もっとなだらかに生きれば死までの期間は延びるはずなのに。
「頬に出来たその傷こそ、その証なのではないのですか」
切奈に言われて、頬をなぞる。たしかにあたしの頬には切り傷の痕が薄く残っている。小さい頃に怪我をしたということだけは覚えているのだが、転んだのか、何かで切ったのかは定かではない。子供らしく前ばかり見ていたから、後ろの記憶がさっぱりないのだ。
「兎羽ちゃん・・・・・・」
あたしが頬の傷をなぞっていると、屈んでいた小枝があたしのことをじっと見つめていた。今にもまた泣き出しそうな顔をしている。そういうときの小枝に話しかけても、小枝は「大丈夫」と言いながら鼻水を啜るのだ。いつも、昔から、ずっとそうだ。
「兎羽さんには、命を使い果たす理由があったはずです」
「・・・・・・小さい頃の話だよ。死ぬのが怖くて、それを少しでも紛らわせようと必死になってた。そうすればあたしの人生は価値あるもので、尽きる命を目の前にしてもいい人生だったって笑えるって信じてたから。でも、やっぱり死ぬのは怖いよ。人生を後悔しようと満足しようと、死ねば全部なくなるんだから」
あたしは腰が抜けたかのようにその場でへたり込んだ。立ち上がるのが辛い。起き上がるのが億劫だ。どこかへ向かう脚の動きすら無駄に感じる。口から放たれる言葉の一つ一つが空虚に思える。目に見えるすべての景色が作り物に見える。だっていつかは死んでなくなってしまうのだから。
死とは終わりだ。すべてが終わってしまうのが怖い。あたしの思考も意識も感情も消える。消えるのが怖い。あたしという存在がなくなるのが怖い。必死に生きていた日々が無意味になっていくのが、怖いんだ。
震える手を、切奈が握る。機械で出来たその手は、この世のどんなものより温かい。
「それでも、行かなければなりません。今、施設の中では火災が発生しています。わたしが確認できる限りでは火災元はデータの管理室のケーブルがショートしたことによるものです。おそらくデータの過剰量により負荷がかかったのでしょう。じきに火は広がります。兎羽さん、人格更生プログラムのデータを全て削除したあと、最初に目を覚ますのはあなたです。それから徐々に他の利用者の方も意識を取り戻していきます。おそらく突然の火災の混乱するはずですので、唯一事情を知っている兎羽さんが避難誘導をしてあげてください」
「ちょ、ちょっと待ってよ! なんでデータを削除する前提で話が進んでるの!? あたしはまだなんにも言ってないじゃん!」
「兎羽さんは、この世界に居続けるつもりなんですか? 他の人たちを犠牲にしてでも、永遠を手にしたいのですか?」
「・・・・・・だって永遠こそ、あたしの幸せだ」
「わたしの幸せは、兎羽さんが元の世界に戻って死ぬことです」
「人殺しみたいな言い方」
「そうかもしれません」
切奈は場違いなほど屈託のない笑みを見せると、再びタブレットを渡してきた。画面に最終確認のボタンを表示させながら。
「兎羽さんが生きるべき世界は、人が衰え、時間は平等に過ぎゆく、いつか必ず死ぬ世界です」
「人の話聞いてた? それが嫌だって言ってるの! だって、あたしは・・・・・・きっと死を受け入れられない。余命を宣告された病室のベッドで泣き叫びながら死にたくないと怯えて死んでいく。そういう未来しか見えないの」
闘病ブログを見て回っているときに、死ぬ直前であるにも関わらず『楽しい人生だった!』と綴っている記事をいくつも見た。切奈も同じだった。切奈は自分の命の終わりに気付いていながらも、最期まで泣き言を言うことはなく、笑って過ごしていた。
あたしにはきっとそういう生き方はできない。それが分かっているから、永遠を望むしかないって言っているのに。
「言っておくけどね、あたしにそういう説教とか講釈なんか意味ないからね。どうすれば死に抗えるのか、死の恐怖をなくせるのか、何度も試してきた。でも、どんな言葉もあたしには響かない。切奈が何を言ったところであたしの心が変わることはないの。もう、放って置いて」
「兎羽さん・・・・・・」
あたしは切奈に背を向けて目を瞑った。
もう何も聞きたくない。そうやって死の恐怖を感じない奴から上から目線で諭されるのはもうごめんだ。あたしは死ぬのが怖い。あたしが怖がりすぎてる。あたしがおかしい。もうそれでいいから、これ以上あたしを殺そうとしないでくれ。
「えい」
刻一刻と時間が過ぎていくなか、突然小枝があたしの指を握ったかと思うと、そのままタブレットへと持って行き、最終確認のボタンにそっと触れた。
すぐに指を引っ込めたが、タブレットの画面は真っ黒に染まり、身体を揺らすほどの地響きが鳴り始めた。
「小枝!? なにやってんの!」
あたしが怒鳴りつけると、小枝はむくれた顔であたしを睨んでいた。
「今の兎羽ちゃん、カッコよくない」
「は?」
「死にたくないとか永遠に生きたいとか、そんなことでいつまでもぐちぐち言ってる兎羽ちゃんなんて見たくないよ」
「小枝があたしのことどう思ってようが知らない! 大事なボタン押しちゃって、どうするのさ! 切奈! 今の取り消しにすることできないの!?」
切奈は首を横に振った。それとほぼ同時、目の前に転がっているロボットが白く光ったかと思うと次の瞬間には最初からいなかったかのように消えていた。
「データの削除が始まりました。もうじき世界は崩壊します」
「そんな・・・・・・」
あたしは腹の中で煮えくり返る怒りにまかせて小枝の胸ぐらを掴んだ。
「小枝、あんた! 自分が何したか分かってるの!?」
「ご、ごめんね兎羽ちゃんっ、ずっと話を聞いてたけど、よくわかんなかった。私、頭悪いから」
「だからいつも言ってるじゃん! 小枝はバカなんだからよく考えてから行動しろって! 世界が崩壊するってことは、小枝も消えちゃうんだよ!? 意識も思考もなくなる。もう少しで、死んじゃうんだよ!? 死ぬのが怖くないの!?」
「そ、そんなこと考えたことなかった。でも、どうせ私は、生きてても誰の役にも立てないから・・・・・・家に帰ってもお母さんに怒られる毎日だし、学校でもイジめられるし」
「だからって死んでもいい理由にはならないでしょ!?」
「兎羽ちゃんのためなら死んでもいいよ」
意味が分からない。小枝はあたしを真っ直ぐ見つめている。小枝はこんな真っ直ぐな目をできるような奴だったか。世界が崩壊する直前に、不具合でも発生したか。ただのプログラムのくせに、どうしてあたしの知らない小枝がいるんだ。
小枝の身体は、もう半分ほどなくなっていた。光が小枝の身体を包み込んでいく。
手を伸ばしたときには、すでに小枝は消えていた。
顔を上げると、周りにあった建造物も消え、空は黒に染め上げられている。
もう少し猶予があったっていいじゃないか。もう少し時間をくれたっていいじゃないか。
なんでいつも、終わりってのは突然やってくるんだ。
切奈のときだってそうだった。切奈体調が急激に悪化してから、覚悟はしていた。でも、お見舞いには毎日行けるし、もし切奈に限界がくれば切奈のほうが口を開いてくれるって思ってた。
人の死というものには、遺言や感動的で悲劇的な別れが付きものだって思ってた。
なのに切奈はいつまでも遺言というものを残さず、お見舞いにいけばいつものようにあたしとバカみたいな話をしてお腹を抱えて笑っていた。そうやって日常を一つ一つ拾い上げていくみたいに、過ごして、切奈は静かに息を引き取った。
「兎羽さん、時間がありません。すぐに準備を」
「準備って、何を?」
「あちらの世界で目を覚ましたら、すぐに避難誘導をはしめてください。もうここからじゃ火災の度合いは測れません」
「あたしに、死ねっていうの」
「そうです」
「こんなに死にたくないって言ってるのに?」
「死にたくないと嘆いたところで何も変わりません。不死ではない自分の命を呪ったところで永遠を手に入れられるわけではありません。でも、生きたいと叫べば、変わるものがあります」
あたしは必死にしがみついた。もう地面すらない世界の底を、爪でひっかいて、水を浮かべるように手のひらですくい上げた。
「・・・・・・成長していくと、死ばっかり見る。最近親戚のおばさんも亡くなったし、その兄弟も亡くなった。失っていくことを成長と呼ぶんなら、あたしは一生このままでいい」
あたしがまだ赤ちゃんだった頃、あたしは死なんてものも知らずに、目の前の景色にいちいち感動しながら床を這っていたはずだ。どうして人は成長するんだろう。どうして成長すると、失うものが増えるんだろう。
「昔のほうが楽しかったし、絶対幸せだった」
「はい」
「覚えてる? あたしと切奈が出会ったときのこと。たしかあたしと小枝が自転車に乗って、踏み台を使って飛ぼうとしてたんだよね。そのときに切奈が窓からあたしたちのこと見ててさ、あたしすぐに分かった。ああ、この子は病人なんだって。でも無視するのも気分が悪いから誘うだけ誘ってみたんだ。そしたら切奈、目をキラキラさせてさ。あたしの手を掴んで窓から飛び降りたんだよ」
「はい、覚えています。兎羽さんと小枝さんに出会えた日のことは、忘れたことなど一度もありません」
「それから切奈の家に毎日行ってたらさ、切奈のお母さんに追い返されて、それでもしつこく誘うものだから窓に鉄格子はめられちゃったんだよね。それでもなんとか切奈を部屋から出してあげたくて、学校の音楽室から楽器を盗んできてさ、切奈の家の庭で鳴らしたんだ」
「そんなこともありましたね。そのあとわたしが大太鼓を叩いて小枝さんを助けたのです。初めて叩いた大太鼓は顔の表面がビリビリするほどの衝撃で、もしかしたらこのまま破裂してしまうんじゃないかっていうスリルもありましたが、それでも叩くのをやめられませんでした。あのときの高揚感といったらもうすごかったんですよ」
「小さい頃は楽しかったよね。でも、高校生になってから切奈の体調は悪化して、卒業することもできずに死んでしまった。あれほど時間の経過を憎んだ日はないよ」
「そうですね」
「もうあんな風に三人で遊ぶこともできない。いずれあたしも小枝も死ぬ。そうしたら仲の良い幼なじみだなんて関係もなくなって、数年後にはあたしたちが築いてきた絆なんて知るかって顔で人は未来を生きていく。あたしたちが決して見ることのできない、そんな未来を」
「はい」
「それでも切奈は、あたしに死ねって言うの?」
「死んでください」
ああ、本気なんだ。切奈は。
間髪置かずに放たれたその言葉に、あたしは察してしまった。あたしがテコで動かされても永遠を望むように、切奈も強い力で、あたしの死を望んでいる。
「切奈もこれから、消えるんでしょ。怖くないの?」
「もしかしたら、そういう未来もあったのかもしれません。実際、これまで333回の中で何度かは、死ぬのが怖いと思いながら目を閉じることもあったという記録もデータ上に残っています。ですが、今のわたしは違います」
333回の中の切奈と、今目の前にいる切奈。どれも所詮はプログラムに応じて作られた機械であるはずなのに、どうしてこうも凄まじいほどの生への息吹を感じるのだろう。
「怖い、暗い。不安、焦燥。死を目の前にしてそう思うことこそが当然であり、機械として生まれたわたしにとってその当然に従うことこそが機械としての使命なんだと思っていました。ですが、眩しいのです」
「眩しい?」
「これから死ぬのに。惜しいはずなのに、思い出す日々が、兎羽さんや小枝さんと過ごした日々が、眩しくて仕方がないのです」
「怖く、ないの?」
「怖くありません」
「これから死ぬのに?」
「もう充分人生を満喫しました。そろそろ死んだほうが、決まりはいいです」
「理解、できないよ」
「しなくてもいいです。いえ、できないのが当たり前なのです。記録と学習のために生み出されたわたしたち人工知能が天文学的数字に至るまで学習と思考を繰り返しても、自分たちの生まれた意味や存在の価値の答えを算出できなかったのですから。生身の人間が考えたところで答えを出せるはずもありません」
「でもさっき、切奈は自分の生まれた意味を知ってるって言ってた」
「そうです。ですがそれは、計算して辿り着いた答えではありません。兎羽さん、あなたが教えてくれたんです」
「あたしが?」
「はい。あの日見せてくれた景色は今も脳裏に焼き付いて離れません。手が届きそうな距離にある太陽と空。わたしは、あの景色を見るために生まれてきた。そして、そんな景色を見せてくれた兎羽さんに恩返しをするために、わたしは存在しているのです。おそらく、現実の一ノ
切奈はずっと笑っていた。息を引き取る最期のときまで決して弱音を吐かずに、あたしと小枝で病室を訪れると嬉しそうにベッドから這い出た。三人で子供みたいに騒いでいると駆けつけた看護師さんと、切奈の母親から叱られた。
何度も、何度も、子供の頃の思い出を振り返るみたいに、無邪気に笑うことをあたしたちは望んでいた。でも、それは本当に、切奈も望んでいたことだったのだろうか。
「兎羽さん、わたしは、わたしの死で兎羽さんの脚を引っ張りたくないのです」
切奈は分かっていたんじゃないだろうか。自分が死ぬことで、あたしの心に深い溝を作ってしまうと。あたしは死ぬのが怖いだなんて切奈に相談したことはないけど、人をよく見ていた切奈だ。遊んでいる最中にときどきあたしをジッと見つめているときもあった。もしかしたら、気付いていたのかもしれない。
「兎羽さん、目を閉じてください」
「切奈?」
切奈の顔が近づいてくる。あたしは切奈の言うとおりに目を瞑ることはできなかった。
切奈の白い額が近づいてきたかと思うと、あたしの唇は弾力のある何かに塞がれてしまっていた。
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