第15話 お姫様抱っこにはコツがいる

 春日くんは、小鬼ゴブリンの槍を素早くやり過ごしながら、徒手空拳で技を繰り返している。


 空手の基本技である前蹴りで決めるつもりのようだ。

 素人の目から見ても、体重の乗ったいい蹴りだった。


 股間を狙っているようだった。腰蓑しかつけていない小鬼ゴブリンはオスにしか見えないからだろう。

 なかなか決まらない。


 股間を外しても、蹴りは太腿の上部にヒットしているのだが、小鬼ゴブリンはまったく気にしている様子がない。


 春日くんのような体重の軽い人間と、空手という格闘技は、相性が良くなかった。

 空手に限らず、打撃系は体重がものをいうからだ。


 僕は春日くんのもとへ走った。

 小鬼ゴブリンの筋力は脅威だったが、そんなことを考えている場合じゃない。


 目のすみに座りこんでいる女子生徒が見えた。

 左足首に手をやっている。

 捻挫だ。


 僕は急いで彼女に走り寄った。

 女子生徒を抱え上げると、校舎に向かって逆走する。


 お姫様抱っこにはコツがある。

 お姫様が男の首ったまにしがみつくのだ。

 そうするとバランスがとれ、男の方が必要以上に重く感じることがなくなるわけだ。


 いま僕が抱え上げている女生徒は決して重くはなかった。

 だが、もっと速く走るためにも、彼女に協力してもらう方がいい。


「僕の首ったまに掴まって!」

「はい!」

 なかなか素直な子らしい。


 校舎に入ると、すぐに警備員室がある。

 警備員室は避難した生徒で既にいっぱいだったようで、ドアは施錠され、中から警備員の「すまない!」という怒鳴り声が聞こえてきた。

 そのまま走って職員室に向かう。ここも施錠されていた。


 会議室という手もあったが、そこも同じかもしれない。

 二階の教室に続く階段の方が近い。


 階段に向かって走る。すると腕のなかの女子生徒が言った。


「もういいよ! ここで!」

「大丈夫だよ! もう少しだから!」


 僕は思わず怒鳴ってしまった。

 急いでいるんだ。くだらないことを言うんじゃない。


 階段を駆け上がる。

 女子生徒がさらに強くしがみついてくれた。

 おかげで抱えている負担がさらに減る。


 教室には人の気配がなかった。

 なんで誰もいないんだ?

 そのとき、やっと思いついた。

 体育館だ。みんなあそこにいる。 


 まあいい。いまは急いでいるんだ。


 教室のドアを開けるために女子生徒を床に降ろそうとしたとき、ふと気づいた。

 まじまじと女子生徒の顔を見つめてしまう。

 見知った顔がそこにあった。


 あまりにも美しくて彫刻のようだった。

 ──白皇つかさ先輩だった。


 美しい黒い瞳が僕を見つめ返していた。

 僕たちは少し見つめあってしまったかもしれない。


 先輩の体臭がそのとき僕を襲った。かぐわしい匂い。汗と埃の匂いもしたけど、それを含めてすら、僕を陶然とさせるには充分だった。

 ドラゴンが反応して屹立しようとしたが、慌てて抑え込む。


 僕はゆっくり足を着ける先輩を抱きかかえながら、彼女の華奢さに感動のようなものを味わった。

 柔らかい女性の肉に守られた、しなる華奢さ、という感じだ。抱きしめたい欲求にかられた。


「もういいわ、ありがとう」

 先輩は僕を見上げながら言ってくれた。

 僕は先輩の切れ長の目を見つめながら言葉を探したけど、何も出てこない。

 美しい顔貌に魅入ってしまって、それどころじゃなかった。


「じゃ、僕はこれで!」

 僕が走り去ろうとしたとき、先輩が驚いたように言った。

「ちょっとどこにいくの!? あなたもここに隠れ……」

 全部は言わせなかった。

「友達のところ!」


 僕は階段など無視して、踊り場に飛び降り、廊下に飛び降り、校庭に向かって走った。


(間に合ってくれ!)

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