第2話 きつね

「おい」


 腰に手を当てて社に向かって声をかけると狐はびくり、と震えたようだった。

 けれど出てこない。

 透はジーパンのポケットに手を突っ込み、加熱式たばこを取り出す。

 出てこないなら待つまでだ。

 たばこをセットしてそれを口にくわえた時、社からそれは飛び出してきた。

 

「社でたばこをふかすとは、ふとどきせんばん!」


 そう叫びながらとびかかってきたそれを、透はひょいと一歩下がり避ける。


「けーん!」


 叫び声をあげて白い狐は地面にぽとりと、尻から落下してしまった。

 

「やっと出てきたねえ」


「あぁ」


 お銀さんの言葉に頷き透は煙を吐きだし、足元に転がる白い毛並みの狐をみつめる。

 それはお尻をさすりながら二本足で立ち上がると、透を見上げて言った。


「こら! そこの人間! ここは禁煙だぞ!」


「ああ」


 透は答え、加熱式たばこを咥えて煙を吐き出す。

 それを見た狐は透の足をぽかぽかと叩き出した。


「だからその、煙を消せと言ってるのに!」


「……もったいないだろう」


「もったいないと思うなら、たばこを吸うな、たばこを!」


「火を使ってるわけではないのだから、いいだろう」


 透が言うと、狐の手が止まる。


「火を、使わない?」


 呟いて狐は透をまじまじと見つめ、そして彼が持つ電子たばこを指差す。


「あ! たしかにたばこと違う! まさか僕を騙した?」


 透は煙を吐き、その場にしゃがみ込むと狐の顔をじっと見つめて言った。


「お前が、人を脅かしているという狐か?」


「え?」


 問われた狐は手を口もとにあてて首を傾げる。

 

「……えーと、え?」


 狐は何を言われたのか理解できないようで、きょとん、とした顔をして透を見つめる。

 この狐からはひとかけらも邪気を感じない。

 人に危害を加えるようには全く感じないが、さて、どうしたものか。

 透に来た依頼は、人に害をなす狐を祓え、だった。

 けれど実際ここにいるのはなんでもない狐の妖怪だ。


「お前、最近この辺りで遊んでいた人の子に、声をかけたか?」


 そう問いかけると狐は沈黙した後、ぽん、と手を叩いて言った。


「あー! ありましたよ、そんなこと! 川が増水していて遊んじゃ危ないよ! って声を掛けたらおっこちそうになって……逃げて行きました!」


「それと、ここの掃除をしていた老人……」


「あぁ! よくここの掃除をしてくれるおじいさんですね! お礼を言いたくて話しかけたんですが、逃げちゃいましたね。最近見かけませんが、なにかご病気ですか?」


 そして、狐は首を傾げる。

 どうやらどれも、狐としては害をなす気持ちはひとかけらもなかったらしい。

 

「あぁ、そうか。ならいい」


「どうするんだい、透」


「俺が言われたのは、人に害をなす妖怪の駆除だ。こいつは違う」


 肩に乗る猫にそう答えると、狐が驚いたように身体を反らして言った。


「え! ここにそんな危険な妖怪がいるのですか? どこ、どこ?」


 そして、狐はきょろきょろと辺りを見回す。

 それを見て透は狐の頭にそっと触れた。

 彼がもつ妖力のせいだろうか、雨が降っているのにもかかわらず、狐は少しも濡れていない。


「大丈夫だ。そんなものはここにいないから」


「え、あ……」


 頭を撫でられた狐は、まじまじと透を見上げた。


「こうして人と話すのは、久しぶりかも知れません」


 いいながら、狐は頬を両手で抑える。


「昔はよく人と遊びましたが、どんどん減っていって。今ではここを訪れる人も減りました。だから掃除してくれる人がいるのが嬉しくて、声をかけたんですが……もしかして、驚かせちゃったんですかね?」


 言いながら狐は少し悲しげな顔をする。

 透は首を振り言った。


「いいや、大丈夫だ。今は雨の季節だから来ないだけだろう。雨が止めば、また来る」


 狐が老人を驚かせてしまったことは伝えず、透はそう答えて立ち上がる。


「お前は優しいねえ」


 お銀さんが耳元でぼそりと呟くのが聞こえる。

 優しいだろうか?

 依頼は害のある妖怪の駆除であって、無害な妖怪の駆除じゃない。

 

「お前、この社にすんで長いのか?」


 透は煙草の煙を吐き出しながら言った。


「はい! ずっと昔……稲荷の神様の眷属であるお狐様によって、ここにすまわせていただいているものです!」


 言いながら、狐は背筋をただす。


「えへへ。人とおしゃべりできるの……嬉しいなあ……」


 狐はにへらと笑い、頬に手を当てる。


「しゃべるのはそんなに久しぶりなのかい?」


 お銀さんが言うと、狐は大きく頷いた。


「はい。昔に比べて僕の姿が見える人は減りましたし……ずっとひとりでここにいます」


 そう言った狐の耳と尻尾が垂れ下がる。

 さてどうしようか。透は考えながら煙草をくわえそして煙を吐き出した。


「狐」


「はい、なんでしょう?」


「お前は、ここを離れられるのか?」


 煙を吐き出しながら問うと、狐はこくこくと頷く。


「えぇ。僕は立派な妖怪ですからね! 離れることはできますよ!」


「なら着いて来い」


 そう言って、透は狐をひょいと抱き上げた。




 商店街の一角にある、透の家。

 一階は雑貨店になっており、人に化けた色んな妖怪がやってくる。

 

「お帰りなさい、透さん」


 営業中の雑貨屋の扉をくぐると、そこにはエプロン姿の茶髪の青年がいた。

 透の、年の離れた幼なじみである緋月だ。

 彼はこの雑貨店で社員として働いている。

 彼は嬉しそうに透へと駆け寄ると、抱える狐を見て笑った。


「可愛い狐ですね。どちらから攫って来たんですか?」


「違う。橋のたもとにある社にすむ狐だ」


 と言い、透は緋月に狐を押し付けた。

 攫うとは人聞き悪い。


「ちょ……と、透さん?」


「寝る。後は頼む」


「うわぁ! あなた、僕が見えるんですか? 嬉しいなあ! 今日は嬉しいが沢山ですよ!」


 緋月の戸惑う声と狐の叫び声を背中に聞きながら、透は店の奥へと進み自宅である二階へと上がっていく。

 着替えるのも億劫で、床に座りそのままたばこを咥え火をつける。

 外では加熱式たばこを吸うが、家では従来からある紙巻のたばこを吸う。

 正直紙巻の方が好きなのだが吸える場所が少ないし、緋月が嫌がるため人前では加熱式ばかり吸うようになった。


「同情? 憐み?」


 なぜ自分が狐をここに連れていたのか、自分に問う。

 この雑貨屋なら色んな妖怪が来るし、由緒ある神社の息子である緋月も妖怪を見ることができる。

 だから。

 だから狐は、ここに連れて来たら寂しくないと思った。

 

「ひとりは寂しいものだからねえ」


 そう言って、お銀さんはひょい、とソファーにのり丸くなる。


「そうだな」


 煙を吐きだし、テーブルに頬杖をついて窓の外に視線をやる。

 今は梅雨。雨はしばらくやみそうにない。

 ならばやむまでここにいればいい。

 ここにいれば狐はひとりでないのだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

きつねのやしろ 麻路なぎ@コミカライズ配信中 @nagiasaji

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ