第6話 ラッキードラゴン


 少しの探索だけで熊を見つけることができた。


 交易路から少し外れた森の中。樹木に熊の縄張りをしめす爪あとがいくつも見つかり、それらを辿るとすぐに問題の熊までたどりついた。


 ガロンとリティシアがいる位置から風下に少し行ったところに一匹、そこから更に離れたところにもう一匹いる。


 ふたりは木の影から熊の様子を伺っている。熊の大きさはガロンよりも少し大きい程度だ。たしかに魔物と化している気配はあるが、これが人間にとってどれくらいの驚異に値するのか、ガロンには判断できなかった。


 熊討伐の作戦はこうだ。


 リティシアが囮になる。


 ガロンは始めそれに反対したが、大丈夫だからぜひやらせてほしいと言われてすぐに折れてしまった。ガロンは格闘と「少々」の魔法を扱えると事前に伝えてある。

 よってリティシアが気を引き、その隙にガロンが接近して倒す、という方法でいくことになった。


 極めて単純だが、結局のところ真っ向から戦うか、不意打ちをするかの二択しかないので、そう悪い作戦でもない。


 二手に分かれる前に、リティシアが肉体を強化するらしい補助魔法をかけてくれた。

 それは素晴らしい効果をもたらした。


 魔法的な観点から見れば大海に一滴の水を垂らすようなものであったが、目をつむり一生懸命に補助魔法をかけようとするリティシアの姿は何かクるものがあり、圧倒的な精神の充足を感じさせた。メンタルは大事だ。


 二匹目の作戦はどうするのかと聞こうとしたが、すでにリティシアは動いていた。

 リティシアが風下に、ガロンはそのまま風上から徐々に距離をつめた。


 どのくらい手加減するか、が問題だった。

 

 その気になればこの場から熊を消し炭にするのは容易だし、近づいて素手でミンチにするのもまた容易い。しかし、それをしてしまってはリティシアからドン引きされるのは間違いなさそうではあった。

 どれだけ手加減するかが問題なのだ。


 熊がリティシアに気づいた。


 熊の目線がリティシアの方向に定まり、熊からにわかに殺気が漏れ始めた。

 ガロンはあくまでも人間らしい速度で距離を詰めた。

 熊から気づかれている様子はない。

 あと十歩もないところまで近づいても、熊はリティシアに気を取られている。


 ガロンはわざと気配を消さずに一息で熊の背後へと跳び、驚き振り返った熊の額に拳をあて、脳が機能を停止する程度の魔力を送り込んだ。


 それだけで、熊は振り返ろうとした勢いのままごろりと転がり、それ以上動くことはなかった。

 リティシアが早足で嬉しそうに近づいてくる。


「ガロンさん! さすがです!!」


 リティシアは興奮した様子で熊の死体を見ている。


「それで、二匹目はどうする?」

「え?」


 そこでようやく、ガロンはリティシアが二匹目の熊に気づいていなかったということに気づいた。


 リティシアの背後、すぐに飛びかかってこられる距離に二匹目の熊がいた。


 リティシアもその気配に気づいたらしい。顔の血の気が見てわかるほど引き、さきほどまで興奮で赤くなっていた頬が気の毒に思えるほど白くなっていた。


 手早く倒してしまった方がいいとガロンは判断した。


 二匹目の熊はどこかおかしかった。魔の気配が一匹目よりもずっと濃い。そして、体の大きさも通常の熊の何倍も大きかった。


 ガロンが動こうとしたのと同時にリティシアが振り返り、そのまま熊に向かって飛び込んだ。


 熊もそれに呼応するように襲ってくる。ガロンが割り込むか迷った瞬間、リティシアは襲いかかってくる熊の前で杖を左右に振った。


 不思議なことが起きた。


 飛びかかろうとしていた巨大な熊が、何かにぶつかったように弾かれた。ガロンからはまるで空気が弾力を持った何かに変化したように見えた。


 リティシアがガロンの元まで一飛びで後退してきた。


「ガロンさん、逃げましょう、あの熊は何かおかしいです」


 瞬発的な動きの代償か、リティシアは息もたえだえに言った。

 リティシアは顔面蒼白で、しかしその瞳には強い意思が宿っているのを感じた。

 今のリティシアの動きを見て、リティシアが思ったよりも動けるのはわかった。

 それよりも重要なのは、なぜリティシアが熊に仕掛けたか、だ。


 信じがたい話ではあるが、たぶんリティシアはガロンを守ろうとした。それは今のリティシアの魔力の流れと気配でよくわかる。危険をかえりみず、初対面に近い男を守るために自らの生命を盾にしようとしたのだ。


「倒してはだめなのか?」

「でも、あの熊は……」


 確かに先程の熊とは多少違う。リティシアの反応からするに、人間の基準で見れば大きな差があるのだろう。

 しかし、そんなものはガロンにとってないも同然だった。


 ガロンは散歩にでも出るように悠々と歩を進める。

 熊はガロンを目にし、威嚇のために立ち上がった。その背丈は人間の姿をしているガロンの二倍以上はある。

 ガロンは気にせず歩く。熊の目前まで迫ったところで、熊が鋭い鉤爪を振り下ろしてきた。


 ガロンが鉤爪の軌道に腕を割り込ませて受け止めると、妙な間が生まれた。

 あまりにも軽く受け止めすぎたせいで、熊側が困惑しているかのような妙な間が。


「うおおおおおおお!」


 ガロンはそれを誤魔化すために雄叫びをあげた。受け止めて一拍おいてから出す声としては間違った可能性もあるが、確か人間はこういう声を出す。


 鉤爪を払い落として滑り込むように熊の懐に入り、ガロンの肘が熊の腹の中心に食い込んだ。


 熊がガロンにのしかかるように倒れ、ガロンはそれを軽々と払いのけた。

 熊は地面にころがり、軽々と払ったとは思えない重量感のある音が地面に響く。


 リティシアを見ると、安堵のためかその場に座りこみ、涙目になってガロンのことを見つめていた。


 



 ガロンは依頼からの帰路、興奮するリティシアの相手をしつつも考えにふけっていた。

 魔物化した熊について、ではなくリティシアについてだ。


 短い時間だが、リティシアについての疑念はもうなくなっていた。

 リティシアは中々の腕を持っているが、新米の冒険者なのだろう。それは立ちふるまいの端々から感じられる。

 なんなら本人も経験が浅いと言っていた。たぶん本当に「なんか強そうだから」ガロンに声をかけたのだ。


 そして、人間の基準から見てもリティシアはかなり危ういのではないかと思う。出会って間もない相手のために命を危険にさらすなどふつうではない。

 ふつうではないが、さきほどのリティシアは間違いなくその覚悟を決めていた。


 自分が受けた依頼で危険な目に合わせてしまった責任を取ろうとしたのか、それとも自己犠牲をいとわない聖人的な性質を持っているのか、それはわからない。

 

 しかしそういった理由から、リティシアがガロンに何かしらの害意を抱いている可能性はゼロと思っていいだろう。


 つまり何が言いたいのかといえば、だ。


 困ったところをいきなり美少女が現れて助けてくれる。そんな都合のいい話はあるはずがないとガロンは考えていた。

 そんな幸運は何十年何百年生きても滅多に遭遇しないと知っている。

 そういった経験と今日起こった出来事を総合して、ガロンが出した結論はこうだ。


 おれはおそらくラッキードラゴン。



 


 依頼の報告をしたところ、二体の魔物化した熊の死体を確認できれば、報酬に大幅な色をつけてくれるそうだ。

 

 冒険者ギルドでは飲食できる酒場が併設されていて、夜になると依頼を終えた冒険者たちで賑わっているのが常だ。

 ガロンとリティシアは報告を終え、祝杯をあげようと席についた。

 対面に座るリティシアはどこか落ち着かない様子であった。


「どうかしたのか?」

「あの、もしガロンさんがよければ、しばらく一緒に依頼を受けてもらえませんか? 私は今仲間がいないですし、ガロンさんも路銀が足りないというのであれば、それが貯まるまで……どうでしょう?」


 迷うまでもない話ではあった。路銀があれば道中が楽しめるし、急ぐ旅でもない。それにリティシアはどこか放っておけない危うさがあるように感じている。


 ガロンの勘だが、今のまま進めば一人前になるより早く死んでしまう可能性の方が高いのではないだろうか。一人の人間に固執するのは良くないとは思うが、ある程度経験を積ませるまでは付き合うのも悪くない。なにせ竜には時間がある。


「こっちとしても頼みたいくらいだ」

「本当ですか!? よかったぁ……」


 リティシアの顔がパッと輝き、すぐに安堵に頬が緩む。


「じゃあ乾杯しましょうよ! ウェイターさーん!!」


 リティシアは元気よく手を上げて給仕を呼ぶ。


「ご注文お伺いします」

 

 リティシアにうながされ、ガロンは先に注文を入れた。


「ではあの樽を」


 ガロンがカウンター横にある酒樽を指差すと、ウエイターどころかリティシアまでが「コイツは何を言っているんだ」という顔をした。

 一呼吸おいて、リティシアが得心がいったように頷き、


「なるほど、皆さんにお酒を振る舞うんですね?」

「いや、飲むが」


 リティシアの気配がなんだか怪しい。


「路銀、ないんですよね……?」


 リティシアが見たこともないような表情をしている。かわいいけどなんだか怖い。たぶんガロンは何か間違ったことをしたのだ。


 その正体を探そうと周囲を見回してみる。周囲にはむさ苦しい冒険者達が食事や酒を楽しんでいる。


 そこでガロンは違和感に気づいた。

 酒樽をわきに食事をしているものが誰もいない。

 

 ガロンは今まで旅をしてきて人間の食事の様子をしっかり見たのは初めてだった。周囲で食事をしている人間はいつでもいたが、そこに注意を払うことはなかったのだ。

 あとから考えてみれば、酒樽を頼んでいた人間は誰もいなかったような気がする。


 ガロンは気づいてしまった。

 竜は人間から献上された酒を飲むことがままある。そういうときはもちろん樽で献上される。そしてそれは樽のまま飲まれるのだ。


 周囲の人間はコップに酒を注いで飲んでいる。


 なるほどね。


 嗜好品とはいえ酒が高すぎるとは思っていた。

 リティシアの顔はどんどん険しくなっている。このまま樽ごと飲んだら何かとんでもないことになりそうな気がする。

 そこでガロンはキリっといい顔をして、


「冗談だ、報酬の上乗せがあった分、皆に振る舞うつもりだ」


 それを聞きつけた隣のテーブルの酔っ払いがいきなり立ち上がり叫ぶ。


「おーい!! 今夜はこの御方の奢りだぞーーーー!!」



 ギルドの酒場は大いに湧いた。


 宴じみた大騒ぎは夜遅くまで続いた。


 ガロンはそれを複雑な心境で楽しんだ。


 物足りない量の酒に乾杯だ。

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