きたない手

因幡雄介

プロローグ

 俺が浄化センターで働いていたときの話だ。


 浄化センターでの仕事は、主に点検や数値の記録だった。

 夜勤があり、こういう職場では男しかいない。

 夜勤は二人体制で気楽という理由で就職した。


 初勤務の日、所長の中年男性に案内されて、施設内を回っていた。

 見たこともない機械や、草まみれの場所など、新しい光景に好奇心が満たされていく。

 臭いは当然ひどかったが、何日かすれば慣れると、所長は笑っていた。

 俺は別に臭いに敏感なほうじゃなかったので、特に問題はなかった。


 ある場所で所長の足が止まった。

 そこは、ちょうどプールみたいに広くて、周りは金網で囲ってあった。

 中に入る前に、所長はつばを飲み込み、あたりを見回しているようなしぐさをした。

 金網につけられた南京錠を慎重に開けていき、俺を中に招き入れる。

 夏だったので気づかなかったが、そのときの所長は、やたらと汗をかいていたように思う。


 そこは曝気槽と呼ばれる所だった。

 屋外にあったので、真夏の太陽がかんかんに照ってくる。

 プール内では、茶色の汚泥水が、ポコポコと泡を吹き上げ、異様な臭いを発散させていた。

 プール内にエアポンプを入れ、水の中に酸素を入れて、微生物を生かしているらしい。

 くわしい仕組みはわからなかったが、魚の水槽によくある泡のぶくぶくみたいなものだ。

 あのぶくぶくが必要な理由は、魚の酸欠を防止するためだと聞いたことがあったので、あれと似たようなものだと理解した。


 所長は説明を終えると、点検のときはこの中には入らなくていいと言った。

 何かの事故で、茶色いプールの水に人が飛び込むと、浮かび上がることができず、沈んでしまうらしい。理屈はわからない。

 相当危険な場所なようだ。それで金網で囲ってあるのかと思った。


「ここにはきたないモノが住んでるからなぁ……」


 所長がぼそっとそんなことを言ったが、微生物のことだと思い気にしなかった。

 何よりも、こんなに臭くて茶色い水のプールに、入りたい人間なんていない。

 浄化センター内の説明が終わり、さっそく勤務に入るようになった。

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