第180話

***頼信⑤***


「え、わ、私、ですか?」

「はい。アランさんの煉瓦職人としての腕と、研究の才覚を貸してもらいたいんです」


 目を点にしたアランの隣で、ファルオーネが好奇に満ちた顔をして、ゼゼルとルアーノも視線を向けている。


「鉄の大量生産を目指したいんです。そのために新しい炉の構想があるんですが」

「炉」


 その単語を繰り返したアランの膝の上には、いつも猫みたいに煉瓦が乗っている。


「まず、高温に耐えられる煉瓦を特別に作って欲しいんです。確か、混ぜ物を変えると煉瓦の性質が大きく変わるとか」


 アランはぽかんとしてから、おずおずとうなずく。


「そのうえで、炉を作って欲しいのです。ええっと……そう、こんなふうに」


 テーブルに置いてあった書き損じの紙にぱぱっと絵を描く。

 それは入り口の奥行きが長い暖炉のような形をしたもので、アランのみならず、猫より好奇心旺盛な残る三人も覗き込む。


「鉄っていうと、るつぼじゃないのか」

「ヨリノブ殿は、大量にと言っただろう。るつぼでは限度がある。竈のようにするのではないか? 崖沿いに掘った穴で鉄を作る様を見たことがある」


 鉄の歴史は長いが、製錬に必要なものとはつまるところ、高温と、高温と、高温であり、それをいかに効率よく生み出すかの戦いだ。


「この世界の鉄製錬の技術は、明らかに他の技術に比べて立ち遅れています。自分たちの世界の歴史の基準で言えば、とっくにこの手の炉が出ていてもおかしくないんですが」


 この世界でも、鉄の有用性そのものは認識されている。だから鉱山で使う道具は鉄製だ。


 けれど何事も費用と利益のトレードオフであり、獣人に飯をたくさん食わせたほうが、わざわざ鉄を作るより安上がりなのだ。


 おかげで、鉄製錬技術が発達しなかった。


 この悪しき習慣を、打破しなければならない。

 頑丈な獣人たちだって、鉄の器具を使えば生産性は激増する。


 そして生産が増えればモノの価格は下がる。


 モノの価格が下がると、多くの人々を養うことができる。


 さらに大事なことは、鉄の生産と合わせて冶金技術もあげていけば、いつか蒸気機関や、その先の内燃機関にもたどり着けるかもしれない点だ。


 近代文明に、手が届くかもしれない!


 その大いなる一歩が、いつも煉瓦を子猫のようにかわいがっている、アランの手にかかっている。


「鉄を大量に作るのは、敵と戦うためです。すでにこのジレーヌ領は、帝国中枢に目をつけられているようですから」

「えっ⁉」

「鉄を大量に生産して鉄製の道具を作り、あらゆる作業の生産性を上げ、戦いに備えないとなりません。そして戦いとは、人口と、生産量にかかっています」


 四人の賢人が、真剣な目でこちらを見ている。


「少数精鋭で勝てるのは、局所的な戦いだけです。物量に圧倒的な差があれば、必ずいつか押し負けます。ですからどうしても、規模スケールが必要なのです」


 小人が巨人と戦おうと言うのだ。あらゆるドーピングをしてでも、体をでかくしなければならない。


 魔法の様な規模の拡大ブリッツ・マジック・スケーリングが必要だ。


「わ、私が……それ、を?」


 アランは、明らかに気圧されていた。


 四人の中ではゼゼルと並んで気が弱く、ファルオーネとルアーノが悪態をつきながら思考を巡らせる横で、いつも控えめに微笑んでいた。

 元の職業は煉瓦職人で、町でも決して高い身分ではない。


 だが、その頭脳にはすさまじい才覚が秘められ、なにより、彼には職人としての腕がある。


 知識しかない現代人ではなく、彼には知識を形にする貴重なスキルがある。


 この四人の中でも、それは唯一にして、習得に恐るべき時間のかかる特殊技能だ。


「あ、あの、でも、この写本を……」

「アラン」


 その名を口にしたのは、ファルオーネだった。


「己の才覚を必要とされるような幸運は、人生にそう何度もあるものではない」


 いつもやかましくて、目的のためならあらゆるものを蹴り倒して憚らない傍若無人さを発揮するファルオーネ。

 彼が写本を欲しいと思えば、寝ている赤子を起こしてでも筆写を手伝わせるだろう。


 だが、歳を重ねた占星術師は、静かにアランを見据えていた。

 進むべき方向を間違えるなと、星の行く末を占う男が目で訴えていた。


 アランは泣きそうな顔でそちらを見て、そして、震える唇をぎゅっと引き結んだ。


「高温に耐える、煉瓦、でした、か?」

「はい。その煉瓦を使ってですね、超高温が出る炉を目指して欲しいんです。自分のいた世界では、炉として大きな枠組みがいくつかありまして……」


 燃料と鉱石を、高い塔の中に交互に積み上げて、下から火を焚いて風を送り込んで反応させる、いわゆる高炉。

 それからピザ窯のピザのように、直接火に当てず炉内の輻射熱を利用して溶かす反射炉などがある。


 各々理由があってそういう形になっているが、共通していることがある。


「念頭において欲しいのは、高い塔と、炉から発生した高温の熱風を、再度炉に送り込める仕組みです。特に熱風の再取り込みはかなり重要……だったはずなんです。この辺りも、ぜひアランさんたちに実験してもらい、確かめてもらいたく」


 熱の効率利用は製錬費用に直結する。


 が、この手の構築物は自分の頭で解けるパズルの域を超えている。


 それに絵図を描いても、どんな職人に仕事を頼めばいいかわからず、とても陣頭指揮など取れないだろう。


 職人として経験を積んでいるアランなら、それが可能なはず。

 こちらの書いたへたくそな絵から、最適な炉を作り出してくれるはず。


 最終目標の転炉は、猛烈に炉の中に吹き込む酸素の準備などがネックになるが、基本方針はどの炉でも同じだ。


 熱を余すところなく利用し、徹底的に風を送り込むべし。


 こうして鉄の量産が可能になれば、鉄製の道具を量産することができる。

 それは、ジレーヌの文明度を大きく前進させるだろう。


 しかもこれは、ただ鉄で武装するだけの再文明化ではない。


 なぜなら、鉄で武装した連中は、火薬よりも恐ろしい合成魔石を持っているのだから。


 自分はクルルにさえ説明しなかったことがある。

 船の上で、熱心に話を聞いてくれたクルルでさえ、呆れるだろうことだから。


 自分はアホみたいな単語を、何度も何度も心の中で呟いた。


 魔法、機械、文明、と。


 鋼鉄の機械で武装した、獣人と魔法使いの国。


 魔法機械文明には、男の子の好きなものが全部詰まっている!


「この絵のものを組み立てるのは、さ、さほど問題ないと思います。煉瓦の話も……渡りの職人から、聞いたことがあります。特定の石を混ぜると煉瓦の性質が変わること自体は、よく知られていますし……。ただ……」


 アランはまたもじもじと、言葉を飲み込んでしまう。

 その様子に、ファルオーネとルアーノが揃って肩をすくめた。


「アラン、君はなにを見ていたのだ」

「そうだぜ。そこの大宰相様は、俺の馬鹿げた提案でさえ蹴らなかったんだからな」


 アランは首を伸ばし、それからおずおずとこちらを見る。


「費用、です……」


 その卑屈な目には、怯えさえ見え隠れしていた。


 きっと工房にいた時から、好奇心を満たそうとしては、周囲から白い目で見られたのだろう。

 なんなら、暴力だって振る舞われたかもしれない。


 これは、この世界の人間が愚かだからではない。

 事実としては逆で、賢いから、そういう「お遊び」みたいなことに怒り狂うのだ。


 この世界の文明度では、まだ大量生産が行えず、皆が食うや食わずのラインにいる。

 そういう世界で確実に成果が見込めるわけでもないものに資源を消費するのは、馬鹿げた行為なのだ。


 生産性の低い世界では、新奇なことをやってなにか失ったら、その失ったものを取り戻すことが、とてつもなく大変なのだから。


 だから前の世界でも、古い時代に学問に打ち込んだり、なにか発明をするのは、ほとんどが生活に困らない貴族階級だった。


 しかし自分は、研究開発の重要性をよく知る時代からやってきた。

 投資や実験は無駄遣いではないし、学問的追及はただのお遊びではない。


 血を流してでもやるべきものだと、理解している。


 足りない資源は、意地でもかき集めてくるべきなのだ。


 その想いが、こちらの目から伝わったのかどうか。


 アランは、言った。


「それなら、できる、かも……いえ」


 彼は、言い直した。


「やってみせます」


 ファルオーネがアランの肩を叩き、ルアーノが軽く口笛を鳴らす。

 自分も笑顔になって、アランの手を取った。


「よろしくお願いします」


 アランとの握手は、さすが職人らしく、ちょっと痛いくらいなのだった。

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