第124話

 山登りといっても、大霊山に何日もかけて登るようなものではない。

 風は乾いて冷たいが、幸いなことにこの季節ならまだ雪は降らないらしい。


 干し肉や固焼きパンといったいくらかの携行食と、水を詰めた皮袋に、きつめの酒をいれた小さな樽。それから野宿用の寝具でどうにかなるとのことだった。


 それに最悪、毛皮の持ち主が二人いる。

 あまり絵面はよくないが、彼らの懐を借りれば凍死もあるまい。


 イーリアのふわふわの尻尾だったら……と思ったが、勘の鋭いクルルに嗅ぎつけられる前に、頭から邪念を払っておく。


 そんなこんなで自分たちは山登りの準備を終え、先日話にきた男を先頭に、山に向かった。


 自分たちの後ろには、村の獣人と男たちが十人ほどついてきたが、監視とかそういう感じではなかった。なんとなく、誰かが祭壇まで行くらしいから、ついでにお参りをしようくらいの雰囲気だ。

 子供たちも客人が物珍しいようで、ちょろちょろついてきていた。


 少し高いところまでくると、村の様子がよく見えた。

 海沿いで身をひそめるようにひっそりと建つ、簡素な家。内陸部には畑が多少あるものの、痩せた土地に見える。


 さらに西に向けて島が広がっていて、海を挟んだ先には、いくつも別の島が見えた。


 しかし町があるようには見えなかったし、あまり大規模な人口を養える土地でもなさそうだ。

 帝国の支配を逃れて自由な暮らし、というよりかは、誰も好んで住まない場所に逃げ込んできたというほうが近いだろう。


 ただ、だからこそ奇妙な感じがあった。


 自分たちの歩いている山道は、ところどころが見事な石板で舗装され、異様にしっかりしているのだ。


「ここまでが我らに許された道だ」


 午前中いっぱい歩いた頃だろうか。

 男が立ち止まったのは、山の中腹までもきていない、山道の途中だった。


 自分たちがいる山の、三分の一くらいの高さと思われた。


 その道の途中に、唐突に祭壇があり、花や魚の干物、それに木の実などが供えてあった。


「ここから先に入る時、すべては神のものになる。命でさえも」


 男は脅しているというより、説得しているような話し方だった。


「荷物は三日経ったら、お前たちのものにしていい。それまでは手を付けるなよ」

「わかった。アヴァルドの名誉にかけて誓おう」


 ゲラリオは肩をすくめ、こちらに向かって顎をしゃくる。


 まずゲラリオが祭壇を避けて先に進み、それからクルル、バダダム、カカム、ファルオーネと続いて、最後に自分がついていく。


 ふと振り向けば、男たちがこちらをじっと見ていた。


 それは聖域に入る無礼者を咎めるのではなく、むざむざ命を捨てに行く者をまた止められなかったという、無力感を感じさせるものだった。


 それがかえって恐ろしく、自分は歩を速めて、一行の中に紛れた。


「周囲を警戒して、魔石の準備をしておけ。ヨリノブとファルオーネの旦那は、真ん中だ」

「本当に神がいるとでも言うのか?」


 ファルオーネの問いに、ゲラリオがへっと鼻で笑う。


「戦場で長いこと戦ってたが、神なんて見たことないって言っただろ。いつだって天使に見えたのは、むかつく毛むくじゃらの野郎と、愛想のねえ岩みたいな大男だよ」


 そういうことではない、とファルオーネは不服そうな顔をしたが、ゲラリオはすぐに種明かしをする。


「悪魔だろうよ」

「ん?」

「多分この山には、悪魔がいるんだろう」


 静かな、もしかすると静かすぎるくらいの、わずかに針葉樹が生える岩がちの山。


 魔笛を思い出したが、あれは魔王か。

 そんなことを思っていたら、ファルオーネが尋ねる。


「その悪魔というのは、聖典のものか?」

「竜と同じほうのやつだ。鉱山に出る魔物だな。ヨリノブは鉱山でよみがえった時、正気を保って山から出てきたが、たまにそうじゃないのがいる……と言われている。正味のところはわからん。魔石鉱山ではトカゲが竜になるというのも、そうかもしれんというだけだ。実際に変身するところを誰かが見たわけじゃない」


 魔石鉱山にはなにか得体のしれぬものが満ちていて、それを吸い過ぎれば人智を外れたものに変わり果て、それが魔物という存在だと呼ばれている。


「師匠、悪魔は強いのか?」


 クルルが問う。


「竜に考える頭がついてたらどうだ?」

「……強い」


 クルルは二度も自らの手で竜を屠っているが、そのどちらもいわゆる動物で、行動は単純だった。


「強いのもそうだが、面倒なんだよな。過去に二回、駆除に参加したことがあるが、すばしっこいし、知恵が回るからあからさまな罠だとなかなかひっかからん。ひどいと坑道の中に逃げ込んで、待ち伏せまでしてくる。冒険者が複数手を組んで、追い込んでいくしかないんだが、魔石の浪費が半端ない。悪魔のほうも魔法を撃ちまくるから、坑道どころか山が滅茶苦茶になる。だから悪魔が出たような鉱山は、よほど豊富な鉱脈と確信が持てない限り、放棄される」

「ふむ。その説明を聞くと、ヴォーデン属州がいつまで経ってもここを制圧しない理由が分かろうものだ」


 鉱山採掘があくまで経済活動なら、かけられる費用には限りがある。


「じゃあ私たちはどうするんだ? 悪魔を倒すのか?」

「そこなんだよな」


 ロランの船団を一瞬で震え上がらせた大魔法ほどではなくとも、バダダムたちの背負う荷物の中には、正規の魔石と共に、たっぷり魔石の粉を練り込んだ粘土が詰まっている。


 それを使う時はファルオーネに大魔法の種を明かすことにもなるので、できれば正規の魔石だけで事態を収めてもらいたい。


「倒すことは多分……できる」


 ゲラリオがクルルを見て、渋々と言う。


 クルルはそんなゲラリオに、実力を認められたのだと気が付いたのだろう。

 自分の顔がちょっと渋くなるくらい嬉しそうに目を見開いて、耳をぴんと立てていた。


「しかし、だ。悪魔が倒されたことにヴォーデン属州側が気が付いたら、どうなる?」

「むっ」


 ファルオーネが呻き、クルルが訳知り顔にうなずく。


「これ幸いと、攻めてくるな」

「そう。倒した後に俺たちが常駐するならともかく、そうでないのなら、あのしけた村を守ってくれる奴がいなくなるってわけだ」

「では、悪魔を牽制はできないだろうか?」


 ファルオーネが言った。


「牽制?」

「悪魔を牽制している間、私は大急ぎで坑道を調べてくる。ここはかつて、古代帝国時代の鉱山だったはずだ。この道は、鉱山から魔石を積み出すために作られたものだ」

「……」


 ゲラリオは、ファルオーネの言葉に驚くのではなく、目つきを一段階悪くした。


「なぜそんなことを知っている?」


 ゲラリオが不審そうに問うのは、そんな事前情報はなかったから。


 部隊内に秘密を抱えている人物がいるとなれば、背中を見せていいかどうかの判断に関わってくる。


 しかしファルオーネは、ゲラリオの胡乱な目つきに怯みもしない。


「君の目は節穴か?」

「ああ?」


 機嫌悪そうに聞き返したゲラリオの横で、バダダムが言った。


『飲み物や食べ物の器でしょう? 建物のあちこちにもありましたし』

「ほう、そなたは見込みがある。我らと研究を楽しまないか?」


 ファルオーネに肩を叩かれたバダダムは、ご遠慮被る、といった感じで首を横に振る。


「残念だ。観察眼は研究の土台なのに」

「……おい、なんの話だ」

「ゲラリオ殿、食事を供された時の器と、建物の柱だよ。たくさん装飾が彫られていただろう。見ていなかったのかね」

「……」


 クルルに下品だなんだと言われるゲラリオは、世渡りのためにテーブルマナーを習得しているものの、本来は酒は強ければ強いだけ、食事は塩気が強ければ強いだけ良いというタイプだ。

 器の装飾やら柱の彫刻やらに感心を抱く感じではない。


 むしろ、落ち着きなくあちこち眺めていたファルオーネに呆れていたゲラリオは、不服そうに腕を組んでいた。


「で? その装飾がなんだ」

「うむ。ああいうのには、部族の歴史や、信仰が描かれていることが多い。当然、詳しいことを解読するのは無理だったが、採掘道具と思しきものを持つ者たちや、魔石らしきものを運ぶ人足の絵が彫られていた」

『人々を従える偉そうな者もいましたな。けれど、あの村に王は見当たりませんでさ』

「そうなのだ。となると、あれは古代の支配者か……」

「悪魔本人、ですか?」


 自分の問いに、ファルオーネはにんまり笑う。

 そして、ゲラリオに問う。


「悪魔に民衆を統治するような知性はあるのかね」

「……兎も狩られる時には知恵を巡らせる、という意味での知性はあるが、人間の形をしているだけのなにかだと思ったほうがいい。鉱山の採掘でさえ指揮できるとは思えん。ましてや国の統治など」

「だとすると、一時期はそれなりに平和な鉱山だった時期があると考えるべきだ。採掘の物語が、部族の歴史を示す彫り物として根付くくらいには、長い期間に渡ってな。きっと帝国とも良き関係だったのだろう。その後、帝国が崩壊し、政情の混乱によって鉱山が放棄されている間に、悪魔が現れて今に至る。こんな推論が成り立つのではないか? これだけ辺鄙な場所では、採掘のための鉄器を自給できんだろうし、輸送用の船を作るのも大変だろう。大きな権力の支えがなければ、あっという間に荒廃したはずだ」


 自分は、一理あると思った。


 ただ、敵地での判断はゲラリオがくだすべきだと、事前に取り決めてある。


 全員の視線が集まると、歴戦の冒険者は頭をがりがりと掻いた。


「その坑道の位置なんてわかるのか? こんなでかい山だぞ」


 その問いに、ファルオーネはどすんと足を踏み鳴らした。


「この道を見れば明らかだ。今はだいぶ土を盛られてしまっているが、石板と砂利で舗装されている部分があっただろう。あれは古代帝国時代の舗装の仕方だ。アランから煉瓦の積み方にも地方色があると聞いてな。興味深くて調べたのだ」


 やけに良い道だ、と思ったのは間違いではなかったらしい。

 ローマ帝国も、当時に舗装された道は帝国崩壊後何百年ももったというから、十分あり得る。


「この道の先に、かつての坑道の入り口があるのはほぼ間違いないと思っている。しかも古代帝国時代の鉱山となれば、例の伝言が残されている可能性は低くない。むしろこんな辺鄙な場所ならば、妻の悪口を書くにはぴったりだろう」


 ファルオーネはその比喩が気に入っているらしい。


「……ってことは、まず誰かが入って、悪魔を釣りだしてってことか?」

「そうなる。危険な任務であろうが、頼んだぞ」


 ファルオーネはバダダムの背中をポンポンと叩き、バダダムはげんなりと身をすくめていた。

 ただ、その時だった。


 それまでずっと静かにしていたカカムが、言った。


『その必要はなさそうです』


 長い角を有し、俊敏な体つきのカカムは、稲妻のようなたたずまいだ。

 その目が森の奥を見通している。


『こちらを見ている者がいます』


 クルルは驚いてカカムの視線の方向に身構えていた。まったくわからなかったらしい。


「釣りだす手間が省けたな」


 一方のゲラリオは不敵に笑い、それからファルオーネがバダダムにそうしたように、ファルオーネの肩を叩く。


「さあ、運動の時間だぜ、占星術師さんよ」

「異端審問官に街中を追われた時のことを思い出すとも」


 やれやれとそう言ったファルオーネは、ローブの裾をからげて、脛をあらわにしたのだった。

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