第86話

 ゲラリオから、長剣を手渡された。


「振り回すな。訓練してないとまともに切れやしないんだ。それよりも剣を腰だめに構えたら、なにも考えずそのまま突進しろ。そんでずぶりという感触があったら、柄を思い切りひねって抜く。そしたら次の奴も、その繰り返しでいい」


 剣豪のように振り回すのではなく、やくざ映画に出てくるドスを構えたチンピラアタックにしろということだ。

 そしてあれはあれで合理的な実践の方法だったんだなと、変な感心をした。


 これから人殺しをするかもしれないという実感は、あるようなないような、ふわふわした感じだった。


「俺が扉を蹴破って、一撃光の魔法をかます。そこにすぐ飛び込んでクルルちゃんを探せ。敵がいたら、さっきの要領で、壁に縫い付けるような感じで動け」


 新兵に言い聞かせるベテラン兵士とは、こんな感じなのだろう。

 ゲラリオは最後に肩を叩いてくるが、これだけのことが実に心強い。


「よし、それと……」


 ただ、ゲラリオはそこまで言って、言葉を濁した。


 百日紅の館はすぐ目の前にある。

 まさか襲撃されるとは思っていないようで、特に見張りもなく、煙突からは煙が出ているので昼食を取っているようだ。


 飛び込むには絶好のチャンス。


 いまさらなにを言い淀むのだとゲラリオを見やれば、歴戦の冒険者は静かな目でこちらを見据えた。


「野暮だけど言っておく。クルルちゃんがどうなってても、とにかく抱きしめてやれ」


 ゲラリオは楽観視しない。

 戦場で起こりうるすべてを想定して、動いている。


 自分はうなずこうとしたのに、首が石のように固くなっていて、うなずけない。

 ようやくうなずくまでに、たぶん、四回くらい深呼吸しただろう。


「行くぞ」


 どんなに頑張っても呼吸が荒くなる。

 どれだけ息を吸ってもまったく肺に入ってこない。

 ゲラリオの後ろについて歩く自分を、どこか遠くから眺めているような変な感覚に包まれている。


 心臓の音が痛いほど鳴っていて、自分の足音ですら聞き取れない。

 ゲラリオが軽く振り向きなにか言ったが、自分はなんと答えたのかすらわからない。

 唯一確かな感覚は、両手で握り締めた剣の柄の感触だけ。


 ゲラリオが扉の前に立ち、大きく息を吸うと、体をのけぞらせて派手に蹴り破った。


「死にくされおんどれらあ!」


 ゲラリオが罵声をあげて飛び込んで、魔石を握りしめた手を掲げる。

 強烈な光の魔法を撃つと聞いていたので、自分は目を閉じてその脇から部屋の中に飛び込んだ。


 一歩、二歩、三歩と踏み込んだところで目を開けて、館の広間の様子が目に飛び込んでくる。

 そこにはマークスを油で煮込んだような、むくつけき男たちが何人かいた。上半身が裸の者たちもいる。

 彼らは一様に呆気にとられた顔でこちらを見て、幾人かは明らかにこちらの手元の剣を見つめていた。


 間延びした時間の中、自分が四歩目を踏み出そうという時、気がついた。

 その広間に置かれたテーブルのうちのひとつ。

 そこにはひときわ小さな輪郭があった。


 特徴的な銀髪と、華奢な肩に、細い首。

 そして泣き腫らした緑色の目。


 やはりクルルはそれほどの目にあい、だから目を見開いてこちらを見て、口を開けて――。


「ん、え?」


 大口を開けて、具だくさんのパンにかぶりつこうとしていた。


「ヨリノブ⁉」


 クルルの声で、時間の流れが唐突に戻る。


 ゲラリオは魔法を使おうと右手を掲げたままつんのめり、自分は剣を取り落とす。

 それを見て、襲撃に反撃しようとしていた娼館の男たちもまた、戸惑ったように動きを止めていた。


「クルル、さん?」

「ヨリノブ! 無事だったのか!」


 椅子を蹴倒し、クルルが飛びついてくる。


「う、わぁっ⁉」


 あまりの勢いに耐えられず、そのまま床にひっくり返った。


 しがみつくクルルの向こうに、ゲラリオの顔が見えた。

 そのゲラリオの顔は、驚きからやがて、ほっとした笑みに変わっていた。


「ヨリノブ、お前、お前――」


 だんだん鼻声になって、クルルはこちらの胸に顔を押し当てたまま動かなくなる。

 なにがなんだかわからないが、わかっていることがひとつある。


 男らしく抱きしめるなんてのは自分にできず、今回もそうしたのはクルルだった。


「なんの騒ぎだい、まったく」


 広間の奥から聞き慣れた声は、あのやりてババアのものだろう。


「おやずいぶん渋い男じゃないか」


 ちゅっという音は、投げキッスのようだ。


「んで? 猫姫はなにしてんだい」


 こちらの胸に顔を押し当てて肩を震わせているクルルは、ここでも猫姫と呼ばれているらしい。


「俺たちゃ、仲間を助けにきたんだが」


 どうも無理やり囚われていたような感じではない。

 なんならクルルは、目元こそ泣き腫らして真っ赤だったが、大口を開けて特大のパンにかぶりつこうとしていた。


 ひどい目にあった後の小休止、というには、ちょっと無防備すぎる様子だった。


「ああん? 毒を盛られて連れ去られた仲間ってのは、あんたらかい。脱走を許すなんて、最近はバックス商会も腑抜けたねえ」


 普通の状態ならまず脱獄は無理だった。

 けれど今は自分たちの話をしている場合ではない。


 クルルの華奢な肩を掴み、顔を上げさせた。


「クルルさん」

「っく……ひっく」


 猫の耳を伏せたまま泣きじゃくるクルルは、初めて見るような顔であり、そうでもないようであり。

 もう一度頭ごと抱えるように抱きしめてから、頑張って体を起こした。


「なんで、クルルさんが……その、無事、なんです?」


 多分、無事だろう、と思う。

 ひどい目にあわされた後にしては、なんというか、抱きしめたクルルの匂いがいつものイーリアの屋敷のそれだったのだ。


「それは……ひっく、こっちの……ぐす、台詞だ」


 ようやく落ち着き始めたらしいクルルが、そんなことを言う。


「どうもこうもありゃしないよ。バックス商会から上玉が手に入ったからって連絡がきて、引き取りに行ったら、この子が一服盛られてひっくり返ってるんだもの」


 そこまではわかるが、クルルが男たちに取り囲まれてひどい目に遭っているのではなく、どうやらみんなと昼食をとっていたらしいことに話がつながらない。


「気になって調べてみたら、なんとジレーヌ領の領主様まで掴まってるって言うじゃないか。だからあたしゃあその瞬間、神様に感謝したね」

「え?」


 やりてババアのにんまりした笑みを見ていたら、クルルに胸倉を掴まれて視線を引き戻される。


「イーリア様を助けに行く。こいつらはその力を貸してくれる」


 なぜ。


 戸惑っていると、すっかり戦闘態勢を解いたゲラリオが、クルルの放り投げたパンを拾ってパクパク食べながら言った。


「獣の耳に助けられたか?」


 クルルの耳が動く。


「商会の連中は、クルルちゃんが魔法使いだってことを確認しなかったんだな」


 話がまったく見えないが、やりてババアはゲラリオに向けてうなずいている。


「馬鹿すぎるだろう? あいつらの獣人嫌いは、ある種の信仰だからねえ。これだけ可愛いんだから、素直にその場でひん剥いておきゃあ、入れ墨に気がついたのに」


 クルルは魔法の入れ墨を、服を脱がさないと見つけにくい肩に入れていた。


「だからあたしゃあね、この子は神が遣わした天使だと思ったよ」

「なるほどね。姉さんも悪人だな。この商売長いのかい」

「洗礼も娼館で施されたクチだよ」

「へっ。商会の貴族様じゃかなわんわけだ」


 ぺろりとパンを平らげたゲラリオは、指を舐めてから、ぽかんとしたままのこちらを見る。


「捕らわれた領主のその従者が、魔法使いかどうかも確認されずに、そこらの娘と同じように娼館に売られたんだ。これ以上にない落ち度ってやつだよ」


 やっぱりわからず、ゲラリオに向けてゆっくり首が傾いでいくと、目の前で目を拭って鼻を啜っていたクルルが言った。


「私はイーリア様を助けに行く。あらゆる邪魔者をなぎ倒し、どんな魔法でも駆使してな」

「あたしゃその魔石をこの子に貸してやる」

「そして大混乱の町中にうごめく、覆面姿の男たちってわけだ」


 ゲラリオが見回すのは、広間にいる面々だ。

 商館の客、という感じにしては皆がそろって一癖ありそうだ。


 しかし、どうしてクルルの存在が天使に?

 このやりてババアがイーリアを助けるのにどうして協力する?

 バックス商会御用達の娼館ではないのか?


「鈍い子だねえ。善良な娼館の主人たるあたしは、この子が魔法使いだなんて露ほども疑ってないわけだ。だからその小さな魔法使いが目を覚ましたら、あたしら善良な市民なんて簡単になぎ倒されちまう。で、この子が主人を助け出しに行くだろ? 怒りに任せて魔法を使うだろ? するとなんと……たまたま街の宮殿の宝物庫の壁に、大穴が開いちまうってわけだ」


 やりてババアが舌なめずり。

 そこまで言われてようやく、自分にも構図が見えてきた。


「あなたたちは火事場泥棒を――」

「ヨリノブ」


 ゲラリオを見ると、肩をすくめられた。


「姉さんなら、街のお偉いさんがどこに大事なものをしまうかも知ってるんだろ」

「もっちろん。帝国に組み込まれる前から、捕らわれ貴族は市政参事会の尖塔に幽閉されるって相場が決まってるんだ。しかもあそこには、並み居るお宝がずらりでねえ」


 イーリアの幽閉先は、コールの情報と一致している。

 このやりてババアとその一味は、クルルが攻め入るのにあわせて市政参事会に討ち入って、ありったけの宝を奪って逃げる算段なのだ。


 そのためならば、なるほど、クルルにパンを食べさせて魔石を提供するなんてのは安いもの。


 やりてババアのしたたかさにも舌を巻くし、クルルの状況から、すぐに彼女たちの思惑に気がついたゲラリオもすごい。

 ちょっとした悪党ならすぐに思いつくことなのかもしれないが……と思っていたら、服を遠慮がちに引っ張られた。


 見れば、クルルだ。


「な、なあ、ヨリノブ……」


 泣き止んだばかりのせいか、クルルはひどく幼く見えた。


「あ、あのな? イーリア様をどこかに移動されたら困るから、先にイーリア様を助けようとしただけで……その、お、お前らも、もちろん助けようと思っていたからな?」


 クルルが言い訳のように言うが、パンにかぶりつこうとしていた時、クルルの目元はすでに泣き腫らした後だった。それは多分、自分がクルルの身の上を懸念していた以上に、クルルは自分たちがとっくに処刑されていると思っていたのだろう。


 そしてその現実を受け入れ、限られた手数でなにをどうすれば最適か、腹をくくって戦支度の腹ごしらえをしていたところに、自分とゲラリオが間抜けな様子で飛び込んできたわけだ。


「クルルさんなら助けにきてくれると思ってましたよ。その、仲直りできてなくても」

「っ……!」


 クルルはわき腹を突かれたように耳の毛を逆立たせて、わなわなと口を震わせてから、噛みつくようにもう一度しがみついてくる。

 ゲラリオとやりてババアは、親戚の叔父と叔母みたいににやにや笑っていた。


「で、姉さん、俺らはあのクルルちゃんと一緒に姫を助けたいんだが、俺らと姉さんは利害が一致しているはずだ」


 ゲラリオがやりてババアに言う。


「宝を奪ったあとはどうするか、決まってるのか?」

「あたしはここで善良な市民を演じないとならないから残るけど、港にはなじみの船がある。うちの子たちが宝を奪ったら、ロランの連中が手を出せない帝国本土に逃がすつもりだよ」

「ヨリノブ」


 ゲラリオに名を呼ばれ、自分は必死に頭を巡らせた。

 ジレーヌ領に帰るには船を調達するしかないが、もちろん司祭などに頼れるはずもないし、知り合いもいない。おまけに港にはバックス商会の人間がずらりのはず。


「自分たちもその船に乗せてもらえませんか。ジレーヌ領まで行ってくれたら、金貨二千枚相当の魔石でどうです」


 多分そのくらいの在庫はすぐに作れるはず。

 彼らとしても、宝を奪って逃げたところで、しばらくは換金するのに苦労するだろうから、逃亡のお供に換金しやすい魔石は便利なはずだ。


「ふうん?」

「それにイーリアさんは、帝国の大貴族の血筋ですよ」


 やりてババアは、ぶふんと鼻を鳴らした。


「契約成立だ」


 手を伸ばしてくるので、左腕でクルルを抱えたまま、右手を伸ばして握手する。


「あんたらが捜してたジレーヌ領の娘っ子も、もぐりの連中から引き取っておくよ」

「っ! 助かります」

「んっふふふふ。なあに、金貨二千枚の支払いたあ、気前がいい。もちつもたれつさ」


 世知辛い世に生きるこの世界の住人は、誰も彼もがしたたかだ。

 バックス商会はそのジャングルで、まさかそんなことは……と思うようなことを確認しなかったばっかりに、痛恨のミスをした。


 たとえば、自分のベルトのバックルを取り上げなかったこと。

 たとえば、ちょっとした戦いの損得勘定からゲラリオを殺さず、コールも同じ牢にいれてしまったこと。

 そして、クルルを魔法使いかどうか確認しなかったこと。

 とどめに、飼い犬が常に従順だと疑わなかったこと。


「さて、それじゃあ飯はもういいかい?」


 戦の前の腹ごしらえ。

 全員が戦いに気持ちを切り替えたような空気の中、自分の腹がタイミングよく鳴った。


 薬を盛られて倒れていて、なにも食べていないのだ。ゲラリオはさすがで、抜け目なく床に落ちたパンを拾って食べていた。

 全員から呆れたような視線を向けられる中、唯一笑っていたクルルが言った。


「飯なら後でたくさん作ってやる」


 イーリアを助けた後で。

 全員そろってだ。


「よおし、いくよ、野郎ども!」


 およそ娼館の女主人とは思えない、完全に盗賊の頭目のそれ。

 けれどゲラリオは元々荒くれ者だし、牙を見せて目をぎらつかせているクルルもまた、まさにそんな感じが似合っている。


 クルルは勢い良く立ち上がり、こちらに向けて手を伸ばしてくる。

 やっぱり男女が逆だと思いながらも、その小さな手をしっかりとつかみ、自分もまた立ち上がったのだった。

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