第81話
魔石密輸の可能性を探るため、しばし長旅に向かう準備をしてきたらしいゲラリオが戻ってくると、クルルとまだ仲直りしていないことをちくちく刺された。
そんなゲラリオとクルルは普通に話していて、意識しているせいかいつもよりも師匠と弟子みたいな感じが強く感じられ、余計にへこむ。
イーリアの助言を無視して、やっぱり声をかけておくべきだったかと思うが、仲直りに成功したという想像もできない。
それに、イーリアの言葉が妙にささる。
「おにーちゃん……かあ……」
おにーさんでも、兄でもない。
おにーちゃん、というイーリアのニュアンスに、余計ざらついてしまう。
結局、健吾やゲラリオが言うならなんでもないような下ネタを、自分が言ったからひかれたという話なのだから。
ゲラリオほどやさぐれたいぶし銀の男くささは出せずとも、健吾よりちょっとおとなしいくらいの自己イメージだった。
殊更マッチョな男として見られたい、というわけでもないが、そうではないとはっきりわかると、それはそれで不名誉な感じがする、複雑な男心とでも言おうか。
下ネタが柄ではない、というのは確かに自覚があるのだが……。
そんな懊悩を繰り返しながらだったので、オストロたちが明日の晩餐のためにテーブルマナーの講習をしてくれても、まったく身が入らなかった。
イーリアは歩き方の時同様にそつなくこなし、クルルは失敗もするが呑み込みが早く、あと悔しいことに、ゲラリオは完璧だった。魔法使いとしてあちこち転戦し、領主層と直接やりとりすることも多いせいらしい。
あれだけ下品で粗野な見た目で、マナーにはしっかり対応できるというのはズルだろう! と思うし、なるほどこの頼りがいある感じなら、イーリアもたばこをねだりたくなるのかもしれないし、クルルが弟子として尊敬のまなざしを向けるというものだ。
切れ味の悪いナイフで魚の白身を綺麗に切り分けるのに苦労しながら、自分はふと思う。
まさか、自分は嫉妬しているのだろうか?
自分の中にあるなじみのない感情に、手元が狂って魚の身が崩れる。
クルルのことは確かに可愛いと思いつつ、戦いの仲間として見ていたはず。
いや、そんなのはそれこそへたれの自己欺瞞で、クルルを普通に異性として見ていなかったか? その笑った顔に見惚れることだってあったはず。
自分はつまり、そういう目で、クルルのことを……? だからこそ、男として見られていなかったことに、こんなにもショックを受けているのではないか?
いやしかし、クルルは自分より健吾やゲラリオとのほうがどう見ても気安く接しているし……などと非モテの思考の沼に嵌まりかけた瞬間、かちゃん、という音ではっと我に返った。
見やれば、イーリアが硝子の器を倒していた。
「失礼しました」
失敗した時の振る舞いも、作法としては重要なこと。
イーリアは落ち着いて背筋を伸ばしたまま、給仕の娘たちが後片付けをするのを待っているようだったが、様子が変だ。
妙に顔がこわばっているような気がした。
「いかがされました?」
ホスト役としてのオストロが役柄に相応しい感じでたずねると、イーリアはかぶりを振り、それから手袋をはめた手で、軽く額を抑えている。
「お酒が、少し……」
二日間の船旅の後だ。
しかも昼間はおてんばを発揮して、たばこの煙を吸ってひっくり返っていた。
いたし方あるまい、と思ったその直後。
イーリアの向かい側に座るクルルの顔に気がついた。
「……え?」
目を見開き、オストロを睨みつけていた。
けれどその右手がナイフを掴んだところで止まり、持ち上げようとして、ぽてんと力なくテーブルの上に落ちてしまう。
小刻みに肩が震え、歯を食いしばっているのに、その華奢な体が傾いでいく。
「お、ま……え……」
ゆっくり椅子から倒れそうになるクルルの身体を、給仕の娘たちがさっと支える。
何事も起こっていないかのように。
そう。
まるで予想していたように。
「やるとしても、明日だと思ってたぜ」
そう言ったのはゲラリオで、自分たちが食べていた食事に目を落としている。
「やけに香草の利いた豪華な飯だとは思ったが……」
オストロはゲラリオを見て冷ややかに肩をすくめてから、すぐ近くにいるイーリアを見て、満足げにうなずいている。
イーリアは目こそ開いているが、口は閉じきらず、ぼんやりした顔のまま給仕の娘たちに抱えられている。
なにか盛られたのだ。
しかも獣人の血を引く娘が二人もいるから、念には念を入れた料理になっていた。
歴戦のゲラリオでさえ、気がつけないほどに。
そして自分もほどなく、手が他人のもののように感じられ始めていた。
「手荒な真似はしませんよ」
オストロがぱんぱんと手を叩くと、男衆が入ってくる。
イーリアやクルルを抱きかかえ、自分やゲラリオの背後にも回ってきて、椅子から持ち上げられる。
さすがゲラリオは男衆に拳を繰り出していたが、まともに振れたのは一発だけで、二発目は蠅叩きにもならない。
男たちは冷静に対処して、組み伏せてしまう。
自分はもちろん、もうほとんど夢うつつだ。
最後に視線を向けたオストロは、冷ややかな目で口元を拭っていた。
「口直しにまともな酒を用意しろ。まったく、獣臭い食卓に座らされるなど、損な役回りだ」
吐き捨てるように言ったその台詞は、とても感じの良い宿の主人からは程遠かった。
ここは世知辛い世界。
どんな笑顔も、信じられ――。
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