第66話
カネに色はない、なんて言われることがある。
汚い方法で稼ごうと、清い方法で稼ごうと、カネはカネ、という思想だ。
けれどこれと逆の考えももちろんあって、同じがらくたでも有名人が所有していたものならたちまち価値が出る、なんてことがある。
世の中そういう理性的ではない感覚で溢れていて、名誉などその最たるもの。
ならばそれを逆に利用しない手はない。
名誉だの身分だののパズルは、上手に組み合わせればうまく消してしまえるものなのだ。
「道に惑いし者たちの……救済、ですか」
「ええ、司祭様」
イーリアは生臭坊主の司祭の前で、とびっきりの笑顔をしてみせる。
イーリアのその手の演技には、どこか空恐ろしいところがある。
さしもの司祭も気圧され気味だが、そこには突然持ち掛けられた計画の、その奇抜さにも理由があったかもしれない。
自分が健吾と話す中で思いついたのは、新しい修道会の立ち上げであり、そこで件の女の子たちを引き受けるという話だった。
「悲しいことですが、神の道から外れし娘たちがこの領地にも数多います。彼女たちには神の福音が届けられるべきだと思うのですが、いかがでしょうか」
司祭は口を引き結び、唸ってから助けを求めるようにこちらを見やる。
多分、イーリアが持ち掛けてきた計画の真意がわからないのだろう。
まさか獣の耳を生やしたイーリアが、本気で教会に帰依しているとはこの司祭も思うまい。
ただ、新しい修道会の設立というのは、いわば教会の勢力を広げることであり、この司祭にとって実績となる。
まとめると、敵であるはずのイーリアが、どうして突然自分の利益になるようなことを持ち込んできたのだ、とこの司祭は戸惑っているわけだ。
「それは……いかにも、そう、ではありますが……」
「寄付金はこちらで集め、運営費用も持ちましょう。司祭様はこの領地の教会の担い手として、祝福をしていただければ」
矢継ぎ早のイーリアの言葉に、司祭はようやく理解のとっかかりを得たらしい。
「……その神の家は、私の管轄ではないと?」
「修道院長の指名は領主の権限に」
利権の取り合いみたいな話になると、俄然、司祭の目にやる気が満ちてくる。
けれどイーリアは、縄張り意識を持ち出した司祭の前で、ひらりと身を交わしてみせる。
「初代院長には、クローデル補司祭を推薦します」
「んっ」
さあ利権の奪い合いだぞと腕まくりをしていた司祭は、つんのめっていた。
「クローデル、を?」
「ええ。実に素晴らしき信仰をお持ちのようですから」
「……」
司祭はしばし黙考していた。手下のクローデルを院長に推薦してくれるのなら、権力の維持に差支えはないだろうか、とかなんとか。
「ですが運営の会計は、こちらのヨリノブの商会に一任していただきたいのです」
司祭の目がこちらをもう一度見る。
値踏みするような、自分の損得を冷静に計算するような顔だ。
「もちろん、修道院の会計から、一定額を教会に寄付させていただきます。聖職禄も設定いたします」
聖職者たちの給料という意味で、教会のそれぞれの地位には聖職禄というものがある。
ここの世界の教会もピラミッド構造なので、部下の収入が増えれば上も儲かる仕組みになっている。
司祭は心の中で、そろばんをはじいたはず。
ゆっくり一周した視線が、自分たちに向けられた。
「領主イーリア殿が提案なされた修道会、主旨は実に素晴らしいとは、確かに思うのです」
イーリアの名で立ち上げる修道会の目的は、領地内にいる名誉を失った女性たちを優先的に受け入れ、信仰の徒とするものだった。
マグダラのマリアではないが、そこを改心の場とするわけだ。
もちろん自分は、そんな単純な計画をイーリアに持ち掛けたわけではない。
娘たちを修道院に閉じ込めておしまい、ではなくて、修道院でほとぼりを冷ましてから、俗世に戻すのがこの計画の肝だった。
真っ白な服に身を包み、粛々と祈りをささげる生活を送って、最後に教会が太鼓判を推してくれれば、暗い過去だって塗りつぶせるはず。
話を聞き集めれば、事実、よその町でもそういう事例があるらしい。
つまりこれは、身分のロンダリングを大々的にやろうという話だった。
けれど修道会の運営には、当たり前だがお金がかかる。
建物を用意するだけでかなりの金額となり、日々の生活費などものしかかる。
それゆえに、新規の修道会などめったに設立されることはない。
イーリアに話を持ちかければ、イーリアもほぼ同じ構想を描いたらしいが、金銭的な問題によって頓挫していた。生臭司祭に頼るなんてのは不可能だろうし、仮に言うことを聞いてくれるにしても、どんな対価を要求されるかわかったものではない。
だから自分から奇策を聞かされた時、イーリアは思わずこちらに飛びついてきたくらいだった。
大興奮するイーリアをクルルが引きはがす中、自分は説明した。
この修道会計画をうまく回すには、もうひとつ回路が必要だと。
つまり、ドドルたちと交わした、あの畜産の話をドッキングさせるのだと。
「しかし、領主イーリア殿。私がいくらか懸念があるのは、その修道会が主眼とする、勤労を旨とするあたりですが……」
「ええ、司祭様。彼女たちには教育を施し、その傍らで、手を動かして労働にも勤しんでいただきます。勤労の精神は神もお喜びになるところだと思いますから」
隙あらば中庭で昼寝をしたがるイーリアの口から出る言葉とは思えないが、それっぽく聞こえるのでさすがだ。
「どのような職ならば相応しいかと思ったのですが……司祭様。つい先日の竜騒動です」
「竜」
司祭はその単語を繰り返し、あの時の絶望感みたいなものを思い出したのかもしれない。
大袈裟に身震いしていた。
「ここは限られた島の領地。食料は輸入頼み。しからば、その増産は私たちすべてにとっての恵みとなりましょう」
「う……む。うむ、それはそうなのですが……」
渋る司祭に、イーリアは臆せず言った。
「この島で穀物は育ちにくいです。そこで、畜産なわけです」
イーリアの説明に、司祭は明らかにイーリアの耳と尻尾を見た。
イーリアも気がついたろうが、この少女が領主の仮面をかぶっている時は、そんなことで感情を乱されるような役者ではない。
「我らの糧となる貴き魂たちに、慰めを。そこで修道女が屠られた命に祈りを捧げ、彼女たちが丹精込めて次の命を繋ぐ糧へと変える。肉食は教会で戒められることでありつつ、禁じられるものではありせん。ですからむしろ彼女たちの手を経ることで、人々は日々の食事において、ますます神の存在を感じることになるでしょう」
イーリアの滔々とした口上に、司祭はううむと黙り込む。
そして、腕組みの向こうから、言った。
「つまり、その修道会は肉屋をやると」
「その肉の供給は、私たちが請け負います」
奇策とはこれだった。
ドドルたちは獣と見た目があまりに近いせいで、肉類の生産や加工に携わるのが難しそうだった。
しかし、修道会を経由することで、この問題は解決するのではと思ったのだ。
実際はおっさんが足で踏んでいても、可愛い女の子たちが店先に立つことで売れる葡萄酒みたいに、肉の加工と販売を修道女が請け持つならば、獣人が育てた肉でも忌避感なく買ってくれるのではないか。
そういう神をも畏れぬ商人みたいなことを、自分は思いついたわけだ。
「確かに教会法学に、修道会は肉屋をするべからず、とはありませんが……なかなか、その、挑戦的な試みでありましょう……?」
「ええ。肉屋組合からはいささかの苦情が入るやも。ですが、そこは修道会ですから」
イーリアがにっこり微笑むと、その分だけ、司祭の顔がさらに曇った。
教会の権威を使い、肉屋組合を黙らせろ、と言っているに等しいからだ。
しかし教会も港での密輸が常態化しているような治外法権ぶりなのだから、たまにはその権力を利用させてもらったって、神もお許しになられるだろう。
「いかがですか、司祭様?」
修道会が新しくできるのは司牧の実績になる。しかも四人も愛人を囲っていれば、手を出してきた娘たちの数はもっとだろう。
彼女たちにいささかでも罪悪感を抱いているのなら、肉屋組合と揉めることくらいやってくれるのでは。
なにより、儲かりそうな匂いを嗅ぎつけてくれたはずだ。
生臭坊主だが、その生臭さゆえに信用のおけるところがある。
やがて司祭は、組んでいた腕を解いてこう言った。
「彼ら肉屋組合の力はなかなかのもの。しかし肉屋は時として、暴利をむさぼっておるようですし、なにより道に迷いし娘たちのためでもあります」
ぽん、と司祭は自身の膝を打つ。
「よろしい。肉屋組合とは教会が話をつけましょう。して、豚と鶏だけですかな? 鴨や雁を増やす予定は? うずらなども良いかと思うのですが」
前のめりの司祭は、すっかり肉を安く仕入れるルートを見つけたと言わんばかり。
横領には注意しないとなと思いながら、品目はおいおい増やしましょうと伝えておく。
いずれにせよ計画がまとまりそうでほっとしたところ、自分の背中を、イーリアの尻尾がちょんと叩く。
その横顔を見れば、ちらりとこちらを見たイーリアが、小さく笑ってくれたのだった。
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