第33話

「次は?」

「革紐職人組合です。商会が革紐を買いつける金額は不当に安すぎると」

「革紐職人組合の取引履歴をお願いします!」


 ノドンなきノドン商会は、たちまち契約の見直しを訴える者たちで溢れかえっていた。

 あまりに人の数がすごく、商会の業務に支障が出るほどで、結局、文字を読める者たちを引き連れて、主人がいなくなったままだったノドンの屋敷で陳情を受け取ることになった。


「敬虔なる商人ヨリノブ殿、我らが組合を代表しての訴えをぜひ聞いていただきたい」

「はい、ええっと、はい」


 髭面でやせ細り、いかにも零細工房の主人といった感のある革紐職人組合の代表が、哀れを乞う声音でそう言う傍ら、自分は助主役の少年ヨシュが書類の山から見つけ出した契約書を受け取り、ざっと目を走らせる。


「革紐の契約ですよね。金額は……ええっと、いや、もしかして商会に借金も?」

「おお! 聡明なるヨリノブ殿に、慈悲の心があらんことを! 我らは神に誓って正しき仕事をこなしていたにもかかわらず、不当なる借金を背負わされ――」


 延々と続きそうになる泣き言を遮り、革紐の原料になる動物の皮の相場を思い出し、加工賃を大まかに計算して返事をする。


「買い取り額は三割増し。借金はひとまず利子の停止でどうですか」

「――我ら哀れなる組合の……ん、え?」

「買い取りは三割り増し。借金はひとまず利子の停止。すでに借りた分の金額を返し終わっていると確認が取れれば、棒引きでいかがですか」

「えっと……」


 三割り増しの計算ができないのかもしれないし、借金減免の要求があっさり通って戸惑っているのかもしれない。いずれにせよ彼の後ろにもずらりと似たような人々が並んでいるので、ノドンがかつて取り結んだ契約書に新しく数字を書き加え、自分の署名を施してヨシュに渡す。

 するとヨシュは商会の中で比較的文字に強い人間に指示を出す。


「詳しくはあちらで聞いてください。次の方!」


 山羊のような革紐職人高組合の組合長は、目をぱちぱちとさせ、不思議そうな顔をしたまま言われたとおりに歩いて行った。


 日中はこうして小規模な商会や職人組合、それにノドンが支払いを踏み倒していたらしい酒場の主人からの訴えやらなにやらを聞き、夜はノドンが倉庫に溜め込んでいた膨大な量の契約書を引っ張り出し、権利関係を確かめ続けていた。


 というかノドン商会の商いそのものだったら、帳簿を把握していた自分でもわかる。しかしノドンが帳簿の外で貸し付けていた金の流れや、町に張り巡らされたその他の債務債権関係まではわからない。

 ノドンが凄まじい富と権力を握っていたのは、あっちこっちに金を貸していたかららしいのだが、だとすると正味の商会としての儲けはいくらなのか、きちんと把握する必要があった。


 自分たちにはノドンのような汚い支配を続けるつもりはなくても、清廉潔白なる営業をした結果、赤字を垂れ流しては本末転倒だ。健全な経営のために支出と収入のすべてを把握しなければならないし、もちろん、目標は真面目な営業の上で大儲けすることだ。


 特に直近の目標としては、イーリアが領主としてやっていくための体制を整える必要があり、その資金源としてノドン商会が率先して税を納める必要がある。

 そうしてこの領地を安定させられれば、自分の生活も落ち着きと安全を手に入れられ、この世界でボードゲームを作るなり、前の世界に戻るための魔法陣の研究なりをできることだろう。


 そのために、ノドンの商才と勘と怒鳴り声で運営されていたノドン商会を、まともな商会に生まれかわらせなければならない。


 の、だが……。


「……おい……おい……おい!」

「――はっ⁉」

「おい、生きてるか?」


 そんな声で、ようやく目が覚めた。

 視線の先には見慣れた麻布のエプロンがあり、その後ろに猫の尻尾が見え隠れしている。


 顔を上げれば、クルルがいた。

 また寝落ちしていたらしい。


「ひどい顔だな。井戸で洗ってこい。飯を持ってきてやったぞ」


 クルルは話しながら、書類だらけの長テーブルに大雑把にスペースを開けていく。

 そこに置かれるのは焼き立てのパンやら温かいスープの入った鍋やらで、たちまちいい匂いが胃袋を刺激する。


 ノドンの屋敷はイーリアの屋敷と同じ広場沿いにあるので、ほとんどお隣さんと言ってよい。


「スープの冷めない距離、とはよくいったもんですね」


 鍋から木の器にスープをよそっていたクルルは、きょとんとしていた。


 クルルが朝と夜に食事を差し入れてくれるおかげで、食事だけはまともにとれていた。

 クルルは別の机で同じように突っ伏して寝ていた少年ヨシュも起こして回り、木窓を開けて空気を入れ替えてから、朝日を背に振り向いて言った。


「手伝えることはあるか?」


 クルルは読み書きができ、数少ない貴重な戦力に数えられる。

 とはいえいまのところ安心して契約書をまとめる作業を頼めるのは、このクルルとヨシュくらいで、文字をなんとか読める程度の人員でさえ、合わせて五人いるだけだ。

 これでは、旧ノドン商会の適切な運営は厳しいものがある。


 同じことはこのクルルの主人、イーリアにも言えて、彼女が領主としてこのジレーヌ領に善政を敷こうとしても、文官がまったくいなかった。

 書類仕事ができる人のリクルートも大至急必要だが、長期的なことを考えるなら、読み書きの学校を設立して、町の人たちの識字率を上げるべきだ。自分が計画していたゲームの内政パートでも識字率の上昇は重要なパラメータに……とかあれこれ思うのだが、ひとまずは目の前のことをこなさなければならない。


 自分は立ち上がり、ふらつくヨシュと一緒に中庭に降りて、冷たい井戸水で顔を洗って、クルルが持ってきてくれた朝食を平らげた。


「お前らがあちこちの借金を棒引きし、取引を見直してくれているおかげで、今のところノドンを追い出したイーリア様の評判は上々だ」


 食事の後に出されたのは、麦酒に使う大麦を炒って煮出した、麦茶ともいんちきなコーヒーともとれる飲み物だった。苦くて炭の匂いがきついくせにコクもないのだが、慣れると案外悪くない。

 飲み物の選択肢が酒か危なそうな生水か、癖の強い山羊や羊の乳くらいの中、作業中に飲むものとしてはかなりましなものだろう。山羊の乳だと腹が膨れるばかりだし、酒だと仕事に支障が出ると伝えたら、クルルはこの飲み物をつくってくれるようになった。


「それはよかったです。商会の全体像もだいぶ見えてきたので、今後の方針も立てられそうですよ」

「呆れるほど儲けてるんじゃないのか?」


 ノドン商会は悪知恵を働かせ、イーリアへの税金をほとんど納めていなかった。

 クルルはその時の恨みもあってそう言うのだろうが、自分からは否定と肯定が半々だ。


「儲かってるのは間違いありませんが、それは個人事業として見た場合……ですかね」

「うん?」


 クルルは怪訝そうにしてから、腹が満ちて二度寝しそうになっているヨシュの頭をつついている。


「魔石取引や通常の商いを全部合わせると、おおむね一年で金貨25万枚の売り上げです」

「にっ……」


 息を飲むクルルに、自分は淡々と告げる。


「魔石取引が八割を占め、金貨20万枚ほどですね。ですがそこから原石の購入費用や加工賃を差し引くと、大体六割くらいの儲けですから、金貨12万枚の儲けになります」


 クルルからしたら眩暈がするほどの巨額だろうし、実際、銅貨を一枚100円くらいと考えれば、金貨1枚は銅貨240枚が公定相場なので、おおよそ2万5千円。するとノドン商会は売上60億円強、利益30億円ちょっとの商社みたいな感じになる。


 ノドン商会はノドンの持ち物みたいなものだったので、個人の儲けとしては破格だろう。


「魔石以外の取引、たとえば食料などは、借金の貸付とかと一緒くたで儲けていたみたいで、帳簿の上では金貨1万枚くらいの儲けになるかどうかですね。この辺は不当に安い買取金額を上げたりするので、トントンになってしまう可能性が高いです」


 それでも魔石取引を握っている限り、前の世界ならぴかぴかの財務状況だ。

 これは魔石という商品が、世界の武力を根底から支えているあまりに強力すぎる商品だというのもある一方で、人件費が異常に低すぎるせいもあった。


 ノドン商会は大体40人で回していて、皆がほぼ一律、日給銅貨20枚なので、年間に直しても金貨で2000枚にもいかない。ここに一人頭銅貨10枚、つまり賃金五割増しを行っても、なお儲けにはほとんど響かない。経営シミュレーションゲームだったら、かなりイージーモードだ。


 そしてなぜ賃金がそんなに安いのかと言えば、仕事に対して働き手が多すぎるから。

 最低限の衣食を賄う金額だけで、いくらでも働き手が集まってしまう。

 だから給与は永遠に上がらず、資本家だけが大儲けできる。


 ここは無慈悲な、カール・マルクスの世界だ。


「ただ、商会の儲けは、今のところイーリアさんの権力基盤でもあります」


 クルルが息を飲む金貨十万枚超えの儲けだが、自分がこの儲けをまったく十分と思えない理由は、これだ。


「ノドン追放の際、獣人の皆さんに力を借りましたから、その貸しを返す必要があります。獣人の皆さんのための貧困対策で、たとえば住居の改善をしようとしたとしましょう。家の値段を調べたんですけど、職人の親方家族が、徒弟や下宿人と住む平均的な家一軒で、金貨千枚ということでした。だとすると、一体いくら必要になることやら」


 物の相場は前の世界と結構違う。特に、家とか土地の値段、それに衣服が異常に高い。大量生産がおこなわれていないから、財物の価格がとにかく高いのだ。


 そして獣人の人口は千人はいかずとも、数百人はいて、ほとんどが掘っ立て小屋か、ほぼ野宿に近いので、彼らに家を与えるとなれば途方もない金額が必要になる。


 というかイーリアのところに文官がいないので、この手の活動に必要な統計調査すらままならない。


「それから獣人の皆さんのために、鉱山採掘の環境整備なども必要です」

「住居はともかく、鉱山はケンゴの奴が張り切ってるだろう?」

「ええ、死ぬほど経費の申請がきていますね……」


 鉱山に権限を持つのはイーリアだが、彼女には経費を支払うだけの資金がない。

 鉱山採掘の環境を改善しようと思えば、あらゆる費用はノドン商会が肩代わりするほかなく、健吾はここぞとばかりに山ほどの請求書をこちらに送りつけていた。


「それから最後に、イーリアさんのことです」


 自分がその名を出すと、話ながらヨシュにちょっかいを出していたクルルが、真面目にこちらに向き直る。


「イーリアさん一人では、領地経営などまず無理です。今もかなりいっぱいいっぱいでは?」


 尋ねると、クルルは腕組みをして、不満げにため息をつく。


「ようやく陳情の類も落ち着いてきたが……」


 クルルが魔法使いに扮してイーリアの臣下の振りをした時に、すでに街の中でも権力に敏感な弱い立場の人たちは、イーリアの下に挨拶に来ていた。

 そこでイーリアがノドンを追い出し、このジレーヌ領の心臓部であるノドン商会を取り込むことに成功したのだから、もはや権力の移譲は決定的。

 イーリアのような、貴族の落とし子で獣人の血を引く小娘が、本当に権力を奪取するものかとたかをくくっていた者たちは、大慌てとなった。


 するとその翌日にはもう、これまでノドンの尻馬に乗ってイーリアを虚仮にしていた町の有力者たちが、不器用な愛想笑いを顔に張り付けて命乞いにやってきていたというわけだ。


 イーリアとしては片っ端から無礼打ちにしたいところだろうが、彼らがいないとジレーヌ領の経済が回らないのも事実で、許すしかない。

 それに彼らがイーリアのもとにやってくるのは、なにもあさましい命乞いだけが理由ではなかった。イーリアが領主として真面目に立ち上がったことで、立場ある者たちは、自分たちの商いや特権の安堵を確認しておく必要に駆られたのだ。


 この手のことは、領主の代替わり、つまり本来ならイーリアが新しい領主としてこのジレーヌ領に着任した際に行われるはずだったことらしいので、さぼっていたつけが回ってきたと言えばそうだが、とにかくその対応で忙殺されているようだった。


 クルルとイーリアで領主の屋敷の地下室に入り浸り、埃だらけの羊皮紙の束をひもといては、陳情に来た者たちの特権証書と突き合わせる。そんな作業を突貫作業で行っているらしい。


 自分も作業の合間に必要な確認事項があってイーリアの屋敷に行くことがあると、イーリアの代わりにクルルが陳情の対応に当たっていることがあり、中庭を覗けばイーリアがハンモックに頭から突っ伏して爆睡しているのをよく見かけた。そのもさもさの髪の毛の中で雀が何羽も遊んでいて、より哀れを誘う光景だった。


「獣人の皆さんへの対応と、ジレーヌ領の権利関係の確認がひとまず落ち着いたら、次は土地の開墾や、水路の掘削、それに水車の設置などの、大規模な公共工事ですよね。ざっと計算してみましたけど、今のノドン商会程度の儲けなんて、一瞬で消えてしまいますよ」


 ノドン一人ならば溢れかえるほどの欲望を満たすに十分でも、ジレーヌ領を支えようと思えば桁違いの資金が必要になる。というか領主としてのイーリアは、税金を集めるための役人すら手元にいないのだから、お金は出ていく一方だ。


 軌道に乗るまでは旧ノドン商会が資金の面倒を見なければならないし、それだけの責任が言い出しっぺの自分にはある。


「……じゃあ、どう、すればいいんだ?」


 他のことでは強気でも、金の話になるとクルルはやや弱気になる。

 獣人の血を引く落とし子として、イーリアと共に世の中の隅っこに追いやられていたせいか、金貨を巡る経済的な話に苦手意識があるらしい。


「増やすしかないでしょうね」


 自分はそう言ってから、無力感に耐えているようなクルルを見て言い直す。


「逆に言うと、増やせばいいんですよ。それはおそらく難しくないですし、クルルさんの力も必要です」


 疑わしげに顔を上げるクルルに笑いかけてから、言った。


「魔石輸出の新しい計画があります」


 ジレーヌ領は結局魔石の輸出に支えられている。

 自分たちの運命も、そこにかかっていた。

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