第25話
健吾とイーリア、それにクルルがうまく探鉱作業の件を切り抜けたのであれば、今度は自分が要となる作戦だ。
うまくやれるだろうか、なんて散々不安に苛まれたわけだが、屋敷から出て歩き始めてすぐに、やるしかないのだと不思議な実感が訪れた。
マークスの先導に従って、人目を忍んで町を行く。
ほどなくエダー商会に着いた時には、すっかり肚も固まっていた。
自分たちは、マークスが事前に買収していたというエダー商会の小僧の手引きを受けて、裏口から商会の中に入り込む。賑やかな荷揚げ場を遠目に横切り、商会の奥まった場所にある執務室の前にたどり着くと、マークスが服の襟をぴっと正しながら、こちらを見て確認のように小首をかしげてくる。
自分がうなずいた直後、マークスはチンピラそのままに扉を蹴り開けた。
「よお、エダーのおっさん」
執務室に大股に乗り込んだマークスは、呆気にとられるエダーの机に腰を下ろした。
「お、お前は、マークス? な、なんだ? それに、そこにいるのは……」
視線を自分とクルルに向けたエダーは、その直後、首を絞められたかのような顔になった。
「お客さんが誰か、想像つくみたいだな」
石を飲み込もうとしているかのようなエダーと目があった。
エダーはもちろんこちらの顔を知っていて、殴られた跡にも気が付いていた。たちまちのうちに、多くを悟ったようだ。
けれど意外なことに、抵抗する感じは見せなかった。
もしかしたら、イーリアの元に魔法使いが現れたという話を聞いて、遠からずこうなることを予想していたのかもしれない。
「今日は町からかき集めた税金を、親分に収める日らしいな?」
エダーは否定も肯定も、脂汗をぬぐうことさえしない。けれどそれはふてぶてしいのではなく、完全に意識を失う寸前だっただけのこと。
「言いたいことがあるなら今のうちに言っときな。鉱山の石みたいに頭が破裂する前に」
その脅し文句に合わせ、クルルがローブの隙間から右手をゆらりと出して見せる。
その時のエダーの怯えようと言ったら、哀れを誘うほどだった。
「エダーのおっさんよ。こいつの顔は知ってるな?」
マークスがこちらを指さした。
自分はなにも言わず、立っていた。自分の役割は、なにもかも内情を白状してしまった哀れで愚かな裏切り者を演じること。エダーにもはや逃げ場はないと、理解してもらうことだった。
「わ……私は命令されただけだ! 本当だ!」
こんなあからさまな台詞を自分のゲームのシナリオに入れたら興ざめだろうと思う。
とはいえ自分が同じ立場だったとしても、同じことを言うかもしれないのだが。
「ノドンの機嫌を取らないと私が路頭に迷っていた! 本当だ! 私は、望んであいつに協力していたわけじゃない!」
クルルは一言も発さず、部屋の真ん中あたりに立っている。
動揺しきって腰を浮かしていたエダーは、椅子から転げ落ちてへたりこむ。マークスは机に腰掛けたままそんなエダーを見下ろし、冷たく笑っていた。
「うちの姉や妹たちも、お前にはずいぶん世話になったんだよなあ?」
「そ、それは……いや、それも、ノドンの……」
フードの下でクルルがどんな顔をしているかわからない。
けれど、耳と尻尾がばれないようにと、きつく布で巻いているはずなのに、今にも飛び出してきそうな雰囲気があった。
「まあ、お前の協力次第だな。こいつのようにすべてを受け入れてノドンと手を切るか、それとも……」
エダーが大きな石を飲み込んだように、口をすぼめていた。
自分はそのエダーに近寄った。思い出したのは、前の世界の職場のこと。心が蝕まれるパワハラや、自分たちの身を守るために密告合戦になっていた同僚たちのこと。
この世の地獄と化した職場に出勤する、あの時の一歩一歩を思い出しながら歩み出て、こう言った。
「諦めたほうが、楽になれますよ」
エダーの目は、こちらの目に吸い込まれるかのように釘付けになっていた。
そして、がっくりとうなだれた。
「机の下の……」
「あん?」
「床裏に、帳簿がある……」
マークスは足元を見て、机から降りていた。
「どうか……どうか、命だけは……」
「命乞いなら、イーリア様のお屋敷でするんだな」
エダーはマークスの言葉に完全に放心してしまう。
そんなエダーを、クルルはフードの奥からじっと見つめていた。冷静なようにも見えたが、手が白くなるくらい力を込めて握っていた。
言いたいことが山ほどあるのだろうし、蹴りのひとつでも入れたいはずだ。
あるいは、歯向かうのは無理だと諦めていたノドン一派を前にして、息の根を止めてやりたい衝動と戦っているのかもしれない。
けれど、殺しは無しだ、と事前に話し合っている。魔石加工の実験の際、盗みは無しだと相談したのと同じように。
今のクルルはその気になれば、この町を灰に変えられるだけの力を手にしている。魔石は脅しに使うための小さな欠片だけはもってきているはずだが、魔法陣が刻まれた合成魔石を隠し持っていても、自分にはわからない。
しかし、クルルはそんなことをしないはず。
そんな祈りにも似たこちらの視線に、クルルは気付いたようだった。
フードのせいで表情はわからないが、少し笑ったように感じたし、その手から力も抜けていた。
そうこうしていたら、マークスが剥がした床板の下から、革の装丁が施された書類束がでてきた。
「悪党の癖に、律義に数字をつけてやがるじゃないか」
エダーは町の徴税の取りまとめを行い、ノドン商会に還流させるパイプ役になっていた。
なにかあったら真っ先にやり玉に挙げられる危険な立場であるから、ノドンに強制されたというのは、まあそれほど間違いではないのだろう。
しかしその稼ぎと権力で、好き勝手にやってきた。
商人ならば、ある日天秤が釣り合うことを、わかっているはずだ。
「すげえ数字だな……。盗みだとしたら、百回縛り首になっても追いつかないぜ」
マークスは歪に笑い、ぱたんと書類束を閉じる。
「というわけで、これからお前には一仕事してもらうことになる」
放心していたエダーが、現実に戻ってくる。
痛みと苦しみが骨身に染みる、避けられない現実だ。
「どう振る舞うのが賢い選択か、わかるよな?」
マークス、自分、クルルの三人に取り囲まれ、エダーは床に手をついて、協力を誓ったのだった。
◇◇◇◆◆◆
エダーに約束を守らせるため、マークスはその後もたっぷり脅かしていた。商会の小僧や使用人はすでに買収済みだから、逃げても無駄、ノドンの元に走ればすぐに誘拐し、死ぬ以上の責め苦を与えてやる、等々。
マークスがエダーに因果をたっぷり含めてから、自分たちはエダーの商会を後にした。
エダーには徴税の詳細を教えてもらう以外にも、大事な役割を担ってもらうことになっていた。ノドンの面の皮の厚さは牛以上だろうし、白い物でも黒と言い張れるだけの財産と胆力がある。そのため、エダーから取り上げた帳簿を突きつけるだけでは、徴税の不正の責任を取らせるには心もとなかった。そんな金は受け取っていない、と強く主張されたら、どうやって証明できるだろう?
そこで無法な徴税の事実を認めさせるため、エダーを巻き込んだ一計を案じることとなった。
商会に赴くまでは、果たしてエダーがこちらの言うことを聞くものかと不安はあったが、クルルのさすらいの魔法使いとしての威圧感と、裏通りを住処とするマークスの迫力もあって、どうやらうまくいきそうだった。
ほっとしながら、帰路についている時のことだ。
「おまえ、すげえな」
「え?」
現段階で顔を見られては困るので、帰り道も罪人スタイルで裏路地を歩いていたが、マークスに急に褒められた。
「エダーもそれなりの悪党なのに、あそこまで震えあがるとは。戦で捕虜になって、拷問を受けたりした経験でもあるのか?」
「……」
戸惑っていると、クルルが音もなく隣に立って、フードの奥からこちらの顔を覗きこんでいた。
初めて見る、心配そうな目で。
「お前も辛い目に遭ったことがあるんだな。私でよければ、話を聞くからな」
それから、背中を軽く、励まされるように叩かれてしまう。
一体なんなのかと思うのだが、屋敷に到着する頃になってようやく、エダーを脅した時の自分の顔なのだと気が付いた。
確かに抵抗しても無駄だと思わせようとしたが、そんな顔だったのか……。
もしかしたら、こっちは過酷な世界だが、前の世界もあれはあれで過酷だったのかもしれないと思った。特に、過労死、という言葉がそのまま英語になるくらい、日本の働き方は異常らしいのだから。
ただ、おかげでうまくいきそうなので、ある種の退職金だと思っておくことにした。まあ、辞表を出す前にここにきてしまったのだが。
「次は魔石加工職人だったか?」
「その前に、魔石取引の書類に署名をもらいませんと」
今日この日にエダーの商会に赴いたのは、バックス商会との魔石取引の日でもあるからだった。ノドンを釣り上げるのに十分な、でかい餌が用意される日なのだ。
「イーリア様は……」
と、ローブのフードを外し、布を巻いて押さえつけていた獣の耳を出してぱたぱたさせていたクルルは、中庭を見やる。
自分も遠目に見ると、何羽かのスズメにたかられているイーリアが見えた。
「私が署名しておく。筆跡は同じだ」
「……」
領主である主人を甘やかしすぎではと思うが、確かに寝ているイーリアを起こすのも忍びない。クルルは隣の部屋に行って、羽ペンとインク壺を持ってきた。
「エダーの奴はうまくやると思うか?」
食堂のテーブルには、エダーの裏帳簿が置かれている。
これがあれば、ノドンはまだ無理でも、少なくともエダーが無法に税を集めていたことは告発できる。属州州都の司法官に訴え出れば、イーリアの名の下にエダーを縛り首にできるだろうから、哀れな商会の店主はまな板の上の鯉状態だ。
「マークスさんたちの見張りを交わして逃げられるとも思えませんし、きちんとやり遂げるでしょう」
そのマークスは一仕事終えたとばかりに、また屋敷の前に座り込んで昼寝をしているはずだ。
「そうだな」
クルルはそう言って、さらさらと取引書類に署名した。
「これがブタ野郎との最後の取引になることを願う」
インクを早く乾かすための砂を撒いてからも、クルルはじっと書類を見つめていた。
そして顔を上げると、悪戯っぽくこう言った。
「飯を食っていくか?」
唇に、鋭い犬歯が少しだけかかっている。
「その前に、炊事場の掃除が必要なのではないかと思いますが」
たちまちクルルは宿題を思い出した子供のような顔をした。
「手伝いますよ」
腕まくりをすると、クルルはなにかを言おうとして、口ごもる。
「?」
そんなクルルを見やると、屋敷の使用人も兼ねる少女は、華奢な肩をすくめてみせた。
「お前は客じゃないものな」
腕を伸ばし、ぐいとクルルも腕まくりをする。
「仲間だ。洗い物を手伝え」
クルルの綺麗な緑色の瞳が細められる。
それは猫が親愛の情を見せるしぐさだった気もするが、そんな知識は多分、必要ないのだった。
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