第22話

 長い木の棒は、洗濯物を干したり、屋敷の高いところにある木窓を開け閉めしたり、初夏には軒下にできる蜂の巣を壊したりもして、大活躍らしい。

 屋敷内の家事を切り盛りし、創意工夫に満ちたクルルは、その木の棒のもうひとつの使い道を見せてくれた。


「痛、痛いって! クルルちゃん!」

「誰がクルルちゃんだ。まだ棒が足りないか?」


 背中を突かれ、腿を容赦なく叩かれ、それこそ罪人のように屋敷の中庭に追い立てられているのは、いつも門前でたむろしている詐欺師の青年たちだった。


「なんだよ急に……」


 ふてくされた様子でぶつくさ言う彼らを見て、自分は思わずクルルに聞いてしまう。


「あの、本当に彼らを?」


 クルルは獣の耳だけこちらに向けて、ぱたぱたと振ってみせた。そうだ、という意味だろう。


「お前たちごくつぶしに仕事をやるって言ってるんだよ」


 棒を地面に突き立てるクルルに、青年たちがぼそぼそと「頼んでないよな」と言い合って、クルルに睨まれていた。


「屋敷の残り物を食わせてやってる恩も忘れたわけじゃあるまい?」


 その言葉に、不貞腐れていた青年たちがますます嫌そうな顔をした。それは指摘されたくないところだったのだろう。

 自分もこの屋敷に来ると、なにかと食べ物を出してもらっている。


 それを作っているのが、この目の前にいる、棒で男を叩くのが実に似合う娘、クルルなのだ。


 しかし、彼ら詐欺師が軒先に居座っていられるのは、イーリアやクルルが追い払うのを諦めているせいだとばかり思っていたが、クルルの口ぶりはちょっと違う感じだった。

 稼ぎが無くて軒先で腹を空かせている彼らに、なんだかんだご飯を食べさせているクルルというのは、実に想像しやすい姿なのだから。


「難しい仕事じゃない。町の人間から税金の愚痴を聞いてこい」

「はあ?」


 青年たちは本当に不思議そうにしていた。


「仕事を終えたら一人当たり銀貨三枚だ」


 自分の商会での日当でいえば三日分。その報酬を聞いて、青年たちの目の色が変わる。


「なんだ報酬有りならそう言ってくれよ」

「税金の愚痴? 取り立てじゃなくて?」

「税金って色んな種類があるぜ。誰の話を知りたいとかあるのか?」


 口々に言う様は、主人の手にあるボールを目にした若い犬の群れみたいだ。


「詳しいことはこいつに聞け」


 そして、クルルはあっさりボールをこちらの手に押し付けてくる。


「説明しろ。こいつらはまあ、この町なら一番信用できる」

「えっ」


 その驚きは、クルルの言葉があまりに意外だったから。


 しかもこちらを見る詐欺師の青年たちは、クルルと話している時とは打って変わって、胡乱な目で威嚇するように睨んでくる。


 屋敷の中で別の仕事をしている健吾の助けを、と思ったところ、どんとクルルが棒を地面に突き立てた。


「飯を抜くぞお前ら」


 青年たちは子供みたいに唇を尖らせて視線を逸らすと、渋々と言った様子で、うなずいたのだった。



◇◇◇◇◆◆◆◆



 詐欺師の青年たちは、腕力でなく口で人から金を巻き上げているわけだが、まともではない仕事をしている者にふさわしいくらいには、強そうだ。

 どうにも気後れするのだが、クルルが彼らを信用していると言うのなら、信用できるのだろう。それに自分にも、別の人材に心当たりがあるわけではない。贅沢言ってないで、手の届く範囲にあるものを使わなければならない。


 そう思ったのだが、クルルがイーリアと共に屋敷の中に消えた途端、詐欺師の青年たちが怖い顔で詰め寄ってきた。


「で、お前、なんでクルルちゃんと仲が良いんだ?」

「というかちょっと前の夜、お前らクルルちゃんたちと出歩いてたよな?」

「そもそも、クルルちゃんと近すぎなんだよ、お前も獣人なのか?」


 なぜ自分に向けられる彼らの視線が胡乱なものなのか、すぐに理解できた。

 それに、くず魔石の実験の夜のことも知っているということから、彼らが町の情報に通じていることもわかった。クルルが彼らに協力を仰いだのには、きちんと理由がある。


 とはいえ、話をする前に、まず誤解を解く必要があった。


「自分は、クルルさんの下僕扱いですけど……」


 青年たちはじろじろとこちらを頭の上から爪先まで見回して、なにか納得するようにうなずいていた。


「確かに、こんなしょぼいやつにクルルちゃんが心を許すはずがない」


 おそらくだが、自分は彼らの年齢より一回りは上。

 けれどノドンが年下らしいという話もそうだが、歩んできた人生の過酷さが違うのか、あるいは人種的な差なのか、彼らのほうが大人に見えるし、向こうからはきっとこっちのほうが年下に見えているのだろう。


「で? 俺たちはどうすればクルルちゃんに褒められるんだ?」


 領主の権威をないがしろにし、屋敷の前でたむろする詐欺師たち。

 少なくとも当初のそういう印象は、改めねばならないらしかった。


 気が強い美人で、獣人の血を引くがゆえに迫害され、それでもイーリアの従者を立派に努めている上に、なんだかんだ言いながら宿なしの彼らにご飯を食べさせてくれるクルルは、まっとうな道を歩めていない詐欺師の青年たちには、いわばアイドルみたいなものらしい。


 けれども彼らは立派な、詐欺師である。


 しかも町でもっとも人通りの多い広場の、もっとも目立つ場所に陣取っている彼らは、この町の不穏な職業の世界ではちょっとした有力者らしい。

 聞けば、スリやかっぱらいをやっている子供たちの胴元でもあるらしかった。


 だから町の情報なら、がめついパン職人の目方のごまかしから、ノドンの昨晩の晩飯までなんでも知っているという。


「クルルちゃんとか獣人の奴らは、尾行にすぐ気が付くからあんまりわからないけどな」


 町の人々が税金をどんな頻度で、誰にいくら支払っているのかの情報を集めて欲しいと頼めば、青年たちは互いに目配せをして、一人をその場に残して残りは町に散っていった。

 その残りの一人、マークスという青年は、一応彼らの取りまとめ役らしい。


「俺たちにばれたくないなにかがあったら、あのケンゴってヒト獣人の奴に頼めばいい。あいつは俺たちのかわし方もよく知ってる。獣人の縄張りには俺たちの目もないからな」


 マークスの言葉に、合成魔石の試験をした夜のことが思い出された。健吾が選んだのは、獣人たちしか住まない石捨て場だったが、あれは最適な選択だったわけだ。

 それにしてもヒト獣人とは、健吾のあだなとしては的確だと思った。


「しかし、イーリアちゃんがついに領主様として立ち上がろうとするとはね」


 なぜ税金の話なんかを突然集めようとしたのか、当然マークスたちは気になった。

 彼らに隠したまま命令することもできただろうが、誰だって自分がどんな理由で働くのかを知ったほうがやる気が出る。

 イーリアには思うところがあって、町の経済をノドンの手から取り戻そうと決意したのだ、と説明しておいた。


 そしてその説明に、マークスたちは思った以上に強い反応を示していた。


「俺たちも大歓迎だよ。孤児院に寄付をしてくれるのは、イーリアちゃんだけだからな」


 壁にもたれかかり、こちらと話しながらも時折鋭い視線を広場のあちこちに向けているマークスの言葉に、少し目を見開く。


「俺たちがお行儀のいい家の生まれだと思ったか?」


 こちらの視線に気が付いたマークスは、疲れた様子で笑っていた。


「野良犬やカラスと飯を奪い合うように暮らしてたけど、イーリアちゃんたちがここに来てから、だいぶよくなったんだ」


 わずかな税収入も右から左。

 イーリアの並べ立てた支出項目には、真っ先に孤児院が挙がっていた。


「今もよく弟たちに飯をくれてる。まともに働けってどやされることにだけは、なかなか応えられてないんだけどな」


 苦笑したマークスの右顎には、光の加減で時折傷が浮かび上がる。

 よくみれば、手にも古傷がいくつもあった。


「けど俺たちがこの屋敷前からいなくなったら、変な奴らが素通りになるだろ。昔はひどかったんだぜ」

「ここを?」


 彼らは自分たちの詐欺に、身勝手な言い訳をしようというのだろうか。

 一瞬そう思ったものの、マークスの言葉はもっとこの世界らしいものだった。


「あの子たちがここに来たのは、五年前くらいかな。イーリアちゃんもクルルちゃんも、まだ本当に女の子だった。味方も知り合いも誰もいないこんな場所に、たった二人で放り込まれたんだ。おまけに二人とも可愛いとくれば、脂ぎった職人や商会の組合長たちからしたら、か弱い兎ちゃん……子犬ちゃんと猫ちゃんか。まあ、それら以外の何物でもない」


 話の流れに嫌なものを感じ、それが表情に出ていたのだろう。

 マークスはそんな免疫のないこちらに、いっそ優しそうな苦笑を見せて肩をすくめていた。


「大丈夫、話の落ちはめでたしめでたしだから」


 本当かと思うが、マークスはさっきこう言った。


 自分たちがいなくなれば、変な奴らが素通りだと。


「イーリアちゃんを脅し、騙し、懐柔して、領主の地位を濫用しようとする奴らはもちろん、わかりやすく手を出しに来た奴らもいた。人と獣人の子供は、一部に人気があるからな」


 クルルの犬歯が唇にかかるたび妙にドキドキする自分は、自分が責められているように感じてしまう。


「五年前といやあ、俺たちもまだ背の伸び切らない子供だった。闇討ちはまあまあできたが、あいつらの雇う大人のごろつきに睨まれたらひとたまりもない。だからまあ、変なのがこの扉をくぐるたびに、その変なのの醜聞を求めてる商売敵のところに連絡を入れるわけだ」


 敵の敵は味方。

 マークスたちは的確に町中の勢力図を利用して、彼らの大事なものを守ろうとしてきたのだ。


「近衛騎士団って言いたいところだが、まあ、押しかけ傭兵団ってところだな」


 そう言って照れ臭そうに笑ったところだけは、かつての少年の面影が感じられた。


「そして、これまでにこの扉をくぐった中でダントツに怪しかったのは、あのケンゴってやつだったが」


 マークスは口元だけ笑い、目は鋭くこちらを見つめている。


「むしろお前が来てからのほうが、妙なことが起こるようになった。クルルちゃんがすごい形相で、夜な夜な魔石を削っていたりな」


 それも把握していたらしい。


「お前はノドン商会の人間だろう? 五年前、イーリアちゃんたちに手を出そうと最後まであきらめなかったのが、あの野郎だからな」


 ノドンの女好きは有名で、商いで優位に立っている相手の家の娘にも散々手を出しているらしい。

 自分がノドンのところに勤めると知った時のイーリアとクルルの反応は、過去のそういうところからもきているようだった。


「それで、てっきりクルルちゃんに無理難題を吹っかけて、またぞろ手籠めにしようと企んで舌なめずりしてるのかとおもったが……どうもそんな感じでもなさそうだ。特に、お前を見張れば見張るほど、ノドンの仲間や手先とも思えなくてな。ますますよくわからなかった」


 見張られていた、という言葉に息を呑む。


「荷揚げ場で死んだ、流れ者の墓に参るような奴が悪人のはずないだろ?」


 墓地は町外れの、ひとけのない場所だったはずだが……と思っていたら、マークスは自分の反応に呆れていた。


「目立ちまくってたよ。それにトルンの見舞いにも行ってただろ。あいつは弟たちの中じゃあ、ヨシュに次ぐよくできたやつでな」


 ヨシュはノドン商会に孤児院から働きにきている利発な少年で、トルンは足を折った少年の名前だ。


「お前からもらったパンはすぐに食べちまったが、干し肉はまだ食べないでとってあるらしい」


 マークスの笑顔の意味は、多くを語られないでもわかった。

 あのお見舞いは、ある種自分のためだったのだが、トルンもまた喜んでいてくれたようだ。


「クルルちゃんの行動は謎だったし、イーリアちゃんがいきなり領主の自覚に目覚めたのも謎だ。それらは全部、あんたが来てからのことなんだ」


 マークスの目が、じっとこちらを見る。

 けれど、疑うのとも違う、不思議な目だった。


「まあ、そもそもあんたは鉱山帰りだからな。俺たちにとっちゃ、あんたが人の形をした天使かなにかだって話のほうが信じられるんだが」


 そんな超常的な存在なら、クルルに睨まれておどおどすることもないだろう。


「今日のイーリアちゃんとクルルちゃんは、久しく見てなかった前向きな顔だった」


 マークスは人をよく見ている。

 そして人というのはある種の鏡だ。


 前の世界で同僚の人相が悪くなっていた時、それはまた、自分の顔でもあった。


「イーリアちゃんが税金を集めるってんなら、強欲のせいじゃないはずだ」

「そこは、もちろん」


 念を押しておくと、マークスは、わかっているとばかりに手を振った。イーリアたちの手に適切な税金を取り戻し、それを梃子にノドンから町の支配を取り戻す。イーリアは適切な領地経営ができるだろうし、自分たちはこの町で生活の安定を手に入れられる。


 最初にそう説明した時のマークスたちの顔は、よく言って、酔っ払いのたわごとを聞かされた素面の人間の顔だった。


「案外あんたみたいなぱっとしない風貌の奴が、このくそったれな町を変えてしまうのかもな」


 ほとんどの人間は、世界は目の前にあるまま、そういうものだと思って生きている。

 自分も偉そうなことを言えないのは、環境が文字通り異世界に激変し、尻に火がついてようやく立ち上がったから。


 けれど魔石の秘密を解いた今、世界の形を変える鍵を手にしていた。


「お手並み拝見だ」


 マークスは言って、寄りかかっていた壁から体を起こす。

 広場の向こうから、マークスの仲間が戻ってきたのだった。


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