第15話

 この日、町が浮かれ騒いでいたのは、魔石鉱山が見つかったことを祝う祭りの日だから。


 クルルに言われるまで気が付かなかったが、町中で騒いでいた者たちの中に、獣人の姿が一人もいなかった。


「魔石鉱山の発見は、獣人側からすると、かつて世界の主人公だった自分たちを蹴落とした、諸悪の根源の発見ってことになるもんな。獣人たちの姿が見えなくて当然ってわけだ」


 となると、あの式典でイーリアとクルルが蔑まれ、嘲笑われていたのは、獣人の血を引く人間が、獣人をこの世界から駆逐した魔石に関する祭りに貴賓として参加する、という皮肉な状況そのものが原因だったのだろう。


 同時に、獣人が魔石鉱山で働いているというのも、残酷な話なのだと気がつくこととなった。


「こういうことは、自分にはまだまだ理解しきれてないな……」

「まあ俺だって教会のことは思いつけなかった。言われてみればそうだなって思ったけど」


 現在ドーフロア帝国の国教に定められている正教は、今の帝国のふたつ前の古代帝国の時代に定められたものらしい。


 天から遣わされた救世主が魔石の使い方を人々に教え、神の作りし大地を野蛮な獣人から取り戻させたが、その神を奉じているのが、この教会だと。


 つまり教会では当時の戦のことが詳細に記録されていて、そこには救世主が神から教えられたという伝説の魔法陣も含まれるのだ。


 クルルが、自分には無理だが、と付け加えた理由ももちろん今ではわかる。

 教会の歴史とは、クルルたち獣人の血が流された歴史でもあるのだから。


「そう言われたら、教会の建物のあちこちに魔石に刻む紋様が記されてた気がするよ」


 自分もこの世界の人間として、付き合いで教会に行くことがままあった。


「大戦の時代の名残ってクルルさんは言ってたね」


 まだすべての大地が獣人のものだった頃、人々は聖職者が掲げる魔石を旗印に戦地に赴き、獣人と戦って領土を拡大してきたらしい。


 よって最前線に築かれるのは要塞を兼ねた教会であり、襲いくる獣人から身を守るため、教会のあちこちに魔石が仕込まれ、反撃できるようになっていたらしい。


「それだけ豊富に魔石が採れてたってことでもあるよな」

「金や銀、石油だって昔は露天掘りで十分だったらしいよ」


 資源系の会社のことを調べた時に、そういう話を読んだ覚えがある。

 特に銀などは、適当に山に火を放って溶けだした銀を回収するという、心底雑な方法でも十分儲かったようだ。


「頼信、妙なことたくさん知ってるよな」

「ゲームのために、ずっと本読んでたから。けど、知識だけだよ。実務のことは勤めてた会社のことくらいしか知らないし」

「それ言ったらほとんどのコンサルも知識ばっかだけど」


 健吾は頭の後ろで手を組んで、歩きながら体をひねってばきぼきと骨を鳴らしている。


「もっといろいろ勉強してたらよかったなあ」

「自分は、体を鍛えてたらよかったかな。あ、肉体はこの世界の人のものか」

「筋トレはいつだって、今が始める最良の時だぞ!」


 健吾の暑苦しい勧誘を交わしながら、広場に位置する教会にたどり着く。

 広場は浮かれ騒ぐ酔っ払いばかりだが、扉が開け放たれた教会の中は静かそうだった。


「人でごった返してると思ったけどそうでもなさそうだね」

「教会の中で飲んで騒ぐわけにはいかないからじゃないか?」

「うちの商会から一番酒と肉を買っていくのは、ここの教会の司祭様だよ」


 教会というのは昔から儲かる商売で、腐敗しがちなのも一緒なのだ。教会を取り仕切る司祭は、聖職者というよりがめつい商人だった。


 健吾は大きな肩をすくめてみせる。


「二日酔いで寝込んでるから静かにしろってことかもな」


 そう言って、うす暗い中に入っていく。


 人が長年歩くことでつるつるに削られた石畳と、手垢と時間の澱で黒くなった木製の長椅子は、前の世界の教会にそっくりだ。燭台に掲げられた蝋燭が余計に、見慣れた光景を演出する。

 礼拝が行われているわけではないようだが、長椅子にはぽつぽつと人が座り、熱心に祈りを捧げている。


 厳かな空気に当てられていると、健吾に肩をつつかれた。


 礼拝のための身廊の中心部に差し掛かったところで、健吾が足元を指さしている。


「これ……」


 意識して見なければ、なにかちょっとした宗教的な装飾だと思うだろう。石畳の紋様は、信仰に満ちた人々がたくさん行き交ったせいで薄れてしまっているが、よく見れば魔石に刻まれる魔法陣そっくりだった。


「どうだ? 古い時代のものかな」

「図形の密度が現行のものより高い気がする、かな。写し取りたいけど……」


 足元に刻まれる紋様は、スケールが人の体の大きさにあわされている。当然、円や三角形も大きいが、その大きさそのものに意味があるとなると困ったことになる。

 縮小コピーするにしても、正確に比率を写し取るには道具が必要だろう。


「後回しにして、聖典のほうを見に行くか」


 クルルの言によれば、教会内部にもたくさん魔法陣が残されているが、正教の教えを記す聖典にもたくさん残っているとのことだった。活版印刷もない世界のことなので、本屋なんてもちろんなく、聖典が読みたければ教会にくるしかない。


 健吾は通りがかった見習いの若い助司祭に声をかけ、教会の教えに触れたいのだが、と切り出していた。


 少なくない寄付を経て、ようやく分厚い聖典とご対面となった。


「神の言葉を学ばれたいという心意気、我々は大歓迎いたします!」


 息せき切って聖典を運んできたのは、クルルと同い年くらいの、実直そうだがちょっと頼りない雰囲気の少年だった。僧服を着た少年は、グルード・クローベルと名乗り、位階は補司祭だというので、信仰の世界の駆け出し聖職者というところだろう。


「ケンゴ様には常々、教会に足を運んでいただきたいと訴えた甲斐がありました」

「いやあ、その節は……」


 背中を丸めて、ばつが悪そうに笑っている。

 鉱山では死者やけが人も出るだろうし、教会の人間とよく顔を合わせているのだろう。


「ヨリノブ様も」


 と、クローベルは言った。


「ヨシュからお話を伺っています」

「えっ……と」


 一瞬なんの話かわからなかったが、孤児院から商会に働きにきている少年の名前だったと思い出す。


「とても勤勉な方だと。ヨリノブ様が商会主ならいいのに、と何度も聞かされました。そんなヨリノブ様ですから、きっと信仰に目覚められるだろうと私は確信しておりました」

「あ……はは」


 自分たちの生活のため、儲けのために魔石の加工法を探ろうとやってきたことがだいぶ後ろめたい。


「存分にご覧下さい。質問がありましたらなんなりと」


 クローベルはそう言って、部屋から出て行った。

 そこは筆耕室とでもいうのか、書見台がいくつか置かれた狭い部屋で、棚には羽ペンやインク壺が置かれている。


 健吾は書見台に置かれた聖典から延びる鎖を手に取って、苦笑していた。


「厳重な警備だ」

「これ多分、動物の皮で作られた本だろうからね。すごい高価なんだよ」


 商会で商品としての本を見かけたときは、もっと小さくて薄いものなのに、金貨で二十枚くらいしていた気がする。感覚的には40万円くらいだろう。


 これくらい分厚い立派なものになると、数百万円の感覚ではなかろうか。


「さあて、写せるだけ写していくか」


 健吾は胸元から、クルルから借りてきた筆記用具を取り出した。

 紙はぼろ布から作られた粗雑なもので、ペンは木炭を削ったもの。


「汚さないようにしないと」


 聖典を開いた直後、自分はこういう古い本に挿絵を入れる職人の名前を思い出すこととなった。


 細密絵師。


 宗教的情熱に支えられた聖典は、圧倒的に荘厳な文字列と、緻密な絵で埋め尽くされていたのだった。



◇◇◇◆◆◆



 絵心のなさにも苦しめられながら、どうにか聖典に書かれていた魔法陣を写せるだけ写した。その後は、クローベルの熱心にしてありがたい神についてのお説教を、懸命に興味を持っているふりをしながら聞いて、ようやく解放された。


 魔法陣を書き写した紙は、クルルから事前に指示されていたとおり、道に面した屋敷の格子窓の隙間から部屋に投げ込んでおいた。屋敷内を見て回って掃除するのはクルルしかいないというから、これで届くのだそうだ。


 自分たち用の写しも制作しておいたが、寝泊まりに自前の部屋を持っている健吾がそれを保管することとなった。自分がこんなものを抱えて商会で寝泊まりしていたら、目ざといノドンに見咎められるかもしれない。ノドンに計画を気取られて怒らせれば、自分たちの冒険はそこまでとなる。


 また、自分と健吾は綿密な打ち合わせの上で、書類上に魔法の時間を作り出し、五級の魔石をふたつ滑り込ませることに成功した。鉱山から運び出され、ノドン商会に引き渡されるところで健吾の手によって抜き取られたそれは、無事にクルルに渡ったと、酒場で健吾から聞いた。


 こういう会話が酒場で堂々とできるのは、日本語話者の強みだ。


 魔石加工のための鑿や鏨は、クルルがイーリアに内緒で手に入れたものがあるとのことで、自分が次のバックス商会との取引の際に取引の承認をもらいに行ったら、すでにクルルは何度かの試し掘りを終えたと教えてくれた。


 結果は否定的だったが、クルルはもちろん落ち込んではいなかった。いきなりうまくいくとは思っていないし、思ったとおりに古い時代の魔法陣は、現行のものとはかなり違った理屈で描かれているらしいと分かったのが収穫だと言っていた。


 自分と健吾も、現行の魔法陣と古代の魔法陣を見比べて、法則の違いなどを把握しようと図形を数式に直したりして、あれこれいじくりまわしてみた。


 自分はそんなに社交的ではないけれど、みんなで一緒に目標を追いかけるというのは、単純に楽しかった。けれど魔法陣を調べる過程で一番楽しみだったのは、クルルに会うことだったかもしれない。魔法陣のことを語る時のクルルは、あの不機嫌そうな鋭い目つきではなく、家猫がおもちゃを見る時のようなキラキラした目をしていたのだから。


 しかも、自分はある種の礼儀として極力視線を向けないようにしていたのだが、耳と尻尾がいつも嬉しそうにぱたぱたしていた。


 そんなふうに健吾とクルルとともに、楽しく魔石の秘密の研究を進める一方、自分は自分なりにこの世界の現実と向き合おうと一歩を踏み出していた。


 あの足を折って商会からいなくなった少年を探し、見舞いに行ったのだ。


 そして居場所を探そうとするだけで、この世界の乾いた部分を強く実感した。

 ノドンが荷揚げ夫の少年の行方など知らないのはわかっていたにしても、同僚の荷揚げ夫たちも知らなかったのには驚いた。もっとも、理由を聞けばさもありなんという感じで、彼らは自分と同じように商会に寝泊まりしているか、定住先を持たず町のあちこちをぶらぶらしている。だから足を折って稼ぎを失って、酒場やらに顔を出さなくなった少年の行方など、誰も知りようがないのだ。


 少年を探す自分のことを、皆が不思議がった。


 しかし、自分にとっては大事なことだった。


 自分はあの倉庫での事故を見て、自分のこれからの未来を守るため、健吾とクルルと手を組んだ。だからそのきっかけとなった少年を放っておくのは、あり得たかもしれない自分を見殺しにするような気になっていたのだ。


「え、なんで?」


 ようやくその少年を見つけた時、見舞いのパンや干し肉を差し出したら、はっきりそう言われた。


 骨折事故は鉱山で避けられないことなので、町で骨接ぎの名医と言えば、獣人らしい。ついでに診察費も人間の医者とは比べ物にならないくらい安いということで、少年は商会から放り出された後、獣人が営む骨接ぎ施療院に世話になっていたらしい。

 そして人間と獣人の間に交流なんてほとんどないから、獣人の骨接ぎ医の温情でどうにかこうにか生きながらえていた少年の行方を、商会の人間は誰も知らなかったわけだ。


「自分が前にいたところでは、同僚が怪我をしたらこうするんですよ」


 同僚が上司からパワハラを受けていても、見て見ぬふりしてきたことは、どうにか胸の奥におしこめておく。


「そりゃあ、妙な場所だな」


 少年はそんなことを言いながら、屈託なく笑っていた。


「今……その、仕事はなにを?」

「あ? 縄結いでどうにか食ってるよ。港での仕事が多かったから、いろんな縄の結び方を知ってるんだ。獣人はあのごつい手のせいで、こういうの得意じゃないからな。結び方を教えたり、縄の補修をする代わり、食い物をもらったり寝床を借りたり、まあそんな感じ」


 少年は人よりも獣人が多くうろつく診療所の近くの道に、棒きれで補強した折れたほうの足を投げ出しながら座っている。ごみに囲まれたようなその姿は物乞いにしか見えなかったのだが、どうやらそれは仕事道具だったようだ。


「思ったより元気でほっとしました」

「へっ。しばらく走れないし、前みたいに戻れるかわからないけど、まあどうにかやれてるよ」


 少年は喋りながらも縄をくくり、輪っかをいくつも作っていく。なにか食べ物を吊るして乾燥させたりするためのものかもしれない。


 自分はそれ以上少年になにか言うこともできなかったし、少年がひとまず無事なことを知れて、なにか罪悪感に似たものも肩の上から降りていた。


「それでは」


 と、その場を離れようとしたら、縄に視線を落としていた少年が言った。


「パンと肉、ありがとな!」

「……」


 振り向いて手を軽くあげると、少年は笑顔で手を振り返してきて、それからさっさと自分の仕事に戻っていた。

 その切り替えの早さみたいなものは、いかにもこの世界らしかった。


 ノドンのみならず、この世界で上に立つ者の多くは、人を酷使して平気で使い捨てる。

 けれど捨てられる側も、案外しぶとく生きているらしい。


 そのことにいくばくかの慰めを得つつ、今度は町外れの墓場に向かった。身寄りのない人間が一緒くたに埋められている区画にくると、いくらか温まっていた気持ちも冷えてくる。


 少年は生き延びたが、名も知らない荷揚げ夫の青年は死んでしまった。鉱山送りにされたという話も聞かないので、身寄りのない人間の遺体が必ず鉱山に送られるというわけでもないらしい。


 ただ、ここにきた理由は、自分でもよくわからない。


 自分はおそらく前の世界で死んで、この世界にきた。

 では、ここで死んだらどこに行くのだろう?


 ここよりまともな世界であると期待できる理由はどこにもない。


 元の世界に戻れるならそれに越したことはないが、今のところその当てもない。

 どうにかこうにかこの世界で生きていくほかない。


 そのためには、健吾とクルルとの計画をうまくいかせるしかなかった。


「どの神に頼めばいいのかわからないけど」


 腐った木の棒が刺さっているだけの墓標を前に、手を合わせる。


 空の色は一緒だが、天国も一緒なのだろうかと、ちょっとだけそんなことを考えたのだった。



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