第6話 ぼくたちのたびはこれからだ




 輓馬ばんばであるグレイス号を得てから話は早かった。

 鷲馬娘ヒッポグリフは世話になった先輩の参入を大歓迎して、その日の夕食をグレイス号の好物で作ってほしいと直訴したほどだ。

 合成獣キマイラはこれで自分の後輩ができたと思ったのか、グレイス号の頭の上が定位置となってしまった。温和なグレイス号は合成獣を可愛がっていたが、幾頭ものじゃじゃ馬を躾けてきた経験をいかんなく発揮し、二日目の朝にはその教育ママっぷりを見学していた鷲馬娘が熱く語るほどだった。


 当面の目的地は決めてある。


『迷宮都市ミノスといえば、ムーンラシア大陸有数のダンジョン都市であるな』


 逗留している宿の食堂で鷲馬娘は鼻息荒く頷いた。

 人化し人語を覚えた彼女は様々な冒険者や街の人との会話を厭わず、積極的に知識や情報を集めている。助っ人という形でダンジョンにも潜るし、ちょっとした採取のイロハも覚えたらしく食べられる野草やキノコを宿の女将に手渡したりしていた。

 鷲馬娘につられてか合成獣も彼女に同行して野生のベリーなどをつまみ食いしているようだが、その美味なる体臭が様々な動物を招き寄せては全身舐められまくっているらしい。肉食草食関係なく。余計な成分が含まれない分、汗とかおもらし液の方が好まれているのだとか。


『にゅん! にゅにゅにゅん!』


 なんで話すのよばかばかばかあとばかりに涙目で合成獣が鷲馬娘をぽかぽか前脚で叩くが、肉球の柔らかい感触を彼女は頬で堪能するばかり。

 そっかー。

 それお漏らしじゃなくて、マーキングかもね。縄張りを主張するために猫や犬の仲間がそうするとは聞くよ。獣人も犬系猫系の人は色々苦労しているみたいだ。空の彼方で幾柱の神様が良い顔してサムズアップしてそうな錯覚したけど、成体になればその辺のコントロールも出来るようになるだろう。多分。


『にゅん』


 ちなみに布団に潜り込んで漏らすのはマーキングとは呼ばないので反省して欲しい。




▽▽▽




 迷宮都市ミノスは冒険者にとって憧れの地である。


 難攻不落の大迷宮を抱える他に数多の国家への中継地点として機能するため、この国にも迷宮都市を目指す旅団が年に数組は出発する。冒険者は迷宮を目指し、商人は各地の産物や迷宮の出土品を求めて。

 中小の隊商もそれら旅団に同行する事が多いので、時期を外して出発する者は大抵訳ありと見做されることが多い。


「冗談じゃないっすよ。毎食数百名分の飯を作らされるとか。しかも三か月も」

「ですよねー」


 冒険者組合から「来月ミノス行きの旅団が発つので御一緒しませんか」と言われた時に反射的にそう拒んでしまった。もっとも断られる方も最初から分かり切っていたようで再度請われたりはしなかったのは有難い。


「しかも飯を作る度に一割くらいどっかに消えてるんすよ。小規模ならまだ耐えられるけど、数百名の食事で一割が消えたら道半ばで旅団は餓死全滅っす。責任持てません」

「ですよねー」


 神によるスープ没収事件後。飯を作れば一割、甘味の類を作れば三割ほど成果物が姿を消すようになった。

 今のところ全て食い逃げ案件である。

 そのことを不憫に思ったのか、はたまた犯人(?)に心当たりがありすぎたのか。幾度も世話になった前世審問官様を通じて神殿より馬車の提供を打診された。最初は無償提供と言われたのだけど、それを認めたら料理の強奪者が誰なのかを認めたに等しい訳で。

 あくまでも教会で不要になった幌馬車の一つを友情価格で払い下げしていただくという形で決着した。各種神殿も巡回牧師の派遣で布教する宗派が多く、神殿では新旧様々な馬車を擁しているのは事実なのだ。

 それらの中で小回りが利きそうな馬車を安価で譲っていただいた。

 教会御用達のナハイム工房製で、足回りの頑丈さは神殿のお墨付きと聞く。荷台部分は最小限にして標準的な幌布を張るだけなので、最終調整をナハイム工房の王都支店でお願いしている。


「ひとまず迷宮都市を目指すけど、王都にも折を見て顔を出すつもりっす。うちの鷲馬娘が迷宮都市で相棒を定めたり別の生き甲斐を見つけたら、またどこかの隊商護衛に混ぜてもらうし、それこそ前リーダーのエグザム氏を見習って宿屋か飯屋を始めてもいいっすね」

「その時は王都の一等地を用意しておきますよ」


 馬車を受け取ってそのまま王都を発つと言ったら、商業ギルド立て直しに忙しい筈の職員さんが見送りに同行してくれた。

 彼は迷宮都市出身で、書類上の関係だけど夢魔族の奥さんが今も彼の地にある豊穣神殿でシスターとして頑張っているそうだ。還俗して正式に結婚するまで今しばらくの期間が必要だけど、彼女さえ良ければ王都で一緒に暮らしたい……などと無自覚に惚気られて返答に困る。

 夢魔族の女性を相手に純愛貫いて未だ清い身体とか、前世でどれだけ徳を積めばそんな状況に、などと内心戦慄しつつ街を歩く。利便性からナハイム工房は王都入り口近くにあるので、鷲馬娘達とはそこで合流予定。輓馬グレイス号も昨日の内に工房に預けている。


 物資は十分。

 気力も十分。

 鷲馬娘も合成獣も昨夜はいよいよ出発だと興奮しなかなか寝付けなかったようだが、早朝に差し入れの包子を籠に詰めてナハイム工房に突撃していった。昨日の話では工房前に馬車を用意してあるという。料金も支払い済みだ。


 昼にはまだ早い時刻。

 王都の出入り口は行き来する人の数も多く、道幅は広い。魔法による検問が普及したおかげで衛兵の負担も格段に減ったというが、交通量そのものは以前よりも多いそうな。そんな王都の入り口付近、具体的に言えばナハイム工房のある一角に人だかりができている。

 正直、この時点で引き返したい。

 グレイス号だけ引き取って、徒歩で出発した方が良いかもしれない。寝具にテントも収納空間にあるのだから。きっと鷲馬娘も合成獣も賛成してくれるはず。

 よし決めた。逃げよう。


『お待ちしておりました、旦那様』


 透き通った声が、辺りに響いた。

 膝枕されながら聞いてしまうと無意識にばぶぅと鳴いてしまいそうな包容力のある、男を駄目にしてしまうような声だ。花街で一晩お喋りするだけでノーブル大銀貨が飛ぶ世界のキレイドコロか、王城で三男坊陛下の身の回りの世話を許されるような、そういうレベルの品格だ。

 人混みが、割れていく。

 露わになったのは輓馬グレイス号と、そこに繋がれた幌馬車――ではなく。


 薔薇の庭園付き一戸建て。

 白亜の小さな家である。

 王都の入り口前の一画に突如として出現したそれが、グレイス号に連結されている。そして家の玄関前にて淑女の礼をとるメイド服の美女。その仕草、その美貌。いかなる種族であろうとも見とれずにはいられない神秘的な美貌を前に、自分は思わず叫んだ。


「グレイス号、ドッキング・アウト!」

『は?』


 想定外だったのか表情が凍り付くメイド服の美女の前で、馬車との連結部が外れて解放される輓馬グレイス号。緊急時に荷馬車を分離する魔法道具だが、早速役に立ったようだ。

 続いて従魔召喚術。

 契約によって結ばれた鷲馬娘と合成獣が、簀巻きの状態で白亜の家から飛び出してくる。意識はあるようだが身動き取れない彼女達を米俵を担ぐように空中で受け止めると、駆け寄ってきたグレイス号の背中に預けた。


『え、ちょ・・・・・・・旦那様ァ! か、神々からの報酬! 食い逃げじゃないって証明するための! 神様達からの!』


 背後でえっちな声が何やら叫んでいるが、耳を貸すつもりはない。

 畜生こんな罠を仕掛けてくるとはな。

 同行していた冒険者組合の職員さんも呆れ顔だ。


「後は冒険者組合で対処しますから、どうか良い旅を」

「頼むっす!」


 職員さんや衛兵さん、ナハイム工房の職人さん達が苦笑いしながら手を振ってくれる。

 とりあえず、さらば王都。

 目指す先は迷宮都市ミノス、最も深き迷宮を擁する街だ。



 


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