日蝕み姫

亜未田久志

第1話 日蝕姫と通り魔擬き


 いじめ、迫害、村八分。形容はなんでもいい。彼女を取り巻く環境はとにかく良いとは言えないものばかりだった。学校でも家でも除け者にされ、いない者として扱われる。世界に彼女の居場所は無かったし、彼女も世界に居場所を求めなかった。パーカーに頭を包んだ銀縁眼鏡の小柄な少女はそのポケットに鈍く光る刃を持っていた。場所は鈴園町れいえんちょうの駅前、まだ誰もいない早朝に、彼女は人を待っていた。特定の誰か、ではない。いわゆる「誰でもよかった」である。少女は駅前に一番早く来た人間を殺そうとしていた。意味など無い。それは彼女なりの社会への反抗だった。少女は鬱屈していた。それが理由と言えば理由になるのか。ナイフを握りしめ人を待つ。ひたすら待っていると硬いハイヒールの踵が地面を打つ音が響いて来る。それはこうもり傘をさした黒いドレスの女だった。真っ黒な長髪をたなびかせ、顔は傘にかくれて分からない。ハイヒールの音だけが響く、少女に近づいてくる。

 ――殺さなきゃ。

 そう思いナイフを取り出し、駆け出した。しかし彼女の視界は百八十度回転していた。なにが起きたか分からない、天地が逆さになっている。自分が派手に転んだのだと気づいた時には傍に落ちたナイフを見て気づく、慌てて起き上がると赤い赤い瞳がそこにあった。

「そんな鈍らじゃ私は殺せない」

 ニヤリと口の端から覗く犬歯は異様に長く伸びていた。

「……吸血鬼」

 どうして自分からそんな言葉が出たのかもよく分からない。少女はただ困惑していた。拍手が聞こえる、目の前の女からだ。

「大正解、私、吸血鬼なの、まだまだ新参者だけどね」

「あは、あはは、わたし夢見てるんだ」

「いいえ、是空コレカラミドリちゃん? 此処は夢じゃないわ」

 こうもり傘を閉じる吸血鬼、するとどうだ

 駅前の立ち並ぶ店の看板の色彩も。公園の緑も、なにより、青い青い空の色も。

「あなたはまだ世界がモノクロだった頃を知っているかしら?」

 ミドリは逃げる事で頭がいっぱいだった。しかしその腕が掴まれると、そのあまりの膂力で身動きが取れなくなる。一気に吸血鬼の傍まで身体が引き寄せられる。まるでその方向に重力でも働いたかのようだ。吸血鬼の胸がミドリの背に押し当てられる。冷た体温が伝わってきた。まるで死体だ。地面に転がるナイフを見る。もう届かない。耳元で声がする。

「私に与えられた名前は日蝕姫ニチハミヒメ、『財閥』から追われる吸血鬼の一種……と定義されているわ」

「ごめんなさい、ごめんなさい、人を殺そうとしてごめんなさい」

「あらいいのよ? 謝らなくても、私、人じゃないもの」

 自分の首筋に突き刺すようないや突き刺さった痛みが走った。日蝕姫がミドリの首筋に歯を突き刺したのだ。要するに噛みついた、噛みつかれた。吸血鬼に。

「血!? 血吸われて!?」

 息が出来なかった。ただ時が経つのを待つしかなかった。モノクロの世界で二人だけが色を持っていた。

「ぷはぁ、美味しかった、割と良い物食べてるじゃない」

「あれ、わたし、なんで生きて……?」

「これは契約の吸血よ、人間、是空ミドリ。貴女は私の眷属になった」

 ミドリの頭が真っ白になった。眷属? 血を吸われたから? 私死んでる? なにがどうってるの? そんな思考で頭がいっぱいになる。

「財閥は明日にでも日本に戦士ウォーリアーを送ってくるはずよ」

「は? は?」

「あ、そうだわ、これはもういらないわね」

 ミドリから銀縁眼鏡を取り上げる日蝕姫。

「私の事はヒメでいいわ、よろしくねミドリちゃん?」

 裸眼で見る世界はひどく薄暗かった。

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