第5話
もしこれが神様の与えた試練ならば、あまりにもひどい。
普段からそこまで信仰心があるわけではないのにこういう時だけそんな気持ちになるのはどうしてだろう。
「よりによって黛さんに見られるとは」
早朝のまだ誰もいない教室で独り
問題に気づいたのは昨夜のことだ。
楓を部屋から追い出して、あまあま生活の続きを読もうと鞄を開けたのだが、あまあま生活がない。代わりに見知らぬ本が一冊入っていた。
そして、一瞬でこの事態を理解した。
間違って黛が読んでいた本を持って帰ってしまった。おそらくあまあま生活は黛が持っている。
壁ドンで黛を助けようとして失敗。自分の滑稽な姿が恥ずかしくなって、慌ててノートや参考書を鞄に詰め込んで帰ったら、間違って黛の本を持って帰ってしまったようだ。
まずい、あまあま生活みたいないちゃいちゃラブコメを読んでいることが、よりによって黛に知られるなんて。しかも、楓の話では後半部分はかなりのムフフ展開ということだ。
真面目な性格というブランディングを進めている俺があまあま生活を読んでいることが知れ渡ればブランドイメージに大きく傷がついてしまう。
こんなに早い時間に学校に来たのは普段から黛が早い時間に登校しているという話を聞いたことがあったからで、他のクラスメイトに接触する前にあまあま生活を回収して黛の本を返すためだ。
昨夜から何度も脳内シミュレーションしてきたスマートな本の受け渡しとあまあま生活を読んだかの確認。そして、読んでいた場合の口止めのセリフを確認していると上品な足音とともに黛が登校してきた。
「おはよう、天王寺谷君、どうしたの今日は早いね」
「おはよう、実は昨日図書室から急いで帰ったら、間違って黛さんの本を持って帰ってしまったみたいで」
「やっぱり、そうだったんだ。天王寺谷君が帰った後に私も帰ろうとしたらさっきまで読んでいた本がなかったから、そうかなと思っていたんだよ」
「急いでいたとはいえすまない」
俺は鞄から黛の本を取り出して手渡した。
ここまでは想定通り。あとは黛があまあま生活を読んでいなければ、すべてクリアだ。
「このためにわざわざ早くに登校したの?」
「そう、早く返さないとと思ってさ」
保身のためなら早出なんてなんでもない。
「そんなに急がなくてもいいのに。でも、そんなに急いでいるなら昨日のうちに読んでおいてよかったよ」
「……黛さん、俺の本読んだのか」
「えっと……、勝手に読んで悪いかなとは思ったんだけど、ちょっと開いてみたら今まで読んだことのないような内容で、読み始めたら止まらなくて最後まで一気に……」
ああぁぁぁぁ、なってこったぁ。
まてまて、慌てるな。ここまではまだ想定の範囲内。落ち着いて対処すれば傷は最小限で済む。
それに最後まで一気に読んだということは少なくとも内容について軽蔑の思いは抱いていないはずだ。
「ううん、黛さんが楽しく読んでくれたなら別にいいよ」
「楽しかったんだけど、後半になるにつれて何というか……」
後半……。
まだ俺が読んでいない後半……。
楓がムフフ展開だと言っていた後半……。
少しだけ顔を俯かせて、顔を朱に染めている黛が意味するもの。
あれ? あまあま生活って全年齢版な商品だよな。
「黛さん、あ、あの本は――」
そこまで言いかけたところで、教室に何人かの生徒が集団で入って来た。
「――また、後で話すよ」
俺は話を強引に切り上げて、自席に戻ると適当な参考書を広げて勉強しているふりを始めた。
まいった。黛は俺のことを学校にいかがわしい本を持って来ている変態だと思っているにちがいない。
でも、今のところ黛が他のクラスメイトにこのことを話している様子はない。
しかし、それは黛が俺を脅したり揺すったりするためのネタとしてこのことを今後使うためなのかもしれない。
これでは次のテストで黛に勝つとかいうどころではない。これからずっと黛に俺の首根っこを押さえられているようなものだ。
「本、まだ返してなかったから」
額に手を当てて、どうしたものかと考えている俺に声を掛けたのは、顔にさっきの朱が残っている黛だった。
「あ、ありがとう」
「じゃあ、確かに返したから……、中もちゃんと確認してね」
そう言うと、黛はきゅっと方向転換をして、自分の席へと帰っていった。
確認してと言われてもな。
書店の店名が書かれている紙のブックカバーがかけられた表紙をめくると間違いなく俺の心のオアシスだった『キツネ娘とのあまあま生活が最高な件』の題名がある。
教室で問題の後半部分を読むわけにはいかないのでパラパラとページをめくっていると、先日俺が栞を挟んだページにたどり着いた。
ん? 栞に黄色い付箋が貼り付けてある。
『感想についてもっと話したいです。今日の休憩時間空いていますか?』
丁寧でちょっと幼さのある字で書かれたメッセージの主の方に目をやるとあっちもこちらを見ていた。
そして、俺がコクリと頷くとあちらも返事をするように小さく頷いた。
― ― ― ― ― ― ― ―
短い話でしたが楽しんでいただけたでしょうか。
今後も短いものを発表できたらいいなと思いますので、その際にはよろしくお願いします。
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