第9話 “アダマスの血”って、なんじゃい
凄まじい力で暴れ回ったアダマス公爵じゃが、その後は倒した暗殺者もそのままに部屋へと戻り、何事もなかったかのように寝始めよった。
“へーか、あの公爵あんまり、人間ぽくないの”
「同感じゃな。あれは、肝が据わっておるという表現では足りんのう。魔王であったわしが言うのもおかしな話ではあるが、あれは完全にどうかしとる」
かと思えば翌昼、当の公爵は涼しげな顔で屋敷に戻ってきよった。
逃げ隠れするほどの負い目もないが、あやつの娘として対する自覚もない。どうしたもんかと対処を迷っておるうちに、馬車は公爵邸に到着してしもうたわけじゃ。
「「お帰りなさいませ、公爵閣下」」
居並ぶ使用人たちの前。馬車から降りてきた公爵は髪も表情も整えられ、服も帯剣も身分に見合った優美なものに変わっておった。
まあ、当たり前じゃがな。上級貴族の馬車から下履きひとつで降りてきたら、それこそ正気を疑うわい。
そのお上品なお貴族様は、わしを見てわずかに目を細める。
「息災だったかな、アリウス」
ふむ。こちらの変貌も受け入れよるか。こやつ程の強者であれば、わしが娘であって娘でないことなどお見通しであろうに。
少なくとも、昨夜の監視者がわしらだったことは察しておるな。姿を消し脇に控えておったエテルナを、チラリと見て微笑みよった。
「息災、ではあったがのう。……あいにく、ぬしの知る“アリウス”は
「うん……?」
正直に言うたわしを見て、公爵は少し首を傾げよる。
それはまあ、通じるわけもなかろうし、通じたところで疑うくらいは当然じゃろうがのう。
「それは、世話を掛けた。すまないが、これからよろしく頼むよ」
「む?」
固まるわしを見て、公爵はふわりと幸せそうに笑いよった。
おかしいじゃろ、こやつ。この状況で、なんでそんなに冷静なんじゃ。何やら満足げなのもわけがわからぬ。
「お疲れでしょう、閣下。お食事と入浴のご用意はしてあります」
「フィデス、報告を。疲れてはいないが、気になることはある」
執事の爺さんから報告を受け、公爵はなにやら話し込んでおる。
テキパキと指示を出す様だけを見ておれば、知的な偉丈夫といったところじゃ。猛る蛮族のような昨夜の姿は想像できん。
呆れ半分で見ておった、こちらの視線には当然のように気づいて振り向き、楽しげに手を振りよる。
まったく、けったいな男じゃのう。
歩き去る公爵から離れて、執事の爺さんがわしに声をかけてきた。
「アリウス様、お父上が昼食をご一緒できないかと」
「かまわん」
フィデスというらしい、この執事の爺さん。昨夜の公爵ほどではなかろうが、それなりに強者の雰囲気がある。若い時分にどこぞで暴れとった頃の縁とか、かの。
案内された食堂には使用人たちが給仕に立ち働いておったが、わしと公爵が入ってくると同時に、お辞儀をして立ち去ってゆく。
上座に公爵が掛ける。ふたりしかおらんからのう。その斜め向かいに整えられとるのが、わしの席なんじゃろうな。
テーブルの上には、本来ならば順に出されるであろう料理が揃っていた。我知らず怪訝そうな表情になったのわしに、公爵は上座から笑顔を向けてきよった。
「わたしは、冒険者としての暮らしが長かったのでね。チマチマ出されるのが性に合わない」
「……ふむ」
これまでも続いていたであろう日々の習慣を、わざわざ説明したということは、だ。わしがエリウスであってアリウスでないと理解しておる――というよりも、そう理解しておることを示したのじゃな。
こやつ、どうにも調子が狂うのう。
「マナーは構わない。お互い好きにやろう。アリウス……で、いいのかな?」
「真名を名乗れというのならば、そうしてやっても良いがの」
魔界の主が真名を名乗るときは相手を殺すと宣言したも同然、などという駄法螺が人間界には広まっておると聞いたことがある。
無論、根も葉もない噂じゃ。わしはコルナハンという以外の名を持たんしのう。魔界の住人は、たいがいその名を知っておる。
公爵が噂を聞いておるかは知らんが、そういった気遣いは不要だと笑顔で手を振った。
きれいな所作で食事を始めながら、わしにも食べるよう目顔で勧める。
芳しい匂いを嗅ぐと、頭よりまず腹が空腹を訴えてきよった。わしはアリウスの身体に入って以来、何も食うてなかったことを思い出す。
「公爵領は畜産と農産が盛んでね。自慢の食材は、香草や香辛料で飾り立てずとも美味い」
「その通りじゃな。見事な味わいじゃ」
どれも豪勢というよりも豪快な料理ばかりで、あまり上級貴族の食卓というイメージはない。上質な素材を生かす的確な調理と雑味のない味わいに、わしは思わず感心させられる。
「わたしの娘
「ほう」
こちらの関心を知ってか、いきなり核心を突いてきよったな。
「自分の秘めた真の力を解放する鍵を探すと、王都で閲覧可能なあらゆる古文書を調べ尽くしてね。いつしか古代魔法の魅力に取り憑かれるようになった」
「その結果がこれか。なぜ止めんかったのじゃ」
「止めたが、聞かなかった。あの子なら、成せることもわかっていた。問題があるとすれば、だ。アリウスがそれを求めた理由と、達成した後に起きる大波乱くらいだね」
「“くらい”と、簡単に言うがな」
ぬしら、王国の中枢に魔王を引き入れることになったんじゃぞ? いまのところ、わしは骨休め以外の目的を持たんがの。なにをするかわかったもんではないと、考えるのが普通であろうが。
「それに、あの子の気持ちも理解できた。きっと、アダマス家の血がそうさせたんだろう」
達観した表情で公爵は話す。
驚くことに――そして呆れることに、この御仁、公爵家嫡男として英才教育を受け厳しく育てられた後、ふらりと出奔したかと思えば身分を隠して冒険者になったのだとか。それも遊びではなく、わずか二年で冒険者の頂点である超級冒険者の名を得るところまでいったのだそうな。
アダマス家の血か。
かつて魔界に侵攻し、わしと死闘を繰り広げたトリニタス王国の将軍。いまだ魔族の武人たちに語り継がれる、猛将アルデンス。
こやつらアダマス公爵家は、そのアルデンスの
「……かもしれんのう」
それだけの言葉で、公爵は全てを理解した。わしを見て、ひどく幸せそうに笑った。
娘を失ったというのに、なにを笑っておるか。
その言葉は、わしの口から出てこんかった。わしにも、理解できたからじゃ。生きることは、死なないことではない。己が意地と誇りと、理想を追い求めること。それで身体を失ったとして、悔いたりはせん。
「これを」
テーブルの上に、こそり置かれたのは首飾りになった魔珠であった。それは公爵の魔法でふわりと浮かび上がると、わしの前までゆっくりと送られてきた。
「かつてアリウスが、わたしに託したものだ」
アダマスの長は、アリウスであるところのわしを見て、言った。
「
「仇を討てということかの」
そんなはずはない。公爵からわずかに聞いただけじゃがの。アリウスの望みが、そんなに矮小な些事であるはずがない。わしの笑みを理解しつつも、公爵は真顔で首を振る。
「それなら、自分でやっただろうね」
「そうしてやればよかっただろうに。ミセリアの、あの苛立ちようからすると、歯牙にも掛けん態度だったんじゃろうな」
「目に入ってすらいなかったのではないかな」
魔珠が、ころころと笑うように瞬く。わしらの会話を、聞いていたかにのように。
それで、わしは理解した。これは、アリウスなのだと。彼女は自らの身体を器にされたのではない。自ら贄として差し出したのだ。引き換えに、成すべきものを見据えて。
「あの子は確信していた。その者は、王国を滅ぼすはずだと」
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