09 全力で
[空間深度が5000を超えた!まだ上昇するのかよ。展開しただけで5300まで深まるなんてとても初起動とは思えない…]
呆気にとられた様子のコルデロの声。現実世界においてモニターされている夢想世界でのアンブロシアの深度表示は5000というある種の大台を超えた数値を示している。急激な深度潜航の影響によってアンブロシアの夢想世界における夢の深さは一気に進んだが、これは同時に夢を思い描くアンブロシアがより自分の世界を明確に構築しようとしていることを表している。
「やるじゃないかアンブロシア。期待通りの活躍ご苦労」
歪む景色。闇と光に劈かれた世界においては傍らに何者が存在するのかさえ曖昧に濁ってしまっているが、その余裕たっぷりな声音は間違いなく今もなおふかふかのソファに腰を埋めたキンコルからのものだった。黒い太陽が町中の光を攫うように様々な方向から光の軌跡を吸収する中、太陽に吸われることなく宙に浮かび上がる光が二つ生じる。
それは影に浮かぶ紫色の二つの炯眼だった。ゆらゆらと燃えるような二つの重瞳がアンブロシアに張り合うように勢いを強めて力強く光を溢れさせる。
「信号の呪いはもう形無しだな。おかげで私の力を存分に奮うことができる……
固有冠域展開。固有冠域:
合掌するボイジャー:キンコル号。彼もまた独自に思い描く自身の最強の世界を展開する。彼の足元を起点に咲き誇る蓮の花畑。不気味に空に君臨する黒い太陽と輝く闇の元で不相応に咲き乱れていく。信号機による呪いの光は皆黒い太陽に吸いこまれて無力かし、町中の光が太陽に吸いこまれていく中でもその蓮の花畑は仄かに水色の稜線を持つように照り輝いた。
信号鬼はその間も町中に新たな信号機を出現させて蜘蛛の巣のように光の網を張ろうとするが、それでも新たに生まれた呪いの光はたちまちに眩しい闇の光に揉まれて色味を失ってしまう。だが、そんな二つの強力な色を奪う力が働いてなお、周囲の空間には固有冠域:大曼荼羅顕現の作用によって新たな模様が刻まれていく。
幾何学的な円や升を象った頂戴な空間が空を覆う。闇の輝きによってその細部の模様までは判然としなかったが、どうやらその幾何学的な模様の中には仏のような存在が複数描かれているようだった。
「私の冠域の中では自分を含めた全ての存在の対生命を想定した能力上昇は完全に無効化される。貴様が自分の冠域内で底上げした移動速度、攻撃性能、回避性能から再生能力はこの冠域の強力なジャミングによってたった今沈黙した。ボイジャー三機が全力で臨まねば倒せない敵とは実に度し難いが、ここまでくれば貴様の負けは今確定した」
「ほざけ。貴様ら程度がこの復讐心を上回ることなど決してあり得ないッ」
信号鬼は指揮者のように腕を振る。何もない空間から八両に及ぶ電車が出現し、途轍もない質量と速度をもったそれがキンコルに迫りくる。キンコルはその電車の直撃を受けて周囲には凄まじい粉塵が舞ったものの、粉塵の中から姿を覗かせた彼には傷一つとしてついていなかった。
「私の懸念はあの信号機の呪縛だけ。あれは純粋な攻撃ではなく呪詛を有したデバフとペナルティの合わせ技。あれ私の冠域で中和することはできないし、あれがある限りはこの冠域の展開も不可能だった。アンブロシアの太陽と闇の力でお前の信号も力を失った今、お前に鬼を冠するだけの脅威など何もない」
「固有冠域:
花開く金色の舞台。満を持して韋駄天の冠域が場を席巻する。
「太陽越す者:
……全力で行くぞ、糞ッたれ」
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近接攻撃に特化した韋駄天の躍動。疾風怒濤の舞台において、彼女の底上げされた速力が解放される。
目にも止まらぬスカンダの爆発にも似た移動。その攻撃の対象はあくまでも信号鬼ではなく、信号鬼という存在を成立させうる土壌であるその町全体だった。
その一挙手一投足、微々たる所作に至るまでにも韋駄天の突風が生じる異常な出力。言葉通りに全力を出すことを躊躇わない彼女の渾身の環境破壊がたちまちに町の外観を崩落する瓦礫の山へと変貌させていく。その踏み込みではアスファルトもコンクリートも薄氷のように砕けるし、十階建て相当のビルだって彼女の当身一つで根元から破砕されてしまう。止まることを知らないような継続的な神速移動により生じる衝撃もまた相当なものであり、踊り狂う粉塵の中では今どこの建物や地区が攻撃を受けてるのかさえ判然としなかった。
「何をッ」
端正に作り込んだ景観を持った渾身の玩具の街並みを非常な親に片付けられてしまうような焦燥感と憤怒の念。
数秒という合間にも一区画が更地にかえってしまう。自分が最強であるはずの冠域を真正面から否定されているようだった。
「ふざけるな!ふざけるな!ふざけるなふざけるなふざけるなァアァアアアアアア!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
町全域に及ぶ能力干渉。瓦礫の積もる地面から何千、何万という信号機が出現して開眼するように強い光を発する。一つの信号機には通常ではありえないような八個分の電灯があったり多いものでは十個を超えるものもある滅茶苦茶な仕様だった。大地も空も何もかもを睨むような途轍もない数の光の礫が凄まじい量の光となって町を埋め尽くす。
だがそれもほんの一瞬の出来事。町が信号機で埋め尽くされたのとほぼ同時にアンブロシアの空間深度は6000にまで達し、町を飲み込もうとした光の全てをその能力で奪い取ってしまった。
光の残滓さえ搾り取られるように力なくそこに生えているだけの信号機の丘もまた、なおも引き続くスカンダの大立ち回りによって薙ぎ倒される雑草のように再び崩れ去っていく。
「なぜ、私の邪魔をするッ!なぜ私の復讐を肯定しないッ!!」
信号鬼が空を仰ぐ。町の遥かな高度に豆粒のような暴走車両が召還される。それらは寄り集まった鳥の大群のように巨大な質量をもった隕石弾として町の全体に降り注いだ。町の破壊がやまない中でのその大規模な攻撃はその光景にさらなるカオスが齎される。波状的な衝撃と轟音が鳴り響き、もはや何がなんだかわからないような地響きによって足場が常に上下に大きく振れた。
だが、その攻撃も町に対しての大規模なダメージは与えたものの、肝心のボイジャー等や隊員たちに対しては傷一つとして与えることができない。これこそが夢想世界での対人攻撃の全てを無力化するという法外な固有冠域を有したキンコルの能力であり、今となってはこれまでのような車両を用いた攻撃は彼らに対して意味を全くなさない状況になっている。
「無駄だぜ?気付けよ間抜け。煙てぇだけだ」
キンコルは信号鬼を嘲った。今では彼は敵のことを鬼とすら思っていない。
信号鬼の貌が歪む。両腕をぶんぶんと振り回し、号令を与えるように空間から暴走車両を出現させては余裕たっぷりにソファに座り続けている彼にそれらを叩きつける。地面には大渋滞のように八方から大型トラックやバスが世話しなく押し寄せ、宙からは柱のようにまっすぐに伸びた電車が降り注ぐ。
山積した車だった瓦礫の内側から水色の光が漏れ出すとその大量の瓦礫の山には蓮の花が咲き乱れ、花と共に腐り落ちるようにして瓦礫の山はのっぺりとした泥に変質した。
「何故だあああぁああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!」
「さっき説明しただろうが、間抜け」
「おかしい、可笑しい、オカシイオカシイオカシイオカシイオカシイダロォォオオオオオオオオ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
感情に比例するように信号鬼の姿は燃え上がる。
悪魔の僕に共通として見られる青い炎による全身の発炎現象は、良くも悪くもその勝負に決着が訪れる前兆だと言われている。
―――
―――
―――
「コこは、こレなるハ、ワレラガおンしユウのハテナるブたイ
マケナどあルハズモナいさイキョウノシょうめイ
ひゴうノシヲとゲタ
どコマデもオろカデムジョうなドうしュニコろサレた
あクイモナケればゼんいモない
そンナむちもうまいニコロサれたぜンナルたましイガつどッタ
おんシュうノトモシビ
あガメルハみにふリカカったイじょうのアクギゃく
いけとシイケルブチょうほウモノに
おなじメにあわセテこそがしュギョくノほんかい
ともニアユむはいクセんいくまンノドうし
ゆえニコのみちニこうかイモナク
ダレもがのゾンダせかいがボくたチのシュチゅうにはある
なれバソのじゃマなどどうシテユルすことができようか
ひとノテデハもたらせぬばッソクこそがナレハてたるわレラがきょウジ
ナンぴとタリともひていハサセナい」
炎に混じって信号鬼の周囲に集まる焔玉。何かを訴えるように周囲に悲鳴のような不協和音を響かせるそれはどこかこの世に恨みを持った人魂のようにも見えた。驚くべきはその量。発炎する青い信号鬼の周辺を埋め尽くすように数えることも憚られるような途轍もない量の人魂が舞い踊っている。
「固有冠域である町があらかた破壊されたことによる正体の顕現。やはり、この程度の空間深度であれほどのことをするには人間一人分の夢では足りないと思っていたが、まさか何千何万の悪霊がたった一人の人間に憑りつくことでここまでの力を得ていたとは……気の毒に」
亡者を纏った異形の体躯。町の破壊を終えて大きく跳躍して宙に在ったスカンダもそれを目に留めるや「なんだありゃ」と呆気に取られる。
キンコルの固有冠域発動後では信号鬼の力によって殺される隊員もいなかったため、生き残った隊員たちも思わずその姿には声を飲んだ。これぞまさに屍の上に立つということなのか、信号鬼だった男の足元にはそこにないはずの地獄のような亡者の醜い姿が敷き詰められていた。
「ゆめにシテかなえズニ
コノひうんデむこナルたましいノおもいヲどこニぶつけれバいい?
ここニあるものらハすべてせいじゃニじゅそヲかけんトスルあっきらせつ
ナレバのぞむがままニさせてやろうデハないカ
みたされるマデノのろいでよヲみたセバよいデハないカ」
哀しく燃える人柱。
信号鬼の正体は交通事故により非業の死を遂げた未練ある魂のより集まった感情の水溜りだった。
彼の望みはその亡者たちの未練を果たすこと。そして自らをその土地における天罰装置そのものへと昇華させることこそが彼が果たした夢の舞台だった。
「違う……」
吐き捨てるような、強い意志の籠った声音。
それはアンブロシアから放たれたものだった。
「人様を夢の中で轢き殺すなんて陰湿な夢を仰々しく語るんじゃないッ」
漆黒の太陽と照り輝く影をなおも自身の固有冠域として成立させながら、彼は続ける。
「人にやられたこと、やられて嫌だったことをやり返す?呪いで世界を満たせば満足する?
どっちがふざけてるんだよ。オカシイのはどっちだよッ‼
夢の中だからって、ここで殺された人は現実でも死ぬことがあるんだろ?なんでそんなことをする必要がある?
人を殺したって死んだ人は戻らないなんて馬鹿みたいに擦られてる常套句があるのに、なぜ死んだ後まで誰かを侵害することに固執するんだ!お前がやっていることは自分自身と同じ哀れで惨めで醜い魂を増やしているだけだってなぜ気が付かない‼」
「いいやちがうナ。
シんだからこそのかんじょうダ。
ヒトをのろうチカラはそれだけでリソウキョウをうみだすだけのちからとなる
ノロイはよりあつまればさらなるリソウをえがける」
「なるほどね。そうか。……この町における魂の総量の件には納得がいくな。こいつは自分自身を構成する魂の他にこの町に迷い込んで殺し、現実世界でも連動して死んだ人間の魂を食っている。復讐の連鎖とはよく言ったものだな。自分が起こした交通事故で生じた無念をまた別の交通事故を起こすための火としてくべている。マッチポンプどころじゃない話だが、要は糞みたいな持続循環型社会こそがこいつの思い描く理想郷ってことで納得してるらしい…」
「なんだよ。それ」
アンブロシアの声が震える。
「そんな馬鹿げた理想がこの地獄かよッ‼人間の夢を見る力をこんな世界のために使ってるなんて、人間を侮辱するのもいい加減にしろ‼」
「ジゴクでケッコウ
わガおんしゅうハどこマデモモエヒろがる
このヒノしずむマチ
このヒノしずんだマチ
あクリょうタチノヨるのみヤコデコそあオクモエツヅけるのだ」
悪霊たちがさらに力強く燃え上がる。ごうごうと音を立てながら、人柱を起点として竜巻のように炎の渦を立ち昇らせる。その影響からか周囲のもの寂しげな荒廃した町に、不格好な新たな町並みが形成されようとする。
「あの夕暮れの町と陽の沈んだ町を同時に再生成しようとしてるのか?……どこまでタフなんだ、さすがにこれま不味いぞ……スカンダ」
キンコルの表情が曇り、大声でスカンダを呼んだ。一度破壊した固有冠域を再構築されては、流石に自身の能力の持続時間の限度が先にくると見ての判断だった。
しかし、焦り始めたキンコルとは裏腹に既に何かに駆られるようにアンブロシアは悪霊たちの元に詰め寄っていた。それも一切の躊躇いがない怒りに塗れた途轍もない勢いだった。
「そんなに陽が昇った町が嫌いか?人が秩序をもって町に流れる安全な世界が嫌いかよ?
それとも悪霊はみんな日陰者で陽の光が眩しくて堪えられないってか」
「シネェエエエエエエェェェェェェェエエエ‼‼‼‼」
悪霊たちの背後から暴走車両が出現する。それらは青い炎を纏いながら、恨み辛みを訴えるような悲鳴を上げながら彼に迫った。
「特大の太陽をくれてやるよ。揃いも揃って惨めに地獄に落ちやがれッ」
アンブロシアの固有冠域は"太陽"と"闇"の顕現。信号機を無力化させるという目的のためだけに生み出された二つの相反する存在ではあったが、彼はそのうちの照り輝く闇を消滅させ、代わりにさらに肥大化した直径一キロメートルにも及ぶような特大の太陽火球を自身に向けて引き寄せる。
「冠域延長:
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