第20話 アプオレント
翌朝に朝サウナを堪能したジンはサラマとルスカを伴って小屋に戻ろうとしていた。
もうすぐ昼時。カレヴァも人化した精霊たちで溢れている。
「あれ?」
「どうしたのジン?」
ジンの顔を覗き込むように、身を屈めて小首を傾げるルスカ。
「エルフやドワーフじゃない精霊が…… ケモ耳? 猫耳や犬耳や角が生えた人たちがいる」
「アプオレントたちですね。元の意味は補助動物。使い魔みたいな意味です。――あの方々は精霊ではなくて動物霊ですよ。フィンランドを守るために蘇る決意をした祖霊の一種です」
「祖霊か。どこの国も同じなんだな」
「もともとサーミ人はアイヌ人やイヌイットとも関連が深いです。アメリカの先住民族も祖霊信仰があり、文化も似ていますね。熊が神聖な動物です」
「フィンランドもヒグマが国獣だよ! 当然ヒグマのアプオレントたちもいるね」
「そうか。動物たちまでもが……」
「日本政府に動物霊の受肉を打診したところ、ケモ耳系人間は歓迎ということで満場一致で賛成されたとのことです」
「なんでだよ……」
「ハルティアやアプオレントはもう千人超えたね。今後も増えると思うよ!」
三人は遠巻きにアプオレントたちを眺めている。
そんななか、アプオレントの女性がジンを睨むように見詰めていた。背は女性のなかでも高く、ジンと同じぐらいはあるだろう。立派な角を生やし、実物以上に大きく見える。灰色の髪が特徴的だった。
「あれ。声が聞こえていたかな」
「聞こえている」
ジンの呟きに応えるアプオレントの女性。トナカイ耳をぴくぴくさせている。
「すまなかった。他意はないんだ」
「そうではない」
女性の目付きが鋭くなる。
ジンに向かって駆けだし、飛び付いた。
「会いたかったぞ! 人間! 久しぶりだ!」
いきなり飛び付かれ、ジンを地面に押し倒した。そのまま大きな胸のなかにジンの頭を抱きしめる。
「え? ちょっと待って!」
「ジン! 誰よこの女!」
「説明してもらいましょうか!」
「落ち着け。俺に動物由来の精霊がいるわけないだろう!」
女は険しい目付きをやめ、潤んだ瞳でジンを見下ろしている。
「そ、そうか。この姿ではわからぬことも無理はない。私はお前に声をかけられたトナカイだ」
「え? 声をかけた?」
「トナカイを口説いていたのジン?!」
驚きの声をあげるルスカ。
「そんなわけあるか!」
「あー。思い出しました。あなた、サッラ近くで女の子を助けたトナカイですね!」
「え!」
ジンも覚えている。トナカイに女の子を助けるよう頼んだ。賢いトナカイは少女を背に乗せ、町に向かってくれたのだ。
「あの時の賢いトナカイ!」
「そうだよ人間。あの時のトナカイが私だ。まだ死んで一年も経過していないが」
「亡くなったのか……」
「あの少女に可愛がられ、ソリ用トナカイとして天寿を全うできた。お前が声をかけてくれたおかげだ。感謝しかない。今度は私の番だ。お前達が天寿を全うできるように守ってやる人間」
思わず惚れてしまいそうな、頼りがいのある笑顔を浮かべ請け負う元トナカイのアプオレント。男気溢れるの少女アプオレントである。
「人間だと言いにくいだろう。俺はジン。君の名は?」
「私はサルヴィと呼んでくれ」
「わかった。サルヴィ。みんなが見ているからそろそろ起き上がろう」
「ジン。私が重いか?」
哀しそうな瞳でジンをじっと見詰めるサルヴィ。
「重くない。みんなが見ているから少し恥ずかしいんだ」
慌てて首を振り、否定するジン。
名残惜しそうに胸からジンを解放し立ち上がるサルヴィ。手を差し伸べてジンを起こす。
「その問いかけ。別の意味で重いよね」
「そうですね……」
思わぬライバル出現にサラマとルスカも戦々恐々だった。
「私もセッポのおかげで受肉できた。ともに戦う。ずっと傍にいてやる」
「それは私の役目ですー」
「私、ジンと一緒にいるんだけど……」
聞く耳を持たないサルヴィは強かった。
「ありがとう。では一緒に小屋に戻ろうか」
「わかった」
「グイグイ押してくるー。このトナカイ!」
「トナカイ。強いから……」
押しの強さで負けそうな二人であった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「ジンに頼みがあるんだ。ジンに頼まれて私が助けた少女。アイノを助けて欲しい。いや、もう死んでいるかもしれないが……その時は仇討ちに力を貸して欲しい」
小屋に戻ると、サルヴィが真剣な眼差しでジンに語り出す。
「あの時の子供が? どうして?」
「生き延びた彼女は父母を殺され孤独だった。そしてずっと後悔していたんだ。ジンに心ない言葉を浴びせたことを」
「あのときか。俺ももう少し早く駆けつけていたら……」
「間に合ったとしても助けがゴブリンに勝てるとも限らない。助けてもらったというのに、ひどいことをいってしまったと彼女は言っていた。そしてジンが行方不明になったと知った彼女はゴブリンへの復讐に燃えて幻想討伐の傭兵になった。私が死ぬのを見届けて……」
「待て。11年だと、あの子は16か17ぐらいだろう! そんな年で傭兵に?」
「今年で16歳だな。サッラは周辺含めて五千人もいない小さな集落。孤児には辛い環境だったが、基礎教育課程を修了し高等学校を二年で卒業。ヴァーキ適性が高まったのか、志願して傭兵になった。生きていれば明日17歳になっているはずだ」
「あの子がそんな人生を……」
「見ていて辛いものがあった。サンタクロースに願いをかけて。お父さんお母さんと。十歳を超えた頃にはすでにそんなことさえ願いことをやめて勉学に集中した」
明日。一年後という意味だ。その間にアイノは死んでいるかもしれないのだ。
「……」
ジンにとってまだ二週間にも満たない期間に、あの少女は激動の人生を歩んでいたのだ。軽くショックを覚える。
彼もすでに両親が他界している。目の前で両親を殺された少女の人生を思うと胸が張り裂けるようだった。
「傭兵の採用試験に合格しても私が生きている間は傍にいてくれた心優しい子なんだ。私にとっては妹同然。守りたいが、唯一の家族だった私もいない。あの子はきっと無茶をするだろう。生きていれば力になってやりたい。受肉した身では安否も不明なんだ」
「あの子がどこで戦っているかわかれば……」
「場所はおそらくサッラだ。ロウヒの軍は都市ロヴァニエミを攻略したいようだ。国境沿いは小康状態を保っているが、いつ戦端が開かれるかわからない状態だな」
「ロヴァニエミは空港がある都市。南はチェルノボグが侵攻中。首都ヘルシンキを包囲しやすくなりますね」
「そうだ。昔の戦場遺跡――サルパラインに再び防衛戦を引いている。冬戦争及び継続戦争終了後に敷かれた対ソ連用のバンカーだよ。130キロある対戦車用の塹壕、255キロにも及ぶ対戦車用障害が連なっているかつての防衛ラインだ。観光名所ぐらいにしかならなかったが、ないよりはましだから」
「冬戦争って第二次世界大戦直前の戦争か」
ジンにとっては歴史の一部に過ぎない。詳細は知らなかった。
「知っているじゃないか。サルバラインによって明確に国境沿いがわかる。ロウヒ軍の侵攻をここで阻止しているんだ」
むしろ妙に歴史に詳しい元トナカイだと感心するジン。
「ゴブリン相手に塹壕は無力ではないのか?」
「奴らは今やノヴゴロド連邦時代の戦車や航空機も使っているぞ」
「頭の良いゴブリンってのは嫌になるな」
「ゴブリンは格別ずる賢いので不思議ではありませんね」
サラマが苦笑する。悪さをする妖精だからこそ頭は良いのだ。
「明日顕界に戻る。どうすればよいかセッポに相談するよ」
「ありがとうジン」
純粋な感謝の瞳を向けられ、照れるジン。
目が細くなる二人に気付くことはなかった。
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いつもお読みいただきありがとうございます!
次章の舞台、サルパラインもようやく登場です。
【Apuolento/アプオレント】
使い魔の一種。パラ(エルフみたいな妖精)の使い魔でもあり、このパラもフィンランドでは動物の姿を取るといわれています。ノルウェーでは人間の姿、魔女の一種とも。
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