寄ってくる

猫又大統領

第1話 優しい妹

夕日が照らす道で僕は足を止めた。このままだと暗闇に一人で佇むことになる。頭にその絵が浮かんで残り続けた。学校が昼前で終わり、それから昼ご飯も食べずに僅かな休みを取りながら歩き続けた足を休めることにした。

 制服の汚れも構うことなく地べたに腰を下ろし、学園指定の紺色のカバンの中を小さなお菓子を求めて探ると、記憶にないアンパンがひとつ入っていた。パンの包装にはと付箋が貼り付けてあった。パンを口へ入れるごとに優しさが胃と心に染み渡り、少し気持ちが和らいだ。でも何か違和感があった。

 そもそも、こんな状況になったのは友達も出来ず、部活にも入っていない僕に妹が散歩を進めてきたからだった。確かに暇を持て余していた僕は、学校からの帰り道を出来るだけ遠回りをして帰宅をすることにした。感覚だけで歩いていたので道に迷うこともあったが、今回は今までにないほどの失敗だった。田んぼや電柱をいくつも通り過ぎ、何となく頭の中にある近隣の地図からすっかり外れてしまった。この先の道をまったくの手探りで進むことは、日の傾きと僕の気力がまるで兄妹のように仲良く沈もうとしていることを考えれば難しかった。

 僕の目の前にある、おそらく全く人の手が入っていない林に目を向けて考えた。そこには、薄っすらと道があるよに見えた。これを突っ切れば、再び地図が頭の中に現れる予感がする。人や獣すらも忘れ去ったような草が生い茂る道。極々薄い期待であったとしても今の状況ではこれに賭けるしかない、と思わせるほどに追い詰められていた。ゆったりとした斜陽もその気持ちを加速させる原因だった。

 意を決して林の中のへと踏み入れると、五歩目で靴に泥が付き厚底ブーツのようになってしまい綺麗な靴での帰宅は諦めた。枝で制服が切れないようにそこだけに注意を払い前へ前へと胸のあたりまで伸びた草を掻き分け進んだ。

 運動とかけ離れた生活を送る僕は息を切らしながらようやく林を抜けると、再び地図が頭の中に張り出された。ここから家までは相当あることが分かったが、知った道は何故か明るく見えた。

 靴に付いた泥か、それとも疲労なのだろうか重りを付けたように鈍くなった足をなんとか持ち上げながら帰宅した。日没だった。

「お兄ちゃん。お帰り」

 二歳下の妹のアヤが玄関までわざわざやってきてくれた。疲労で返事もろくに返せなかった。ただ、今は眠りたい。

「晩御飯できてるけど、疲れてるよね。部屋で休んでいいよ」

「う、うん?」妹の勘の良さに驚いた。兄妹はいい。言葉は必要ない。そう思いながら相変わらず重たい足で二階にある自室向かい、ベットへうつ伏せに倒れこんだ。

 部屋のドアを叩く、軽い音が響いた。この音が聞こえてくるまでの間の記憶がなかった。どうやら飛び込んだと同時に寝てしまったらしい。ドアの音に返答しようと体を起こそうとしたが、体が重くて動けなかった。

 少し、間をおいてから返事をしようとしたその時。ドアノブをゆっくりと回す音で僕は一瞬にして心拍数が増えた。ドアは静かに開いていった。返答もなし勝手に開くドアに心臓から驚きの声が駆け上がるのを必死で口の中で押さえ、寝たふりをした。

 微かに床を踏む音が聞こえる。僕の方へと音が近づく。ベッドの横まできて聞こえなくなった。

「疲れたから寝ちゃってるよね」アヤの声だった。小声だが物音のない夜の部屋には十分響いた。面倒見のいい妹が兄を心配してくれただけのようだ。張りつめていた糸が少し緩んだが、今さら起きているとは言えずにいる。

「はぁ。おいしそう。どうしてこんなにおいしそうなの。我慢……祓うだけ、祓うだけ」

 僕はますます話しかける機会を失った。

「ああああ。食べたい。お前を食べたい。何もかもお兄ちゃんがいけないんだよね」

 怒りをにじませた小さい声が部屋の隅々まで届く。僕は手の平に汗が滲むのを感じた。アヤの普段とあまりにもかけ離れた様子に僕は動けなかった。

「だめだ。我慢できない。食べなくてもいいのに。食欲じゃない。こいつを食べたい」

 僕の心臓の鼓動が激しくなる。この音がアヤに聞こえるかもしれないと思うとさらに鼓動を早める。再び床を踏む音が鳴り、僕の足へと向かう。

「あっ。少しかじっちゃった。フフフ。ああ、おいしい。口の中で踊ってる。ウフフ」

 アヤの喜びにあふれた弾むような声はどうやら僕の足に顔を近づけて語り掛けているようだった。熱い息を足に感じた。

 部屋に入ってから話すひとりごとの内容と僕の体に一切触れてこないことが安心と不安を反復させていた。

「食べちゃだめなのに。こんなことおかしいのに。これじゃあ、いつもと一緒」

 そういうとアヤは泣きじゃくていたかと思うと、一瞬で今度は冷静に話し始めた。

「足に憑りついたお化けを食べてる私は化け物なのかな。どう思う? お兄ちゃん?」

 起きていることが知られたかと思った瞬間、心臓が小さくなっていくのを感じながらも僕は結局、指一本も曲げることすらも出来なかった。

「ハハハ。なんてね。今日は食べちゃお。勿体ないもんね。明日から……明日から食べない」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

寄ってくる 猫又大統領 @arigatou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ