システム
付き合うようになってから三年後、僕と乙女は、地元のカラオケボックスにいた。乙女は珍しく、白い服なんかを着ていた。
乙女は大学でメタバースに関する学科を専攻し、あの音痴でなくなるプログラムも、アップデートを重ねていた。この三年で通信技術は5Gから6Gへと移行し、プログラムには、フィードバック機能、要するに、メタバース内での感覚を、現実のモノとして感じる事が出来る機能が追加されていた。これにより、プレイヤーはメタバース内で歌う事で、現実世界でも上手く歌えるようになる、との事だった。
今日はその成果を確認するために、ここへやって来ていたのだ。実は乙女は大学に通うために、大学の近くで一人暮らしをしていた。地元の大学に通う僕とは、あまり会えていない。だから実際に会う時は、デートを楽しむため、プログラムに関する話は一切行わず、メタバース内のみで行っていた。メタバース内なら、お互いが何処にいても、時間さえ合えば、いつでも会えたからだ。もちろん歌も、メタバース内でのみ歌っていた。だから乙女は、僕のその時の、現実の歌の実力を全く知らなかった。と言うか、僕自身も実は知らなかったのだ。怖くて、現実世界では歌う勇気がなかったからだ。
「……」
歌い終わると、僕は余韻に浸っていた。そのくらい、僕は上手く歌えた。酷い音痴だったのが、全くの嘘のようだった。
「…?」
しかし、確実な成果を表したにも関わらず、乙女は僕の事も見ずに、浮かない表情をしていた。
「乙女、どうかしたの?」
僕が訊くと、乙女は宙を少し見つめた後、僕を真っ直ぐ見つめてこう言った。
「守、ブレイン・テックって聞いた事あるか?」
「ブレイン・テック?」
僕が知らないといった顔をすると、乙女はこう説明してくれた。
「要は脳にチップデバイスを埋め込んで、チップを入れ替えるだけで、英語がペラペラになったり、専門家と専門的な話が出来るようになったり、…いろいろな能力を簡単に手に入れられるっていう技術だ。」
「脳に?身体に悪そう…」
僕は気持ち悪いといった表情で、そう言った。
「実際、それがブレイン・テックのデメリットだと言われてきた。脳を傷付けるリスクが大きい。後、埋め込んだデバイスにハッキングされて、操られるんじゃないか、とかね。」
「ハッキング⁉」
僕は素っ頓狂な声をあげてしまった。しかし乙女は、全く表情を変えずに、こう訊いてきた。
「そこでだ。守は私の作ったプログラム、どう思う?」
「どうって……」
僕は少し考えた。ブレイン・テックの話をしたって事は、それが関係しているんだろうけど……
「…!」
そこまで考えて、僕はようやく気が付いた。メタバースで歌う事で、現実世界でも歌が上手くなる。これって、アプローチは違っても、結果としては、ある能力を手に入れる技術。ブレイン・テックと同じだ。しかも脳を傷付けるようなリスクや、ハッキングされて操られるなんてリスクもない。多少習得に時間はかかる事になるけれども、結果は得られる。
「気付いたか?」
乙女の問いかけに、僕は黙って頷いた。
「私の作ったプログラムを応用すれば、ブレイン・テックと、同様の結果が、安全に得られる。そして、私はそのシステムを、もう作った。」
「…え⁉」
僕はまた素っ頓狂な声をあげてしまった。
「いちいち驚くな。この技術は6Gになって、フィードバック機能が簡単になった時点で、世界中で研究されている技術だ。」
「え、あ、そうなの?」
僕は何だか力が抜けた。乙女がとんでもないモノを開発したんじゃないかって思ってたからだ。
「ただし、確実な結果を出したのは、今のところ世界中で私だけだ。」
「えーっ、やっぱり凄いんじゃない!」
結局僕はまた素っ頓狂な声を上げた。
「いずれ他の研究者も確実な結果を出すさ。ただ…」
「…ただ何?」
一旦話を区切った乙女に、僕はたまらず先を促した。
「この技術を使って実用化されやすいのは、おそらく軍事技術だ。」
「軍事技術⁉」
突拍子もない話に、また素っ頓狂な声を上げてしまった。
「私が
「え⁉」
いや、もう上げないようにするのがムリ。
「正確に言うと、朱鷺流武術を習得出来るシステムだ。」
「……」
一度諦めがつくと、いや、違う。諦めがつく程話が大き過ぎて、そこに朱鷺流武術の話が加わって、許容範囲を超えてしまったのだろう。驚く事も無くなってしまった。
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