女買いました。まあ、聖夜だし。

レクト

Ⅰ 花屋にて

「電気、消さないの」


 2人だけの空間で、彼女はそう囁く。


 ホテルの最上階、丸いバスタブとキングベッドが目立つ部屋の中に、俺達はいた。


 慣れた手つきで彼女の長い黒髪を手ですきながら、俺はドアに目を向けて、その内鍵が施錠されていることを確認する。


 この状況は、実質密室だな。――彼女コレにとっては。


「お前の、この後の表情が見たいって言ったら、怒るか?」


 悪い質問だ。彼女には、俺に怒ることはできないのだから。


 案の定、彼女は何も言わなかった。ただベッドの上に腰掛けて、俺の初動を待っている。


 期待に応えるように、俺は手を伸ばした。白いシーツの上に揃えられた彼女の太腿に触れ、そのまま指を滑らせてゆく。


 小さく、華奢な身体に据えられた頭部を掴み、俺の方を向かせる。俺は、彼女の赤い瞳を見つめた。


 しかし、2人の視線は交わらない。彼女の瞳孔はいつも通り、俺の奥にある虚空を眺めるだけだった。





 吹き荒ぶ冷気と相反するように、街の中は熱気を帯びていた。子供が雪の中をはしゃぎ周り、鉱山帰りの労働者はストーブのあるバーで体を温めている。あちらこちらにランタンが吊るされ、暖かなオレンジのが灯る下を、馬を引いた業者が忙しそうに通ってゆく。


 ――この時期はいつもだ。


 鮮やかなガーランドで彩られたクリスマスマーケットを横目に、俺は街の喧騒から外れてゆく。


 なぜ、今日がそんなにも特別なのだろうか。人生は積み重なった一つの時間。砂時計の砂のように、今日も明日も、落ちてゆく量は変わらないはずなのに。


 『幸福』を強要する空気に辟易して、俺は毎年この場所に向かう。


 それは、街外れにひっそりと佇む花屋。軋む扉を開けて店内に入ると、薄いドレスを着た女性が掃除の手を止めた。


「あら、いらっしゃい」

「予約をしていたベリエルだ」

「お待ちしていたわ。今、準備するわね」


 紅が濃く塗られた口の端を上げ、受付の女性は店の奥へ姿を消した。


 ベリエルは、もちろん偽名だ。もし俺の本名を言ったら、女性の対応は、ここまで事務的ではなくなるだろう。


 きっと、噂が瞬くに広まってしまうだろうな。あの方が、あんな店に行っていたぞ、と。


 民衆から奇異の目を向けられようと構わないのだが、に迷惑がかかるのは避けたい。


 女を待つ間手持ち無沙汰になり、小さな店内を見渡してみる。


 漆喰の壁に囲まれた空間は、いつ来ても変わらない。街が聖夜で浮かれていても、ただ今日を繰り返すだけの空間。


 聞こえるのは、時折ストーブの薪が爆ぜる音と、隙間風のみ。


 居心地が悪くなり、俺は漂う香水の匂いを大きく吸い込んだ。


「……ふう」


 溜息、そして深呼吸。


 すると、


「ごめんなさい。少し遅くなってしまったわね」


 受付の女性が、薄いドレスを翻して現れた。――隣に、肌の白い少女を連れて。


 少女は、短い服の上にケープを羽織っていた。特徴的なのは、赤い瞳。


「問題ない。そこまで大した時間ではない」


 俺はそう言って、ローブのポケットから手を出す。


「ほら」


 恋人というよりは愛玩動物にするように、少女に手を差し出すと、彼女は何も言わずに俺の手を掴んだ。


 革手袋の上からでも、小さな指先が当たる感触がある。


「リリィちゃんダメよ〜。もっと愛想よくしなきゃ」


 艶のある声が少女をたしなめるが、彼女は口をつぐんだままだ。無口な少女の手を引いて、外に連れ出そうとするが、彼女は動こうとしない。


 どうやら、何かを案じているようだ。おおよそ、金銭のことだろう。そのくらいなら、何も言わずとも分かる。


 俺は彼女に向けて言った。


「代金はもう払ってある」


「そう」


 澱んだ空間に凛と響いたその一言は、俺が一年振りに聴いたリリィの声だった。

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