第五話
不審なる火の華、打ち上がる。
その報告を受け、かつ己が目でも確かめたナテオはその出処に自ら急行した。
だがすでにそこには一影とてなく、出来合いの手筒が数基、打ち捨てられているのみである。
怪しげなるモノあれば、捕えよ。
それがハンガよりの依頼である。それが何者であれ、義に則り正しく遂行する。
「敵は多分に硝煙を浴びているはず。獣竜班はそれをたどり、先導なさい」
鋭く明示した令嬢だったが、それに前後して供回り誰ぞが声を発した。眼下に異変が生じた。
灰がかった、霞がごときものが路地を充す。酔漢の惑う声が聴こえる。
何か、毒にも薬にもならぬものが風上にて燻されているようだ。
ただ、諸々の意味合いを以て、キナ臭い。これでは獣竜は、嗅ぎ取れない。鳥竜は目を潰される。
「……やむを得ない。一度地上に戻り、敵を探りましょう」
その正体も数も、位置も目的も知らずして如何にして。
と、そのような愚問を口にする兵は、ツキシナルレには無し。
「敵の位置目的素性、事の是非。全ては我らが突撃にて見極める」
と、彼女が言うことがこの家の全てであった。
そしてツキシナルレは前進する。
「夜分にお騒がせしております! ツキシナルレがナテオでございます! ただいま突撃中につき、近隣住民の皆様におかれましては多大なるご迷惑をおかけしておりますが! ご理解とご協力のほど、申し上げます! なおご不明点、賠償のご請求につきましては! 当家までお願いいたします!」
凶徒が向かうであろう場所、前提として安全を確保しなければならない場所は分かっている。
すなわち、領主親子の居所である。
戸を破り、戸を砕き、大音声で触れ回りながらなお前進は止まぬ。
そして数棟ほど切り拓いていった辺りで、先行するナテオの足がぴたりと停まる。
「……追いつきましたわ。この上」
独語とともに、『牙』を鞘走らせる。そして真上に飛びつつ『鱗』を纏う。
頭で梁を砕き、屋根を貫通して、直立の姿勢のままに瓦の上に至る。
そこにいたのは、一個の黒装束である。
と言っても、色味としては深い紺である。漆黒が夜闇にかえって浮くことを、この対手は知っている。男か女か定かならない、ほっそりとしたこの者は、ただの洒落や水鏡で、忍者の真似事をしているわけではないようだ。
誰何の一言も無く、ナテオは刃を振るった。
無作為な斬撃が、瓦を割り、土肌を捲り上げて荒ぶる。ただそれだけで、敵の進退をままならなくさせる。それが真竜というものだ。
だが。
すでにその斬の檻の中に、奴輩はいない。
端緒から、間合いより外れて跳ねている。
その速さ、その躍動。到底
音もなく別の家屋に降り立とうとするところに、体勢定かならぬその瞬間を狙って、牽制と妨害のために瓦の一片を斬り飛ばす。そして自らも追った。
それはナテオをしっかり視界に収めたまま、後ろ向きに小刻みに跳ねた。躱す。
そして地上の煙の中へと飛び込み、埋没していった。
「……」
ナテオは呼吸を整えて、その影を見送った。
突撃は、全てを教えてくれる。
間違いなく、敵はこちらの、
そして、この作戦行動は正確にツキシナルレの陣立やこの地の利を把握していなければ能わぬものだ。
何より、あれは獣竜の類いだ。純正ではないであろうが。
これほど多様な手立てを遂行出来る者は、多くはない。まず挙げるとすれば、東部第一連隊グエンギィ。次いで……
この
だが、理由が分からない。
傍目には、彼はこの新天地で厚遇されていたはずだ。主従の仲も良好だった。
彼には野心や向上心は見受けられるが、邪さは感じられない。
……いや、おそらくこれはもっと単純なことかもしれない。
御仁は何かを
波風を立たせることが、彼の目的そのものだ。
ーーしかし、どうするおつもりですの?
足を寸時止めて、ナテオは彼を想い遣った。
この先に待ち受けるのは、おそらくは……鉄の嵐。
〜〜〜
そしてかの夏山星舟ら一行は、館の裏手に至る。見上げれば、シグルの籠る一室に点いた灯りが帷越しに覗いている。
そしてその近くに繋がる鉤が、糾える縄が、地上の経堂が引くたびに揺れる。
「縄梯子、無事掛かりました。しかしお急ぎを」
「まぁ焦るな。この複雑な街割りだ。さすがに地元のナテオでも、部隊を展開させて行軍するには手間取るだろう」
「それが、道なき道を切り拓き、家屋を薙ぎ倒しながら文字通り直進して来ているようでして」
「えぇ……」
星舟、ドン引きであった。
とはいえ、ここまで到達できれば、後は気にせずとも良い。困難は、前にしか待ち受けてはいない。
「しかし、よろしいので? お部屋に直接侵入することも出来たでしょうに」
「曲がりなりにもご主君に目通するんだ。そんな夜盗まがいの真似ができるか」
子雲の問いかけに、縄を掴みながら星舟は答えた。
「まーたなんとも半端な。そんなの、今更でしょうに」
とわざとらしく嘆くのを半ば無視して足を壁にかける。
半可通と嘲られるのは慣れた。そうあるしかないのが己だと割り切った。
後のことは残りの二人に委ね、星舟は窓に己を通すだけの穴を足で穿ち抜いた。
そして我が身を、廊下に転がすが如く送り込む。
転身。
転瞬。
尋常でない気迫を、潰れた眼の側より浴びた星舟は、反射的にその方角を顧みた。
シグルへと通じる唯一無二の回廊。その手前。
片肌を脱いだ女傑、ハンガ・ラグナグムスが、自らの『牙』を鞘ぐるみ杖代わりに、常にはない鬼気を漲らせて、その場に屹立している。
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