第四話
今宵も今宵とて、酒盛りである。
おびただしき酒精一切、果たしてどこからきて、そしてこの酔漢どものどこへと納まっていくのか。
興味は無くとも疑問は尽きない。
「……はてさて、今日こそは我らが大将殿は酒を拒み切って、己を保てることやら……暇なことですし、ひとつ賭けますか」
「やらねぇ」
「おや、博打は不得手でいらっしゃる」
「決まり切ったものを賭けとは言わん」
己らも勧められるままに盃を取る経堂と子雲を、シェントゥは半歩離れたあたりから冷視する。
会話をくり返す益体の無い会話は、そして四苦八苦して飲酒を極力避けようとする夏山星舟を観る眼差しは、およそ忠誠心の三字からは無縁のものだ。
そして助け舟を出すような兆しもない。
ある意味では責苦より酷な境遇の主人の不遇を嘆きながら、しかして己らから打破することもない。そのことに、シェントゥはむしょうに腹が立った。
こんな程度の低い人間どもと同列に扱われるのは、耐えがたい。
……かつて、無垢で無知な少年を装っていた時には、もっと自身には忍耐が備わっていたはずなのだが。
(今さら、己を含めたこの面々が、どういう末路を迎えようとも知ったことではない。……それなのに自分は、彼らの、夏山星舟の醜態に、何を苛立っている……?)
我が心のことながら戸惑いつつも、シェントゥの脚は、自然前へと進む。賭けに扮した部下たちの見立ての通り、ついには盃を押し付けるハンガと、不承不承に手に取った星舟との間に割って入る。
あん? と酔眼を傾ける女傑。対して軽く驚嘆とともに瞳孔を開く星舟。
場の空気が読めていないことは承知の上。これが他者の反感を買い、我が身を害するばかりで、何ら益のない行為であることも。それでもせざるを得ない。
真竜から疎まれても問題ないのは、己ぐらいなものだからこそ。
「失礼」
断りを入れて、シェントゥは星舟より酒を奪い取る。
~~~
「……で、潰れてりゃ世話ないわな」
宴を中座し、シェントゥを背に負った星舟はため息をついた。
「初めて見たよ、一杯飲んだ後に直立で後ろに倒れる奴」
「……うるさいです」
年下の青年の上で、狐女は吐き捨てるように言った。
「長らく少年の真似事なんぞしなくちゃならなかったから、酒なんてついぞご無沙汰だったんです」
「なんだ、隠れ飲んでるもんだと思ってたが」
微量をくすねるぐらいだったら、バチも当たるまいものを。ある意味律儀さと慎重さは、表も裏も共通の一面なのかもしれない。
「というか貴方こそ」
酔いがためか、いつになくシェントゥは絡んでくる。
「あんな強い酒、よく毎晩のように飲まされて平気ですね。それとも、脳はとうにだめになっていたというわけですか」
指摘されてみれば、たしかにその通りだ。元々酒には弱い方ではないが、さすがにあれらは、人の身に連日連夜流し込めるものではない。
それに釣られてか、肴もまた塩辛いものを好むようになった。
――あるいはそれは、人ならざるものに味覚や体質も変化しつつある兆しか。
「……慣れたんだよ」
それを気取られない程度の沈黙の後、星舟はため息交じりに雑に答えた。
そんな折に触れて、視界の端から差し込む光があった。
先宮の裏手。垣によって隔てられた先。その外周から覗く居館の上階。その一室に、
「あれは……誰の部屋だったか」
珍しくも宴に参加していない者か。あるいは盗人か。好奇の眼差しで仰ぐ星舟に、背のシェントゥが答えた。
「ご当主様のですよ」
「ご当主」
「そこまで呆けたのですか? ハンガ様はあくまで当主代行。本来の当主たる方がおられる」
「いや、さすがにそれは忘れてないっての」
名を、シグル・ラグナグムス。
亡きイクソンとハンガの間に生まれた正嫡。
順当に行けば、穏当に十数年後に当主として不動の地位を確保していたことだろう。
だが、初陣が対尾であった。父、その乗艦共々に海に沈められ、奇跡的に助かった『彼』も、意識こそ取り戻したものの、受けた心の傷は肉体のそれよりも大きかった。
家長の座を病床若輩の身で襲ったその竜はしかし、精神的後遺症からまともに他者と対話することさえままならかった。
要領を得ない言動を繰り返し、ついには昼間でも仕切られた暗室に籠り、母親でさえ拒絶するようになったと聞く。そして曲がりなりにもハンガが、矢面に立つことになったのだという。
あれが、その一室か。
「他者の不調に関心を向けている場合ですか。なんですか、このタプついた腿は。連日の飽食で大分肉ついたんじゃないですか」
「乗ってる最中に触んなっ、結構タチ悪い酔い方するなお前!?」
背越しに回されたシェントゥの指先が、下肢をまさぐろうとする。それを身を捩ってかわしながら、星舟は、
(だが中の影……一瞬、こっちを見てなかったか)
チラリと思った。
しかしあらためて見上げると、
〜〜〜
星舟の直感は、実のところ、この時ばかりは当たっていた。
もっとも、下界に、ましてや酔い潰れた女を背負う人間の男に興味があってのことではなかった。日に数度あるかどうかという、仕切りの隙間から窓の外を見るという行為。その一瞬時に、たまさか星舟らの影が動くのを認めただけに過ぎない。
「……ふん」
彼らが何かしらのやりとりや口語をしている気配は感じ取った。大方己の陰口であることも察しはついたが、如何に見られようとも、どうでも良いことだった。
「下らない。実に、馬鹿々々しい」
外を見るたびに、幾度となく繰り返してきた所感を零す。
彼らも、母も、その他家の連中も。
この世の真実の大きさ、広さ、深さ、遠さを想えば。
新当主にとっては、誰も彼も、皆等しく卑小であった。
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