第二話

「……ま、好かれようと信頼されようとも、そもそもが話を聞かない方々なのだから、彼女らの歓心を得たところで無意味なのでは?」

「オレの二年を全否定するようなことをサラリと言わないでくれる!?」


 自らの靴痕を拭い去ろうと屈んで躍起になる星舟の背に揶揄を飛ばしたのは、配下の恒常子雲である。


 爽やかでさも高潔そうな容姿、佇まいとは裏腹に、人と竜、星舟と藩王国の出向宰相カミンレイ・ソーリンクルの間を狡猾に往来する二心者。

 安定な地位、そこそこの栄達を捨てて出領した星舟についてきた一人には違いないが、当然そこには忠誠心や敬意などあろうはずがない。むしろ、苦る星舟の様子を楽しんで眺めている向きさえある。


「お前らがなーんも手伝ってくれねーから、知恵絞って頑張ってんだよ」

「それはそれは。ただまぁ我々は貴殿の私兵であり、兵士に過ぎませんのでな。ここに来てからはさしたる戦も無いゆえ、こうして歯痒さに耐えている訳です」

「寝言をほざくな、元工作員」


 のろのろと身を起こしつつ、側近くに侍るトゥーチ家所属以来の部下たちを見遣る。

 ……そう、今この場に居合わせる三名。

 いずれも、一介の兵士などというには収まらない、曲者揃いである。


「知恵を絞ってなおこの体たらくなら、分不相応な望みなど捨てておしまいなさい」

 ……とりわけ、元サガラ・トゥーチの間諜などは。


「本当に給仕として尽くした方が、幸福なのかもしれませんよ」

 などと、辛口で当たってくるシェントゥに、星舟は苦笑を返す。

「人の悪口言うと、鬼が出るぞ」

 彼がそう言って覗きこんだのは女ではなく、その背後にいた人間の、陰の濃い顔だった。

「そういうアンタも、人をつかまえて鬼はねぇでしょう」

 表情を変えないまま、経堂きょうどうは毒づく。

「少なくとも、女狐やアンタのことを見世物小屋の猿としか見てない男よりかは、信頼できる相手でしょうに」

 この中では、もっとも付き合いの長い部下である。少なくとも、他愛ない雇い主の冗談に対し、強めに非難し返す資格を持ちうる程度には。

「金で繋がってる内はな」

「よくお分かりで」

「だがそれは他の連中も同じだ。そこの男はオレが見世物になってるうちは離れないだろうし、そこの女は」

「『行き場を喪った哀れな彼女は、拾ってくれた自分に恩義を感じ、あらためて忠誠心を抱いた』」


 そんな星舟の見立てに、シェントゥは先回りして、より具体的に答えた。


「――などと、まさかそんな寝ぼけた考えをお持ちではないですよね? バカバカしい」

「……違うのか?」

 率直に問う星舟に瞳を眇め、露悪的な嘲りを浮かべた。

「貴方如きに養ってもらわずとも、一人で生きていけるだけの手練手管は持っていますよ」

 それもそうかと星舟は何の悲嘆もなく認めた。

 カルラディオ・ガールィエの調査が入るまで欺き通したその擬態能力。近衛の亡兄を持つという気脈も、完全には断たれてはいないだろう。


「じゃあ、なんでここに来た?」

 当然の疑問を、胡乱げに経堂が彼女にぶつける。

「さぁ、実はまだサガラと繋がっていて、事細かに貴方の動向を報告しているとか?」

 戯れの如く、ぞっとしないことを、執事のような佇まいの女は冷笑とともに言う。

 だがそれを否定したのは、二年前の彼女自身だ。もはやそこまでの価値は、星舟にはないと。


「なんにせよ、自分は星舟、貴方に何も期待してはいない。求めもしない。下らない夢想に付き合うつもりもない。滅びるのなら、どうぞお早く、ご勝手に」


 節をつけて吐き捨てるや、シェントゥは踵を返して去っていく。


「やれやれ。かつての愛らしさが嘘のように、ずいぶんな言い草で」

 子雲が肩をすくめた。しかし、これも男にとっては一興にしか過ぎないのだろう。表情にはまるで深刻さというものがない。


「いや、作り物ウソだったけどな、そもそも」

 そう返しす自分は、なんとも虚しい。

 築き上げてきた信頼は、注いできた情愛は、全て底の空いた盃からすり抜けるばかりだったのか。


 いや、そうとも言い切れない。

 少なくとも、執念と何かしらの目的なくして、この二年の無聊に付き合うことはなかっただろう。今向けられた悪意も、無関心とは程遠い。

 それが何に起因するものなのか、憶えはないが、それでもシェントゥが納得ゆくまでは付き合うつもりでいた。


「それでどうします? 彼女の言う通りに投げ出すとしても、拙者としては一向に構いませんが」

「抜かせ」

 試すように、後ろ向きに誘わんとする子雲を押し除け、星舟は止めていた足を再び動かし始める。


「台無しになるのは、今に始まったことじゃない」

 ――そう、誰あろう星舟自身はそれを知っている。


 人と竜の融和。

 竜を国家の函に、その中身を人に。その中身の頂点に立って舵を握る者こそが己。

 それが少年期より抱いてきた、星舟の展望だった。


 だがそれより遡ってずっと前に、この大計は破綻していた。

 シャロン・トゥーチとの出会いから。その血を吸ったことにより。


 たとえ紅の雨が降らずとも、いずれはこうなっていた気さえ、今ではしていた。


 しかし。

 それでも。

 この二年、どれほど胸中で唱え続けてきたことか。


(ぜんぶ、無駄になったわけじゃないだろう)

 トゥーチ家を捨てたことも、シェントゥとの関係なども含めて。


 たとえ今居る場所が粉々に砕かれた夢の残骸の上だとしても。

 足下の瓦礫に埋もれてしまってもなお、活きているものは、まだあるはずだ。


 仰げばまだ星がきらめいている。その光が、たとえ遠くなったとしても。

 明日をも知れないものであっても、今はまだ、自分の脚で立っている。


 減少の一途をたどる竜たち。このまま命の摩滅が留まらなければ、滅びるかもしれない。それを食い止めたいという願いと決意に、打算はあっても嘘はない。


 だがそれとは別に、一度は破砕した夢を、四散した願いを、ふたたびかき抱いて形と成す――星に、手を伸ばし続ける。

 それこそが、夏山星舟が己自身に課した使命だった。

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